幕間 お兄ちゃん
世の中には妹という存在が可愛いという理解しがたい兄がいるらしい。
妹と、可愛い、の間に何の因果関係があるのか説明して欲しいものだ。
妹がいない奴が、理想の妹という幻想を抱くのは自由だ。
だが、現実は厳しい。
そんな妹は存在しないし、実際に妹がいる兄なら分かってくれるはずだ。
妹は――敵だ! 血のつながりがある敵なのだ。
それを、何を血迷ったのか、妹が可愛いという兄が存在しているらしい。
理解できないよね。
俺にとっての妹という存在は――。
「兄貴、戻ったらお金を貸してください」
アインホルンの船内。
アルゼル共和国から、ホルファート王国へと戻る途中の俺たち。
留学を途中で切り上げ帰国しているところだ。
俺の自室にやって来て、小遣いをねだる前世の妹であるマリエが土下座してきた。
「少し前にも貸しただろ」
「アルゼル共和国のお金なんて紙くずじゃん! もう、ティッシュ以下の存在じゃない」
「酷い言い方だな」
だが、事実だ。
聖樹を失い、軍事力も大幅に下がってしまったアルゼル共和国の価値は低い。
アルゼル共和国の紙幣など価値がない。
「それに――ジルクに任せて、お金がなくなったのよ」
「あれは酷かったよな。同情するわ」
同情すると言いつつ、つい笑みがこぼれてしまった。
マリエが顔を上げて俺の顔を指さした。
「笑うな!」
「ごめん、笑うわ」
何をどうやればここまで酷い状況になるのだろうか?
逆ハーレムを目指し、男を囲った結果が今のマリエだ。
五人の野郎共の世話をして、お金を稼いだ側から使われてなくなってしまう。
何とも可哀想だが、可愛いとは思えないね。
「お金を頂戴よ!」
「何をさらっともらうつもりでいるの? 今までに貸した分だって沢山あるんだから、まずはそれを返してからの話だろ?」
「兄貴のケチィィィ!」
「悪いな、今の俺は貧乏なんだ」
「嘘つき! なら、それは何よ!」
そう言って、高級茶葉で煎れたお茶を飲む。
お菓子も種類が豊富だ。
何しろ、ルクシオンが用意してくれる。
「貧乏って辛いな」
俺が笑顔でマリエにそう言うと、
「兄貴みたいな貧乏人がいるかぁぁぁ! 馬鹿野郎ぉぉぉ!」
部屋を飛び出すマリエを見送りつつ、俺はお茶を飲む。
「面白い奴」
笑っているとクレアーレが姿を見せた。
『兄妹仲がよろしいこと』
「そうか?」
部屋に入ってきたクレアーレは、俺に用事があるようだ。
『色々と報告があるのよ。こっちは王国でも色々とあったから、報告だってしたいの。それなのに、マスターったら王妃様と遊んでばかりじゃない。リビアとアンジェが怒るわよ』
「ば、馬鹿を言うな。王妃様とはお茶をしているだけだ」
『昨日は見つけた浮島を二人で散歩していたじゃない』
「エスコートと言え」
『マスター最低ね』
いや、ちゃんと二人とも話はしているよ! けど、ほら――ミレーヌさんと遊ぶのって、これから機会がないじゃん。
ちょっとお茶をして散歩しているだけだよ。
◇
一方。
リコルヌの船内では、リビアとアンジェがルクシオンを交えて話をしていた。
リビアが涙目だ。
「リオンさん、毎日王妃様とお茶をしていますよ。私たちがいるのに」
そんなリビアを慰めるアンジェも不満そうだった。
「仕方がないさ。ミレーヌ様からすれば、王国に戻る前に少しでもリオンからルクシオンの情報を聞き出したいだろうからな」
『賢明な判断ですね。マスターも快く相手をすることで、ミレーヌの警戒心を解いていると思われます』
ルクシオンの言葉に、アンジェは懐疑的な視線を向ける。
「――本当か? 私には本気で楽しんでいるように見えたが?」
『おや、気が付かれていたのですか? 正解です。そもそも、マスターはミレーヌの腹黒い部分を信じていませんからね。もうデレデレしていますよ』
アッサリ事実を語るルクシオンに、リビアは両手で顔を隠していた。
「リオンさんの馬鹿」
アンジェが顎に手を当てる。
「問題だな。ミレーヌ様は、リオンを手玉に取れると思えば何でもするぞ。付け入る隙を与えては駄目だ」
『私もそう思いますよ』
投げやりなルクシオンの言葉に、リビアは警戒しながら問う。
「ルク君、何だかどっちでも良さそう」
『正直、どちらでも構いませんからね。マスターが、ミレーヌが欲しいと言えば王国を滅ぼしてもいいかな、くらいには考えています』
アンジェがドン引きしていた。
「お前、国を滅ぼすのを軽く考えていないか?」
『あまり興味がないので』
「外でそんなことを絶対に言うなよ。ミレーヌ様に聞かれたら大変なことになる」
『その時は王国を滅ぼそうと思います』
「この阿呆!」
『冗談ですよ。人工知能ジョークです。――笑ってください』
淡々としたルクシオンの声は、冗談には聞こえなかった。
「笑えるものか!」
リビアは、目を見開きルクシオンを見ている。
アンジェは乱れた呼吸を整え、そして話を戻すのだった。
「と、とにかく! ――リオンの気持ちをこちらに向けたい。そのために、ルクシオンの意見を聞きたい」
『私の、ですか? お二人が甘えれば解決ではないでしょうか?』
「簡単に言うな。こう、男というのは繊細だから注意するように言われている」
アンジェがそのような教育を受けていると聞いて、リビアが驚いた。
「え、そうなんですか? 男の子は乱暴で細かいことは気にしないと聞きましたよ。それに、実家ではそういう男の子ばかりで」
二人が考え込んでいると、メイド長が部屋にやって来た。
アンジェが入室を許可すると、
「アンジェリカ様、またマリエ様がリオン様の部屋を訪ねられたそうです」
それを聞いてアンジェが言う。
「またか? リオンの奴、今度はマリエを部屋に招いて――」
雲行きが怪しくなり出したのを察したルクシオンがここで、
『それならば――』
ルクシオンなりの助言をするのだった。
◇
夜。
俺の部屋にやって来たのは、リビアとアンジェだった。
いつもより可愛らしい服を着た二人は、俺に向かって恥ずかしそうに俯きながら言う。
「お、お兄ちゃん?」
「――お兄様」
二人の態度というか、俺の呼び方に電流が体を駆け巡った。
これほどの衝撃を受けた言葉が今までにあっただろうか?
「ふ、二人ともいったいどうした?」
リビアが両手で顔を隠している。
耳まで赤くしている姿は凄く可愛い。
「こうすればリオンさんが喜ぶかな、って」
アンジェも普段と違い、恥ずかしそうにモジモジしている姿を見せてくれる。
何これ最高に可愛い。
「い、言ってくれればすぐにでも呼んだのだ。だ、だから、その――お兄様、私たちを見てください」
俺は膝から崩れ落ちた。
立っていられなかったのだ。
「リオンさん!」
「リオン!」
二人が駆け寄って俺を抱きかかえてくれる。
「ありがとう、二人とも――俺、分かったよ」
「え? リオンさん、何が分かったんですか?」
現実の妹は可愛くないが、幻想の妹――妹じゃないけど、妹という存在は可愛いのだ、と。
二つは似ているようで正反対なのだ。
マリエ? 現世の姉や妹? ごめん、そっちは少しも可愛くない。
だが、二人はどうだ?
滅茶苦茶可愛い。
「俺は――二人みたいな妹が欲しかったんだ」
マリエじゃない。ジェナでもない。妹でもない。
二人のような可愛い妹みたいな存在が欲しかったのだ。
今、それを魂で理解した。
その場で泣き出すと、アンジェが俺の涙を拭いてくれる。
見ろ、この優しさを! 実の妹なんて何もしてくれないよ!
「おい、どうした!? リオン、お前大丈夫か?」
あぁ、答えはここにあったのだ。
――妹って凄く可愛い。




