2話 農業国、王都縦断
聞きなれない吠声を耳にして、王都の住民たちは何事かと、音がした方へ顔を向ける。
そして、外壁より高い位置にある、大怪獣の顔を見て顔を青ざめさせた。
「地竜よ! とても大きな地竜が外壁の外にいる!」
「外が光っていると思っていたら、なんであんな存在が急に現れたんんだ!」
「魔族の新魔法に違いない! 逃げろ! あんな大きなやつが中に入ってきたら、ひとたまりもない!」
住民たちが手の物を投げ捨てながら、大怪獣から距離をとろうと街道を逃げ始めた。
本来なら慈しむべき子供や、尊ぶべき老人を、邪魔だと突き飛ばしながらの逃走に、あちこちから痛みに呻く声と泣き声が上がる。
それと似た混乱は、王城でも起こっていた。
「王都のすぐ横に、地竜が現れただと!?」
執務室に座るホルディ王がオウム返しに質問を返すと、伝令が慌てながら補足を入れた。
「地竜が現れた場所は、英雄を召喚するべく魔法陣を描いていた場所と一致しております。あの竜は、召喚の失敗で現れた可能性が大にございます!」
「ええい。英雄ではなく竜を召ぶとは――待て。あれが召喚した存在というのなら、召喚者の命令に従うはずであろう。ならば問題はないのではないか?」
ホルディ王は自分で言った直後に、その発言を否定した。
「いや。召喚が失敗しておるのだ。召喚された者に召喚者の命令に従わせる、という魔法も失敗している可能性が高いのだった。よしっ、【王都の護り】を発動せよ。地竜ごときに、あれは破れぬ。そして触れを出し、王都に住むものの混乱を抑えよ」
「ハッ! 関係各所に、伝えてまいります!」
伝令は執務室を出ると、王の命令を伝えるべく廊下を走っていった。
まずは、王都に絶対の護りを出現させるために、王宮魔法師たちが集まる場所へ。
大怪獣は、目の前にある都市を、外壁の外から覗き見る。
オレンジ色の瓦を頂く原始コンクリート製の住居。建物と建物の間に並ぶ、紐に吊るされた洗濯物。それらが立ち並ぶ街区。街に走る大判の石を並べて舗装された道路。その道の脇にポツポツとある街路樹。
そして、そんな街の中を逃げ惑う、髪の色が様々な人々。
大怪獣が居た世界のような姿形の人間もいれば、耳が長かったり、体躯が小さい割に横に太かったり、獣の耳や尻尾が生えていたりするものもいる。
それらを見つめ、大怪獣は思う。言語を知らぬ大怪獣の、このときの思念を言葉に表すならば――
『歩く邪魔』
――という一言に尽きた。
そして、邪魔だから破壊するという方向へ、思考が変わる。
考えに従って、自分の腹の高さまである壁を崩すべく、片足を振り上げて蹴りつけた。
その直前だった、外壁に変な模様が輝き現れると、不可視の壁が外壁の前に現れる。そして大怪獣の蹴りを弾き飛ばした。
予想外の現実に、大怪獣は蹴った足を後ろへ引いた。
そして、なにが起こったのか確かめるように、二度、三度と蹴りを食らわせる。
蹴った瞬間にだけ、ほんの少しだけ発光して存在を示す不可視の壁に、大怪獣は咆哮した。
「キィシィヤオオオオオオゴオオオオオオオアアア!」
行く道を妨げることを咎める咆哮を出し、蹴りだけでなく、手による引っ掻きを加えて、不可視の壁を攻撃していく。
王都の護りの前に、手も足も出ていない大怪獣の様子に、王城のバルコニーに出て様子を見ていたホルディ王は安堵した。
「魔族が王都まで攻め入ってきたときのための用心だったが、意外なところで役に立ったな」
ホルディ王言葉を向けた先は、隣に控えている宰相だ。
「ああして耐えることが証明できたことは行幸でございました。しかしながら王都の護りは、王都住民の魔力を利用した魔法陣によるもの。長々と発動することは、住民の負担に直結することでございますれば」
「分かっておる。だが、あれほど――それこそ伝説にも謳われたことのないほど、巨大な地竜を倒せる戦力は王都にはない」
「となれば、持久戦の他に選択肢はございませんな。ではここは、民に負担を強いることを、王の名の下に告知なさればよろしいかと」
「それで民の不安が和らげば安いものか。そして願わくば、あの地竜が王都を攻撃することを諦め、立ち去ってくれることを期待するしかあるまい」
ホルディ王は、王都の護りが鉄壁だと確信し、大怪獣に背を向ける。
その直前、大怪獣の動きに変化を感じ、もう一度振り向いた。
ホルディ王の視線の先では、大怪獣が二歩ほど後退した姿があった。
「硬い壁に徒労を感じ、王都を迂回しようというのでしょう」
宰相の言葉に、ホルディ王は頷けなかった。
大怪獣の目は諦めに満ちたソレではなく、確固たる信念を持って壊せぬものを破壊しようという気概に満ちていると見たからだ。
「もしや! ――」
ホルディ王がなにかに気付いた声を上げた。
それと同時に、大怪獣は外壁に対して背中を向ける動きをする。
しかしそれは、逃走や諦観のための動きではなく、背中から伸びる尻尾を横なぎに振るうための予備動作であった。
半回転して振るわれた尻尾は、それ自体が持つ大質量と、円運動による遠心力を破壊力に変えて、王都の護りという不可視の壁に叩きつけられた。
山をも崩しかねない一撃だが、王都の護りは耐える。
しかし、無事に耐えきったとは言えなかった。
外壁に浮かんでいた光輝く模様のうち、何か所かが電流でショートしてしまったかのように、真っ黒に変じてしまっている。
明らかに、尻尾の一撃によって不具合を起こしたことが見てとれた。
大怪獣も、尻尾の一撃に手ごたえを感じた様子で、先ほど振るった方向とは逆に回転しながら、尻尾を不可視の壁へと打ち付けた。
二度目の大破壊力の攻撃にも、王都の守りは耐えきった。しかし代償として、大怪獣の至近にある外壁にある輝く模様は大半が黒く変わってしまっている。
大怪獣の三度目の尻尾による攻撃。
今度は、半回転ではなく、横に一回転して最大級に遠心力を高めた一撃だった。
機能不全を起こしかけていた王都の護りは、この三度目の攻撃も防いでみせたが、あと一歩で耐えきるというところで不可視の壁が消失してしまう。
護りを突破した尻尾は、大半の勢いは削がれてしまったが、王都の外壁を打ち据えることに成功し、石積みで組み上げられた壁を倒壊させた。
「キィシィヤオオオオオオゴオオオオオオオアアア!」
大怪獣は、成果を誇るように咆哮を天へと放つと、崩した外壁から王都の中へと進出する。
王都の護りが破られた光景を見て、ホルディ王は唖然としていた。
「あり得ぬ。たかだか尻尾の攻撃で、王都の護りが破壊されるなど。あの魔法陣は、魔族軍の大将軍であり、空飛ぶ竜に変化するという竜激将トロレンドアクが攻めて来ても、一昼夜は持たせられる設計になっていたはずではないか!」
「その通りでございます。であれば、あの地竜は竜激将よりも強き者ということでありましょう。そしてそれは、英雄召喚の魔法陣の効果の通りに、魔族を撃滅出来うる存在であるという証左でもあります」
宰相の王都の蹂躙を許容するような諦めが混じった声を聴いて、ホルディ王はバルコニーで言い争っている場合ではないと自覚した。
「誰か! 王都の住民を避難させるよう、軍に指示を伝えよ! あの地竜が進む場所から、少しでも遠い場所へ逃がすように! それと地竜をいたずらに刺激せぬよう、王命を下す!」
執務室に控えていた兵の一人が頭を下げて命令を受諾すると、部屋から脱兎のごとき勢いで走っていった。
その後ろ姿を見送り、ホルディ王はバルコニーの欄干を握りしめる。
「王都を蹂躙されることを、指を咥えてみているしかないとは……」
ホルディ王が口惜しげに呟く中、大怪獣は王都を縦断していく。足元にある全てを踏みつぶしながら。
やがて、王都の中に唯一ある丘の上に作られた王城の近くに、大怪獣は差し掛かる。
王城と大怪獣の距離は街区が二つは入りそうなほど離れていたが、その巨体さから手を伸ばせば届く位置にいるような錯覚を、王城から見ている者に与えた。
ホルディ王は、退避を願う兵を無視して、バルコニーにて大怪獣の姿を観察する。
冷えた溶岩のように真っ黒ながら、黒曜石のように艶がある鱗を見た。巨大ながらも、触れれば切れそうなほど尖ったかぎ爪を見た。その巨体を支えるに相応しい、皮の下に筋肉が詰まりに詰まった両足を見た。王都の護りを破壊してのけた、太くて長くてしなやかな尻尾を見た。
そして、意外と小さな頭にある、その瞳を見る。
ここで、ホルディ王は感じた。
大怪獣の目に、知性を持つ人や野をかける獣とも違った、特殊な輝きがあることを。
ホルディ王はこの目の輝きは人のものとは理が違った、異質な知性を表すものだと理解する。そして異なる知性とは、どんなものであるかと考えて、突如笑いが起こった。
「くはっ。我らが召喚したものは、英雄でも、地竜でもなく、異なる世界の神の一柱であったということか。それならば、人が従わせることも、その歩みを防ぐことも叶うまい!」
「確かにあの存在は、聖書にある人に知性が生ずる前に世界を蹂躙したという異世界の神――【アデム】のごとしですが。それだけで異なる世界の神というのはどうかと思われますが?」
「ふむっ、アデムか。あの者に相応しい名である。これよりあれをアデムと呼称し、動向を探らせ、被害が出そうな場所には避難を呼びかけるよう働きかけよ」
宰相の発言を拾ったホルディ王によって、アデムと名付けられた大怪獣は、王都を一直線に縦断していく。
その姿を見て、宰相はホルディ王に疑問を投げかける。
「あのような存在が、我らが国を蹂躙すれば、食料の生産に支障が出てしまいますな」
「いや。多少被害は出るかもしれんが、全てを台無しにされるほどの被害はでないだろうよ」
「どうして、そうお思い成された?」
「見よ、アデムの進む姿を。横に逸れず真っ直ぐに一直線に歩いているであろう。そして進む先には、なにがある」
「あの方向には機械国がございます」
「そのさらに向こうには?」
「それはもちろん魔族の軍――ハッ!? あの地竜は、魔族を倒しに向かっていると!?」
「魔法陣には『魔族に敵対感情を持たせる』というものもあったと聞く。どうやらそれだけは、正しく働いているようであるぞ」
楽しげに言う王とは反対に、宰相は「機械国にも話を伝えておく必要がございますな」と頭痛を感じているようだった。
そんな風に二人が会話を終えてしばらくして、大怪獣は反対側の外壁に到着する。
邪魔な壁を蹴って、その石組を崩し、さらに真っ直ぐ前へと進んでいく。
堀に片足を着けようと、森の木々があろうと、大岩があろうと、ひたすらに真っ直ぐに。
引かれた直線から逸れることなく歩くようなその姿は、どこか確固たる信念を感じさせるものに映ったのだった。