永遠の一学期
「萩乃、おまえってカナ中?」
聞き覚えのない声に顔を上げると、小柄な男子が二人。
誰だっけか。高山とかそんな感じの名前の奴らだ。
二人ともシャツがズボンから飛び出し、そのズボンは弛んで裾が雑巾のように擦り切れていた。
「え? そうだけど。なんで?」
「やっぱ? マジでカナ中のハギじゃん」
「うっそだろ、中学の時と全然雰囲気ちげー」
劣化してんじゃねえか、なんて言葉をよくもまあ悪気なく言えるものだ。相手が俺じゃなければ乱闘が始まるレベルだぞ。
一人は逆三角形のおにぎりみたいな顔に、ブロッコリーを彷彿とさせるテンパを装着。もう一人は同じく逆三角形のおにぎりに、イガグリ頭。
二人ともニキビだらけの面に、一重瞼と細い鼻、薄い唇を並べている。
他人のくせに顔のパーツが似すぎていて、内心噴いた。
「千國から萩乃がバスケ部だったって聞いてよお、もしかしてと思ったらな」
「覚えてるか? 俺ら最後の中体連、おまえんとこにボッコボコにやられてんの」
「三十三対七十八。クソザコだったよなあ」
「特にエースのハギがやばかったなって話、今でもたまにしてたんだけど。いや、つーかなんでおまえがここにいるんだよ」
「それなー。おまえ頭いいんじゃねーのかよお」
うるせえな。俺だって来るつもりなんかなかったよ。けど受験当日に腹下すなんて予想できるわけないだろうが。
言いたいことは最初の五文字しか口から出なかった。
代わりに前髪の隙間から上目遣いの睨みを利かせるが、効果は薄い。
二人はへらへらとした口元のまま俺をど突いて、無理やり立ち上がらせた。
「ノリわりーぞ」
「え? なんだよ」
「バスケだよ。やるら?」
「リベンジすっぞ。せきねんのなんとかー」
動物みたいな奇声をあげながら、二人は廊下側の窓を横飛びして駆けていく。
そんな二人を指さして、教室の後ろでは女子たちが甲高い笑い声をあげていた。「あいつらマジうっせー」って、同レベルだろうが。
「いや、意味わかんねえ」
俺は呟いて、それでも足は自然と教室の出口を目指していた。
きっと楽しーからやってみなよ。
咲幸に言われたからではない。ただ、久しぶりにバスケをするのもいいな、という気分になったからなのだと言い聞かす。
俺はいまだに、自分の出身高校は動物園だったのではないかと疑う時がある。けれど、中に入って目を開いて融け合ってみると、あの場所は決して悪いところではなかった。
農村にぽつりと位置していたあの学校に、ヤンキーなんてものはいない。
学級崩壊も起きなければ、生徒が卒業式に御礼参りをすることもない。当然、眼鏡とおさげがトレードマークのやくざの孫が教員として赴任していたりもしない。
奴らはただ、勉強が底抜けにできないだけだった。
IQが二十異なると話にならないという俗説があるらしいが、学力偏差値はたとえ三十違っても会話は成り立つ。
話は尽きない。取るに足らないことで声を上げて笑う。男子高校生なんて、そんなものだ。
俺も大概馬鹿だもんな。ふと自覚した瞬間、俺はやっと周囲に目を向け始める。
高遠と浦山。
一年間クラスメイトだったはずの彼らの名前を、俺はその日初めて知った。
そして翌日から俺たちは、最後の登校日までバスケを続けた。
***
「ちょ、おま。どこ投げてんだよ! 取られたじゃねえか」
「わり、手え滑ったー」
ダムダムダム。
コントロールを誤った浦山のパスをカットし、レイアップ。空気の入りが悪いバスケットボールは、いつも弾みが悪く重い音を鳴らす。
それでも俺たちは三人で、時に隣のクラスの連中も交えて下らない話題とボールを飛ばし合っていた。
「そういや健一、おまえアレだろ。授業中に咲幸に答え教えてんだろ?」
「……え?」
「あー、あれなあ。普通に千國が頭良くなったかと思ってびびったわ」
二人は顔立ちだけでなく声も口調も似ていた。わずかに高遠が早口で、浦山が間延びた話し方をする。それ以外の差異がないため、たまにどちらが喋っているのかすらわからなくなる。
自称異母兄弟。
「おまえの方が愛人の子な」「いや、おめーだし」というクソみたいな言い合いをしょっちゅうしていた。
普通に双子じゃ駄目なのかよ、とは思う。
名前をファーストネームで呼ぶ方が高遠で、名字呼びをする方が浦山。健一と俺を呼ぶブロッコリーが高遠、ハギと呼ぶイガグリが浦山。
「いや、まあ。教えてるけど」
「つまんなくなるじゃねえか。つーか、なんでそんなことしてんだよ。代わりに一発抜いてもらってんだろ?」
「んなわけねえだろ、死ね」
「ばっか、あぶねえし」
豪速球パスを高遠の顔面にめがけて飛ばす。
「でもよお、真面目に千國や鈴木あたりは頼めばいけるら?」
あの胸揉みてえ、つーかヤりてえ! とかダイレクト過ぎる欲望を口走る浦山の尻を蹴り上げた。
「うるせえ浦山、おまえも死ね」
鈴木はどうでもいいけど、咲幸の話はするんじゃねえ。
高校生は馬鹿だ。男子も、恐らく女子も。
どいつもこいつもヘラヘラと今だけを生きている。俺たちの頭を割ってみれば、今日の飯とかゲームとか漫画とか遊びとか、芸能人のくだらないスキャンダルや好きなアーティストの楽曲、女子のこととエロいことばかりがたっぷり詰まっていて、その中に一粒、将来という種がまだ芽を出さずに眠っている。
俺たちはただ、今を生きていた。
二年になりようやくエンジンが掛かってきた。高校が楽しい場所だと感じるようになってきた。
別につまらなくても結構、友達なんていらないと斜に構えていた。けれど、楽しい方がいいしダチもいた方が断然笑える。それだけの話だ。
「つーか千國ってハギによく話しかけてねえ? なに喋ってんだ?」
「誕生日とか、好きな食べ物訊かれたりしてる。あと休日なにしてるかとか」
「お見合いか!」
高遠のツッコミに浦山の甲高い笑い声が被る。
「あと最近やたらと手品見せてくるな。下手くそなやつ」
「やべえ、意味わかんねえ」
クラスの大半の男共は、咲幸が好きだ。視線でわかる。
片田舎の女子高生は、よほど美意識が高い奴くらいしか化粧をしていない。
大人になって開いた卒業アルバムはじゃがいもの収穫会場のようで、もちろんAKBに入れそうな奴も、橋本環奈クラスの美少女などもいるはずがなかった。
そうなると必然的に、そこそこ可愛いくて明るくて、胸の大きい奴がモテる。
はっきりとした眉や朱に染まる肉厚の頬を持つ咲幸の顔は、どこか田舎くさい。けれど、長いまつ毛に縁取られた大きな瞳も、厚い唇から覗かせる八重歯も、あどけなくて愛嬌がある。
垂れた目じりは優しげで、全体的に丸みを帯びたフォルムは触ってみたいな、とか思わせる。
鄙びた田舎町においては、及第点を遥かに上回っていただろう。
加えて彼女は常に穏やかで、誰にでもわけ隔てなく、伸び伸びと空を泳ぐ春風のように生きている。
男子にも、そして女子にも咲幸は人気があった。
それでも意外と告白もされなければ、彼氏もいない。
あいつは休み時間に飛んできた蝶を追ってそのまま授業に遅刻するし、鼻歌を歌いながら廊下でスキップをした拍子に階段を踏み外してしまう馬鹿だからだ。
結局は少し及び腰な視線を含めて、男たちは咲幸を見ている。
可愛いんだけど、彼女にするのはちょっとなあ。ヤりたいんだけど、あれと付き合っていく自信はなあ、と。
「咲幸な、馬鹿なことしなきゃ今井かれんに似ててイイのにな」
「ああ~、だなあ」
今のこいつらみたいに。
つーか誰だよ。知らねえよ、そんなAV女優。
「萩乃くん、最近学校楽しそうだね」
「……別に、そうでもないけど」
ぶっきらぼうに返しても、小さな微笑みが空気を揺らす。
眩い笑顔は、クラスの根暗へ向ける以外にもいたるところで振りまいているのだろう。
けれど春の日差しのような柔らかさは、アホな男子高校生を勘違いさせるには十分過ぎた。我ながらチョロイ男だと呆れる。
相変わらず咲幸は馬鹿で、授業中に俺は答えをそっと横流しする。
睡眠学習をしていた日は、ノートを貸してあげることもあった。ノートの日は、十円チョコをくれた。
毎日が、悪くない。
このままずっとここで、隣の彼女に萩乃くん、と名前を呼ばれる日々を過ごしたい。小さな菓子を差しだされていたい。
夏服になった咲幸は、眩しさを一回り増した。身長のわりにかなり主張の激しい胸が、いつブラウスのボタンを飛ばすのかと日々期待している。ボタンも意外と根性があり、今のところは持ち堪えていた。
そんな毎日でいい。
しかし俺は、この日々に終わりの足音が近づいてきていることを知っている。六月も半ば。あと一ヶ月で一学期が終わる。文化祭と期末テスト期間が過ぎ去れば、すぐに夏休み。
この町の短い夏休みは、あっという間に二学期と晩夏を連れてくるはずだ。
新学期になったら、俺の隣には誰が座るのだろう。
咲幸がいい、と思った。萩乃くん、と丸い頬を膨らませ、飴やチョコを小さな手に乗せている咲幸がいい。
だからどうか一学期よ、終わらないでくれと願う。
帰り道、俺は自転車を全力で立ち漕ぎをしながら、無人の田舎道でいつも叫んでいた。
一学期よ、永遠に!
……高校生は、馬鹿だ。




