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メアテボシのあなた  作者: つめ
第二章 大学生篇
33/60

ゆく年、くる年

***



「二年参り、行かない?」


 年の瀬の提案は、咲幸からだった。気が付くと俺たちは長い間会うこともなく、今年を終えようとしている。

 互いに帰省を決めていたので、俺は二つ返事で了承した。

 咲幸と巴。二人の彼女を持ち出してから咲幸に会うのは初めてで、改めて後ろめたい気持ちがこみ上げてくる。


 こんなこと、いつまで続けるのだろう。

 それよりも『二人の彼女』などという異常な単語が平然と出てくる時点で、俺はどうかしているのではないだろうか。

 客観的に考えると、咲幸と別れて巴と付き合う方が幸せになれるのかもしれない。俺は遠距離に向いている質ではなく、巴は心底俺を好いている。


 それでも「やったー」と無邪気な声をあげる電話越しの咲幸は、純粋に可愛い。

 近くにいる彼女を選びたいけれど、結局俺の中の本命は咲幸だった。タイムマシンを開発してでも、矛盾した思考を抱える当時の俺を殺しに赴いた方がいいだろう。



 十二月三十一日。昼下がり。

 父親の車を借りて咲幸を家まで迎えにいく。ただひたすら山道を登った先にある、小さな集落。山と休耕中の田畑だけが広がる、もの淋しい場所だ。

 そのさらに奥まった開けた土地に、ぽつりと家が建っていた。民宿を経営していることもあり、建物は大きい。


 敷地前の坂で車を止めていると、窓ガラスがコツリと音を立てた。


「あの、すみません」

「ん? なに?」


 叩いていたのは小学校高学年くらいの子供。訝しい視線を俺に送るギョロ目は黒部分が異様に小さく、子供ながらたじろいでしまう。すべてのパーツが深く彫られた、力強い顔立ちの女の子だった。


「今日は年末年始で、ウチのえいぎょうはお休みですけど」


 丁寧だが、どこか機械的な口調。顔のわりにすました声は、背伸びをして懸命に大人ぶっているのだろう。少しませた雰囲気が、逆に子供らしい。

 営業という言葉と、少女が指差す場所で察する。


 俺が口を開くより先に、彼女は「ごめんなさい」と一礼をして踵を返してしまった。整ったフォームで、坂を駆け上がっていく。

 頭の上で跳ねる、重たい黒髪。できそこないのちょんまげは、先端だけがくるくると渦を巻く、見覚えのある癖毛だった。


 あれが咲幸の妹なのか。名前に星を持っているという。

 全然似てねえ。率直な感想を一人ごちる。

 きっと中身も似ていないのだろう。咲幸と同じように朱に染まる頬は田舎のガキらしさを出しているが、全体的に聡明そうな色を持つ子供だった。どこか鋭く、季節でいうと冬を纏っている。


 彼女と入れ違うように、咲幸が慌ただしく近づいてきた。


「健一くん、お待たせ。久しぶりだねえ。迎え来てくれてありがとうね」


 無地とガラのマフラーを二重巻き。紺のピーコートの下にはなにを着込んでいるのか、ずいぶんと着ぶくれをしている。いや、本当にどれだけ着ているのだろう。

 上半身の重装備に比べて、足元は厚手のタイツと茶色のロングスカートだけで心もとない。


「着すぎじゃねえ? 上」

「夜は冷えるでねー……って、あっつい」


 暖房の効いた車内で早速マフラーを外している。着ぶくれて丸々していると思えば、咲幸自身はだいぶ痩せていた。そんなはずはないのに、一回り小さく俺の目に映る。


「咲幸、痩せた?」

「へ? そ、そうかな? えへへー、やった」


 褒めてねえんだけどな。俺は丸っこくて柔らかい彼女が好きなのに。


「ちゃんと飯食えよ。……今の、妹か?」

「そう。もうすぐ中学生。可愛いでしょー」


 宝箱を見せびらかすように、咲幸は口元を緩めた。俺は多分、妹二人を語る時に同じ表情はできない。

 パーツは悪くねえけど、眼光が鋭くて人相悪いぞ。さすがに言えない言葉は飲み込んだ。


「咲幸の方が可愛いよ」

「わ、しばらく会わない間に健一くんがチャラくなっとるよお」


 おどけたセリフが核心をついていた。そうだ、しばらく会ってくれないから、俺はとんだチャラ男になっちまったんだ。

 もちろんこの言葉も、胸の奥にしまった。


 本屋とCDショップをぶらついてから軽く夕飯を食べて、それでも深夜にはほど遠い。漫画喫茶のカップルシートで時間を潰す。

 半年ぶりのデートなのに、なんなのだろうこのプランは。呆れるけれど、どうしようもない。ただでさえ遊ぶ場所のない田舎に加え、年末で休業している場所が多いのだ。

 枯れ木ばかりが続く山道をドライブしても仕方ねえし。


 咲幸は隣で漫画を読んでいたかと思えば、パソコンの前で変な動画を開いて笑いを堪えている。そのたびに俺の横に来ては、耳元で囁くのだった。

 ねえ健一くん、から始まる甘い響き。俺は咲幸の声が好きだ。電話では伝わらない、耳にかかる吐息が好きだ。


 顔を合わせて声を聞くと、冷めかけていた気持ちが嘘のように再熱してくる。むくむくと沸き立つ彼女への想いが脳を満たしていく。

 近くにいるだけで温かく、まどろみを覚えるような心地よさ。

 やっぱ咲幸が一番だな、なんて。ほとほと手の施しようのない身勝手な馬鹿だ。


 思わずキスをすると、赤みの帯びた頬の色が濃くなる。健一くんだあ、とぽつり漏らした。ホットココアを飲んだあとに一息つくような、身体の奥から抜ける優しいため息。

 囁く声に、俺の心も安らぎを覚えている。寒い日に自販機で買った温かな飲み物を、ポケットで転がす。するとちっぽけな熱が不思議と体中に広がっていく、その感覚と似ていた。


 久しぶりに触れた咲幸の厚ぼったい唇は気持ちがよくて、ついばむように俺は何度も唇を重ねてしまう。

 そのたびに咲幸は、眠たげな目を細めた。あまりにもヘラヘラが止まらないので頭がおかしくなったのかと小突いてみたら「痛いよう」だって。


 意味もなく頭や体に触れると、くすぐったそうに身をよじる。ムツゴロウさん気分で一通り咲幸を撫でまわしたあとは、腕の中に彼女を収めて動画を眺めた。

 俺が勧めた動画は、仲間内で見た時は爆笑したけれど今は面白くもない。むしろくだらない。けれど触れている咲幸の背中や肩は、小刻みに揺れていた。


 あれ? これは幸せだぞ。

 気付けば数ヶ月間の不安や苛立ちが嘘みたいに、どこにもない。最初からそんなものは存在していなかったのではないか。


 咲幸は飼いならされた犬のように気の抜けた姿勢を晒していて、自然体だ。やましいことを隠している様子はない。

 このままなにもかも、上手くいくのではないか。

 半年間の空白期間を切り抜いて、あの初夏の一日と今日とを貼り合わせてしまうのだ。そうしたら……。


 緩んだ頭に水をかけるように、振動した携帯にはメッセージが映しだされる。

 世界が一瞬で色のない無機質なものに変わった。触れ合っていた温もりも、咲幸の潜めた笑い声も、すべては幻のように消えてしまう。浮かれた脳内が、現実という井戸にぶち込まれた。


 そんなに都合のいい話、あるわけねえだろうが。

 響くのは、いつもの堕ちていく音。

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