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メアテボシのあなた  作者: つめ
第二章 大学生篇
34/60

暴走クソ野郎は夜に沈む

 夜も深まるころ漫画喫茶を出た俺たちは、神社へと向かいお参りをした。カウントダウンを刻み、見知らぬ参拝客と高める謎の一体感。

 咲幸は顔の半分をマフラーで覆っている。半ミイラ男状態。寒い? と訊けば、上は汗をかくほどらしい。そりゃあ達磨みたいに着込んでいればな、と呆れる。

 「今年もよろしくねえ」と目を細めた彼女に、俺は頷いた。


 小腹が空いたのでコンビニに寄り、神社の隣にある公園へ戻って来る。片手にはお湯の注がれたカップ麺。ちんたら歩いていたせいで、食べる前から伸びていた。さくさくが売りの天ぷらなんて、溶けて消えちまった。


「ねえ、健一くん。あたし思うんだけど」


 ゴフっ。色気のないむせ方をした咲幸が、箸を休める。


「年越し蕎麦って、このタイミングでいいの?」

「……いや、駄目だろ。多分年越し前に食うやつ」


 だよねえ、と乾いた笑いと白い息が夜に混じる。でもおいしいからいつでもいいやって、それがまかり通ってしまったら、この世の慣習のほとんどが破滅する。

 新年早々、俺たちは一体なにをやっているのだろうか。

 口を動かしていないと凍り付いてしまいそうで、唯一の温もりである蕎麦は秒刻みに冷えていく。

 手足がちぎれんばかりの痛さの中、蕎麦をすすっている馬鹿は他に居ない。蕎麦うんぬんではなく、公園には人影がなかった。


 参拝も終わったので、俺は咲幸を送り届けなくてはいけないのだろう。けれどまだ名残惜しく、彼女を帰したくない。

 ダラダラズルズル。伸びきった蕎麦のように二人の時間を延ばそうと、一口一口丁寧に啜る。


「あ、そういえば二年参りって言い方、この辺でしか言わんみたいよ?」

「らしいな、大学じゃ通じなかったわ。方言なんだろうな。方言といえば咲幸、最近どんどん喋り方変になってるな」

「あ、これ? なんかね、どうしても周りの人に釣られてまうの……あー、また出ちゃった」


 咲幸が恥ずかしそうに口元を抑える。できそこないの関西弁のようなイントネーションは、彼女ののんびりとした雰囲気を助長していた。

 決して嫌いではない。けれど時折、一度だけ聞いたナントカくんの訛った声が過り、もやもやと頭の中を曇らせる。


 やがて外気で冷蕎麦になった麺は、溶けた天ぷらと一緒に腹へと収まった。

 もうなにも浮いていない汁をじっと見つめ、俺は夢の終わりを悟る。

 今度はいつ会えるのだろう。そもそも会えるのだろうか。

 このまま咲幸と別れたら、また作り物めいた時間が始まる。いつか音も立てず俺たちの関係は消えてしまうような不安に駆られた。


「あのね、健一くん」


 黙り込む俺の顔をいつのまに覗いていたのか、咲幸が目を伏せた。

 健一くんに大事な話があるの。静かな夜に融けてゆく真面目な声に、俺は息が詰まる。

 慌てて吸い込んだ外気は、喉を切りつけてしまいそうなほど鋭い温度だった。


 もしかして振られるのかな。

 根拠もないのに、脳裏をかすめるのは、そんなこと。

 聞きたくねえと耳を塞いでしまうわけにもいかず、咲幸と目を合わせた。気付けばその瞳には、仄暗さが宿っている。いつからだろう、思い出せない。


「えっとね。ええと。色々あるんだけど、まずは、謝りたいことかなあ」

「謝る?」

「うん。あたし、健一くんに嘘ついてまったの」


 わかりやすく心臓が動揺した。


「えっと、先月かな。バイトの帰りに健一くんが電話くれた時あったじゃん? 覚えとる?」


 白い息で逸る呼吸がばれてしまいそうで、息を殺して頷く。


「あたし、その時一人で帰っとるって言ったけどね、本当はね」


 躊躇いがちに俺の顔色を窺い、意を決したのか早口でその一文を終わらせた。

 ナオキくんがいたの。と。

 うん、知ってたよ。どう答えるべきかわからず、俺は曖昧な相槌だけを打った。


「まずいなあって思ったけど、どうしたらいいかわからんくてね。健一くんと電話するたびに思い出して、でも電話で謝ったら変なことになりそうで言えんかったの。……ごめんねえ。別に『で?』って話なんだけど、あたしもやもやしてまってねえ」

「どうして嘘なんかついたんだよ」


 打ち明けるということは、後ろめたい気持ちがないからなのだろうか。予想外の告白に、脳が戸惑い始める。


「だって健一くん、ナオキくんのこと好きじゃなさそうだったから」

「……なんだそれ。理由になってなくね? というか別にどっちでもねえって言っただろ」

「そ、そんな怒らんでよお」


 眉を下げて肩をすぼめた咲幸を見て気が付く。俺はそんなに語気を強めていたのだろうか。


「あたしよくわからんもん。健一くんがなんでそんなにナオキくんのこと嫌ってるのか。よくわからんけど、あの時もナオキくんと帰ってるって言ったら、また健一くん怒らせてまうかと思ったの」


 ちょっと拗ねてむくれた咲幸は、けれどすぐにごめんと声を重ねた。

 怒られるからって、なんだその小学生みたいな理由は。


「へらへら男の話されて気分いいわけないだろ」

「でもあたし、時田さんとか勝又くんとかの話もよくしてたじゃん。二人も男子だよ。でも健一くん、ナオキくんの話の時ばっか突っかかって来て、よくわからんかったの」

「本当にわからないのかよ」

「わからんよ。健一くん、よくわからんよう」


 あほらしくなってきて、俺は口調がいい加減になっていく。おまえ馬鹿じゃねえの、吐き捨ててから、咲幸に面と向かって「おまえ」などと投げつけた自分に驚いた。


「馬鹿だもん。そんなの健一くん知ってんじゃん」

「開き直んのかよ?」


 責められた子供のように謝る咲幸を前に、叱責する気は失せる。

 少し語調を強めたかと思えば、次の瞬間には体を縮めてしまい忙しない。彼女は誰かと言い争いをしたり、感情的に言葉をぶつけたりした経験がないのかもしれない。


 今まで出会った誰よりも、怒り方が下手くそだった。恐らく俺に不満があるのだろうけれど、怒れてすらいないのだ。

 あまりのポンコツ具合に、俺自身の苛立ちが行先を失いうろうろと彷徨ってしまう。


「……仲、良さそうだったからだよ、一番。咲幸も名前で呼んでるのがなんかむかついた」

「え?」

「ナオキくんナオキくんって、あいつのことだけ名前で呼んでただろ」


 口にするとあまりにガキで、情けなくなった。くだらねえにも程がある。これにはさすがの咲幸も呆れるのだろう。


 しかし咲幸はきょとんとした表情を俺に向け、同じ言葉を繰り返した。

 英語の授業中みたいな顔しやがって。日本語も聴き取れなくなってしまったのか。

 数秒後、目と口を大きく開いた咲幸の馬鹿でかい声が、静寂に守られていた公園に響く。右手をポンと太ももに当て、ようやく合点が行きましたよ、とばかりに激しく頷く。


「もしかして健一くん、ナオキくんって名前だと思っとる?」

「え?」


 今度は俺が同じ顔を作る番だ。


「そうじゃ、ないのか?」

「違うよお。ナオキくんは名字だよ? えっとね、難しい漢字書くの。あたし書けないなあ。猫の左側の手偏? っぽいのに、西? だっけ。……違うな、酉? みたいな漢字書いて」


 咲幸の右手が宙を舞うが、彼女自身うろ覚えなせいで文字になっていない。


「うーん。こんな漢字、普段見んのよねえ」

「ああ、猶予の猶か」

「ユウヨ?」

「執行猶予とか。こういう漢字だろ?」


 咲幸の手のひらになぞって書いてやる。


「あー。ん? ってそんな漢字だっけ? うん、でも多分それ。その字に樹木の木で猶木。下の名前は征人くん」


 猶木征人。ナオキセイト。……ナオキくんは、名字だった?

 やばい。事実を理解した頭に、真っ先にその単語が生まれ増殖した。やばいやばいやばい、脳内やばい祭り。完全に勘違いだ。全部、全部俺の独りよがりな大暴走だった。


 死ぬほど恥ずかしい。穴がなくともここに掘って入りたい。

 小学四年生の時、クラスの前でズボンとパンツを脱がされうっかりフルチンを披露してしまった時以来の羞恥。あの時はズボンを脱がした奴と大乱闘を起こしたけれど、今の感情はどこにもぶつける場所がない。


「健一くん、早とちりさんだねえ」


 誤解の解けた咲幸は、すっかり通常運転に戻り呑気な笑顔で俺を包んだ。

 つまり俺が勘ぐっていたことはすべて、ありもしない妄想だったのだろうか。


「いや、紛らわしいんだよ。仲がいいから名前で呼んでるんだと思うだろ」


 というか、浮気してるかもとか勘ぐってたよ、ぶっちゃけ。

 正直に伝えた不安を、咲幸は一瞬で笑い飛ばしてしまった。


「そんなわけないじゃん。健一くんは心配性だねえ」


 俺の数ヶ月は一体なんだったのだろうというくらいあっさりと、否定した。いつもの彼女だった。脳内スケスケの、嘘もごまかしもまるでない彼女の発言。


 嘘だろ。空気が歯の隙間から漏れ出すように、呻いた。顔を覆い俯くと、自然と口から零れる、ごめんという声。


「俺が勘違いしてたのに色々責めて。いや、マジで俺が悪かったわ、全部」


 本当に、ごめん。この『ごめん』は、なにに対しての謝罪なのだろう。

 俺の悲痛さに対し、咲幸のいーよ、は軽快だった。いつもの笑みを咲かせる。八重歯をちらつかせて幼げなのに、どこか大人びた色を秘めた『いーよ』。

 俺に不満を抱いていた数分前は、頭から消えてしまったらしい。


 咲幸はすぐにいーよを口にする。なんでも許す。

 俺が馬鹿なことを言った時も。ガキっぽいワガママでデートの予定を変更した時も。一口もらおうとした咲幸のアイスをうっかり落としてしまった時も。小突く力を誤ってコケさせてしまった時も。寝過ごして約束の時間に遅れた時も。セクハラまがいなエロいちょっかいを出した時も。全部、いーよ。


 勝手な想像を膨らませた俺がなにをやらかしたのか、それを知っても彼女はこの言葉をかけてくれるのだろうか。

 そんなわけねえだろ、ボケ。脳内の小さな俺たちが、騒ぎ立てている。


 なあ咲幸、どうしよう俺。

 強風に煽られる木々のごとく心が揺らいだ。ざわめきは収まらず、どうしようを繰り返す。

 人のことを疑っておきながら、浮気をしているのは俺の方なんだよ。


 俺の心境など読めるはずもない咲幸は、一人言葉を紡いでいく。

 こっちが本当に話したいことなんだけどね、と。


 それよりも先に、俺も咲幸に続いて打ち明けるべきなのだろうか。謝らないといけないことがある、と切り出して。

 できるわけねえよな。

 俺の心のごとく黒々と淀む蕎麦汁に、クソ野郎の顔が映る。音もない言葉を吐き出す。やるせない想いは白い息となり、いつまでも大気に漂っている気がした。

 心だけは沈んでいく。

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