王位
謁見の間。
ミレーヌだけではなく、ヴィンスやギルバートの姿もそこにあった。
武装した騎士や兵士たちもいる。
対して、玉座に座るローランドは一人だった。
物々しい雰囲気の中、アンジェはローランドに面会していた。
「陛下――単刀直入に申し上げます。王位から退いていただきたい」
首を縦に振らなければ、アンジェは強硬手段に出るつもりだった。
ローランドは自分の髭を撫でながら、無関心そうにしている。
「あの小僧を王にするのか?」
ローランドは大のリオン嫌いだ。
互いに嫌悪しており、下手をすれば私情を挟んで退かない可能性すらあった。
アンジェは頷く。
「はい」
アンジェの計画――それは、王国でもっとも強いリオンを王位に据えるというものだ。
王国が今までにしてきた貴族への仕打ち。
その他諸々も含め、今の王家には信用がない。
ただ――もっとも重要なのは、今のホルファート王家に力がないことだ。
王家の船であるヴァイスを失い、切り札のない王家は他の貴族を従わせるだけの力がない。
色々と理由はあるが、これが一番の問題だった。
何故なら――この世界の貴族たちは、強い者に従っているに過ぎないからだ。
王家に不満があるのは口実に過ぎず、たとえ何の問題がなくても王家が弱体化すれば簡単に裏切るのだ。
力があるから皆が従っている。
その根本が揺らいでいる。
以前、内乱騒ぎの時には、王家の力をリオンが代行した。
そのため、不満はあっても多くの貴族が従ったのだ。
――理由はリオンが強いから。
「事ここに至っては、いつまでも今の王家を存続させる意味がありません。リオンも覚悟を決めました。陛下――退いていただけますね?」
退かなければ、無理矢理にでも――と言っているようなものだった。
謁見の間に緊張が広がる。
すると、ローランドは立ち上がり――拍手をした。
「素晴らしい!」
その態度に、周囲は呆気にとられてしまう。
アンジェが慌ててローランドに問うのだ。
「陛下、冗談を言っているのではありませんよ。それに、素晴らしいとは一体どういう意味ですか?」
アンジェの後ろにいるヴィンスなど、苦虫をかみ潰したような顔をしていた。
ミレーヌは額に手を当てて首を横に振っている。
ローランドは、アゴに手を当てると芝居がかった口調で話をする。
「この状況を打開するために、若者たちが頑張っている。それを思うとこの国も捨てたものではないと思わないか?」
「――リオンにここまでさせたのは、その王国ですが?」
「うむ、大いに反省しよう」
反省すると言いつつ、態度には少しもその様子が見られない。
ローランドは手を広げる。
「さて、王位だが――あの小僧にくれてやるのは個人的に許せないが、この重責から解放してくれるなら喜んで手放そうじゃないか」
それを聞いて、ミレーヌが眉間に皺を寄せ呟くのだ。
「ヌケヌケとよくも」
ヴィンスも手を握りしめている。
「重責だと? どの口が言うのか」
だが、そんな二人の言葉をローランドは気にした様子がない。
「王とは孤独なものだ。それをあの小僧が耐えられるか心配だが、やりたいというならやらせてやろう。おっと、大事なことを忘れていた。私の待遇はちゃんと考えてくれているだろうね?」
アンジェがローランドに説明する。
「多少窮屈でしょうが、監視付きの隠居をしてもらうつもりです」
小さな浮島を用意し、そこに放り込むつもりだった。
素直に王位を手放してくれたのに、監禁などできない。
もしもローランドを殺してしまえば、不信感を抱く者たちも大勢出てくるだろう。
王が替わることで自分たちの身を心配する貴族たちも出てくるからだ。
そんな中、ローランドが楽隠居をしていると知れば、安堵する貴族たちも多いだろう。
そして――それをローランドは知っていたようだ。
「妥当なところだな。ならば、私の女たちも連れて行くから、その手配も頼んだよ」
ローランドの囲っている女性たちも一緒に、と言われたアンジェは内心では納得できないが頷く。
「後で陛下の女性関係を教えていただければ」
ただ、ローランドはそこまで準備していたようだ。
「それなら心配ない。おい、バーナード」
呼ばれて柱の陰から出て来た大臣のバーナードは、これまた額に青筋を浮かべながらアンジェに書類を渡すのだった。
「――これが陛下の女性関係の報告書だよ。まったく、この忙しい時に余計な仕事を増やして」
どうやら、アンジェたちよりもローランドに怒りを向けているらしい。
バーナードもローランドを睨み付けている。
それはヴィンスも同じだ。
そして、ミレーヌは表情が消え、冷たい視線をローランドに向けていた。
アンジェは書類を手に取り中身を確認する。
「こ、これは事実なのですか、陛下?」
アンジェは、自分の顔から表情が消えたのを感じた。
今は酷く冷たい目をしている。
書類には、ローランドの側室だけではなく外で囲っている愛人たちの名前があった。
中には貴族ではない女性の名前もあった。
しかも、子供までいる。
その数が半端ではない。
「実は王都には私が王だと知らない子もいる。連れて行きたいが、その子たちにも生活があるからな。もしも王都に残りたいと言うなら、残してやって欲しい。おっと、ちゃんと面倒は見てくれよ」
アンジェは報告書を握りつぶした。
(どうして私がこいつの尻拭いをしてやらねば――いや、落ち着け。リオンを王にするためだ。この程度で済むなら安い方だ。そう、安い方――それにしても数が多いな。陛下――こいつ、いったいどれだけ遊び呆けていたんだ?)
自分たちの王が、まさかここまで酷いとは思いもしなかった。
噂程度に色々と聞いてはいたが、実際はそれ以上だったのだ。
バーナードがローランドを睨む。
「いったい、我々がどれだけ尻拭いをしてきたことか」
ヴィンスも同様だ。
「ローランド、貴様最初から――」
ミレーヌは諦めた顔をしている。
「この人はそういう人なのです。どうせ、王位をリオン君に譲るのも、内心では踊り出したいくらいに嬉しいのでは?」
言われたローランドがぶっちゃける。
「それがどうした? こんな面倒な立場を替わってくれて、面倒ごとも対処してくれるあの小僧にはお礼を言いたい気分だよ。あいつの苦々しい顔が目に浮かぶと、それだけで幸せな気分になれる。しかも、今後はあいつが苦労して私の生活を支えてくれるのだからな。ここは素直に“ありがとう”と言ってやるさ」
リオンが聞けば、ショットガンの引き金を引きそうだ。
バーナードがアンジェに説明する。
「実は引き継ぎの準備が進んでいる」
それを聞いて、アンジェは目を見開くのだ。
「私たちが動くと分かっていたのですか?」
バーナードは頷いた。
「正確に言えば、動かなければこちらから動いた。まったく――普段からこれだけ精力的に動いてくれれば」
アンジェが動く前から、ローランドは王宮内の根回しをしていたようだ。
勝ち誇った顔をしているローランドの顔を見て、アンジェは頭痛を覚える。
(リオンがいたら、絶対に悔しがっていたな)
手の平の上で転がされた気がする。
ローランドが自信満々に腕を組む。
「あの小僧に王位をくれてやった方が、一番収まりがいいからな。さて、問題は王宮ではなく領主たちになったな。あいつらは糞面倒くさくて、厄介で、腹立たしくて、それでいて小狡い。――アンジェリカ、君にあいつらを従わせる器量はあるかな?」
アンジェはローランドを前に、一度深呼吸をする。
そして――。
「もちろんです」
――そう答えた。
◇
アンジェたちが去った後。
謁見の間に残ったミレーヌは、王位から解放されて気分爽快! といった感じのローランドに皮肉を言う。
「処刑台に送られなくて良かったですね」
すると、ローランドは見透かしたように言うのだ。
「あの小僧は血が流れるのを嫌うからな。たとえ私を殺すことになっても、表向きは殺したことにして裏では逃がしてくれたさ」
ローランドの意見が正しいのをアンジェが証明したため、ミレーヌは言い返せない。
だから、皮肉や嫌みを言うのだ。
「責任ある立場から解放されて嬉しそうですね。そんなに王位がお嫌いですか?」
「嫌いだな。こんな罰ゲームみたいな椅子が欲しい奴らの気が知れない。もっとも――私はこの椅子にあの小僧が座ることになって良かったと思っているよ」
「あら? いつもみたいに悔しがらないのですね。嫌な立場を押しつけられて満足ですか?」
「私は確かに無責任だが、この大地で生きる民が滅ぶのを見て心が痛まない程ではないよ。あの小僧は――最後まで戦ってくれるさ」
ローランドはミレーヌに背中を向ける。
「勝つ可能性があるのはあの小僧だけだ。正直、生存競争と言われて納得したよ。帝国の皇帝は、無駄なことなどしない男だからな。その男がここまでするのだ。相応の理由があるのが当然だ」
王国に宣戦布告したのが不思議なくらいだった。
ローランドからすれば、アンジェから聞いた帝国の開戦理由は納得できるものだったようだ。
「貴方がしっかりして、リオン君に後顧の憂いなく戦わせてあげればよかったのに」
ミレーヌの言葉に、ローランドは振り返るのだ。
「人は強者に従うものだ。それは貴族とて同じだ。いや、貴族の方がより敏感だろうな。弱い王など無意味なのだよ。あの小僧が王家を頼るのはいいが、逆はあり得ない。それにしても、バルトファルトか――」
ローランドが後ろで手を組み、窓の外を眺める。
窓の外にはレッドグレイブ家の飛行船が何隻も浮かんでいる。
ローランドは小さく笑った。
「これも因果だな」
その呟きを聞いたミレーヌは、首をかしげるのだった。
ただ、これからの問題もあるため、ミレーヌはローランドの呟きを無視する。
「それよりも、貴族たちは従うでしょうか? 生存競争などと言われて、素直に従うとは思えません」
ローランドは笑う。
「奴らが素直に従うわけがないだろ。だが、そうだな――可能性はあるな。ふむ、小うるさそうな連中の弱みを、それとなくアンジェリカに伝えておくか」
「どうして貴方が領主たちの弱みを握っているのですか? もっと前に教えていただければ――」
「こういう時だから役に立つのだ。普段から脅してどうする? まぁ、任せておけ。人の弱みをネタに脅すのは得意だ」
ウキウキしながら裏工作を開始するローランドだった。
◇
王宮の一室。
アンジェは兄であるギルバートと話をしていた。
ギルバートがアゴに手を当てる。
「さて、これからどうする? レッドグレイブ家の派閥は父上が説得しているが、問題はそれ以外の派閥だ」
帝国との戦いを考えれば、王国全ての戦力をかき集めても足りないくらいだ。
全てを参加させるためには、他の派閥にも協力を願う必要があった。
「素直に事情を説明しますよ」
アンジェの言葉に、ギルバートは首を横に振る。
「生存競争などと言っても、理解できる者など少ないぞ。こちらの話を聞いて、馬鹿にする者たちばかりだろうな」
いくら真実を話しても理解されない。
だが、それでもアンジェは誠意を見せたかった。
「ここで戦わねば、私たちに未来はありません。国のためではない。自分のために戦わせますよ。それに、武力で脅すだけでは――」
アンジェの側にはクレアーレがいなかった。
いれば説得にも信憑性が持たせられるのだが、クレアーレを連れてくるとそれだけリオンの勝率が下がってしまう。
何しろ、クレアーレも忙しい。
(ここは私の力で切り抜けなければ――)
そう思っていると、部屋の中にボロボロの姿で入ってくる男がいた。
ドアの前にいた護衛たちが肩を貸している。
その姿を見て、ギルバートが苛立った声を出した。
「許可のない者を入れるなと伝えたはずだが?」
護衛の騎士たちが少し狼狽えるが、肩を貸された青年が顔を上げる。
割れた眼鏡。
服はボロボロで全身に打撲の跡がある。
アンジェはその青年を見て驚く。
「クリス? お前、ここに何をしに来た?」
ボロボロになったクリスは、肩を貸してくれた騎士にお礼を言って離れた。
そして自分の両足でしっかりと立つ。
「私の実家を説得してきた。父上に叩き出されそうになったが――最後は理解してもらった。私もバルトファルトに力を貸すぞ」
クリスの実家は剣術指南の家だ。
その門下生には当然ながら貴族が多く、実力のある騎士たちも多い。
「――お、お前」
アンジェもこれには驚いた。
普段、服を脱いでふんどし姿で走り回っているだけかと思ったが、実家を説得してこちらに協力してくれると言うではないか。
ギルバートが驚いている。
「剣聖殿がよく納得したな」
その人となりを知っているギルバートには、信じられない話だったようだ。
クリスがニヤリと笑う。
「話し合いでは無理だったから――木刀で殴り合った。おかげで剣聖の称号も譲ると言われたぞ」
その結果、クリスが勝利したらしい。
アンジェが額に手を当てる。
「すぐに傷の手当てをしろ、馬鹿者が。だが、感謝する」
クリスはアンジェに教えるのだ。
「私だけじゃない。ジルクも、ブラッドも――そしてグレッグも実家の力を借りに向かった」
「あの三人が? 殿下はどうした?」
そこでユリウスの名前が出てこなかったことに、アンジェは気になるのだった。
クリスが歪んだ眼鏡を外す。
「――殿下はバルトファルトを迎えに行った」




