24話 農業国の対応
アデムによって機械国が壊滅したことを、農業国は通信で知った。そして避難民からも詳しい状況を聞いた。
農業国の王城の中、執務室にいるホルディ王は、頭痛がしていた。
「まさか。我らが呼び出したアデムが、魔王を打ち倒した後で、人間に牙を剥くとはな。これで人間が暮らしている国は、我らが一国だけとなった」
苦悩する口調で呟くと、宰相も悩ましい顔つきになる。
「いまだアデムはエンダリフ連山を越えてはきておりません。ですが、夜になると山脈の向こう側が赤く燃えて明るくなっていることから、暴虐は続いているようですな」
「死した魔王の置き土産といったところか。それとも分不相応な相手を呼び出した我らへの罪か」
「どちらにせよ、対処せねばこの国が亡びる結果となりましょう」
「いや。人間が、そしてこの大陸の全てが、アデムに滅ぼされる結果になるだろう」
苦悩に歪んだ声を二人が放ちあっていると、執務室の扉が叩かれた。
ホルディ王が入室を許可すると、入ってきたのは伝令の騎士だった。
「何事か?」
「ハッ! ご用命でございました、アデムを滅するための魔法陣が見つかったのことです」
「それは本当か!?」
嬉しい報告に喜色となるホルディ王。
しかし騎士の顔にある表情は喜びとは遠く、どちらかと言えば困惑という感じのものだった。
そのことを、ホルディ王は疑問に感じた。
「魔法陣に、なにか欠陥があるのか?」
「……私めは魔法に詳しく御座いませんので、そのことにつきましては後ほど訪れます、魔法師殿にお聞きくださればと」
ホルディ王は叱ってでも聞き出そうとして、騎士の困惑が魔法陣の欠陥ことについて詳しく説明できないからだと直感した。
「わかった。報告は謁見の間で聞く。お主には続けて、側近たちを呼集する任を与える」
「ハッ! 了解です!」
命令を受けて騎士が足早に去った後で、ホルディ王と宰相は衣服を整え、謁見の間で報告を待ち受けることにしたのだった。
農業国、謁見の間。
そこでは、魔法陣改良部の新たな主任が、王と側近たちの前で新たなる魔法陣について説明を始めるところだった。
「前責任者が作り上げました魔法陣――名を【脱気沸凍滅殺陣】と申します」
主任が掲げ持ったのは、一辺が肩幅ほどの長さの木の板。そこには魔法陣が書かれている。
だが、アデムを召喚した英雄召喚の魔法陣に比べると、とても小さい。
そのことに、ホルディ王は疑問を抱いた。
「そのような、俗な言葉で表現するならば『チャチ』な魔法陣が、魔族と機械国を壊滅に追いやったアデムに通用するものか?」
「この魔法につきましては、魔法陣の大きさは関係ございません。なにせ、仕組みは簡単なものでございますれば」
「簡単、とな?」
「はい。あまりに簡単な現象のものなので、必滅の魔法だと気づくのに時間がかかったのでございます」
ホルディ王は、とりあえず疑問を棚上げすることにした。
「よろしい。では、その魔法陣の効果を見せてみよ」
「では、試行いたします」
主任が頭を下げると、謁見の間に長い一本脚がついた机が運ばれる。そして、その上に金属の鳥籠に入った手のひら大のトカゲが置かれた。
ホルディ王は、籠の中のトカゲを見て、苦笑する。
「それが、仮想のアデムというわけか」
「見た目の可愛らしさはご勘弁を。あくまでこれは、試行でございますので」
主任は持っていた木の板を机に置き、その上にトカゲ入りの籠を置く。
「では、ご覧ください」
主任は魔法陣の端に指をつけ、目を瞑りながら呪文を唱え始める。
「オントルト、オンハス、オンハス、フレディヒオ、レデオ、リテンシィ」
呪文が完成する。
その途端、鳥籠の中のトカゲがもがき苦しむように動き出し、やがて止まった。
トカゲは死んでいるように見えるが、傍目にはなにかが起きているようには見えなかった。
試行を終えて自慢げな主任とは裏腹に、側近たちが時間経過と共にざわめきだす。
ホルディ王も、疑問を強くした顔となる。
「もしやそれは、目に見えぬ毒を出す魔法陣なのか?」
「いいえ、王よ。これは毒を出すものではございません」
「では、どうしてトカゲが死んだのだ?」
「それは、このトカゲを検分していただければ、お分かりになるかと」
主任の自信満々な様子は崩れない。
ホルディ王は少し考え、宰相に机の上の籠を検めさせることにした。
「それでは、失礼して」
宰相は籠の蓋を開け、トカゲを手に取る。
そして、その感触に驚いた。
「これは、体表に霜が降りてますな。しかも手触りが異質。腹部だけでなく、四肢にも空気が入ったかのように膨らんだ手応え。この空気が血脈を塞いだことで、トカゲは死に至った。違いますかな?」
「これはこれは。宰相殿の御慧眼には、恐れ入ります」
「だが、どうやってこれを成した。体内に空気を入れ込む魔法など、作れるのか?」
「では、説明いたしましょう」
主任は、謁見の間にいる全ての人物へ向けて、詳しい説明を始めた。
「先に告げてあったように、この魔法陣の仕組みは簡単。対象となる一定空間にある空気を、外へ追い出す。ただそれだけです」
「……追い出すだけで、どうしてこうなる?」
宰相の当然の疑問に、主任は説明を続ける。
「詳しい仕組みは謎なのですが、空気を追い出した空間内にある物の中で水分を含むものは、まず沸騰し、そして凝結してしまうのです。対象物が水なら、魔力が多大に必要な冷却魔法を使わない分、氷が簡単に作れるだけの魔法です。しかし生き物に使えば、血が一瞬で沸騰して凍る、一撃必殺の魔法と化します」
「なるほど。だからこその、脱気沸凍滅殺陣という名前か」
「前責任者がそう名付けるに相応しい魔法でございましょう?」
主任はさらに得意げになる。
側近たちは魔法の効果を知って、アデムを倒す方策が立ったと安堵する。
しかし、ホルディ王は疑問顔のままだった。
「仕組みはわかった。それで、その魔法をどうやってアデムにかける。そも、その魔法は一定空間の空気を追いやるというが、アデムほどの巨体を覆うほどの領域の空気を追いやるのに、どれほどの魔力が必要となるのだ?」
次々に投げかけられた質問に、主任の顔色が少しだけ悪くなった。
「ええっと、そのことにつきまして、目下魔法陣を改良していている最中でございまして」
「アデムがこの国を亡ぼしにくるまでに、改良ができるのか?」
「それは……そのぉ……」
主任が言い淀む姿は、前責任者が作った魔法陣の改良が思うように行っていないと語っている。
その姿に、ホルディ王は脱気沸凍滅殺陣の問題点を洗い出すことにした。
「この魔法陣をアデムに使うに際して、どのような点を改良しようとしているのか」
「ええっと――」
主任は謁見の間を見回し、厳しい顔つきの王や側近たちを見て、誰も味方がいないことを知る。そして、素直に問題点を話し始める。
「――まずは、アデムの巨体に適応するために、かなりの魔力が必要です。それこそ、この都市に敷かれた、住民の魔力をかき集める魔法陣を起動しなければいけないほどです」
「……言いたいことはあるが、先に残りの問題を語るがよい」
ホルディ王の言葉に、主任は諦めの表情で語っていく。
「他の問題は――空気を追いやる魔法は、この魔法陣を中心として発動するため、陣から離れた場所に展開できません。術者が遠隔や時限式で発動することもできませんので、罠のよな使い方もできません。そのため巨大な相手に使う場合、術者が敵の足元まで陣が書かれた板を持っていき魔法を発動しなければならず、逃げる時間がないために相手もろとも魔法の餌食とならざるを得ません」
要するに脱気沸凍滅殺陣をアデムに使うと、自爆攻撃も同然の魔法だった。
術者を危険に晒す魔法と知り、側近たちが騒ぎ出す。
「そんな術者の命と引き換えに発動する魔法など、認められるわけがない!」
「よしんば認めたとしても、あのアデムの足元に陣を持っていく役目を誰がやりたがるか!」
「そもそも、この王都に敷かれている住民から魔力をかき集める魔法陣は外壁に魔法の守りを張るもの。外壁のすぐ外にある魔法陣までしか、魔力を繋げることはできないのだぞ!」
「ですから、これらの点を解消するべく改良に励んでいるわけでして」
主任が汗をかきながら弁明していると、ホルディ王が片手を上げて言い合いを停止させた。
「もう一度、問題点を聞く。アデムを倒すために必要な魔法の領域を確保するために、王都の住民の魔力が必要となる。魔法陣を書いた板を、アデムの足元まで持っていかねばならない。そして発動したら、アデムともども運搬者も死ぬ。以上の三点であるな?」
「その通りでございます、王よ」
「それらの点を取り除けば、いまでもアデムを滅することが可能なのだな?」
「空気を追いやる領域の設定を書き換えることは簡単ですので、一日足らずで可能でございます」
主任の返答を受け、王は決断した。
「わかった。脱気沸凍滅殺陣をアデムに使う準備をせよ。そして魔法陣の改良は、王都から少しでも遠くの位置へ住民から集めた魔力を届ける方法に注力するべし。脱気沸凍滅殺陣の改良は余力のみで行うように」
予想外の言葉に、主任だけでなく側近たちも絶句する。
だが宰相だけは、ホルディ王の意図を理解していた。
「騎士を人柱となさるのですな」
「ああ、死んでもらう。一人の命で、万の住民が救えるのならば――人間が生き残るのならば、その手段を講じない理由がない」
ホルディ王が自分の信念に基づいた言葉を、宰相は肯定するために頷く。
「当然の判断ですな。ただ、騎士一人だけでは成功率が低いかと。さらに二人追加し、馬も足が速いものを宛がうべきでしょうな」
「死が約束されているのだから、家族には特別手当も支給し、晩餐には美味い料理と酒も送るべきであろうな。さて娼婦はどうする?」
「上玉を斡旋してやりましょう。この世に未練がなくなるような、とびっきりの相手を」
王と宰相の言葉の応酬を傍で聞くと、まるきり人でなしの会話だ。
しかし側近たちは、どうして二人がそんなことを言い合っているのか理解できていた。
民を生かすには、騎士の犠牲が必要。そして死する運命の騎士に報いるために、出来る限りのことをしてあげたいと考えてるのだ。もしくは、そうして死を命令する側に立たねばならないからには、露悪的にふるまうべきだという判断からだった。




