11話 交渉――竜激将ドゥルホボウ
魔族と人間の戦いだったはずの戦場を、大怪獣の咆哮の音が支配した。
四魔将という強者の敗北と同胞を消し飛ばされた魔族たち。残光のような破壊光線に掠め削られて、砦の内部が露出してしまった人間たち。双方ともが魅入られたかのように、大怪獣アデムの姿を見つめて動きを止めてしまっている。
「アアアアァァァァァァ………」
長々と空間を震わせていたアデムの咆哮が、後を引く音を残しながら終わった。
誰も彼もがアデムの次の動きを注視する中で、当の大怪獣はゆっくりと顔を巡らす。
まず四魔将がいた場所を見つめ、続いて破壊光線で焼いた地面を辿るように目と頭を動かす。
山肌が赤く削れている砦、消し飛んだ魔族の班。
そして、動きを止めている魔族たちの姿を見た。
その次の瞬間、新たな獲物を見つけた――止められない怒りをぶつける相手を見つけたことを喜ぶように、アデムは咆哮する。
「――キイシイィィィィゴォアアアアァァァァァァ!!」
この天地を揺るがす声を受けて、戦場の流れが再起動する。
人間たちは崩れた砦を補修するために動き始めた。
魔族たちも人間の砦を襲っている場合ではないと、戦場をアデムに明け渡すように、後方へ撤退しようとする。
だがアデムは、逃げようとする魔族たちを追いかけだす。
「キュィイイゴオオゥゥゥゥゥゥゥ!」
「人間たちが籠る砦の方が位置的には近いのに、離れようとするこっちを追ってくるぞ!」
「これほどの強力な地竜が、魔族を襲うように人間に調教されたとでもいうのか!?」
混乱し、潰走を始める魔族たち。
そして、彼らを追うアデム。
追いかけっこが開始され、さほど間を置かずに、アデムの足先が最後尾を走り逃げる魔族を潰せる圏内に踏み入った。
「キュィイイイィィゴオオォゥゥウゥゥ!」
あと一歩で、確実に魔族を踏みつぶせるという場面で、アデムは片足を高らかに振り上げる。
アデムが上げた足の陰に入ってしまっている魔族たちは、右にも左にも逃げ切れないと悟ると、協同で魔法障壁を張ることにした。
速射砲の弾丸を多数防ぎ、機械弓で投射された槍すら止める障壁ではある。しかしアデムの巨大な足からすれば、紙一枚分ほどの頼もしさしか感じられない。
絶望的な状況を、さらに奈落へと叩き落とすかのように、アデムが振り上げていた足を下ろす。
降ってきた足の平に衝突された魔法障壁が、あっさりと砕かれる。散りゆく障壁の下にいた魔族たちが絶望で顔を歪ませ、そして――横から飛んできた『何者か』が、アデムの横面に体当たりを食らわせた。
「キュゥゥゥゥオオオオォォォォー!」
アデムは不意打ちに驚いた様子で鳴き声を上げ、下ろしかけていた足を魔族たちのが立つ横に踏み下ろしてしまう。
間一髪で命を拾った魔族たちは、誰が命を助けてくれたのかと、頭上に視線を向ける。
そこにいたのは、オールバックにした真っ赤な髪と同色のタテガミのような髭を持ち、筋骨隆々の逞しい肉体を赤色の鱗鎧に包んだ、やや年を経た男性。
アデムの顔の高さの宙に浮く彼の姿を見て、命拾いした魔族たちが歓声を上げた。
「【竜激将ドゥルホボウ】様だ! 竜激将様が助けに来てくれたぞ!」
「竜族最強の戦士であり、魔王様の右腕! あのお方であれば、この地竜であっても、ひとたまりもないはずだ!」
命拾いした者たちの歓声が、他の魔族たちにも伝播していく。
「竜激将様! あんな地竜、やっつけちゃってください!」
「勇敢に戦い散った、四魔将様たちの仇討ちをお願いします!」
その声の明るさと大きさから、魔族たちが竜激将ドゥルホボウの実力をかなり信頼していることがわかる。
竜激将ドゥルホボウは、彼らの声援に応えるように片手を上げる。そして、声援の返礼のように言葉を返した。
「この場はワシが抑える故、ソナタたちは本陣まで――いや、さらにその奥まで下がるがいい」
意外なことばに、命拾いした魔族の一人が声を上げる。
「それでは、我々が敗走するようではありませんか!」
「そうだ。ワシらは敗走するのだ。逃げて後方へ引っ込み、人間たちと睨み合いで時間を稼ぎつつ、傷を癒し、人員を回復し、時を置いて再度侵攻する。これは魔王様の命令であるぞ」
竜激将ドゥルホボウだけでなく魔王からの言葉でもあると知り、魔族たちは納得が済んでいない顔をしながらも、全員が一目散に本陣へと向かって逃走を始めた。
ここで不意打ちを食らったことに止まっていたアデムが、逃げる魔族を追おうとする素振りをして、その途中で身を止める。
理由は、竜激将ドゥルホボウが眼前に体を浮かせて、立ちはだかっていたからだ。
アデムが邪魔する彼を見つめる目は、抑えきれない怒りに染まっているように見える。
「キィィィグルゥゥゥゥゥ」
次の相手を決定するような鳴き声に、竜激将ドゥルホボウはその髭面に苦笑いを浮かべる。
「若く、威勢は良し。しかし地竜がワシの言葉に抗えるわけもなし――『身動きを止めよ』」
ドゥルホボウが言葉の中に放ったのは、特殊な竜語による命令。
これは上位の竜が下位の竜に強制することができる言葉であり、竜族の頂点であるドゥルホボウが使えば、理論上はどんな竜であろうと従わせることができる。
しかし、その言葉が通じるのは『竜』だけである。
「キィイィィグゥルオオオオオ!」
アデムは明確に命令を拒否する声を発しながら、片手を振り下ろす。
宙に浮いていたドゥルホボウは、頭上からすごい勢いで迫りくる爪と爪の間を飛翔することで、悠々と回避してみせた。
「むむっ、強制力が足りなかったか。では――【止まるがいい】」
ドゥルホボウは再び強制力のある言葉を放った。
今度の命令の強さは、翼を持つ誇り高い上級竜にすら働きかけ、下位の地面を這う竜などは心臓の鼓動すら止めかねない、とても力強いもの。いわば、止まらぬ竜などいないはずの強制力を持っている言葉だった。
それにも関わらず、アデムは空中を飛ぶドゥルホボウを目で追いかけ、さらには再び手を振り回して攻撃してきた。
アデムが動けていることに、ドゥルホボウは分厚い眉を寄せる。
「むむっ。これすら効かぬとなると、もしやコヤツは竜ではないのか?」
ドゥルホボウは訝しみながら空中を飛んで攻撃を避けたが、回避した先にアデムのもう片方の手が行く手を阻んでいた。
驚くドゥルホボウに、アデムの手が振り下ろされる。
「キイィィィグオォォォォ!」
叫びと共に振るわれたアデムの広い手の平は、空中を飛ぶ虫を叩き落とすかのようにして、ドゥルホボウを打ち据えた。
「ぬごぉぉぉぉ!?」
アデムの手によって弾き飛ばされ、ドゥルホボウは地面へ墜落。地面に落下した衝撃で土煙が巻き上がった。
数秒後、一陣の風が土の靄を持ち去っていく。
晴れた土煙から現れたドゥルホボウは、高所から叩き落とされたにもかかわらず、地面に二本の足で立ち上がっていた。そのうえ、口から哄笑を漏らしてすらいる。
「くかかかっ――よくもやりおったな、この小童が!!」
笑みから一転、怒髪天を衝くような顔になる。同時に、ドゥルホボウの体の周りに魔力の赤い煌めきが充満していく。
赤く光る魔力は段々と輝きと濃さを増していき、やがて光る赤い卵のような形となった。
秒を置き、その卵の頂点がひび割れる。
割れ目はすぐに広がり、卵の中身が割れ目から出現する。
まずは赤い鱗で覆われたトカゲのような鼻先が、続いて唇から覗く真っ白な円錐の歯。そして、頭頂部から後ろへと伸びる二本の茶色く硬そうな角がある、恐竜のような顔が卵の外へ。
ここで最初は人間大の大きさだった卵が、顔が外へ出た瞬間から、徐々に徐々に大きさを増していく。その体積の膨張と共に、トカゲのような顔の大きく膨張していく。
やがて卵がアデムよりやや小さい程度まで大きくなったところで、頭が出ている場所から外殻がボロボロと崩れ出し、赤い煌めきとなって空中に散り始める。
全ての殻が消え去った後に立っているのは、アデムに匹敵するほどに巨大な、一対の翼をもつ真っ赤な竜だった。
その赤竜は翼を大きく打ち払いながら、その巨大な顎を開く。
『こちらの言葉が伝わらぬというのなら、竜を統べるものとして、この手で滅ぼしてくれる!』
竜の口から出てきたのは、少しエコーがかかったドゥルホボウの声。
そう。この赤竜こそが、竜激将と称されるドゥルホボウの真の姿である。
通常の生き物なら度肝を抜かれる迫力があるが、アデムは同等以上の体格を持ち、怒りが体に充満しているため、毛ほども気後れした様子はなかった。
「キシィィィィアアァァァァゴオオオオオウウウウウウウウウ!」
アデムは新たな敵の出現を喜ぶような、もしくは次の相手に戦いを挑むと告げるような咆哮を口から発した。
ビリビリと空気が振るえる中で、赤竜となったドゥルホボウも言い返す。
『威勢は良し! だが真の姿となったワシの相手ができるかな!』
ドゥルホボウは翼の皮膜で風を起こしながら、空中高くへ飛び上がっていく。そして上空で旋回しながら身を翻すと、その顎を最大に開く。
――ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオ!
口から出てきたのは咆哮ではなく、真っ赤な炎の濁流――竜の吐息と呼ばれる、火の魔力と物理的な熱波が合わさった、竜種最強の攻撃だった。
巨大な火炎放射は、上空からアデムに降りかかる。
炎はアデムの肩のあたりに当たり、斜め下へと流れて地面に衝突する。
地面が赤く溶解するが、土人形を溶かすほどの体温を持つアデムには、火の吐息は通じないと普通なら思える。
しかし不思議なことに、竜の吐息を吐きかけられた場所は焼け焦げていた。
「キイィィィシイィィィィゴォォォォアアアアァァァァァァ!」
アデムが火傷を負ったことに悲鳴を上げる中、再び上空に戻って旋回していたドゥルホボウが嘲笑を降らせる。
『くははははっ。竜の息を単なる火炎と思うな! ワシの吐息は、当たれば『焼けた』という結果を引き起こす! どんな炎熱で身を包もうと、逆に分厚い氷で覆おうと、その全てを燃やし尽くすのだ!』
言葉の終わり際に、ドゥルホボウは再び急降下し、竜の吐息をアデムに吐きかけた。
今度は背中全体を撫でるようにして火炎が当たり、アデムの背中の鱗と肉が焼け、板骨も端が燃え崩れてしまう。
二度の痛手に、とうとうアデムが反撃の体勢に入った。
口に破壊の光を蓄積させつつ、上空を旋回しているドゥルホボウへ顔を向ける。
そして狙いをつけ、破壊光線を発射した。
――キュゥゥ、キイィィィィ!
焼けた空気が上げる悲鳴が周囲に走り、眩い光の帯が上空へと伸びあがる。
狙いは違わず、ドゥルホボウに直撃する軌道だ。
『甘いわ!』
しかしドゥルホボウは空中で体を縮こませると、次には逆方向に体を伸ばして、とんぼ返りのように飛ぶ方向を真反対へ変化させてみせた。
発射されていた破壊光線は当たらず、空の向こうへと飛び消えていく。
「キイィィィシイィィィィゴォォォォアアアアァァァァァァ!」
アデムは攻撃を失敗したことを怒るような咆哮を上げ、すぐに第二射の体勢に入る。
ドゥルホボウもまた回避する準備に入りつつ、今度は竜の吐息による反撃を含んだ体勢に入っていく。
こうして地に君臨する大怪獣と、空を支配する赤竜との戦いは、激しさを増し始めたのだった。




