表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
メアテボシのあなた  作者: つめ
第一章 高校生篇
17/60

一番好きな星と、一番大好きな光

 俺が地元を去る前日だった。


 無事千葉の大学へ進学を決めた俺は、新居決めも引っ越し作業も終え、あとは身ひとつで赴く状態になっていた。

 

 やることは特にない。それでも入学式直前までは実家にいようと決めていた。

 咲幸の進路を見届けなくては、と。


 ちょうど彼女は、採用試験の準備を進めているらしい。最後の頼みの綱でもある、科学館の。


 しかし四月に入ると、いつまで家にいるのかと両親がせっついてくる。だって彼女が、と食い下がる俺。あんたがいてなにになるの! と正論を吐く母親。


 くだらないやりとりに敗北し、俺は半ば強制的に千葉へ連れていかれることになった。それも明日にだ。父親が有給まで取得して送っていくと言い出してしまったため、俺にはもう打つ手がない。


 仕方がないのでふて寝を決め込んだ俺のもとに、咲幸から連絡がきた。


 採用が決まった。

 珍しく興奮気味な声を響かせる咲幸は、少し舌をもつれさせながら俺に告げる。

 臨時職員ではあるものの、今月半ばから科学館で働くことができるようになったらしい。確かにこの日、咲幸は一歩夢へと近づけたのだ。


「今日の昼にね、向こうで面接受けてさっき帰って来たとこなんだけど、今電話来たの」

「すげえな、当日即決とかあるのか」

「だで健一くんにね、健一くんに、一番に教えようと思ってね」

「いや、まず親に教えてやれよ」

「あ、そうだった」


 ちょっと待っててね。はしゃぐ声を抑え、咲幸の足音が遠ざかっていく。

 両親を呼ぶ、いつもより少し雑な声。その三倍くらいの声量で「馬鹿でかい声出さないの!」と女性の怒号が飛んでいた。


 すぐに引っ越し準備を始めるという慌ただしさのなかに、抑えられない喜びの色が溢れている。

 嬉しさが滲む声を耳に、俺は直接おめでとうの言葉を告げたくなった。


 しかし翌日、俺は朝イチで千葉へと経つ。今日しかない、焦りが俺の声を潜めさせた。


「なあ、今から会えないか? 直接話したい」

「へ?」

「咲幸ん家、行くから」


 あの日の俺はちょっとどうかしていた。


「……いいよ。あたしも途中まで行く」


 そして、咲幸もハイテンションでおかしくなっていたのかもしれない。俺たちは親が寝静まるのを待って、家を抜け出した。

 部屋を出る際、カーテンの仕切り越しに茶化す妹たちの影を覚えている。母さんたちには言うなよ。返事はなかったが、帰宅した俺を怒る声もなかった。



 春先のこの地は、まだ冬の顔をしている。残雪が多く、深夜の気温は氷点下。

 凍結気味の道路で何度かスリップをし、俺は一時間ほど自転車を漕いだ先で、ようやく咲幸と落ち合った。

 日付が変わっていた。


 山を下って来た咲幸は派手に転んだらしい。「もう履かないからいいけど」と笑いながら、指さすジャージには大きな穴が空く。


 膝も擦り切れて血が滲んでいるのに、痛みがないとかゲラゲラしててどうかしちまっている。


「やば、めっちゃ寒いねえ」

「ジャージなんて寒いに決まってるだろ馬鹿。なに考えてるんだよ。とりあえずちょっと店入らねえ?」


 汗が冷えだした体を震わせ、俺たちはコンビニに入った。気だるげな雰囲気が漂う深夜のコンビニには、俺たち以外客はいない。飲み物を選ぶ俺たちに、店員は終始不機嫌そうな視線を送っていた。


 再び外に出ると、少し霞んだ空にはしかし雲も月もない。


「ねえ、健一くん。もうちょっと暗いところ行かない?」

「ああ。そうしようか」


 咲幸は星が見たいと呟いた。


「あたしの自転車のライト、転んだ時に壊れちゃったかも。息してない」

「嘘だろ? やべえだろそれ。ちょっと見てみるからあそこらで止まるぞ」


 人気もなく、車の往来すらない山中の街道を歩く。明日からはもうこんな日々が日常ではなくなるのか。それでも感慨に耽ることなく、俺たちはいつも通りだ。


 俺たちの声と自転車が回る乾いた音だけが、世界のすべて。


 もしかしたら世界は動きを停めてしまったのかもしれない。そうしたら、朝は訪れないのだろうか。俺たちは永遠の夜に閉じ込められてしまうのだろうか。それでも構わないような気がした。果てない夜を、咲幸と二人で生きよう。


 咲幸の自転車のライトは、なぜか叩いたら直った。俺の力技に咲幸が噴きだし、俺もつられて笑った。やっぱり俺たちはいつも通りだった。


 ふと見上げた夜空には、数えきれないほどの光が海の砂のように敷き詰められていた。それは過剰な例えだが、本当に一面の星空。


 咲幸の住む村は、なにもないがある。ゆえに眩い星たちがある。


「春は……南天」


 輝く宇宙に、俺は一年以上前に咲幸がふざけて口にした一文を漏らした。


 ようよう白くなりゆく星空。なるほど、雲はないけれどわずかに空は白んでいる気がする。


「赤色だちたる麦星の、細く線引きたる。だっけえ?」

「自分で言ったんだろ」

「覚えてないよう、そんな昔のこと」


 昔。そうか、馬鹿みたいに駆け抜けた17才の夏は、もう昔なのだ。


「麦星ってどれだ? アークなんとかってやつだよな」

「アークトゥルス。春の星座で、一番の瞬き。どこにあると思う?」


 小さな子供にクイズを出すように、咲幸は意地悪そうな流し目をした。

 俺は少しだけ悔しくなり、空を仰ぐ。咲幸と一緒に春の星空を見るのは、今日が初めてだった。


 今の時間は南天にある星。四方は山に囲まれ同じ景色が続くので、まず俺は方角もわからない。

 けれどゆっくりと見渡すと、目に入るのは七つの星が繋ぐ特徴的な形。凍てつく冬の空に融けた咲幸の声を思い出す。


 大ぐまのあしをきたに、五つのばしたところ。

 あの歌は間違いが多いと、咲幸は笑った。しかしそれを探すのも楽しいのだと。


 おおぐまの尻尾を辿る。とても小さな星だ。あまりにありふれていて、俺は別のものと勘違いしてしまっているのかもしれない。無数に散らばる星と、なにも変わらないささやかな瞬き。


 けれど俺たちが生きている間は、あの星が宇宙(そら)のコンパス。


 北がわかれば簡単で、真逆が南。俺が体の位置をひねると、咲幸が小さく微笑んだ気がした。

 最初から北はわからずとも、見つけられたのかもしれない。南の空には主張の激しい大粒の星がある。


「あれだろ、あのでかいの」


 俺が指を指すと、咲幸は妙に真面目くさった顔を俺に近づける。


「ファイナルアンサー?」

「え? ふぁ、ファイナルアンサー」


 沈黙が長い。


「おい、ミノさんやめろ」


 咲幸が大きく息を吸いタメを作る。そして眉間にしわを寄せながら息をついた。


「ざーん、ねん!」

「え? だってあれが一番光ってるだろ」

「意地悪な問題だったねえ。あれ、土星なんだー」

「そんなのありかよ」


 ひっかけじゃねえか、と咲幸を睨む。


「でもよく見てみて」


 俺の隣に寄り添った咲幸が、精いっぱい俺と目線を合わせるように背伸びをして空を指す。黄金の輝きは月のない今の空では、もっとも明るい。


「あの星には瞬きがないでしょ?」

「あー、ああ。たしかにそうかも」


 大きな輝きは目立つけれど、ぎらぎらとしていない。他の星々はどこか音を立てそうな瞬きがあった。


「惑星には瞬きがないの。どうしてだと思う? ……っていうのが咲幸先生からの宿題です。次に会う時までに考えてきてください」


 メガネをあげるようなしぐさ。口を曲げた咲幸を俺は「なんだよそれ」と言いながら軽く小突く。

 次に会う時まで、という言葉がどこか淋しさを呼び起こした。


「アークトゥルスはあの星」


 土星よりも北、天頂に近い位置を咲幸の短い指が差す。派手な黄金の瞬きが確かにそこにはあった。


「もう南じゃねえよな」

「時間、経ちすぎちゃったかもね。けど、あたしが好きな星はまだ南にあるよ」


 咲幸は一層俺に肩と腕を当て、ぴったりと目線を揃えようとした。

 俺は少しだけ屈んで、咲幸の肩に顔を近づける。甘い匂いがした。


「あの、青白い星。スピカ」

「ああ、スピカか」


 名前は知っている。きっと幾度も眺めたあのプラネタリウムでも解説されたのだろう。しかし俺は実のところ、あの解説の内容をほとんど覚えてはいなかった。

 咲幸が隣で語る星の方が、断然頭に残っている。


「綺麗な星だよねえ。スピカはね、すっごく大きな星座のアルファなの」


 咲幸の右手が淀みなく空を泳ぐ。ひときわ眩い星からなにかを描くように、夜空を旅する。隣で呟く呪文のような言葉の意味は理解できない。


 その頭には俺のわからない点と点が、線で結ばれているのだろう。俺もその軌跡を見ようと、目を凝らし彼女の指先を追う。首が少し痛い。


「あの星座が、おとめ座。スピカはおとめ座の星。だから一番好きなんだ」

「……なるほど」


 いや、全然わからなかったけれど。しかし空で輝く清らかな純白に、俺は純真で無垢な咲幸を重ねた。


「でもね」


 ふいに咲幸が俺の方を向くから、甘い吐息が耳にかかり全身が震えた。そんな俺には気づかずに、咲幸は右手を少し高い位置へとずらした。


「もう一つ一番好きな星があって、それがあの光。ちょっと首、痛くなっちゃうね。……見える? 一等星の中では一番暗い星なんだ」


 咲幸の指のずっと向こうには、スピカよりは暗く、しかし周りの星々よりはわずかに明るい瞬きがある。


「小さな王、レグルス」

「仰々しい二つ名だな」

「えへへ」

「というか二つあったら一番じゃないだろ」

「じゃあスピカは一番好きな星で、レグルスは一番大好きな光にするね」

「なんだよ、それ。というかレグルスの方が勝ってるのかよ。なんでだ?」


 俺の素朴な疑問に、咲幸はわざとらしく腕を組み小さな唸り声をあげる。なにも考えていない、じらしているだけだ。

 そうして俺に上目遣いをちらりと送ると、咲幸は小さな王を指して口を緩めるのだった。


「レグルスはね……」


 次の瞬間に生まれた咲幸の無邪気な顔に、言葉に、俺は彼女を抱きしめた。

 心の底から理解できた、愛おしいという感情。


 あの咲幸の呟きを聞いた時、俺たちは絶対に大丈夫だという根拠のない自信が芽生えた。どんなに遠く離れてしまっても、例えば十五光年の距離を超える夏のふたつぼしのように、俺たちも気持ちを通じ合わせていられるのだと信じた。


 それはきっと咲幸も同じだったはずだ。

 けれど俺たちは若く、未熟過ぎた。


 結果から言うと、俺と咲幸の遠距離恋愛は一年と持たなかった。


 嘘か真か、遠距離恋愛を始めたカップルの七割が一年以内に破局するらしい。

 だから俺と咲幸の間に起きたことは、決して珍しいことでも特別なことでもなく、言ってしまえばまあ、ありふれたことだったわけだ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ