3話 農業国を往く
アデムと名付けられた大怪獣は、農業国を真っ直ぐに進んでいく。
アデム自身、なぜそちらに進んでいるかはわからないままに、内から湧き出る衝動に動かされるようにして足を前に運ぶ。
農業の国というだけあり、アデムが足を着けていく地面は全て畑になっていて、様々な食物がなっている。
黄金色に変わりつつある小麦の群れ、緑色に茂って地下茎を太くしようとしている芋たち、みずみずしくなって刈り取られるのを待っていた葉野菜たち。
それら全てを踏みつぶして、アデムは我が道を往く。
アデムが畑を蹂躙しながら進む姿を、近くの街道で、鎧を着た青年が馬を走らせながら後ろに見ていた。
彼の名前はエンライツ。王都付近にある村の一つに駐在している騎士の一人である。
エンライツが馬をアデムと並走させているには、理由がある。
先ほど、機械国の技術提供によって得た通信機から、アデムが進む方向にある村々に王命で避難指示が出された。
大多数の村人は超巨大な地竜が歩いてくると知って、取るものもとりあえずに避難を始めていた。
しかし、どの世界にも王命にすら従おうとしないような、偏屈な人はいる。
エンライツが馬を走らせて向かっている先にも、偏屈者として有名な中年の村人とその家族が住んでいる家と畑があった。
「すでに逃げていれば、徒労で済むんだけど……」
エンライツはそう呟くも、視界の先に見えてきた光景に、ここまで馬を走らせた意味があったと分かり、ため息をつきたい気分になる。
なにせ、薄く緑色が残っている小麦――まだ刈り取るには早い作物を、偏屈者とその家族が一家総出で収穫している最中だったからだ。
エンライツは、一家の近くまで馬を走らせ、ひらりと馬の背から降りる。
「何をしているんだ! 見ろ! もう巨大地竜はすぐそこまで来ているんだぞ!」
エンライツが怒鳴りながら麦畑の中に入ると、怒鳴り返される。
「うるせえ! 丹精込めて作った麦を、地竜なんぞに踏み砕かれてたまるかってんだ! チクショウ! なんだって、オレの畑を踏むように歩いてくるんだよ!」
前半はエンライツに後半はアデムへの悪態を吐く、偏屈者の中年の男性。
その間にも彼の家族は収穫作業をしていた。母親がまだ少し緑色がある小麦を大鎌で一気に刈り倒し、子供たちが倒れた麦を拾い集めて束にしてから鎌が来る前に退避する。
一歩間違えれば、子供に鎌の刃が当たりそうな蛮行に、エンライツは表情に怒気を現した。
「そんな麦を刈り取ったところで、実は取れず、竈の焚き付けにしかできないでしょうが! そんなもののために地竜に踏みつぶされようとしているだなんて、無意味にもほどがある!」
エンライツは母親に近づくと、力づくで大鎌を取り上げた。
すると偏屈者の父親が、取り返そうと飛び掛かってくる。
「鎌を返しやがれ! 実が取れなくても結構! 焚き付けにしかならなくたって、それでいい! あのバケモノに踏みつぶされて、何の役にも立たなくなるよりかはな!」
「焚き付けを集めることに命を懸けるなど、馬鹿の所業だ! そして我が職務は、そんな馬鹿者でも生かさなければならないんだ!」
エンライツは偏屈者の腹を殴って悶絶させると、駐在騎士の習いとして持っている麻縄を取り出し、後ろでに縛って拘束してしまう。そして縛り上げた相手を馬の背に乗せた。
「さあ、意味のない収穫作業は止めて、いますぐに逃げるぞ」
エンライツが偏屈者の家族に言うと、全員が縛り上げられた父親を見た後で、静々と指示に従った。
エンライツは馬の手綱を引き、一家を後ろに歩かせながら、後方にいるアデムをみる。
一家を説得するのに時間を取られたことで、アデムの巨体がさらに大きく見えるようになっていた。そして道を歩くエンライツを追ってくるかのように、その姿は段々と大きくなっていく。そして足が地面を踏んだ音と振動がはっきりと伝わってきてもいる。
エンライツは目算で、この場に留まっていたら百秒もしないうちに、デウムに踏みつぶされてしまうと判断した。
「このままでは逃げきれない。ここから全速力で走って先の脇道に入り、そのまま先まで速度を緩めずに逃げるぞ!」
エンライツは一度最後尾まで下がると、母親と子供たちを追い立てるようにして走らせた。
ここで偏屈者の家族は、近くにきたアデムの巨大さを目の当たりにして怖くなったようで、悲鳴を上げて道の先へと逃げ始める。
「ひいいぃぃぃぃ! なんだよ、大きいにしてもほどがあるだろ!」
「あんなバケモノに、こんな近くまで追いかけられるなら、お父さんに怒られてもいいから先に逃げるんだった!」
子供が泣きながら走る後ろを、母親が畑の収穫を手伝わせたことを悔いる顔で逃げる。
一方で馬の背に乗せられている偏屈者は、首をひねって顔を後ろへ向けると、一家の畑に足を踏み入れたアデムに怒鳴っていた。
「このバケモノ野郎! よくもそんな我が物顔で、オレの畑を踏み荒らしやがって! オレに魔法が使えたら、そのクソ生意気なツラに火の玉をぶつけてやれたってのによ!」
「馬鹿! 大声を上げて刺激するな! こっちへ進路変更してきて踏みつぶされる可能性だってあるんだぞ!」
「うるせえ! あんたも騎士だってんなら、オレたちの畑を見捨てて逃げるんじゃなくて、畑を守るためにアイツを倒してみやがれってんだよ!」
「そんなことができる腕を持っていたら、魔族との戦いに駆り出されて、ここにはいない!」
「クソ、クソ! この十年は魔族の所為で畑の実りをごっそりと持ってかれ続け、今度はあの竜が収穫前の作物を踏みつぶしていきやがるなんてよ! オレら村人は真面目に畑の世話して暮らしているってのに、どうしてこんな目に合わなきゃいけねえんだ!」
生き物を生み出したという神まで慟哭よ届けとばかりに、偏屈者の父親は大声で理不尽を叫ぶ。
エンライツはその気持ちはわかったものの、理不尽さに負けて命を捨てるような真似を許す気もない。
「行き足が鈍っているぞ! ほら、走れ走れ!」
父親の慟哭を聞いて動きが鈍っていた家族の逃げ足を、エンライツは怒声に近い大声で追い立てて無理やりに走らせる。
やがて枝道に入り、その先へとさらに逃げていく。
しかしいくら逃げても、後ろにいる超巨大怪獣のアデムの姿が小さくなったようには見えない。それどころか、アデムが持ち上げる足の平の余りの巨大さに、いくら逃げようと踏みつぶそうとしてきているかのような錯覚すらしてくる。
母親に子供たちは、その錯覚から『逃げ切れないんじゃないか』という疑心を生み、疑心から『死ぬかもしれない』という恐怖が強まっていく。
「ひいいやあああああああああ!」
「やだあああああああああああ!」
子供たちが恐怖心から叫び、脱兎のごとき速さとなって道の先へと走り出す。そのあまりの一心不乱さに周囲が見えていないことは明白で、はぐれてはいけないと母親も力の限りに走る。
エンライツも離されてはいけないと速度を上げ、付き従う馬も偏屈者を背に乗せたまま駆け足へ。
そうして走っているうちに、彼らの後ろをアデムが通る瞬間が訪れた。
引き上げ、下ろしたアデムの広く扁平な足。地面と下ろされる巨大な足の間にあった空気が押しのけられ、不意の突風となって周囲に散る。
その風に、近くを走っていたエンライツたちは背中を押されて、バランスを崩して地面に転がってしまう。
「のおおああああああ!」
エンライツは背中を押してきた風のあまりの圧力に、アデムの足に背中が触れたのだと勘違いした。そして対魔族用の訓練が反射的を思い起こし、地面に転がったあとすぐに起き上がり、腰から剣を抜いて構える。
しかし彼の自覚とは裏腹に、アデムの足がある場所は30歩も先だった。
エンライツは自分の間抜け具合を瞬間的に理解し、剣を仕舞おうとする。その直前、何者かに上から見られていると感じた。顔を上向かせると、はるか高い場所にあるアデムの瞳と目が合ってしまう。
エンライツはアデムの瞳に、足元に小石があることに不意に気付いた人間のような、微小な驚きのような感情がある気がした。
そうしてエンライツとアデムは見つめ合う。時間にしては、ほんの数秒間。
「キュルグアル」
アデムは『興味を失った』とばかりに鳴き、歩きを再開させる。
振り上げ踏み出したアデムの足が起こす風に、エンライツはよろけるが、今度は転ぶことなく耐えきり、我が物顔で立ち去る後ろ姿を見る。
「あの巨体さもそうだが、変に知性があるように見えることも合わせて、不思議な地竜だな」
エンライツは、尊敬とも憧憬とも取れない不思議な感情を胸に、去るアデムの姿を見送る。
一方で、馬の背にいる偏屈者は、相変わらずだ。
「この、クソバケモノの馬鹿野郎め! 畑の作物を弁償しやがれ!」
彼はアデムの姿が地平線の向こうへ消えるまで思いつく限りの罵詈雑言を投げかけ続け、やがて足跡と引きずった尻尾の跡で滅茶苦茶になった畑を目にして赤ん坊のように泣き喚き始めたのだった。