エピローグ1 アデムによる傷跡
農業国が召喚した大怪獣アデムにより、ベルフェラ大陸は土地も状況も滅茶苦茶だった。
エンダリフ連山と海に囲まれた大陸の一角を領地とする農業国だけが、人間たちの唯一の国となった。
しかし王城は倒壊、王都は半壊している状況では、国としての体裁が整っているとは言い難かった。
土地の大部分を占める畑も、アデムが闊歩した土地は焼かれて荒れてしまい、今年の実りは絶望的。壊滅した機械国からの避難民も大量にいるため、無事な畑から食料を融通し合わなければ、餓死者が大量に出ることになるだろう。
ただ一つ望みがあるとするなら、国の運営の基幹である王と宰相が無事なことと、土地を治める機関と人員に損耗が少なかったことだった。
ホルディ王は、アデムの破壊光線で被害を受けた王都の復興を、陣頭で指揮していく。
「魔族の侵攻に備えて建材は備えてあったのだ。それらを開放し、速やかなる復旧を行え。アデムが燃やし溶かした地面も、痕跡もないように整備せよ!」
工兵と大工を総動員して、王都の復興は進む。
住民たちも、脅威が去ったことに安堵しつつ、亡くなった方たちに涙しながら、日々の暮らしを取り戻していく。
復興の陣頭指揮をするホルディ王に、宰相が近寄り、そっと耳打ちする。
「例の魔法陣の完全破棄は完了いたしました。知っている者たちも、既にこの世にはございません」
不穏な言葉だが、ホルディ王は笑顔で大工たちに接しつつ、席を外すと告げて場所を移動する。
そして、警護の者以外はいない家屋の中で、宰相と内緒話を始めた。
「出現した者を制御できない召喚陣など要らぬからな、英雄召喚の魔法陣の破棄は当然の措置だったからな。それで、アデムの調査はどうなっている?」
「予想以上でございますよ。竜以上の素材という評価ですな」
「ほう。竜以上とは、どうしてだ?」
ホルディ王が興味本位で尋ねるが、宰相は得意げというよりかは困惑の表情で言葉を続けた。
「実を申しますと、アデムは生きております」
「……何を言っておる? 胸部が弾け飛んだ状態で生きているだと?」
ホルディ王は冗談を言うなと表情で告げるが、宰相は真剣な表情だ。
「言い方が悪かったですな。生物としてのアデムは死んでいるでしょう。あの足で歩くことも、腕を振り回すことも、口から輝く吐息を吐くこともありません」
当たり前の事実を告げてから、宰相は「その上で信じがたいことですが」と言葉を続けた。
「アデムの肉は、まだ生きているようなのですよ。死して何日もたっているというのに、肉は触れば温かく、針で刺激を与えれば収縮し、ゴミに入れても腐らないのですから」
「……信じがたいな」
「信じがたくも、真実でございますので」
「肉が生きているようだということは分かった。ならば骨はどうだ?」
「こちらも生きているようですな。苦労して切断した骨の断面から、髄液が延々と滴ってくるのだと。それだけでなく、その断面にカサブタが生まれ、髄液の漏出を防ごうとすらしているとか」
「死んでも死なないとは、真実のバケモノ――いや、本物の亜神だったのか」
ホルディ王は気味悪く感じながらも、どうしてこのような報告を宰相がするのか理解できなかった。
「肉や骨が生きていたとて、それがアデムに変じるわけでもない。気にしなくてもいいと思うのだが?」
「王と同じように、誰もがそう思っていたのです。ですが、馬鹿な者はどこにでもいるようでしてな。弾け飛んだアデムの肉片を拾い、焼いて食った民がおったのです」
「なんと、アデムの肉を!?」
「それも一人だけではなく、十何人も。大半は食うに困っていた貧民でしたが、何人かは興味本意だったそうで」
ここで、ホルディ王は嫌な予感がした。
「その者たちは無事だったか?」
「無事ではございませんでした。大半は食あたりによって死亡。その胃の中から、胃液に溶けてすらいないアデムの肉が出てまいりました」
「ならば、少数は生き残ったのだな?」
「生きてはいますが、肌に鱗が生まれた者、正気を失った者、突然力持ちになった者など、変化が起こっております」
「おとぎ話の竜の肉を食った英雄のような有様となっているのか」
「もしかしたら、おとぎ話の竜とはアデムやその近親種のことだったのかもしれませぬな。そして肉を食って体が変化した者の末裔が蛮人となった、という可能性もございます」
宰相の予想に、ホルディ王は気が滅入った。
「アデムの肉の管理を徹底せよ。いや、肉だけでなく血や骨もだ」
「既に封鎖は徹底しておりますが、それだけで対応が完璧かというと疑問が残るのですよ」
「どういうことだ?」
「アデムの血は大地に染み入り、細かな肉と骨の破片はかなたへと吹き飛んでおります。それらを回収することは困難でございますので」
ホルディ王は、宰相が何を問題だと考えているのか直感で理解した。
「血が染みた土地からは変異した草や作物が生まれ、肉片や骨片を食んだ小動物も突然変異を起こす。そして、それら草や動物を食べた者が、さらに変化する可能性も残っているわけか」
「新たな蛮族、あらたな魔物が生まれる懸念がございますな」
「なんとも。死んでも祟るとは、やはりアデムは異なる世界の神であったか」
憎々し気なホルディ王に、宰相は再度問いかける。
「それで王よ。どうなさいますか?」
「対処療法しかあるまいよ。民には、見たこともない怪しい草や、通常とは違った作物は口にしないようにと勅令をだす。アデムの肉や骨の滅し方を探し、発見次第に研究用を残して死滅させよ」
「研究用の分は、残すのでございますね?」
「アデムの肉体は、二度と手に入らぬ貴重な資料でもある。調べ尽くすまでは手放せはできないだろうよ」
「おとぎ話では、竜の肉は若返りの、竜の血は不老不死の妙薬でございましたからな」
「はっはっは。そこまでの効能があるとは思っておらんよ。しかし、失った手足を生やすぐらいは出来るのではないかとな」
ホルディ王の予想を、宰相は笑わなかった。宰相も、今までにない薬ができるのではないかと、アデムの肉体には期待していたのだ。
そんな二人の怪しい企みを他所に、王都で、農業国で暮らす人たちの日常は過ぎていく。
アデムの脅威など、すでに過去のものだと考えているかのように。
アデムに侵攻を邪魔されてしまった魔族たちは、魔王の遺言に従って、支配した土地で暮らす準備を始めた。
そして密かに放っていた偵察により、アデムがあの後どうなったかが、臨時の指導役として任じられていた竜激将ドゥルホボウに知らされた。
「……そうか。あの連なった山のこちら側の人間を殺し尽くし、さらに向こう側にある国へ行った後で果てたか」
「私が見たときには、あの地竜の胸元がはじけ飛んでおりました。何かしらの魔法を使って倒したと噂はあれど、どんな魔法を使ったかは不明です。国の首脳部の者たちであれば、知っているとは思うのですが」
「よい。いまはアデムが滅んだという事実だけで十分。山向こうの国の切り札は、時間をかけて探ればいいことだからな。報告、大儀であった」
ドゥルホボウが労うと、人間と姿形がほぼ変わらない偵察の魔族は嬉しそうに顔を綻ばせ、一礼して退室していった。
その魔族と入れ替わるようにして、術魔将ジェクンスタが入ってきた。その両腕に、大量の書類を抱えている。
「はーい。楽しい楽しい、署名のお時間よー」
ジェクンスタは笑顔で書類の束を突き出し、ドゥルホボウは苦悩顔で受け取る。
「うむむっ。こういう書類仕事は、そちらが得意なのだ。勝手に処理してくれればいいと、いつも言っているだろうに」
「ダメよ。こういうことは、形式が肝心なの。代理であっても責任者が確認して、サインを入れなきゃね」
笑顔で言うジェクンスタに、ドゥルホボウは苦笑し、作業机でサインを入れる仕事を始めた。
手を動かしながら、ドゥルホボウはジェクンスタに告げる。
「相変わらず、前と同じようには笑えておらんな。魔王様が倒れたことを、お主が気に病むことはないと言っておるだろうに」
この一言に、ジェクンスタは痛いところを触られたような顔になった。
「私の魔法の腕がもっと上手だったのなら、剣魔将エィズワァ、巨魔将インラス、そして魔王様が命を落とすことはなかったのかもしれないのよ」
故人を悲しむジェクンスタに向けて、ドゥルホボウは鼻息を噴いた。
「ふんっ。自惚れも良いところだな。ワシや魔王様を下した相手だ。お主がどうやっても、勝てるわけがあるまいに。だから気に病むだけ無駄だと言っているのだ」
「相変わらず、割り切りが早いわね。でも私は、そう上手く気持ちを切り替えられないわよ」
ジェクンスタは、これ以上は自分の気持ちに踏み込んでほしくないと言いたい様子で、退室しようとする。
その背に、ドゥルホボウは次の言葉を掛ける。しかしそれは、ジェクンスタ本人に関することではなかった。
「錬魔将クフルの様子はどうだ?」
「あの子は相変わらずよ。魔王様の遺品を使って、どうにか復活できないか頑張っているわ」
「死んだ者が生き返るわけあるまいに。魔王様でも出来なかったことだ」
「クフルが言うにはね、魔王様は植物系の魔族だから、破片が残っている場合、厳密には死んでいないそうよ。その破片を成長させて、知能が生まれるぐらいまで成長すると、以前の記憶が戻る前例もあるそうよ」
「……信じがたいな。期待せずにいよう」
ドゥルホボウは素っ気なく言うが、クフルの研究を止めるように言わない辺り、言葉とは裏腹に期待しているようだった。
そんな様子を、ジェクンスタはここ最近では初めて真実の微笑みを漏らし、止まっていた足を動かして退室していった。
魔族の支配地にある一画。
錬魔将クフルは接収した屋敷を研究室に変え、その中で魔王マフィコインの復活への研究に明け暮れていた。
そしてとうとう、その道筋を発見する。
「あーはっはー! やはり私は天才だ! 植物系の魔族の破片を劇的に成長させつつ、細胞を崩壊させない液体を、こんな短時間で作り上げることができるなんてな!」
フラスコの中にある赤黒い液体。その中では、木の皮のようなものが浮かんでいて、一秒ごとに急成長する様子が見てとれた。
「この薬液を使えば、魔王様の復活はすぐだ! でもそのためには、大量に薬液が必要になる。早速、増産に入るとしようか!」
クフルは目に隈を作った顔のまま、マフィコインの遺物である琥珀を一撫でし、続けて薬液の原材料となる物体に手を伸ばす。
それは、手のひらほどの大きさの、骨片がついた肉の塊。
触れば温かく、つかみ取った衝撃で収縮している。
「お前が殺してしまった魔王様の復活に使われるのだから、本望だろう! はーっはっはー!」
マフィコインが死んだ場所の近くで拾ったアデムの肉片を手に、クフルは喜悦に溢れた笑い声を上げながら、魔王復活のための薬液作りに励み始めたのだった。




