幕間 コリンの初恋
ホルファート王国で今話題のバルトファルト男爵家。
実家の屋敷には、リオンの弟――三男のコリンが住んでいる。
末っ子で可愛がられて育っていた。
そんなコリンだが、最近――恋をした。
「ノエル姉ちゃん!」
相手は、男爵家でリハビリを行っているノエルだった。
最近は一人で生活できるまでに回復している。
過度な運動さえしなければ問題ないほどだ。
「来たな、腕白坊主」
コリンが抱きつくと、ノエルは笑顔で抱き留めてくれる。
実の姉たちとは大違いだ。
抱きつくと、甘い香りがした。
コリンはこの匂いが大好きだった。
「今日はどうしたのさ?」
ノエルがそう言うと、コリンは思い出したように本題へと入る。
「姉ちゃんたちが酷いんだ」
学園は卒業式が行われ、今は春休みだ。
来年度から入学するフィンリーは準備で忙しく、そしてジェナが戻ってきていた。
ノエルは視線をそらし「あ~、そっか」と納得していた。
「ジェナのお義姉さんは、色々とあるからね」
色々、とは婚活を失敗したことだ。
学生の内に結婚できなかったのである。
コリンは不満を口にする。
「男子は見る目がないとか、僕に文句ばかり言うんだ。あんなの、八つ当たりだよ。リオン兄ちゃんがいれば、言い返してくれるのに」
口喧嘩で勝てないコリンは悔しそうにしていた。
「フィンリー姉ちゃんも酷いんだ。僕のことをいじめるんだ」
ノエルは額に手を当てる。
「うん、まぁ――姉弟ならあり得るいじめだよね」
そこまで酷いいじめではないが、年下であるコリンには不満だった。
お菓子を取られるとか、その他にも色々と小さないじめがある。
もっと陰湿ないじめをしようものなら、ニックスが黙っていないので二人とも加減をしているのだ。
「リオン兄ちゃんが帰ってきたら、姉ちゃんたちも黙るのにさ」
ジェナとフィンリーからすれば、リオンに文句は言えても本気で逆らえない。
何しろ、リオンは侯爵だ。
ホルファート王国の英雄であり、更にあの性格だ。
「リオンはコリンを可愛がっているからね。お義兄さんも同じだけど」
ニックスもリオンも、コリンを可愛がっている。
可愛くない姉妹よりも、純粋な弟の方が可愛いからだ。
「ジェナ姉ちゃんは苛々しているし、母さんは怒るし、父さんは部屋で遊んでいなさい、って言うし――僕の相手をしてくれるのは姉ちゃんだけだよ」
コリンにとって、実の姉以上にノエルは姉だった。
「私はコリンのお義姉さんだからね。好きなだけ甘えなよ」
「本当! 僕の姉さんなの?」
「そうだよ」
「えへへ、嬉しいな」
コリンは――ノエルとリオンが政略的な意味で結婚することを知らなかった。
ただ、屋敷に来た優しいお姉ちゃんとしか思っていない。
込み入った事情は両親も話さないし、姉たちもその話題には触れない。
ジェナやフィンリーからすれば、女性を複数囲っているというのは我慢ならない話だ。
だが、自分たちは複数の男性とお付き合いをしてもいいと考えている。
王国は転換期であるため、以前の価値観を捨てられない女子は多かった。
ノエルがコリンの頭を撫でる。
「もうすぐリオンも帰ってくるし、その時に相談したらいいよ。私が言うよりも二人にはこたえるはずだし」
「え、リオン兄ちゃんが帰ってくるの? お土産はあるかな!」
「あると思うよ」
ニコニコするノエルに甘えるコリンは――少し頬が熱くなった。
◇
春休み。
リオンが実家に戻ってきた。
留学先から戻ってきたリオンだが、忙しいのか実家に滞在できるのは数日だけだ。
玄関でニックスと話をしている。
「明日には王都か?」
「あぁ、色々と予定があるからね」
「ルクシオンはどこだ?」
「あいつは飛行船。整備と補給で忙しい、ってさ。俺も明日から大変だよ」
「何が忙しいんだよ。どうせ働くのはルクシオンだろ?」
「俺も忙しいんだよ。ローランドの糞野郎に報告もあるし」
「止めろよ。陛下を糞野郎なんて呼ぶなよ。本当に止めろよ」
自由すぎる次男に振り回される長男。
ニックスは、胃の辺りを押さえていた。
コリンはリオンに抱きつく。
「兄ちゃん!」
「お、コリン。大きくなったんじゃないか?」
頭をガシガシと乱暴に撫でられ、コリンは「にしし」と言って笑う。
玄関には両親もいて、ジェナやフィンリーはリオンと会いたくないのか部屋から出てこなかった。
(やっぱり、リオン兄ちゃん凄ぇ)
あの傍若無人な二人が、リオンが来ただけで大人しくなる。
コリンには、それはとても凄いことに感じられた。
「兄ちゃん、外国はどうだった?」
「言葉を覚えるだけで精一杯だったよ。お土産もあるから、後でみんなと食べな」
「やった!」
お菓子が食べられると喜ぶコリンだったが、そこにノエルがやってくる。
普段よりもおしゃれな格好をしていた。
「リオン、元気にしていた?」
少しぎこちないノエルが、コリンには緊張しているとすぐに分かった。
リオンも同様だ。
「あ、あぁ、元気だったよ。そっちこそ、随分と元気になったじゃないか。綺麗になってビックリしたよ」
軽口を叩きつつ、相手を褒めていた。
リオンにしては珍しいので、ニックスや両親が首をかしげている。
リオンが口を押さえて「あ~、ごめん。向こうだと歯の浮くような台詞が普通なんだ」と照れていた。
そして――ノエルも頬を染めていた。
「そ、そうなんだ」
ぎこちない二人を前に、バルカスが咳払いをすると全員を部屋に戻そうとした。
ニックスも用事を思いだしたと言ってこの場を離れる。
「コリン、お前も部屋に戻りなさい」
バルカスに言われ、コリンが首を横に振る。
「何で?」
「何でって――ほら、ノエルちゃんも一応はリオンのお嫁さんだからな。二人にしてあげた方がいいだろう?」
一応というのは、まだ正式に婚約も結婚もしていないからだ。
だが、そんなことはコリンにはどうでもよかった。
「――え?」
ノエルがリオンの嫁になる事を、コリンは初めて知って――そして胸が苦しくなった。
恋をしていたのだと、初めて気が付いた。
ジェナやフィンリーが恋バナをよくしているが、実感したのは初めてだった。
胸を押さえる。
妙に鼓動が早い。
「色々と事情はあるが、二人が仲良くやれるようにしてやらないとな。ほら、だからお前も部屋で待っていなさい」
リオンとノエルの方を見ると、二人とも照れている。
コリンはそこで――自分の初恋は終わったのだと気が付いた。
涙がこぼれ、そして――。
「リオン兄ちゃんの馬鹿ぁぁぁ!」
そう言って部屋に走るのだった。
だが、急に弟に泣かれたリオンは驚く。
「え? え!? ど、どどど、どうした、コリン!」
追いかけてくるリオンを振り切り、コリンは部屋にこもった。
リオンがドアを叩いて声をかけてくる。
『何があった、コリン! 兄ちゃんが何か悪いことをしたか? おい、どうなんだ! ちゃんと出て来て話をしよう!』
ドアの向こうには、フィンリーもいるらしい。
『――ちょっと、なんでそんなに必死なの? 引くんですけど』
『五月蠅いんだよ、愚妹! 可愛い弟のコリンが泣いているんだぞ』
『はぁ? 私もあんたの妹なんだけど? もっと大事にしてよ』
『俺の辞書に、妹という字と可愛いという言葉は両立しないと書かれているんだ。悪いが、お前はただの妹で、大事じゃない』
『何よ、この馬鹿兄!』
ドアの向こうで言い争っている二人を無視して、コリンは毛布をかぶって泣いていた。
――恋した相手は、兄の嫁の一人だった。