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メアテボシのあなた  作者: つめ
第一章 高校生篇
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ひとつの飴玉、ひとつの問答

 初めて話した日から、咲幸は授業中に指名されるとたびたび俺に視線を寄せた。

 きらきらとした大きな瞳が訴えている。「へい萩乃くん! 回答ヘルプ!」と。


 このアマ、考えることを放棄しやがったぞ。

 しかし俺も、気まぐれに咲幸の大喜利大会を邪魔した。


 俺が答えを教えた次の休み時間には、お返しとばかりに咲幸は俺の名前を呼び、緩んだ笑顔を向けてくる。そして安っぽい飴玉を一つ、俺の机に置くのだった。


「萩乃くん、見て見てー」


 とある二限目の休み時間。

 咲幸が開いた手の甲をこちらに向け、両手首をひらつかせた。短い指はすべてまっすぐに伸びている。


「な、なんだよ?」

「あたしは今、なにも持っていませんね?」

「え? ああ、まあ。……そうだな」


 種も仕掛けもありません。

 お決まりの文句を得意げに吐いた咲幸がハミングするのは、これまた定番でもあるオリーブの首飾り。

 俺はこれの種も仕掛けも知っているわけだが、黙って見守ることにした。 


 色白できめ細かな左手の甲を、右の手のひらで撫でる。左右を入れ替えてもう一度。今度は握りこぶしを作った左手に、開いたままの右手を近づけようとした時だった。


「ふふふふ~んふふ~んふ……あ」


 コロコロ、カンコロカツン。リズミカルに奏でてしまった軽快な音。

 宙を泳いでいた右の手のひらから、突如飛び出す飴玉。机を転がり床へ落ちる一部始終を、二人して見守り、沈黙が立ち込めた。

 同時に顔を上げるとうっかり目が合ってしまい、かける言葉を失う。


「えへ。今の、ナシね」


 ……なんだったのだろう、今の。

 明後日の方に視線を向けながら、桃色の舌をわずかに出す。咲幸のアホは今日も通常運転だった。


「もー、授業中ずっと練習してたのになあ」


 パーム、つまりは親指の付け根の筋肉を使うことにより、手を開いた状態で物を持つことができるというマジックの基本技術だ。


 少しばかり会得できていたが、失敗することは明白だった。

 俺は隣でずっと眺めていたのだ。先までの一時間、消しゴムで練習しては失敗を繰り返す彼女の姿を。授業聞いてねえんだろうな、と呆れながら。

 予想通り、指名をされたら慌てふためいていた上に、開いている教科書は前の時間のものだった。


 なにからなにまで馬鹿すぎて、思わず噴いてしまう。


「マジで馬鹿かよ」

「萩乃くんが笑ったー」


 柔らかそうな頬肉を上げて、咲幸が無邪気な声をあげる。

 他人の笑顔で、ここまで幸せそうになれる奴を俺は他に知らない。

 

 言うまでもなく、当時の俺は飴玉欲しさに咲幸を助けていたわけではない。

 俺はただ、あいつに話しかけてもらいたかった。萩乃くん、という甘い響きはこそばゆく、耳にするたび心に明かりが灯る気がした。


 それだけの理由で、俺は咲幸に回答を渡す。


 自分からは話しかけない。俺は女子に話を振ることが苦手で、特に咲幸のような頭の弱そうな女が、どんな話題を好むのか見当もつかなかった。


 どうもこうもない。彼女はノリだけで会話を成立させていたのだから、話題などなくともよかったのだ。そのことに気が付かなかった高二の俺は、アホだった。



 萩乃くん、おはよう。萩乃くん、ばいばい。また明日。

 いつの間にか咲幸は朝と夕、俺の方を向いて厚い唇から八重歯をちらつかせるようになった。


 咲幸は意味もなく俺の名前を呼ぶ。


 おはようもまた明日の挨拶も、視線の先には俺しかいない。だから名前を口にする必要もないはずだ。それでも咲幸は会話初めに必ず萩乃くん、とつけた。

 まさかそれをしないと、誰に話しかけているのか認知できないなんて馬鹿ではないだろう。もはやそれは高校なんぞに通っている場合ではない。


 対する俺は「ああ」とか「うん」とか、そっけない返事ばかりで彼女の名前すら、口にしなかった。


 そんな不愛想な俺を見放すこともなく、咲幸は春風を思わせるにこやかな顔で俺を覗く。休み時間になると「さっきはありがとうね」と飴玉を置いた。


 クラスで俺に話しかける奴なんて、こいつしかいない。


「ねえ、萩乃くんは中学何部だった?」

「……バスケ」

「あー、それっぽーい。いいなあ、あたし文化部だったから運動部憧れるなあ」


 中身のない話題を振っては、大袈裟に反応し過剰な笑顔を向けるのだった。


「萩乃くんって背え高いねえ。なんセンチあるの?」

「一七八、くらい」

「やっぱ大きいねえ。じゃああたしより、えっと三じゅ……じゃないや。に、じゅ? ん? ……あ、二十五センチも高いんだ」


 今の引き算のどこに指を使う要素が?


「萩乃くんは血液型、なに型ー?」


 咲幸はクラス替えを経験したばかりの小学生みたいな調子で、俺の個人情報を聞き出そうとする。


「……Bだけど、なんで?」

「え? 意味はないよ? ビーか。ビービー。ならウチの妹と一緒だね」


 代わりにひとつ、どうでもいいことを教えてくれる。


「あたしはなに型に見える?」

「Oとか?」

「ざんねーん。よく言われるけどね。ヒントは父さんと母さんはA型とB型です」


 全然ヒントになってねえし。

 咲幸との会話はいつも、ひとつの飴玉とひとつの問答がセットになっていた。


「萩乃くんって誕生日いつ?」

「八月二日、だけど」

「ほんと? ちょうどあたしの一カ月前だからしし座かあ。お隣さんだね」

「なに、隣って」

「えへへー」


 咲幸の話は、時たまよくわからない。


「萩乃くんは、好きな食べ物ある?」

「エビフライかな」

「わっかる。あたしも一番好きな食べ物はエビフライかエビシュウマイかで悩むんだ。中はぷりぷりで、しっぽはサクサクでおいしいんだよねえ」

「え? 衣じゃねえの? つーか尻尾ってゴキブリと同じ成分らしいぞ」

「ええ? うっそー、じゃあゴキちゃんもおいしいのかなあ」


 俺には当時、友達がいなかった。

 当然のことで、あのころの俺は咲幸も含めたクラス中を見下していた。馬鹿な底辺連中だと。きっとロクな大人にならなくて、生涯年収とか低い人生を送る哀れな奴らなのだろうな、と。

 無口で不愛想、そのくせ視線だけは鼻につくクソヤローだった。


 それでも咲幸は、俺に話しかけた。


 舌先で転がす薄味の飴玉。飴玉より甘い声を出す咲幸の話は少しずれていて、でも俺はその話を聞く時間が嫌いにはなれない。

 今日もこいつ指名されねえかなと、授業中に考えてしまう俺がいる。


 飴玉もないのに咲幸に呼ばれると俺は動揺してしまう。

 「んだよ」と不機嫌そうに返してしまったけれど、あれは決して怒っていたわけではなかったと咲幸に弁明したい。


 そんな機会はもう二度と、訪れはしないだろうけれど。


 休み時間も移動教室も昼も放課後も、いつも一人。今更仕方ねえかなと諦めていた。PSP持ってりゃ楽しいし、携帯いじってりゃ暇じゃねえし。没収されたらやべえけど。

 一人だって、悪くないだろ。そう思っていた。


 けれど咲幸は、そういう俺の世界にも土足で踏み込んでくるのだ。


 呼び鈴を連打したあとに、こっちが応答していないにも関わらず「ごめんくださーい」と勝手にドアを開けるおばちゃんが近所にいる。あれと同レベル。

 ちょっと待て、を言う暇も与えず、話し始めていたりする。


「ねえねえ、萩乃くんってバスケやってたんだよね?」

「ん、あー、そうだけど」

「高遠くんと浦山くんが、A組の男子と一緒に休み時間にバスケやってるみたいなんだけど、いつも一人足りないんだって。だもんで、萩乃くんおススメしといたけどいい?」

「は?」


 なに勝手なことしてんだよ。ふざけんな、よくねえよ。

 下手くそなジャンプシュートのフォームを作り、なぜかカニ歩きをしている咲幸に内心悪態をつく。


「ディーフェンス! ディーフェンス!」

「攻めるんじゃねえのかよ」

「きっと楽しーからやってみなよ。あ、先生に呼び出されてたんだ。じゃーね」


 抗議する間もない。風のように去っていく咲幸の後ろ姿を、呆然と眺めた。

 あいつは風だ、春風だ。柔らかい和風のようでいて、時折疾風みたいな激しさでなにもかもを巻き上げるから油断できない。


 そしてあいつらも、咲幸の言葉を信じ俺に近づいて来た。


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