猪突猛進な彼女
――咲幸さんと別れて、私と付き合おうよ。
巴の唐突な告白を、俺は当然断った。
なにを言ってるんだ。さっきまでの流れ見てなかったのか? 俺は彼女が好きなんだよ。
一般的な断り文句だ。
それでも巴は平然と、落ち込む暇すらなく宣言してみせるのだった。
私、諦めないから、と。漫画じゃねえんだからさ、勘弁してくれよ。俺は軽い眩暈を覚えた。
「ねえ。これ、あげる」
「だからいらねえって」
あの日から巴は、二限の講義が被る日は弁当を差しだしてくるようになった。手作りだ。
淡い色のバンダナに包んで、ご丁寧に箸までつけて。俺はそれを断り続けて二週間になる。
手作り弁当なんて、咲幸にすら貰ったことがないというのに。
「なんで? 変なものは入れてないよ」
「そういう問題じゃないだろ。彼女でもない女子からの弁当なんて貰えるかよ」
「じゃあ彼女にして」
「だから無理だって言ってるだろ」
お決まりのやりとり。もっとサバサバした奴だと思っていたのだが、巴は予想の斜め上をいく面倒くさい奴だった。
仲間内にこっそり相談してみたが、え? アリだろ、いいじゃん付き合えよって、話にならねえ。
俺は彼女を深く傷つけないギリギリのラインであしらい、荷物をまとめた。
「どこいくの? 学食?」
「家」
「え、なんで? 今日フルで講義あるでしょ」
「財布忘れたから取り帰るんだよ」
このままでは昼食が食べられない。口にしてからやべ、と思わず声が漏れた。なんと軽率な発言をしてしまったことか。
案の定フリースローのチャンスを得た表情で、巴が口元を歪めている。こいつ、なんでこんなに笑顔が悪どいのだろう。
「じゃあこれ、食べていいよ」
すかさず目の前に弁当が再登場。あちらのお客様からです、と少し遠くから机を滑って俺の前にやってくる。
「いや、いいって」
同じように巴の方へ滑らせて返す。
「食べてよ」
もう一度テーブルを滑る弁当。
嫌だって。お願い。嫌。今日だけでいいから。行ったり来たり、エアホッケーのような応酬。
ああ。めんどくせえな。これ、男女が逆だったら学生課に持ち込んでいい案件だろ。逆でなくとも持ち込んでしまいたい。
押し問答の末に、わずかな苛立ちが巴へと突き返す力を強めてしまったらしい。
軌道を逸れた弁当が、テーブルの脇から場外へ飛び出してしまった。
あ。俺たちの声が被る。次の瞬間には鈍い音が響き、弁当はバンダナの結び目を下にした状態で床に着地していた。
途端に巴の顔に影が差す。薄い唇を噛みしめ、伏せた目は床に転がった弁当に寄せられている。悪者は俺。一瞬にして構築された空気に、バツが悪く俺は立ち上がった。
「わ、悪かったよ。ごめん。別に落とすつもりはなかったんだからな」
屈んで拾い上げた弁当を、机の上に戻した。薄く着いてしまった埃を払い、バンダナの結び目を開く。
「食べてくれるの?」
「今日だけだぞ。次から絶対やるなよ」
この状況で「いらねえ」と突き返せるほど、俺は悪人になりきれない。
恐らくカオスな絵面になってしまったこの弁当を、このあと巴はどんな心境で食べるのか。想像するだけで良心が痛んだ。
ならば一層食べてしまった方が気が楽になれるだろう。
これで解放されるのなら仕方ない。家に帰るのも面倒だから。正当化するための言い訳を重ねた。
中身は女子のものにしては大振りな二段重ねの弁当箱。しかし咲幸も学生時代これくらいの量を食べていた気がするので、思うより女子も大食いなのかもしれない。
蓋を開けるとご飯に梅干しがドン! 塩昆布が振りかけてある。なぜだろう、ご飯ゾーンの年より臭さがすさまじい。
その割りにおかず面は普通。チキンカツとウインナー。ブロッコリーにレンコンのきんぴら、卵焼き。きゅうりと人参が入ったマカロニサラダが、先ほどの衝撃であちこちに飛び散っていた。
とりあえず肉だな、とチキンカツを口に放る。わずかにケチャップをまぜたのか、酸味のあるソースの染み具合がちょうど良い。
ふと横に視線を寄せると、目をキラキラと輝かせる巴がいる。どう、おいしい? その眼から声が聴こえたが、無視を決め込む。
恋人ごっこに付き合うために食べているわけではないのだ。
一つ一つ味わう義理もないだろう。俺は給食にカレーが出た日の小学生男児並のスピードで、まとめておかずを腹に詰め込んだ。
巴が作って来た弁当は、ほどほどに美味かった。失礼だが、意外だと感じる程度には料理ができるらしい。
「ごちそうさん。ありがとな」
「どう? おいしかった?」
「まあまあ」
「まあまあ? ってどのくらい?」
「まあまあはまあまあだよ。母親よりは美味い」
「え? それって結構じゃない?」
「ウチの母親飯美味くねえから」
幼少期からそれに慣れているせいもあるのか、俺は大抵の料理を許容できる。
「ふーん。じゃあ、咲幸さんよりも?」
「知らねえよ。……まあ美味いんじゃねえの」
あいつ料理苦手だと言っていたわけだし。
「本当? やった」
隣でガッツポーズをする巴には悪いが、俺はあの夏に二人で作ったエビフライの方が好きだ。
***
「お昼?」
「そう。咲幸はいつもどうしてんのかなって思って」
その夜、咲幸と電話をしたのでふと尋ねてみたくなった。
「んーと、ファミレスのバイトある日は割引あるから賄い食べてるけど、ない日はお弁当かなあ」
「作ってんの?」
「え? うん、一応」
「どんなの?」
「どんなのって、普通のだよ? 卵焼きとか鮭とか。夜どうしても眠くて作れんから、朝ごはんの残り詰めとるかなあ。朝作ったご飯を食べて、お弁当に詰めて、もう一個お弁当作って、そっちはカラオケバイトの前に食べてって感じ」
一日同じものは飽きてまうねえ。どこか辟易したように咲幸がため息をついた。
高校のころにやたらと美味そうな弁当を食べていただけに、落差の激しさに参っているのかもしれない。
「三食ちゃんと作るって、結構大変なことなんだねえ」
母さんすごかったなあ、としみじみしながら若干のホームシックになっていた。
言われてみるとその通りだ。なにせ俺は一食すら作っていない。
「今日はねえ、ファミレスだったからあたしドリア食べたよ。美味しいけど、さすがに飽きてるや。健一くんは?」
「俺は、いつも通り学食だな。……カツカレー」
昨日食べたメニューが、驚くほど滑らかに言葉になった。自分で引いた。
「カレーかあ、いいなあ。でも賄いにはないし、お弁当にも入れていけないなあ」
咲幸の少し不満げな声が耳を抜けていく。
高校の時、あたしカレー持ってきて教室中カレー臭にしたことあったよね。
呑気な思い出話は普段だったら一緒に笑っただろう。けれど今日は鼻から空気を出すだけの力ない笑いになってしまった。
チクチクする。なにか痛いなと思い靴下を脱いでみたら、切った自分の爪なんかが入っていたりする。ああいう、地味な痛さ。不快感。
別に犯罪を犯したわけではないけれど、心が淀んでいく気分になる。
しかし馬鹿正直に、同期の女が作った弁当を食べたと打ち明けるのは憚られた。俺は嫌々ではあったんだ。そんなフォローをしたところで、なにになるというのか。
逆に咲幸が、「嫌々だけど同僚の男の人にお弁当を作ってあげた」などとある日言い出したら、俺は普通に「は?」と返すだろう。
だから俺は最近、咲幸に隠し事と嘘を重ねている。そのどちらも、俺は好きではないというのに。
こういう積み重ねがやがて取り返しのつかないことになってしまうのだろうか。いい加減に引き抜いたジェンガみたいに、ふと振り返ると、うわもう詰んでるな、という状況を連れてくるのだろうか。
それだけは勘弁だ、と心が訴えていた。
「ねえ、健一ってなに型のなに座?」
そんな俺の心情などつゆ知らず、巴はくだらない質問をしてくる。
いつの間にか巴が隣に座る講義が増えてきた。
周りからは変な噂をされることもあり、俺はこういう外堀を固められてしまう行為が恐ろしく苦痛だ。
「なんで?」
「いいから」
「クワガタのモナリザ」
「真面目に答えてよ」
なぜ昔にあいつと交わしたような問答を、こいつとしなくてはならないのだ。
「Bのしし座」
「あ、一緒だね」
「妹と?」
「は? 妹?」
「いや。なんでも」
巴の前に置かれているのは教科書だけではなく、雑誌だ。ファッション雑誌かなにかなのだろう。
『特集! 相性占い』のフォントが踊る。
「あ、私ら相性最悪だって。……ま、いいやどうせこんなの当たらないし」
結果が芳しくなったようで、興味を失い巴が雑誌を放る。こういう奔放さはなんというか、一周回って清々しく感じた。
あまりに今日の講義は退屈なので、巴がどかした雑誌に手を伸ばす。占いなんぞは基本バーナム効果だろう。一ミリも信じてはいないが、書かれている文字を漫然と追ってみる。
「へえ、おとめ座のAB型なんだ」
「……うるさいな」
俺と咲幸の相性は特別良いわけではないらしい。最後まで読まずに閉じた。
心を散漫にシャープペンを回す巴は下手なのか、しょっちゅう落とす。くるくるカチャ、くるくるガチャ。うるせえよ、と注意しても聞かない。
挙句俺に飛ばして手に刺さった。
「いてえな。マジでやめろよ」
「ねえ。健一は咲幸さんのどこが好きなの?」
「本当、人の話聞かないのな」
「どこ?」
「全部だよ」
うわ、即答。自分で訊いてきたくせに、大きな手のひらで小さめな顔を覆い、巴は額を机につけた。
「いいなあ、咲幸さん。超羨ましいんだけど」
「おまえの自ら傷付きに行くスタイルなんなの?」
「……なんなんだろうね」
いつの間にか左右の手は顔から外しだらりと垂らしていたが、頭は上げずにひたすら床を睨んでいた。ペン回しはやめてくれたようでなによりだ。
俺は咲幸のすべてが好きだ。付き合いたてのカップルが条件反射的に言うやつではなくて、本当に。
中身もしぐさも、顔も身体も。存在そのものが。
「ねえ、私も健一の全部が好きだよ」
「嘘くせえ」
「うん。……嘘」
唐突に向けられた流し目から、俺は顔を背けた。目を合わせたら満更でもない気分になってしまいそうで、怖い。
俺はその言葉を、咲幸から聞きたいと願っているのに。




