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メアテボシのあなた  作者: つめ
第二章 大学生篇
22/60

巴さゆりの横槍

「健一それ、飽きられてるな」


 仲間内でふざけ合っている中で誰かが放った一言が、俺の胸にはすとんと落ちた。ああ、やっぱりそれなのか? 

 もしかして俺の想いは、一歩通行になりかけているのではないだろうか。

 今ごろ咲幸は「あれ? 健一くんの苗字ってなんだっけ? うーん、オギノ?」とか首を傾げているのかもしれない。


 ハギノだよ。項垂れる俺に、皆は口々に好き勝手なことを言いやがる。

 健一ドンマイ。もう別の子と付き合えば、と。

 そんな簡単な話じゃねえんだよ。悪態をついて俺は部屋を出た。


 非常階段で浴びる夜風は、どこか淋しげな匂いがする。

 いつのまに肌寒さを感じる季節が訪れていたのだろう。

 やべえな、と独りごちる。咲幸と何カ月会っていないんだと数えてみれば、四カ月だ。最近では会えないことが当たり前になりつつあった。


「傷心中?」

「うわ!」


 投げかけられた声とともに、首筋に走る冷たさ。

 自然と尻が浮き、そのまま腰が抜けたように俺は後退った。


「おおげさ。……はい」

「びびらせんな。なに、くれんの?」

「二百円」

「そんなしないだろ」

「嘘。おごり」


 サンキュ。軽く礼を述べ、彼女の手にあったコーラ缶を受け取る。

 炭酸は開けた時のカシュの音が爽快で缶を選ぶ。コーラは原材料がいまいちわからない味が好きだ。


「健一、彼女と別れるの?」


 中途半端に伸びたショートカットを一つに結びながら、彼女は俺の隣に腰を下ろした。

 ともえ。同じ学科で、同じサークルに所属する同期。あまり女っぽさを感じさせないため、男友達感覚で付き合える奴だった。


 無造作に投げ出された足は長く、細い。下着じゃねえか、とツッコミたくなるほど短いホットパンツが、それを助長していた。

 特にふくらはぎと太ももは無駄のないしなやかな筋肉だけが貼り付いていて、よほど意識をしていないとこの美脚は保てないだろう。……というのが、同じサークル内にいる脚フェチ野郎の意見だ。俺はどうでもいい。

 ただ、巴のバスケフォームは確かに崩れが少なく、美しかった。


「別れねえよ」

「え? なんで。上手くいってないんでしょ」

「上手くいってないのと別れるのは別だろ」


 つーか上手くいってねえわけでもねえから、と吐き捨てる。


「そーう? 遠恋なんて少し上手くいかなくなったら遅かれ早かれ別れるっしょ」


 コーラを流し込むペースが速まる。喉が少しだけひりつくように痛い。

 巴は勝気な目を細めて、愉快そうだ。

 ミニバス時代から高校まで、ポジションはシューティングガード。自己紹介で知り、ああ、それっぽいなと納得した。根っからのシューター気質だ。


 声が大きく物言いはハッキリとし、堂々としている。男女ともに遠慮がない。なにより負けん気が強い。

 そもそも女子バスケという界隈は、どうにもこういう人間が多い気がする。……俺の妹二人しかり。

 逆にいえば、それ以外の人間は続かないのかもしれない。


「っていうかさ、思うんだけど。彼女、浮気してんじゃない?」

「……は?」

「ほら、美子が彼氏と別れたって言ってたでしょ、阪大生の。あの子も全然予定合わないって会えてなかったみたいなんだけど、向こうで彼女作ってたんだって」

「ふーん。で?」

「いや、だからで? じゃなくて。健一も同じパターンなんじゃない? 飽きられた、的な。環境変わると新しい出会いがあるわけだし、新しい彼氏作られてるかもよ」


 そんなわけあるかよ。

 あいつはいつだって健一くん、と俺に駆け寄って来てくれる。すっ転んでしまいそうな足取りで。俺のことが心から好きだから。……二年間で増大させたそんな自負は、ずいぶんと萎んでいた。今は、彼女の心が掴めない。

 飽きるわけないよな、と自問するが意味はないだろう。俺は咲幸ではないのだから。


「しねえよ、あいつは。浮気なんて」

「すごい自信。どこから湧いてくるの? 会うの断られたんでしょ」

「だから違うっての。断られたというか、忙しいんだよあいつは」


 そう、忙しい。決して俺のことが面倒になったとか飽きたとかではないと、俺は萎んだ心を励ましていた。大丈夫だぞ、と水と養分をあげる。


「ふーん。っていうか意外。健一って来る者拒んで去る者追わず感あるのに。彼女には尻尾振りまくってるの? 会いたい会いたいーって健一から言うの?」


 ウケるー。巴の手を叩く乾いた音が階段に反響した。うるせえな、どこか面白いんだよ。


「そもそもそれさ、本当に仕事なの? 仕事って言えば一番疑われないから使ってるだけとか」


 やたらと滑舌のよい巴の声は、まるで俺の心を写す鏡だった。

 俺が一度抱いては叩き潰してきた疑念を、わざわざ引っ張り出してくる。


「あいつ馬鹿だから、ごまかしたり嘘ついたりなんてできねえよ」


 どうして俺は二度も、そんな疑心と戦わなくてはいけないのだろうか。


「彼女、バイト掛け持ちしてるんだっけ? ぶっちゃけ私だったら面倒だよ。色々シフト調整して連休作って彼氏に会うってさあ。普段休みないなら疲れてるだろうし。それよりたとえ半日でも、会いたい時にすぐ会える近場の人の方がいいなあって思う」


 あまり女らしくない奴だが、まがりなりにも女子の意見だ。

 咲幸も、これが本音なのだろうか。そうではないと信じたい。


「そんなことねえよ。あいつだって会いたいって言ってくれてるんだから」

「ま、言うのは簡単だけどね。思ってなくても口なんて動くし」

「だから咲幸はそういう奴じゃねえっての」


 階段に勢いよく置いた缶から、わずかに中身が飛び出した。

 あいつは嘘やごまかしが苦手だ。顔にすぐ出てしまう。……今は顔が見えないけれど、声だけでも見破られてしまう。それを本人も知ってか知らずか、極力嘘を避けているのだ。


「へえ、咲幸っていうんだ」


 巴は俺の荒げた声にひるむことすらない。

 似てるね、名前。元々細い一重瞼を流星のようにして、含み笑いを浮かべる。彼女の名前はさゆりだった。


「で、その咲幸さんとは四カ月も会ってなくて、連絡もそんなにマメにしてないってさ。それ、付き合ってるって言えるの?」

「言えるに決まってるだろ」


 電話越しの咲幸の声はいつだって。……いや、どうだろうか。

 最近の会話を辿る。いつも申し訳なさそうに謝っている姿ばかりが浮かんでしまった。以前はもっとからからとした無邪気な声を上げ、会話を弾ませていたというのに。

 俺が時折不機嫌になるせいで、萎縮させているのだろう。


 顔色を窺いながら話す会話は、安らげるのだろうか。咲幸は律儀に「健一くんの声が聴けてうれしい」と毎回囁くが、それは本心だろうか。

 借金のように貯まっていく祖語が、清算されている気がしないのだ。

 次に会う予定を、話題に出さなくなってから俺たちは久しい。


「写真ないの? 咲幸さん」


 見せてよ。

 俺とあまり目線の変わらない巴は、わずかに低い位置から上目遣いを向ける。ぶっちゃけてしまうと、大して可愛くはない。

 なんで見せなきゃならねえんだよ。そう返したいが、どうにもこのサークルメンバーは諦めが悪い。折れた方が楽だろう。


 一番最近に送ってもらった画像を開き、携帯を放った。

 プランターにできた小松菜とのツーショットだ。一体これは誰得だよ。小松菜はどうでもいいが、薄手のTシャツと丈の短い緩いパンツに身を包む咲幸は、ラフで伸びやかだった。トランクス履いてんの? と訊いたらステテコだと返ってきた。俺の知っているステテコとは違う。

 左手でピースサインを作り、厚い唇から白い歯を輝かせている。いつも通り、眉も目じりも少し垂れていた。


「なにこれ、農家なの?」

「んなわけあるか。家庭菜園だよ。面白いんだと」


 わずかばかりではあるが、長い目で見ると節約になるらしい。案外筋がいいのか、咲幸はまともなものを収穫していた。


「へえ、可愛い子だね。男ウケ良さそう」

「やめろよそういう言い方するの」


 明らかに悪意のあるニュアンスが含まれていた。


「だって男子ってこういう子好きっしょ。ってか専用のフォルダ作ってんの? めっちゃ撮ってるね。ウケる」

「だからウケねえよ。つーか他の見るなら返せって」

「はいはい。……モテるでしょ」


 だったらなんだと言うのだ。

 頷くとなぜか得意げに、巴は鼻を鳴らした。ほら見たことかと言い出しそうだ。こんな子、周りが放っておかないでしょ、と。

 実際巴は口を開くと、一字一句違わずその通りに夜の空気を震わせた。


 一体こいつはなにしにここへ来たのだろうとふと気になった。

 馬鹿騒ぎをする1DKのアパートから抜け出して、なぜコーラを飲んでいるのだろう。今の季節には似つかわしくない薄着で。寒いとか当たり前なことをぼやきながら。


 寒いなら同期の恋愛ごとを茶化してないで戻れよ、と言いたい。

 ナチュラルに性格が悪いのだろうか。


「ねえ、今仕事? 彼女」

「いや、午後は休みなはず。友達と遊ぶって言ってたから」


 ファミレスでもカラオケでも、咲幸はすぐに友達ができたらしい。そのうちの元同僚と、今日は出かけると話してくれた。


「ふーん」


 作為的な沈黙を作ったあと、巴が急に顔を近づけた。


「じゃあ、電話かけてみたら今」

「……は?」

「友達と遊ぶっていうの、浮気の初歩的な嘘でしょ。いきなり来た電話の反応で、わかるらしいよ」

「いや、そんなことあるわけないだろ。普通に迷惑だからな。俺、戻るぞ」


 待って、と立ち上がりかけた俺の手を巴が掴む。

 その手はずいぶん大きく、指は長くて、ところどころテーピングが巻かれていた。

 短く切りそろえている爪の面積は広く、俺のよく知る女子の手とはずいぶん違う。


「待って。私それ、本当に嘘だと思うよ」


 女の勘。

 階段の蛍光灯は薄暗く、夜が彼女を隠す。それでも巴の表情はハッキリとしていた。

 どこか恍惚めいた目で、巴は薄い唇を歪めた。

 部屋の外までサークル連中の馬鹿騒ぎが響いていた。絶対に苦情来るのだろうなと呆れる。そして一瞬それた思考を戻して、他人事のように確信する。

 やはり、性格悪いんだろうな。こいつ。


 唐突にした巴の提案が、引き金になった。もちろんこの時は、馬鹿じゃねえのくらいにしか考えていなかった。しかしちょっとしたデキ心が、噛み合わずにいた俺たちの歯車に、大きく亀裂を入れることになる。

 この一件がなくとも、やがて別の形で同じ結末にたどり着いていたのかもしれない。

 この一件がなければ、いつかの約束を果たし俺たちは今でも一緒にいたのかもしれない。

 しかしそれは、もう確かめようのない話だ。

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