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メアテボシのあなた  作者: つめ
第二章 大学生篇
18/60

会えない時間が愛育てるのさ

 新生活が始まりしばらくは、慌ただしくも充実した日々が続いた。

 新鮮な一人暮らし。それなりにハードなスケジュールで講義を受け、無理のない程度でバイトを始めた。

 なんだかんだで俺はバスケが好きで、緩いバスケサークルにも所属した。


 夜は咲幸とわずかなメールを交わす。一日置きに電話でも近況を報告し合った。


 学生と社会人では生活が大きく異なり、互いの話を聞くことが新鮮だった。咲幸がどこでどんな仕事をして、なにを思っているのか。ゆったりとした口調で告げられる時間が、待ち遠しい。


 仕事のほとんどは雑用らしいが、好きなものに関わりながら生活をしている咲幸の声は、いつも覇気に溢れていた。


 五月になると、大型連休からずらした休日に咲幸と遊んだ。地元に戻り、訪れたのは思い出のプラネタリウム。

 会えない時間が愛育てるのさ。歌い出してしまいそうなほど、俺は久しぶりに会う咲幸を前に舞い上がっていた。咲幸もいつも以上にへらへらと弛んだ顔つきをする。


 その反動か、別れ際に押し寄せた淋しさはいつまでも俺たちを繋ぎ止めた。


「まだまだ全然話足りないねえ」

「……だな」

「あと十五分帰るの遅くしちゃう?」

「俺はいいけど、咲幸は大丈夫か?」

「んー、いーよ。遅くなるって言ってきたし」


 健一くんともっと一緒にいたい。

 初夏の夜風に、咲幸は素直な甘い声を溶かす。 


 このやりとりも実はもう六回目だ。俺たちは人気のない公園の駐車場に車を停め、時間の許す限り指先を絡め続けた。遠くの街灯が、血色のよい咲幸の肌をわずかに青白くさせている。


 車、というのは春休みに免許を取得した咲幸が運転するもので、母親から借りてきたみたいだ。コンパクトカーに、シトラスの香りが満ちている。 

 これなら帰り遅くなっても大丈夫じゃん? とご機嫌な咲幸の横顔は可愛かったが、助手席に座りっぱなしの絵面は少々情けない。俺も免許を取ろうと誓う。


 タイムリミットが迫るたびに、次の予定を転倒寸前の前傾姿勢で俺は訊いた。


 俺と異なり、咲幸には土日休みがない。彼女が働く科学館の定休日が、月曜日だからだ。加えて立場的にも希望休の申請はしづらく、俺たちは休みを合わせることが難しかった。


 その中でどうにか連休を作ってくれた咲幸に答えようと、俺も一日だけ自主休講を決め込み、彼女の住む街へ足を運んだ。



***



 真夏日と予報された、六月の中旬。 

 改札口の向こうから子供みたいに手を振る咲幸を目にした瞬間、俺のテンションは跳ね上がる。

 彼女の家でお泊りデート。寝不足になるくらい高揚したことなど、初めての遠足以来だ。


「健一くん健一くん、健一くんだー! 健二くんかもしれないー!」


 何回呼んでも俺は健一だよ。誰だよ、健二。

 咲幸は後ろで結んだ髪を躍らせて、俺に駆け寄ってくる。大きな瞳に溜めた、いっぱいの光。デートのたびに犬みたいだと、微笑ましくさせられた。


 その勢いのまま抱き着いてくるのかと思えば、目の前でブレーキを掛けた。咲幸は案外人前だと恥じらう。


 日中は映画を見て、咲幸がよく足を運ぶ場所を案内してもらった。

 街の中心には、海へと続く大きな河が流れている。休日に音楽を聴きながら川辺を散歩をする時間が、咲幸のお気に入りらしい。俺もそれに習う。

 青空を映す緩やかな水面を眺めながら、俺たちは行き先も決めずに歩いた。


「ほんっと暑い。やばいよー、これ真夏死ぬかもしれん」

「この街だと笑えねえ冗談だぞ、それ」


 河の泥臭さと草の青臭さ。とにかく気温が高かった。生温い風が夏の匂いを運ぶ。

 つないだ手はすぐに湿ってしまい、時々離しては心地よい緑風に晒した。咲幸は暑がりの汗かきで、途中から前髪を上げ、玉のような光を額に浮かべていた。


 河川敷にはいろいろな植物が群生しており、どれも咲幸のお気に入りらしい。

 雑草だけど、イチゴの花みたいで可愛いでしょ。あれがノイバラ。

 白い花弁ちらちらと連なる低木を指差し、咲幸は歩く。

 草花を愛でる趣味など俺にはないが、気が付くと頬が緩んでいた。



 おやつ時を過ぎるとカラオケへ向かう。

 カラオケは天体以外ほとんど趣味のない咲幸がする娯楽の一つで、すでに常連になっているらしい。受付で店員と親しげに話をしていた。


 相変わらず咲幸の歌は上手い。

 やがてレパートリーも尽きてきたのだろう。なぜか床にしゃがむ咲幸は、肘も肩も胸もテーブルに預けて少し退屈そうにデンモクをピコピコさせている。薄まったコーラを飲み続ける俺の横で。正面に回ればスカートの中、見れるんじゃねえの、と煩悩丸出し男の思考には気づかない様子で。


「あ、そーだ。健一くん、デュエットしようよ」


 そんな高度なものができる気はしないが、咲幸が乗り気なので無下にはできない。


「いいけど、俺の知ってるやつにしてくれよ」

「じゃあHYはどおー? あたし366日とか好きだな」

「……いや、それはよさねえ?」


 彼氏とのデュエットでする選曲じゃねえだろ。本当に頭空っぽなのか。


「AM11:00にしておこうぜ」


 ラップなどできないくせに、俺は恰好をつけて曲を入れて速攻で後悔。

 案の定途中でへばった俺は、紳士的にはなれず盛大な咳をマイクに乗せることになる。しかし間髪入れず、トーンを落とした咲幸の声が部屋の空気を震わす。そのままサビ手前まで引き継いでくれた。


 咲幸の刻むラップに比べると、俺のはノリノリな読経。いっそここを俺の葬式会場にしてくれ。


 落ち込む俺を横に、咲幸はモニターに寄せていた視線を一瞬だけ逸らす。

 でも君が好き。さりげない流し目を使う。

 なにも考えていないくせに、絶妙なタイミングで胸を打つ仕草を挟み込んでくる。侮れない奴だ。


 マイクを持つ手の小指が立っているところは普通に可愛いし。


 圧倒的な歌唱力の差で、終始俺が足を引っ張り続けていた。

 それでも咲幸は歌い終わると、マイク越しにハイテンションで叫んだりするのだ。


「健一くーん、かっこいー!」


 うるせえ! ハウリングしまっくてるじゃねえか。



 カラオケ店を出るころには日も傾き、夕飯の話題をする咲幸に俺はすかさず手料理を所望した。


「あー……うん。手料理かあ」


 んー、あー。忙しない夕暮れの街並とは正反対に、間延びた声で歯切れの悪い返事を重ねる咲幸。


「あの、ね。あたしはいいんだけど、そのー。ぶっちゃけですねえ、あたし」


 料理が、下手でして。

 手遊びを繰り返しながら視線を泳がせる咲幸が、あからさまに恥じらっていた。


「多分、健一くんがっかりすると思う。河原散歩しながらねえ、どうにかバレん方法ないかなあとか考えとったけど、ないじゃんねえ。カラオケしとる時はすっかり忘れてて」


 ああ、通常運転のアホだ。


「で、でもね。別に味がすごく悪いとかじゃなくて、食べられはするよ? ただあんまし美味しくないというか、あと見た目もちょっとアレで。あの、えっと、今は練習中、というか」


 しばらく押し黙ったあと、バツが悪そうにごめんねと小さく謝った。夜へと向かう町の喧騒に、咲幸の声が掻き消える。

 付き合って初めて晒すその姿は、驚くほど新鮮だった。


 馬鹿を極め、どんなアホをやらかしても「あー、やっちゃったねえ、てへ」と開き直る咲幸が、自分の欠点を隠そうと、取り繕うと必死になっている。

 彼女も人並みの女なのだと、言うまでもないことを実感させられた。

 いじらしい姿に免じて、どれほど不味い飯が出てきても許せてしまうだろう。


「別に俺は気にしないけど。俺も料理できねえから」


 これは本当だ。俺の自炊といえば米を炊くかお湯を沸かすくらいのものだった。ぶっちゃけてしまえば包丁すら買っていない。


 だからこだわりはないと、食べられればなんでもいいと告げる。

 俺の母さんも料理美味くねえし、とフォローの言葉を口早に並べ、それでも咲幸の料理が食べたいと懇願した。


「うーん、なら作るけど。なに食べたい?」

「エビフライ」

「いやいやいや、いきなりそんな難易度高いもの言わんで」

「売ってるじゃん。スーパーに揚げるやつ」

「あれを手料理って言っておっけーならそうするけど」

「たしかに、それはなんか違うな」


 やっぱエビから作るやつで。

 訂正すると「ええ、養殖う!?」と馬鹿みたいなボケをしやがって、俺たちは街中で声を上げて笑った。


「せっかくのエビちゃん駄目にしちゃったら勿体ないなあ」

「大丈夫、どんなもの出てきても絶対食べるから」


 でも待って、本当に失敗するかも。大丈夫だって! 押し問答に近いやりとりを十回ほど繰り返したあたりで、いっそ一緒に作ればいいと咲幸の手を引く。

 俺の方が料理はできないだろうから、責任は八割負担でいい。もちろん食費も全部す。

 大丈夫を連発し、強引にスーパーを目指す。


 夕闇を突っ切り、俺は浮かれていた。手を引かれて半歩後ろを歩く咲幸も、段々と声色を明るくする。


 彼女と行くスーパーは最高のデートスポットかもしれない。ただしとろとろ歩いていると、OLの姉ちゃんや仕事帰りの疲れたリーマンにガンを飛ばされるので要注意。

 首筋の汗を冷やす冷房に一息つくと、店内には日常が満ちていた。


 二人の時間を自然に日々の暮らしに溶け込ませた時、俺は彼女と生活をしているのではないかと錯覚した。


「やべえ、エビたけえ! エビこんなにするのかー」


 盛り上がりながら、俺は籠を引っ提げて咲幸の後ろをついていく。

 ねえ、おやつも買っていい? 幼子のように服の裾を引いた咲幸が、ベストショットだった。しかも持ってきたものがバナナで、俺は噴き出す。バナナはおやつに入らねえよ。


 幼稚さを前面に出しながらも、俺が酎ハイ缶をさりげなく籠に入れると、真剣な顔つきで口を尖らせた。

 あかんよう、と眉を上げる。いつの間にか中身はノンアルコールビールにすり替わっている。咲幸はへらへらしながらも、かなり生真面目な奴だ。そういうところもいい。


 酔った彼女を見たいのだとは言い出しづらい。アルコールもないビールなど飲む気にはなれず、戻してコーラを入れた。


 家に帰り、こぶりな冷蔵庫の前で咲幸はもたついている。転がった玉ねぎを追いかけていたかと思えば、卵のパックを落としかけており慌ただしい。

 しゃがみ込む後ろ姿は全体的に丸っこい。押したり蹴ったりすればきっと転がってしまうだろう。いい感じにコテ、と。ちょっと興味が沸くけれど、我慢する。


 背後から抱きしめたらすべてが腕の中に納まってしまいそうで、たまらない感情に従いそちらは実行に移す。本当にすっぽり入ってしまった。俺も咲幸も汗ばんでいて、胸元と腹部に熱が広がっていく。


「健一くん、手え洗った?」


 こそばゆそうに身を捩らせる咲幸は、長女っぽい。事実彼女は長女で、お姉ちゃんだ。


「まだ。連れてって」

「もー、健一くん重いよお。汗っぽいからあんま顔近づけんでえ……って重い重いあかんって」


 俺はもちろん汗臭いが、咲幸も甘さの中に汗のにおいを混ぜていた。

 制服を脱いだ咲幸は、幼げな表情の中に大人びた色を混ぜて俺を惑わせる。体重をかけて肩口でへらつく俺を、意外と力強く、ひっぱっていってくれるのだ。


 こういうアホな顔を、俺は彼女の前以外では絶対にしない。

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