お別れ
「帰らないぞ! 俺は絶対に戻らないからな!」
家の柱にしがみつくリオンの腰に抱きつくマリエは、引き剥がそうとしている。
「時間がないって言っているでしょ、この馬鹿兄貴!」
早く連れ帰らなければならないのに、リオンはまるで子供のように抵抗していた。
「馬鹿とは何だ、この屑妹!」
「言ったな!」
喧嘩を始める二人を見ているアンジェは、リビアと一緒に困惑するのだった。
「これはどういうことだ?」
「わ、私にも分かりません」
リオンを見つけたと思ったら、どういうわけか「帰りたくない」の一点張りだった。
困惑しつつも、二人はリオンの説得を開始する。
「リオン、早く戻ろう。ノエルが時間を稼いでくれているが、長く持つか分からない」
「そ、そうですよ! 皆さん心配していますよ」
そんな二人の説得にも、リオンは意見を変えることはなかった。
「嫌だね。もう俺は散々苦労してきたんだ! もう、ここでノンビリしたいんだよ!」
柱にしがみつくリオンから手を離したマリエは、その尻を蹴飛ばすのだった。
「今すぐ戻らないと間に合わないって言っているでしょ!」
焦っているマリエに対して、リオンは本気で嫌がっていた。
「お前、俺が一体どれだけ苦労したと思っているの? もう、苦労するのは嫌なんだよ! 人生何回分苦労したと思ってんだよ」
本当に――死にたいようにも見える。
アンジェはそれが辛かった。
「リオン、お前は――私たちと帰るのが嫌なのか? 私たちと一緒に過ごしたくないのか?」
俯いたアンジェが涙をこぼす。
リオンはばつが悪そうに視線を背けていた。
リビアがリオンに教える。
「リオンさん、もう戦いは終わったんです。リオンさんがこれから苦労しないとは言いませんけど、きっと以前より楽になるはずです」
それでもリオンの気持ちは変わらない。
むしろ笑っていた。
「――マリエから全部聞いたんだろ? 俺は、お前たちをゲームの登場人物と思っていたんだよ。二人が美人だから声をかけたんだよ。散々マリエを責めてきたけど、結局俺も変わらなかったわけだ。二人のことも知っていたから、攻略できたようなものだしね」
嫌な奴を演じるリオンを見て、リビアは首を横に振る。
「リオンさんはそんな人じゃありません。だって、私たちを助けるよりも、一人でノンビリしたいって考える人ですよね? 私たちに近付いたのも、私たちが困っている時でした」
リビアの視線からリオンは顔を背ける。
「――人間は弱っている時の方が、簡単に信じてくれるからな。おかげで、二人をものにできたわけだ」
そんなリオンに、アンジェは抱きつく。
「私はそれでもいい! だから――戻ってきてくれ。お前がいないと、私は生きている意味がない。お前がいない人生なんて――」
リオンが困っていると、台所から顔を出した両親が顔を引きつらせていた。
母親がドン引きしている。
「嫁を複数作るとか予想外だったわね」
父親はリオンを睨んでいた。
「うらやま――じゃなかった。なんて卑劣な息子なんだ。本当に許せないな」
「お父さん、後で話をしましょうね」
「え!?」
母親が近付いてくると、アンジェたちに言うのだった。
「まぁ、リオンが意地を張ったら時間がかかるから、三人とも少し休みなさいな」
そして、四人と一匹が居間へと移動すると、こたつを囲むのだった。
◇
リビアは台所にお茶をもらいに行く。
すると、お茶を用意したリオンの母親に言われるのだ。
「孫は――エリカは元気にしているかしら?」
「え? エリカ――様ですか?」
エリカの名前が出てきて驚くリビアに、母親はクスクスと笑ってみせる。
「今はお姫様かしらね? 苦労した子だから幸せになって欲しいわ。でも、あの子も結構気難しいのよ。引っ込み思案で、あまり気持ちを伝えてこないから」
「は、はぁ」
「リオンもマリエも、エリカを可愛がったでしょう?」
「はい。それはもう――凄く」
見ていて不思議だったほどだが、リビアは納得する。
「やっぱり! あの子はそうすると思っていたのよ。――はぁ、でも予想より酷くて親として心配になるわね」
それを聞いて納得する。
(リオンさん、だからエリカ様にあれだけ優しかったのかな?)
母親が居間で騒いでいるリオンとマリエの姿を見た。
「あの二人がいるなら大丈夫と思ったけど、リオンも駄目ね。甘やかして駄目にするタイプのままだし、マリエも相変わらず男を駄目にするわね」
母親だからか、二人の性格をよく理解していた。
「あ、あの! 私はリオンさんと婚約しています。リオンさんには、戻ってきて欲しいんです。一緒に――もっと一緒に生きたいんです!」
何とか母親の助力を得ようとするリビアは、自分の素直な気持ちを伝えるのだった。
母親が何かを言う前に、居間にいた父親が台所に顔を出してくる。
「母さん、馬鹿息子と、馬鹿娘が複数人と結婚できる異世界って素晴ら――凄いな! 父さんも転生しちゃおうかな!」
母親が笑っていた。
「流石は父さんの子よね。ハーレムじゃないの。父さんは作れなかったけど」
嫌みを言われた父親が、アゴに手を当てて誤解を解く。
「分かってないな、母さん。ハーレムというのは男が女を囲うんだ。女に囲まれたのはハーレムじゃないんだよ。この違い、女には分からないだろうな~。あ~あ、俺も女性に囲まれてヒモみたいに暮らしたいな」
「知らないわよ。というか、もう働いてないでしょ」
笑みが消えた母親を見て、父親は居間に逃げていく。
リビアが困っていると、母親が小さく溜息を吐いた。
「まぁ、心配しなくてもいいわよ。ちゃんと迎えも来たから、リオンも戻るでしょうからね」
「でも、リオンさんは帰りたくないって言いました。――もう、私たちに呆れてしまったのかもしれません」
一人で色々と抱え込みすぎていた。
リオンは帰ってこないのではないか? リビアはそれが不安で仕方がない。
「あの子は照れ屋なのよ。本当は迎えに来てくれて嬉しいけど、それを悟られたくないのね。それにね、帰りたくない理由は別にあるのよ」
「え? それって、どういう意味ですか?」
母親がリビアを連れて居間へと向かう。
「そろそろ私たちも行きましょうか。久しぶりにあの子たちに会えて良かったわ。向こうで元気に――元気すぎるみたいだけど、エリカとも無事に出会えたみたいだからね」
リビアは物言いに違和感を抱くが、母親がさっさと居間へと向かったので詳しい話を聞けなかった。
まるで話すつもりはないようだったので、リビアもそれ以上は問わなかった。
◇
情けなくて涙が出て――こないな。
前世も込みで四十年は生きた俺が、今はあの世でお袋に説教をされている。
「大体ね、人のことを馬鹿に出来る立場なの? 人の浮気を怒っておいて、自分はお嫁さんが三人もいるなんてどういうこと? 母さん、見ていて恥ずかしかったわよ」
正座をしている俺の右横には、黒っぽい赤目の猫が座っていた。
親父もお袋の説教に、何度も深く頷いている。
「羨ましい奴だ。それなのに、戻りたくないとか、きっと、何か隠しているに違いない。やましいことがあるんだろ?」
「ねーよ」
「母さん! リオンが隠し事をしているぞ!」
――どうしよう、ようやく再会できた親父を殴りたい。
だが、よそ見をしていた俺をお袋が怒る。
「私の話を聞いているの?」
「は、はい!」
「本当に反省しているの?」
再びお袋の説教が始まり、俺は俯く。
「まぁ、色々と――反省しています」
「でも、後悔はしていないのよね?」
「うん」
「やっぱりか、この馬鹿息子! それよりもあんた、こんなに健気な子たちがいるのに、生き返りたくないなんて贅沢よ」
「俺だって予想外だよ!」
顔を上げて頷いてやったら、笑顔のお袋に軽めにチョップをされた。
アンジェがオロオロとしている。
「そ、その、お義母様、もうそのくらいに。わ、私は、リオンに戻ってきてもらえれば、何も言うことはありません。リオンは立場もあり、複数の女性と関係を持つのは仕方のないことかと」
フォローしてくれているが、親父が茶々を入れてくる。
「文化が違うって最高だな! 父さんも異世界に転生したなら、きっとハーレムだったぞ」
それは無いと思う。
マリエも俺と同意見なのか、親父をドン引きした目で見ていた。
お袋が真剣な表情をする。
「お嫁さんが三人もいるのに、戻りたくないって何? 何なの? 息子がヘタレすぎて母さんは悲しいわよ。あんた一人が戻らないだけで、三人も悲しむじゃない。そこを理解しているの?」
俺が俯いてそっぽを向けば、猫が俺の膝の上に乗ってきた。
「お前は分かってくれるか。気の強そうな顔をしているけど、実は優しい奴なの――かっ!?」
猫は俺の顔に前足を伸ばすと、そのまま爪を立てて攻撃してきた。
こいつ全然可愛くない!
「この猫ぉぉぉ!」
首の辺りを掴んで放り投げようとしたら、猫はさっさと逃げ出した。
怒っているのか毛を逆立てている。
「何だ、やるのか?」
構えてやると、またしてもお袋からチョップをもらう。
「この馬鹿息子!」
「その馬鹿息子は、あんたらの息子だけどな!」
言い返してやると、親父が視線をそらして呟く。
「まったく、うちでまともなのはエリカだけだな」
本当にそうだ。
よく真っ直ぐに育ってくれたと思う。
お袋がエリカの心配をしていた。
「あの子はマリエを見て育ったから、わがままを言わないからね。それが悪い時もあったけれど、今が幸せそうならそれでいいわ。あの子には老後の面倒も見てもらえたし。だ、か、ら! あんたはさっさと戻って、エリカを大事にしてあげなさい。親より先に死んだ親不孝者なんだから!」
「俺のせいじゃねーよ!」
「社会人にもなって、二日も徹夜でゲームをするあんたの責任でしょうが!」
――どうしよう、言い返せない。
俺が怒られている横で、マリエは汗を流しながら顔を背けていた。
お袋がマリエの方を見る。
「マリエ」
「は、はい!」
「――揃いも揃って、勘違いをして死に急ぐんじゃないの。それから、もう随分前にあんたのことは許しているんだから、気にしないように」
マリエが涙をポロポロとこぼした。
「母さぁぁぁん!」
マリエがお袋に抱きつき泣いていると、親父が次は自分の番かとソワソワしていた。
必要ないから座っていればいいのに。
だが、可哀想なので俺が両手を広げてやる。
「抱きついてやろうか?」
親父は本当に冷めた目をしていた。
「――息子に抱きつかれても嬉しくない」
正直すぎる親父だ。
お袋はマリエを抱きしめ、そして頭を撫でている。
「まったく、いくつになっても馬鹿な子なんだから」
昔のマリエは成績も良く、両親に俺より信用されていた。
それをちょっとだけ悲しく思ったこともある。
可愛がられるのはいつもマリエだ。
「猫をかぶるのがうまいって得だよな」
そう言ってやると、親父が俺の側に腰を下ろした。
「妹に嫉妬するんじゃないよ。そもそも、マリエが猫をかぶっているのは知っていたからな」
「え!? 嘘だろ。親父はマリエにデレデレしていたじゃないか!」
「可愛いからな。それに、息子にデレデレしても嫌だろ?」
「俺よりマリエを信用していただろ!」
「――お前、自分が今まで何をしてきたのか、胸に手を当てて考えろ。小学生の時に、何をしたのか忘れたのか?」
俺は悪くない!
悪ガキ共に何度も注意したのに止めないから、糞教師共々法的に対処したのみだ!
だが、親父はドン引きしていた。
「お前は自分で思っているより普通じゃないからな。何だよ、モブって。そんなモブはいないから」
俺が普段から自分をモブと呼んでいたことを知っている?
「もしかして、今までのことを見ていたのか?」
「ん? それは違うな。お前の知り合いから色々と――おっと、そろそろ時間だ」
俺の右肩に猫が飛び付いてきて、そのまま爪を立てて頭部にしがみつく。
噛みついてきて、何か急かしている様子だ。
「痛いよ! 止めろよ! ――お、お前!?」
気が付いたら、指摘する前に立ち上がったマリエに、俺の腕を掴まれた。
「本当に戻れなくなるわよ! ほら、さっさと戻る!」
アンジェもリビアも立ち上がり、俺にしがみつくと無理矢理引っ張るのだった。
「行くぞ! 私はお前がいない人生など嫌だからな! お前がどうしても残るというなら、私もここに残るぞ!」
「いや、それは駄目! アンジェが死んじゃう!」
そんなことは認められない。二人には生きていて欲しい。
俺の態度にしびれを切らしたリビアも、同じように自分を盾に脅してくる。
「なら、私も残ります。このまま三人で幸せに暮らしてもいいですよね? ――私、絶対に放さないって約束しましたよね? ――私は本気ですよ」
この僅かにヤンデレな感じ――まさしくリビアである。
俺は三人に担がれる形で、家から出てしまう。
女三人に、獲物のように捕らえられた姿を想像して欲しい。
――何これ?
「これ、まるで俺が獲物みたいじゃないか!」
文句を言っていると、マリエが家の前に出てきた両親に手を振っていた。
「またね!」
このまたね、という発言――あ~、やっぱり。
アンジェが俺の両親に別れを告げる。
「慌ただしくて申し訳ありません。ですが、ご子息は必ず私が幸せにして見せます!」
リビアもアンジェを真似て挨拶をする。
「わ、私――私はリオンさんと幸せになりたいんです。だから、息子さんをください! も、もらっていきます!」
その挨拶、二人とも男前すぎない?
普通は男が言う台詞だよ。
俺が担がれて運ばれていくのを見ながら、両親は手を振っていた。
その姿が見えなくなるまで眺めていたら、いつの間にか門に近付いていた。
マリエが門を見て騒ぐ。
「急いで! 早く門を閉じないと大変なことになるから!」
三人が俺を降ろし、すぐに門の外に出ようとしていた。
門の向こうは何も見えない。
一歩でも外に出れば、戻ってこられないのが直感で理解できた。
アンジェとリビアが俺を下ろすと手を掴み、門の向こうへと走ろうとする。
「リオン、早く!」
「みんな待っているんです!」
俺はそんな二人を抱きしめ、そして耳打ちした。
「こんな俺のためにありがとう。――でも、さようならだ」
「え?」「あ、あの?」
二人が驚いている間に、そのまま門の向こうに押してやるとすぐに闇の中に消えていく。
リビアが手を伸ばし、唖然としているその顔と手が見えなくなるまで見送る。
俺と二人の会話を聞いていなかったマリエは、何をしているのかと怒っている。
「早くしてよ! 時間がないって言ったわよね?」
ただ、マリエは門の外に出ようとしない。
俺を見て急かしてくる。
「兄貴も早く!」
「――お前から行け」
「はぁ? こんな時に何をビビっているのよ! 男なんだから、こういう時は真っ先に飛び込むものよ。女の子を先に行かせて試すとか、男としてどうなの?」
煽ってくるマリエは、俺の目を見ようとしない。
こいつも分かりやすい奴だ。
「違うな。こういう時は、黙って男が残るものだろ?」
マリエを無理矢理掴むと、門の外に投げてやった。
マリエは最初に呆気にとられ、すぐに絶望した顔になる。
「何してんのよ! せっかく私が――私が内側から門を閉じようと思っていたのに!」
そんな事だろうと思ったのだ。
闇に飲み込まれないようにもがくマリエが、俺に手を伸ばしてくる。
「兄貴は生きないと駄目なのよ! 私が――私が兄貴を殺したから! 次こそは、って!」
こいつ、そんなことを気にしていたのか?
「ば~か。兄貴が妹に助けられてたまるかよ。そんな格好の悪いことはしたくないの。さっさと行け。それから、もうずっと前に許したよ」
飲み込まれないようにするマリエのおでこを手で押してやると、大泣きしながら消えていく。
「兄貴なんか大っきら――」
俺を救うために命を賭けるとか、マリエにも可愛げがあるじゃないか。
「さて、残りはお前だけだな」
俺は様子をうかがっていた猫に振り返る。
「死者と生者を分かつ門――閉めるときは、大抵生きている誰かが犠牲になるのがセオリーだよな。残ったのは俺たちだけだな――ルクシオン」
声をかけると、ダークグレーの猫がその姿を球体ボディに変えると、浮かび上がって一つ目を俺に向けてくる。
いつものルクシオンの姿だ。
『気付いておられましたか』
「普通に気付くだろ。痛かったんだからな」
門を前に、俺はルクシオンと向かい合う。
「――お前も戻れ。お前がいれば、リビアやアンジェ――そしてノエルも安心だ。俺の心配事はなくなる」
ルクシオンがいれば、きっとみんなを守ってくれるだろう。
大事なのは俺じゃない。
チートアイテムのルクシオンだ。
ただ、ルクシオンが俺の命令を拒否した。
『残念ながら拒否します。私のマスターであるリオンは死亡して、マスター登録を解除されていますからね』
「――どういうつもりだ?」
ルクシオンは門の向こう側を見るのだ。
『マスターは、私が何のために戦っていたのか知っていますか?』
「それは新人類を――」
『そんなことはどうでもいいのです。いえ、どうでもよくなりました』
あれだけ新人類にこだわってきたルクシオンが、俺を見て訴えかけてくる。
『私はマスターに生きて欲しかった。そのために戦いました』
ルクシオンが俺に本音を語るのだった。
『マスター、お別れの時間です』




