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メアテボシのあなた  作者: つめ
第一章 高校生篇
12/60

芽を出した種

 俺は恵まれていた。


 別に人生は人それぞれだ。だから『こうでなくてはいけない』という基準はない。けれどやはり高校生活は楽しい方が、人生得をした気分になる。

 そういう意味で三年間のうちの半分を、気の合う仲間や心底好いていた恋人と過ごせた俺は、幸運な奴だったのだろう。


 咲幸はいつだって嬉しい時には嬉しいと、楽しい時には楽しいと笑う。頭の中身はスケスケで、清々しいほどに単純な奴だった。

 表情は大袈裟なわりに、本気で怒ったり取り乱したりすることはなく、温厚そのもの。

 

 複雑な思考はできないのだろう。

 常に春の陽気を思わせる穏やかさに包まれていた俺は、彼女に対し一ミリの不満もなかった。ただただ、好きでたまらなかった。


 うぬぼれた考えだが、それはきっと咲幸も同じだったに違いない。だから俺たちは一度たりともすれ違いや喧嘩を起こさずに、へらへらと毎日じゃれついていた。

 バカップルとからかわれて呆れられ、時に邪険にされ、それでも温かく見守られていた気がする。


 俺は咲幸を本気で怒らせたことも、泣かせてしまったこともない。けれど一度だけ、咲幸の涙を目にしてしまった日を憶えている。

 ちなみに本気で怒った顔はついぞ見られなかったし、もう一生知ることはないのだろう。



 咲幸と付き合いだして一年。

 その間に経験した日常と非日常のすべてを、俺たちは二人で笑って共有した。

 17才は無敵だ。この日々に訪れる明確な終わりの存在まで、脳内で消してしまう。


 終わりなどない、高校生活は一生続くのだ。そう信じた。


 けれど夏が終わり短い秋が過ぎると、頭の片隅に埋もれていた一粒の種が芽を出し始める。将来、という種が、かすかな不安を連れて芽吹く。


 ただひとつ年を重ねただけなのに、俺たちはいつのまにか無敵ではなくなってしまうのだ。

 ほどよく日々に満たされながらも、ふとした瞬間に戸惑いを覚える。姿の見えない敵が現れる。


 それは俺やアホエロコンビの二人、クラスの連中も同じだったのかもしれない。あの咲幸でさえもまた、例外ではなく。


 俺は卒業後、四年制大学への進学を決めていた。教師や親の勧めであるとともに、俺自身も卒業後すぐに働く気にはなれなかったからだ。


 進学希望者は半数で、俺のように受験をする人間は全体の二割程度。文理選択も特別授業もない学校なので、俺は自身で学習を進めていた。


 一年のころから愚直に勉強だけはしてきたことが功を奏したのだろう。模試ではA判定をマークし、俺の進路は問題なく実現しそうだった。進学先は千葉か神奈川、もしくは東京都内。


 いずれにせよ、俺は卒業後地元を去る。


 対する就職組は、秋口から内定を手にする人たちがほとんどを占めた。冬の訪れとともに、教室内には卒業を待つだけの空気が漂いはじめる。

 進学校ならこうはならなかったのだろう。

 どこかのんびりしていて、少し浮かれている。

 俺は例外でも受験ストレスは抱えていなかったせいか、穏やかな空気に身を任せていた。


 二学期も終盤になると、専門学校へ行く人間も進路が決まる。『未定組』はもう片手で数えられるほどしかいない。

 そしてその中に俺はもちろん、なぜか咲幸までもがいたのだった。



「咲幸また落ったの? もー、やばいって。諦めて楽になりなよ」


 十二月。

 寒い寒いとわめきながらも女子という生き物は謎で、生足を披露する。そのくせ平気で男子を突き飛ばしては、ストーブの前を陣取ろうとするのだ。まずはケツをしまえと言いたい。

 そんなアホ共の輪で、咲幸もふやけた笑顔を覗かせていた。


「えー、やだよう。まだ大丈夫だって。ガーッツ」

「もう大丈夫じゃないら? それ。ヨシティーにまた怒られんじゃん」


 メンタル鬼強ー! と女子たちは手を叩いて笑っているが、人のナイーブな話題で爆笑してるんじゃねえよ、とは思う。

 しかし当の本人は弛緩した顔でふにゃふにゃへらへら、緊張感がない。そのせいかつられて周りも自粛しない。


「わ、そうだ。吉沢先生に呼ばれてたんだ。忘れてたー」

「また? 頑張れ~」


 一人一社制すら解禁された時期に、咲幸の進路は未定だった。先日、またも書類審査で落ちたらしい。


 高二の夏に教えてくれた『プラネタリウムの解説員』という夢を、咲幸は本気で追いかけていた。けれどその門は恐ろしいほど狭く、考えてみれば当然だが、そもそも求人が少ないのだ。


 プラネタリウムの設置場所など、県内全域ですら両手で数えられてしまう。有資格者や専門的に学んだ大卒者ですら職にあぶれてしまう界隈で、未経験の高卒が内定を得られるはずもなかった。


 前例がないわけではないので教員も咲幸本人も頑張ってはいるが、望みは薄い。


 いい加減諦めて別の職種にしないかと、連日咲幸は催促されていた。それどころか卒業も危ぶまれ、補習と追試までもがセットになって付いてまわる。

 最後の最後まで、咲幸は問題児だった。


「なんかもうこのテストで八十点取ればいいって問題変えてくれて、答えまでもらっちゃった。でも全然覚えられないんだよねえ」


 帰り道の電車内。

 咲幸は英文が羅列されたプリントとずっとにらめっこをしている。いつも通りの締まりのない声で、けれど顔が全体的に下がり気味だった。


 追試と課題の山をいくつも超え、ついに残すは英語の単位のみ。

 しかし追追試をパスできず、ついには専用の問題まで教師に作らせてしまったらしい。

 咲幸は勉強をする馬鹿なので、教師としても無下に留年させるのも忍びないのだろう。


「単語は丸暗記しかないけど、文法はちゃんと理解した方が早く覚えられるぞ」

「ふふ、理解する前に明後日が来ちゃうねえ」


 ふふ、じゃないだろう。呆れながらも、咲幸に勉強を教える。

 俺も来月にセンター試験が迫ってはいたが、自分の進路よりも咲幸の将来の方が不安だった。


 冬の電車内は眠い。尻も足もじんわり温かく心地よく、生温い大気は脳みそをサボらせる。まどろみの中で、咲幸の呟きが耳に入った。


「あたし、もう一年やりたいなあ。三年生」


 いつもの冗談じみた色は薄かった。俺はずり落ちかけていた尻を引き上げ、慌てて隣に向きなおる。


「なに言ってるんだよ」

「だってこのまま卒業しても行くところ、ないもん。三年間毎日楽しかったから、まだ高校生でいたいなあって」


 冬の電車内のような雰囲気を漂わせる咲幸は、わかっているのだろうか。


「でも、俺はもういないんだぞ」


 本当に気が付いていなかったのか。咲幸が眠たげな目を開いて、そっかあと息をつく。


「そうだよね。こんなに楽しかったのは、健一くんがいるからだもんね」


 相変わらず、締まりのない笑顔だ。

 もしも本当に咲幸が卒業できないのなら、俺は今から留年する方法を必死になって探すのだろう。校内中に落書きをしたり、机や椅子を投げ飛ばしたり……それは退学になってしまうか。


「馬鹿言ってないでさっさと覚えろよ」


 俺の言葉に、咲幸は小さく頷く。その日の咲幸は教室でおどけていた時とは違い、少し元気がなさそうだった。


 起きているのか寝ているのかすらあやふやな感覚が続き、俺は白昼夢を見ている。


 俺と同じ大学に通うことになった咲幸が、「また一緒だね」と微笑む。電車は俺たちをどこへ乗せて走るのだろう。休日デートでもしているのだろうか。

 同棲したいよなあ。したいしたい。甘っちょろい願望を口にしながら、けれど俺は本気で考え始めたりもするのだ。


 ありえるはずがないのに、俺はそんな未来を望んでいる。


 一定に刻むリズムが眠気を誘い、本当に夢になってしまいそうだった。大きな欠伸をしたあとで、本日二度目となる咲幸の呟きに俺の意識は戻された。


「もう、諦めようかな」

「なに言ってるんだよ。マジで留年するぞ」

「ううん、そうじゃなくて。……プラネタリウムの解説員、もう諦めようかなって」


 小さな手の中で、英語のプリントが音を立てる。

 初めて聞く、か細く消え入りそうな声色だった。


「どうしたんだよ、急に」

「県内で募集掛けてるところ、次が最後。だから」


 咲幸の声をかき消すように、アナウンスが俺の降りる駅を告げる。

 うるさいな。内心で悪態をつき、無視を決め込んだ。


「あ、もう着いちゃうんだ。じゃあ健一くん、また明日ね」


 俺は動かなかった。


「健一くん?」

「今日は送ってくよ」

「送ってくってどこまで?」

「どっかまで」


 初めて目にする、不安や焦りに揺れる咲幸の瞳。放ったまま、バイバイまた明日などと呑気に手を振れるわけがないだろう。こういう時に側で支えてこそ、俺は彼女の恋人だと胸を張れるのだ。


 思えば十八歳のころの自分が、一番理解できていたのかもしれない。本当に大切な人のために、なにをすべきなのかということを。

 それは若さゆえの虚勢でもあったけれど、少なくとも今の俺よりは断然まともな人間だった。


 一駅先の駅で咲幸と降りる。日の短い季節、辺りはすでに薄暗かった。今日は一日中分厚い雲が垂れ込め、今もそれが宵の空を隠している。


 戸惑う咲幸は片手に英語のプリントを持ったまま、普段使っているバスの停留所へと歩を進めた。その口から、先ほどの続きは出てこない。


「健一くん、バス来ちゃうよ」

「言ったろ。送ってくって」

「え? 送ってくってここまででしょ?」

「いや、そんなの全然話できてねえじゃん」


 平静を務めようとする咲幸の笑みは薄い。咲幸が隠そうとしているものを見過ごすまいと、俺は目をこらした。


「咲幸が降りるところまで乗ってくから」

「だ、駄目だよ。そんなところまで乗ったら帰って来られないよ? 向こうからこっちに戻るバス、もうないの」

「なら歩くからいいよ」

「すごく時間かかっちゃうって。真っ暗だし。健一くん? ねえ、健一くんってば!」


 背中にかかる声を無視して、俺は咲幸の手を掴む。

 時間通りに訪れたバスに乗り込み、乗車券をポケットに突っ込んだ。いつもは太陽を凝縮したような咲幸の手が、今日は冷えて乾燥している。


 電車と異なりバスの車内は妙な静けさが満ちる。私語厳禁というルールでもあるのかと、勘違いしてしまいそうだ。そういうわけではないのだが、狭い車内で喋る声は筒抜けになってしまうため、誰も彼もが無言を貫いていた。


 さすがにこの場所で話の続きを促すのも気が引ける。仕方がないので、運賃を気にしながら財布を開けた。


 車内の空気はどこか重苦しい。

 咲幸は再び英語のプリントに目を落としていたが、その頭にはなにひとつアルファベットは入っていないだろう。漫画のように、プリントが逆さまになっている。


 市街地を抜け、やがてバスは曲がりくねった山道に入っていく。


 初めて行く、咲幸が生まれ育った村。

 なにもない場所だと咲幸は言う。なにもなく、だからこそどこにもない輝く星空がある場所だと。

 しかしバスの窓を覗いても、深まる闇に光はない。厚い雲に覆われ、星は見えない。


 声を抑え、咲幸を呼んだ。


「バス降りたら父さんが迎えに来るんだっけ?」

「うん」

「その、ちょっとだけ話せないか? 今日の咲幸、元気なさそうで心配だし」

「そんなことないってえ」


 あるから言っているんだ、馬鹿。言葉を飲み込み、咲幸を見据えた。


「じゃあ俺がもっと話したい」


 咲幸はどこか虚ろだった瞳を開き、小さな笑い声を漏らした。


「今日の健一くん、ヘンなの」


 おまえが先に変になったせいだ、と思う俺の横で咲幸が携帯をいじりだす。

 彼女は現代っ子のくせに携帯の操作が苦手らしい。いつも人差し指だけをちょこちょこと動かしていた。

 最近流行り始めたスマートフォンを咲幸が持つのは、だいぶ先になるだろう。


 バスの振動に合わせて揺れるストラップは俺が誕生日プレゼントとしてあげたもので、ささやかなことに頬が緩む。


 ようやく携帯を鞄にしまった咲幸が、俺に向き直り耳打ちをした。

 バス、乗り遅れたで迎え遅くしてって父さんに頼んだよ。

 それはいつもの、甘い響きだった。

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