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メアテボシのあなた  作者: つめ
第二章 大学生篇
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俺たちの隠しごと

 巴から告白されたことを、俺は咲幸に告げてはいなかった。

 この問題は、あれに似ている。男女の友情はあり得るのか。たけのこときのこはどちらが美味しいのか。答えなき提題。

 異性に告白されたら恋人に報告するのか。

 時と場合、人によるから正答がない。


 例えば「好きです」「ごめん」「わかった」で終わる関係ならば、俺はそれを打ち明けていただろう。

 けれど相手が悪すぎた。巴は本気だ。宣言通り、本当に諦める気配がまるでない。

 そして「欲しいものは絶対に手に入れてきた」を自負しながら、実行に移そうとしている。一日一回、俺に好きだと迫る。

 想いを心に留めておいてくれれば問題ないのに、そう上手くもいかない。

 本能的なものなのだろうか。咲幸には申し訳ないが、その瞬間だけ巴を意識してしまう俺がいた。

 悔しいけれど、どうにもならないのだ。もちろん、ハッキリとは断るが。


 そんな現状を、告白することなどできるわけがなかった。

 「いやー、同期の女に告白されて断ったけど諦めてないみたいでさあ」

 どの面を下げて、己の彼女にそんなセリフを吐くというのだ。積極的に関係にツルハシを落としてどうする。

 

 だから結局俺は、咲幸に隠し事をしている。まず最初の隠しごとがそれ。

 そして家に帰って来てからも、巴とたびたび連絡を取るようになってしまった。二つ目の隠しごと。

 最初はメッセージだけだったので適当に返していたが、いつの間にか電話に代わっていた。

 三つ目、休日や夜に巴とたまに飯を食っている。

 すべて流されるように、というより巴の強引さに押し負けて、といった方が正しい。


 もともと俺自身、咲幸のことを言えないくらい押しに弱いのだ。

 幼いころから、妹二人の理不尽なわがまま砲火を浴び続けてきたせいなのかもしれない。

 いつもおやつをねだられ、ケーキのイチゴもチョコも奪われ、文句も許されない悲しき兄貴。

 ねえ兄ちゃん、あれやって。これ買って。それ持って。二人の妹の息ぴったりなわがままに、俺は結局乗せられていた。はいはいはいはい、わかったわかった。やりゃいいんだろ。最後の最後で押しに負けて、要望を受け入れてしまうあの根性が、骨の髄までしみついているのだ。


 それと同様に、巴の強引さは呆れながらも許してしまう力があった。

 生半可親しいだけに、無下にはできない。俺は女に面倒くささを感じても、決定的に傷付けて遠ざけることはできずにいた。さすがに可哀想かな、と心が痛む。


 そんなわけで俺は、少しずつ巴に絆されている。巴が生活の中にするりするりと侵略してくる現状を、許してしまっていた。

 断っても断ってもめげずにアプローチを続けるのだ。パンチングマシンか? どんな環境下で育てば、ここまでのメンタルを保てるのだろう。

 バスケ部根性、というレベルを超越している。


 いつものように巴との電話を切ったあと、電気を消してはたと気が付いた。

 ベッドに転がりながら話している時間は、気づけば咲幸より巴との方が長くなっている。俺は飛び起きた。

 いや、駄目だろこんなの。なんで巴と恋人みたくなってるんだよ。


 しかもあろうことか、今日は咲幸と電話をする日だ。なに普通に寝ようとしているんだよ。

 特段取り決めをしているわけではないけれど、最近は咲幸のカラオケバイトが無い日に電話をするようにしていた。

 俺から掛けるときもあれば、彼女から掛かってくる時もある。

 今日は既に夜もだいぶ深まっているが、咲幸からは掛かって来てはいなかった。もしかすると彼女も忘れて寝てしまったのだろうか。

 俺は慌てて咲幸と通話した履歴を探す。ほら、もう巴の名前の方が多いじゃねえか。そんな焦りを払拭したくて、俺はぼやきながらコールボタンを押した。


 三秒、五秒、十秒、二十秒。

 咲幸は出ない。無機質な音声が、静まり返った部屋中に染みわたる錯覚がした。

 諦めかけたところで呼び出し音が途切れ、布ずれのような音が響く。


「はいい」


 誰でしゅか。明らかに寝ぼけたのんびり声が空気を揺らし、いつも以上に安堵を覚える俺がいた。


「俺だけど」

「あ、健一くん。ごめんね寝てた」


 言わずともわかる状況を説明しながら、咲幸は携帯を近づけたのか音声がクリアになる。

 眠気も少し覚めたのだろう。眠たげな声は毎秒一ミリほどの速度で浮遊しつつ、多少明瞭さを取り戻していた。

 咲幸のお得意、寝てた。

 頻出しすぎてどこまでが本当なのか、最近はよくわからない。今日は本当だろう。


「今ねえ、あたし玄関」

「は? 咲幸玄関になったのか?」

「違うよお。帰って来てここでそのまま寝とったのー」


 授業中、回答をミスった時のようなてへへ、の笑い。それは変わらなかった。

 ずるりぺた、ずるりぺた。奇妙な音が裏で響く。なにかと訊けば、床を這っているらしい。


「帰って来てって、どっか行ってたのか?」

「え?」

「今日休みだろ」

「あー、うん。休みだったんだけどねえ、急なシフト変更頼まれてねえ」

「ふーん。またか」


 最近の咲幸は、やたらと休みの日でもシフトを入れる。しかも別の日に休みをもらっている気配はない。

 いいようにシフト代打役をやらされているように思えてならなかった。

 ……もしくは本当は違う用事を入れているとか。

 浮かんだ疑いを慌てて打ち消すため、頬を叩いた。思った以上に勢いがつき、乾いた音が鳴る。


「へ? なんの音?」

「蚊が」

「蚊あ? いないよお、こんな時季に」


 酔ったようにからからと、愉快そうな声を出した。

 巴との関係で悩む俺だが、彼女の出現が一つだけ良い方向へ転んだことがある。

 根本から振り返ると全くよくはないのだが、俺は咲幸に優しくなった。一時期は不満を募らせ不機嫌になってしまっていたが、今ではそういうことはない。

 そのせいか咲幸もまた、以前のように弾んだ声を出すようになってくれた。

 あの初夏のころに戻ったみたいだ。電話越しの俺たちは笑いながら、穏やかな時間を過ごす。


 でも本当は違う。

 俺が咲幸に優しくしているのは、後ろめたいからだ。巴に告白されたことを始め、もろもろの隠しごとと嘘を重ねることが。

 罪滅ぼしのように、俺は温かな声色を意識している。

 俺は少しだけ、変わってしまったのだろう。

 そしてそれは俺に限ったことではなかった。


 最近の咲幸は、自分のことをあまり口にしない。正確には、カラオケ店のバイトのことを。

 もっと核心をついてしまえば、ナントカくんの話を。

 彼の家に行っていたあの日から、咲幸は不自然なほどに、ナントカくんの話題だけを避ける。

 頑なに自分の生活に彼が関わっていない振る舞いをするため、逆にその影がハッキリ浮き出てしまっていた。


 余計に怪しさが増す。

 ただ俺も隠すことが上手いか下手かの差があるだけで、やっていることは大差ない。もうそこに言及する気にもなれなかった。


「あー、あかん。身体痛い。玄関にベッド置こうかな。……あ、入らんか」

「なあ、咲幸。そのやたらとシフト代わるのやめたらどうだ?」


 もとよりバイトの掛け持ちで少ない休みが、ゼロになりかけている。いい加減体を壊してしまうのではないかと心配だった。


「んー。でもお給料増えるし、もうちょっと頑張らんと間に合わんかもしれんし」

「間に合わないって?」

「へ? あ、えっと。……なんでもないよ。こっちの話」


 どっちの話だよ。


「生活費以外でそんなに金遣うとこあるのか?」


 咲幸は特別金のかかる趣味があるわけでもなければ、休みが少ないから遊びにもあまりいかない。

 それとも新しい趣味でも見つけたのだろうか。

 もしくはなにか金がかかるような人付き合いをしているとか。


「欲しいものあるなら俺、買おうか? ほら、誕生日なにもあげてねえだろ」

「え? ……う、ううん。欲しいものがあるわけじゃないよ」


 ほら、まただ。重く、けれど鋭い痛みが胸を刺す。

 近頃の咲幸は、なにかを隠していた。明らかに答えを濁す時がある。

 なんだよ、と訊いたところでいつもはぐらかされてしまっていた。

 怪しいのだが、それは怪しさの影がちらつくだけで不明瞭だから、俺は気に留めないフリを続けている。

 隠しごとなど得意な質ではないくせにしようとするところが、腹立たしくもあった。

 けれど俺自身に後ろめたさがあるせいで、咲幸に強く出られない。


 ひとつ、ふたつ。

 俺たちは話すたび、隠しごとを重ねていっている気がしてならなかった。しかも積み方が乱雑だ。いつかきっと、崩れ出すのだろう。

 以前よりも優しい空気に包まれた夜に、俺たちは心の一部をどこかへと仕舞いこむ。


 このままで、いいのだろうか。俺たちはこんなにもぎこちない会話を繰り返す間柄だっただろうか。

 本当の意味で戻りたいと俺は望む。初めて訪れた知らない街で、咲幸と過ごした一日に。あのころの、俺たちに。

 どうすればよいのだろうか。

 繰り返した自問のあとに、俺は一つの答えを手に取った。


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