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メアテボシのあなた  作者: つめ
第二章 大学生篇
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君と嘘

「なあ、巴。マジでやめてくれないか」


 巴を決定的に拒絶する。もうこれしかないのだろう。

 たとえひどく傷つけることになってしまっても、以前のように気軽に話せる間柄でなくなってしまったとしても。最悪、サークルの奴らから非難されても、俺はあの場所を失う覚悟もできていた。


 惰性のままに踏み込んで流されてきた彼女との関係に、終止符を打つ。

 そして咲幸にすべてを打ち明ける。彼女の隠しごとも、問い詰める。


「何度も言うけど俺は、おまえの想いには答えられないから」


 深夜に向かう街の中で、俺は隣の彼女に告げた。

 季節はすっかり移ろい、澄んだ空気が俺たちの間に流れていく。


 電話をしていたら、突然俺の家に来たいなどとぬかし始めた。しかも、今から。

 今だろうが明日だろうが絶対にあげねえからな、と抗議していたところ、懇願はものの数分後に「今、健一の家の前に来たんだけど」というシャレにならないホラー発言に代わった。

 メリーさんか、嘘だろ。窓から確認したら、本当にアパートの向かい側に突っ立っていやがる。

 面食らうとはこのことだ。いや、マジで帰れよ。何度も言うが聞く耳持たずで、仕方がないので外に出た。


 シカトを決めればいつかは帰るのだろうけれど、こんな時間に女が一人でふらふらしているのはさすがに危ない。

 あまりに面倒になり、ここですべてを終わらせてやろうと俺は自棄になった。


「迷惑だった?」

「ああ、すげえ迷惑だから。普通に考えりゃわかるだろ? おまえ俺より頭いいくせにそんなこともわかんねのかよ」

「そっか。……だよね」


 おや、と拍子抜けしてしまう。

 ここはいつもの巴なら、華麗にスルーを決め込んでいるだろう。けれど今日は伏し目がちに、ごめんと呟く。

 聞き分けのよさに、なぜか俺が戸惑ってしまった。


「昨日さ、美子に怒られたんだよね。私たちの関係勘ぐってたから、『健一彼女いるけど、奪おうと思うんだよね』ってぶっちゃけたら、普通に怒られた」

「まあ、当然だろ。飯田は正しい」


 飯田美子。比較的大人しい奴だが、実は女子の中では随一の長身を誇っていたりもするサークルメンバー。俺はあまり親しくない。巴とは仲がいい。

 選手としてバスケに関わっていたのは俺と同じく中学までらしく、今でもマネージャー的な立ち位置でサークルに属していた。

 大阪に行った彼氏を年上の女に寝取られてしまった、可哀想な奴だ。


「健一が自然に私を好きになったなら仕方ないけど、けしかけるようなことは止めなって。遠くにいればどうにもならないこともあるんだから、やられる側の気持ちも考えなよって。……そりゃあ美子は、怒るだろうね。あの子があんなに怒るの初めてで、私もちょっと反省したというか」

「ちょっとなのかよ」

「ううん、かなりかな。確かに、自分がやられたら悲しいよね」


 言葉通り、目の前の巴はかつてないくらいしょぼくれていた。よほど強く叱責されたのだろう。

 いつもより一回り小さく感じる。と思えば低い靴を履いているだけか。


 だから、諦めようと思うの。

 巴の言葉をさらった北風に、身体は冷やされても心は熱を帯び始めた。

 え? マジで? 想像よりもあっさりと、事態は理想の方向に向かっているのではないか。


「咲幸さんが私より健一のことを好きなら、諦める」

「そうか。わかってくれたなら俺も助か……ん? え? なんだって?」

「だから、先に付き合ってたってのは過去のことでしょ。そうじゃなくて今。今、健一をどれだけ好きかってことが大事だと思うの」


 いやいやいや、大事なのは俺の気持ちじゃねえの。

 ツッコミは自然に流され、巴は俺の前に大きな手のひらを差しだした。


「携帯」

「え?」

「咲幸さんに電話してよ、今から。バイト終わったでしょ? そろそろ」

「は? え、なに。直接話すとか言うんじゃねえだろうな」


 勘弁してくれ、そんな修羅場みたいな地獄絵図。想像しただけで背筋が凍る。


「そんな馬鹿なことするわけないでしょ。健一が話すの、咲幸さんと。考えうる限り最っ高にラブラブな会話をしてよ、私の前で」

「嫌に決まってるだろ。なんでそんなことしなきゃいけないんだよ」

「じゃあ諦めないから」

「マジかよ!」

「その会話聞いて、『ああ、これは絶対敵わないな』って思ったら私、諦める」

「お、思わなかったら?」

「え? 諦めないけど」


 やっぱこいつ頭おかしいじゃねえか!


 誰か助けてくれ。飯田、今すぐここに来てこいつをなんとかしてくれ。おまえの友達だろ。

 連絡先すら知らない彼女に祈りながら、俺はしぶしぶ携帯を取り出す。こうでもしないと諦めないどころか、巴は今夜俺の家の前から動くことすらしなさそうだ。


 本当にこんな馬鹿みたいな解決方法しかないのだろうか。

 いっそここで巴を殴ったり蹴とばしたりする方が早いのではないだろうか。

 考えを巡らせてもロクな案が思い浮かばず、俺は咲幸の連絡先を開くのだった。


 出来レースだろうが、こんなもの。日常的にラブラブな会話をするカップルなんて、早々いないのだから。

 俺は聞かれていることを知っている時点で、ぎこちなくなってしまうのだから。


 できるだけ時間をかけて、呼び出しボタンを押した。

 いっそ出ないでくれ。コール音のたびに、心臓自体が拝むように逸る。

 しかしこういう日に限って、咲幸は出てしまうのだ。お得意の寝てた、を使うこともなく。

 のんびりした声が、スピーカーホンで住宅街の空気を震わせる。


「はーい、健一くん?」

「お、おう。今大丈夫か?」

「大丈夫だよ。どうしたの? 珍しいね」

「いや。咲幸の声を聞かないと、眠れなくて」


 一発目からぶち込んでみる。気持ち悪いが、なりふりを構ってはいられない。

 横の巴が、白けた視線で鼻を鳴らした。なんだその顔は、おまえが仕掛けてきてるんだろうが。


「ふふ、急にどうしたのー? あ、生姜湯がねえ、眠れん時に効くんだって」


 生姜なんて嫌いだよ。そんなことよりいつもみたく「あたしも健一くんの声が聴きたかった」と答えて欲しい。しかし待てども、今日の咲幸は甘い声を電波に乗せてはくれなかった。

 電話越しから、けたたましいバイク音が耳をつんざく。


「うるさ。まだ外にいるのか? バイト帰り?」

「うん、そう。金曜日だから、ちょっと遅くなってまった。さっき終わったとこ」

「そうか。一人か?」


 どうしてそんなことを尋ねたのか、そこにどんな意図があったのか、自分でも説明できない。意図など恐らくなかった。ただなんとなしに、訊いたのだ。

 夜遅いけれど大丈夫かな、程度の疑問で。


 けれど電話越しの咲幸は、俺の問いに緊張の色を溢れさせた。顔は見えないけれど、息遣いだろう。明らかに変化させたそれはスピーカーを通し俺に、そして隣の巴にも伝わったのかもしれない。


「え? ……一人、だよ?」


 次の瞬間耳に届いた声に、うわ、と空気を吐き出してしまった。巴すらも、俺と同じ口の形を作った。

 なんだこの、死ぬほど低いクオリティーの嘘は。騙す気、あんの? むしろツッコミ待ちなのか? そう違うほど、あからさまな嘘だった。

 一音一音ゆっくりと意識した、滑舌のよさが際立つ発音。


 わかってしまうのだ。咲幸の嘘は。

 生真面目な彼女は恐らく、嘘を吐くことに対して過剰な罪悪感があるのだろう。

 だから必要以上に身構える癖がある。きっと彼女の脳内が「言うぞ言うぞ!」と覚悟を決めて切り替わるまでに、時間を要するのだ。

 その時間が、単純に発言のロスタイムとなって現れる。


 つまり咲幸は嘘を吐くとき、必ず変な間を作る。

 こういうことは誰しも当てはまるだろう。しかし普段はノリのみで会話を進めているだけに、余計目立ってしまうのだ。

 そして今、その空費時間が存在した。咲幸は意図的に、嘘をついた。


 冷たい夜風が身体中の毛穴から入り込み、俺の体内を巡る。寒気がした。

 血液のすべてが水に代わったように、体温を失っていく。

 心も身体も冷たい、と感じるのは冬だからだろうか。

 急速に色を失っていく目の前の景色は、季節が作り出す幻影なのだろうか。

 答えに、たどり着けない。

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