寄子
半年ぶりに王国に戻ってきた。
以前よりも復興が進んでいるのがよく分かる。
共和国の惨状を見た後だから、余計に眩しく見えてしまう故郷――。
そんな故郷で俺は、王宮に出向いて糞野郎――じゃなかった、陛下であるローランドの前にいた。
今日は式典ではなく、事務的な話をするために向かい合っている。
周囲には他にも貴族たちがいて、俺のことについて話をしていた。
ローランドが鼻に指を突っ込んでいた。
「糞ガキ、暴れ回ってくれたな。おかげで使者を何度も出す羽目になった。この糞忙しい時期に仕事を増やした言い訳を聞こうか」
「陛下には大変申し訳なく思っています。優雅な一時も、ナンパをする時間も、女性と愛を語る時間も奪ってしまい心苦しい毎日です」
本当に心が痛む。
もっとこいつを苦しめてやればよかったと、後悔ばかりが募るのだ。
「白々しいぞ、糞ガキが」
「とんでもない。本心です」
「嘘だな」
「えぇ、嘘ですよ。それが何か? 少しは真面目に働けてよかったな」
本音をこぼしてしまうと、ローランドの奴が額に青筋を浮かべていた。
「侮辱罪で処刑してやる」
「侮辱? 事実は侮辱と言わないんだ。知らなかったの? でも、よかったな。今日は一つ賢くなれたぞ」
わけの分からないことを言い始めたローランドに代わり、クラリス先輩のお父さん――バーナード大臣が俺と話をする。
「さて、いつもの会話も終わったところで本題に入ろうか。今回の件は殿下たちから事情を聞いている。君に落ち度がないとは言わないが、よくぞ王国の意地を見せてくれた。個人としては実に面白い話だ」
個人としては、ね。この人も共和国には色々と思うところがあったのだろう。
ヴィンスさんの代わりにこの場にいるのは、ギルバートさん――アンジェのお兄さんだ。
「だが、王国は魔石の購入先を一つ失ってしまった。そればかりか、周辺国の一つが不安定になっている。楽観視は出来ない状況だね」
隣の国が大変な状況――ではない。
魔石を大量輸出している国が消えたのだ。
場合によっては、面倒なことになるきっかけを作ったのが俺の立場だ。
王国も対応に追われている。
「やり過ぎちゃいましたね」
「将来的に共和国が王国を侵攻する芽を摘んだ。そこは評価をするけどね」
何もしなければ、聖樹やイデアルが暴走していた。
それをこの場にいる人たちに説明しても、理解してくれるとは思わないけどね。
ローランドが自分の髭を指先で摘まむように撫でている。
「お前の責任だ。よって、死刑!」
そんなローランドを置いて、バーナードさんが真剣に話をする。
「さて、君の処遇だが――」
「おい、聞けよ!」
ローランドの戯言を周囲も無視している。
こいつの扱い軽くない?
「バルトファルト伯爵、いや――侯爵。すまないが、すぐに式典の準備に取りかかろう。今回の行動、王国は悪くないと示すために君に勲章を与えることにした」
「え? こうしゃく――え?」
バーナードさんが何を言っているのか分からなかった。
ギルバートさんを見ると、
「共和国が王国に攻め込む前に片を付けた。そして、怪物退治の報酬だ。受け取っておきなさい」
「いや、その――俺、王族じゃないし、そんな侯爵とか器じゃないので辞退を――」
冷や汗が止めどなく流れ出てくる。
侯爵というのは、ホルファート王国で言うなら王族の分家みたいなものだ。
レッドグレイブ家もこれにあたる。
成り上がりの俺が就けるような地位じゃない。
俺に与える地位としては明らかにおかしい。
狼狽えていると、ニヤニヤしているローランドの顔が見えた。
「私だってお前を処刑できないことくらい考えれば分かる。いずれ処刑台に送ってやりたいが、その前にお前が嫌がることは何かと考えた。考えた結果、侯爵の爵位を与えてやればいいと気が付いた」
目を見開き、ローランドを見ていると饒舌に語りはじめる。
「今の王国は貴族が少ない。お前のように酷使しても心が痛まない貴族は最高だ。出世させてこき使ってやる。お前は有能だから、ボロボロにすり切れるまで使い潰してやろう。嬉しいだろ、バルトファルト侯爵?」
嬉しいわけがないだろうが!
「ふ、ふざけるなよ! 俺は王族じゃねーんだぞ!」
そこでギルバートさんが「君はね」と呟いた。
振り返ってギルバートさんを見ると、
「忘れているのかな? アンジェもミドルネームにラファを持つ王家に連なる血筋だよ。その夫になる君は、王国の規定で問題なく侯爵の地位に就けるのさ。普通はあり得ないが、今は非常時でね」
――アンジェが本物のお嬢様だったのを忘れていた。
いや、お嬢様だけど――その中でも更にお嬢様だったのを思い出した。
ローランドは嬉しそうにしている。
「お前のそんな顔が見られただけでも心が清々しい気分だ。今日はよく眠れそうだな! よし、ついでに三位“上”の階位もくれてやる。精々、王国のために尽くせよ、侯爵」
「う、嘘だ」
「残念! これは嘘じゃない。悔しいことにお前は優秀で、私は褒美を与えなければいけない立場だ。だから最大限の敬意を払い、侯爵に昇進させてやる。これは私の勘だが、この方がお前は苦しみつつ私が楽を出来そうな気がする。私の勘はよく当たるんだ」
勘!? その程度で俺を出世させたのか!
これ以上の出世はないと思っていたのに、信じられない理由で出世してしまった。
あり得ない。あってはならない!
確かに規定に従えば出世可能だが、一代で侯爵に上り詰めた奴なんかうちの国にいねーよ! こいつら、俺を無理矢理出世させやがった!
俺の脚が震えているのを見ていたバーナードさんが、
「だからうちのクラリスにしておけばよかったのに」
そんなことを言われても、俺にどうしろというのか!
震えている俺を前に、ローランドの追撃は――終わらなかった。
こいつ、かなりしつこい!
「お前のせいで苦労させられている間、私はずっと考えていた。お前がどうすればもっとも苦しんでくれるのか、と。寝ても覚めてもお前への復讐を考える日々の中で、ある一つの天啓を授かった」
寝ても覚めても俺のことを考えていたの?
こいつ実は暇だったんじゃないだろうか?
「お前も暇だよな」
「五月蠅いぞ、小僧! こっちはお前のせいで何度徹夜をしたと思っている! お前を地獄に落とすことだけが、私が仕事をする際の心の支えだったのだ。処刑も出来ず、冷遇も許されず、それでも仕返しがしたい私は考えに考え抜いた! ――さて、覚悟は出来ているか?」
「ギルバートさん、まだ何かあるんですか?」
「あぁ、実は――」
「私に言わせろ!」
ローランドはいちいちポーズを決めて大げさな奴だ。
もったいぶって嫌になる。
ただ、ローランドの話を聞いて――俺は目の前が真っ暗になった。
「侯爵となったお前に寄子を持たせてやろうと思ってね。ほら、部下もいない侯爵なんて滑稽だろう?」
口が震えてくる。
寄子とは、簡単に言えば部下だ。
ただし、俺に忠誠を誓っている部下ではない。
国が俺の下に派遣したような部下になる。領主貴族で言えば、俺の実家が男爵家なのでそれより下の騎士爵や準男爵家の面倒を見ているようなものだ。
直属の部下ではなく、王国から派遣された部下だと思って欲しい。
「おい、嘘だろ。や、止めろ――」
「実は名ばかりの男爵が四人もいるんだ。そいつらの実家に根回しをしたら、侯爵の下につくのなら、と認めてくれてね」
その四人に心当たりがあった。
俺は立っていられなくなり、ギルバートさんとバーナードさんに支えられる。
「ジルク、ブラッド、グレッグ、クリス――あの四人をお前の下に付けるから、面倒を見てやってくれ。今まで以上に、ね」
「――この外道が」
マリエが引き取ったポンコツ四人を、こいつは俺に押しつけやがった。
ローランドは右手を胸に当てて清々しい笑顔だった。
王族オーラが無駄に出ている。
「お前からその言葉が聞けて嬉しいよ。ありがとう。そして――頑張ってね!」
「嫌だぁぁぁぁ!」
叫ぶと会議の場にミレーヌさんがやって来た。
「騒々しいですね。何を騒いで――リオン君、どうしたの!」
「王妃様、王様が俺をいじめるんです。あいつ鬼だよ!」
ミレーヌさんが駆け寄ってきて、俺の肩に優しく手を置くとローランドを睨み付けた。
「あなた? 私は最大限の敬意を払えと言いましたよね?」
「ち、違うぞ! 昇進させて、おまけに寄子まで用意してやったんだ! 鬼だのと言われるなど心外だ! それに私なりに最大限の敬意を払った――つもりだ」
ミレーヌさんが溜息を吐く。
「その話でしたか。それでしたら、私からも条件を一つ加えます」
「お、何だ? その小僧が苦しむなら大歓迎だぞ」
「私の娘をリオン君に嫁がせます」
その場にいた貴族たちが騒ぎはじめた。
「ミレーヌ様の娘と言えば――」
「し、しかし、それではレッドグレイブ家のメンツが」
「いいのか? 王女殿下は婚約しているはずだ」
ミレーヌさんにはユリウス以外に子供がいるらしい。
実の娘を俺に嫁がせる?
色々と言いたいことはあるが、震えているのはローランドだった。
「へ? あ――え? ミレーヌ、よく聞こえなかった。もう一度言ってくれないか? 王女の一人を小僧に嫁がせるんだよな? お前の娘を嫁がせると聞こえたような気がするんだが?」
話の流れからするに、王女殿下ってそれなりにいるらしい。
だが、ミレーヌさんの娘さんは何か特別のような言い方をしている。
「【エリカ】を嫁がせると言いました」
「だ、駄目だ! エリカだけは駄目だ! 他の娘にしなさい! あの子がこんな小僧に嫁いだら苦労してしまうだろうが! 絶対に認めないからな。私は絶対に認めないぞ。王権を使ってでも阻止してやる!」
「――まったく、あの子のことになるとすぐに親馬鹿になる。年頃の娘はエリカだけです。仕方がないではないですか。その下の王女はまだ十二歳ですよ」
「エリカだってまだ十四歳ではないか! 私は絶対に認めないぞ。婚約するときだって本当は反対したかったんだ! あの子はずっと側に置くんだ!」
「いい加減にしなさい! それにエリカは今年で十五歳ですよ!」
「まだ十五歳だ! お前と違ってあの子は目に入れても痛くないほどに可愛いんだ」
「――後でゆっくり話をしましょうね、陛下」
おい、ローランドの奴は露骨に娘を差別してない?
エリカ王女は駄目なのに、その下の子は十二歳で嫁がせるとかお前は正気か?
それにしても、十五歳って中学生くらいだろ?
いや、ねーよ。
それに俺、もう婚約者いるし。
「あの~、俺って婚約者がいるので辞退をしたいかな、って」
ローランドの鋭い視線が俺に刺さる。
血走った目は、先程までの王族オーラではなく、面倒くさい父親のオーラになっていた。
「エリカと婚約できるのに、辞退するとはいい度胸だな、小僧!」
「どっちの立場だよ。というか、今更言われても困るの。ねぇ、ギルバートさん? あ、あれ、ギルバートさん?」
ギルバートさんが無表情だった。
「そうだね。困ってしまうよね」
これ、絶対に怒っているやつじゃないか! これ、どうすればいいんだよ!
「王妃様、意味が分かっているのですよね?」
「ギルバート君、そう怒らないで。アンジェにも許可を取っていますから。それに、バーナードは賛成してくれたわよ。私の娘――エリカがリオン君の正妻になれば、その下に伯爵家の娘がいてもおかしくないもの」
ギルバートさんの鋭い視線が、まるでバーナードさんを射貫くように向かった。
だが、バーナードさんは涼しい顔をしている。
「ははは、そうですね、王妃様」
この人、この話を知っていたのか?
「嫌だぁぁぁ! エリカだけは――エリカだけは手放したくないんだ! それもこの小僧に何て、あの子が可哀想すぎるだろうが!」
ローランドは何か壊れたのか、床を転がり駄々をこねていた。
――え? これ、どういうこと?
◇
王宮の一室。
戻ってきた俺を待っていたのは――。
「これからお世話になりますね、侯爵」
笑顔のジルクだった。
「お前、俺の下につくことになって悔しくないの? 拒否しないの? というか断って」
「しませんよ。私、これでも侯爵を認めていますよ」
どうしよう――少しも嬉しくない。男に認められたからとか、そんな理由じゃなくてこいつらに認められても、って感じがする。
ブラッドもノリノリだ。
「いや~、まさか僕たちが君の下につくなんて考えてもいなかったよ」
「拒否しなよ」
「え? しないよ。別に構わないし」
「少しは反対しろよ!」
「何で?」
制服を着用しているグレッグとクリスは、目を離すとすぐに脱ごうとしている。
今もシャツを脱いでいた。
「知らない奴よりマシだな。いや、俺より強いお前の部下なら、文句なんかないぜ!」
「ふっ――よろしく頼む」
一切嫌な顔をしない四人を見ていると思うのだ――何故か、嫌な物を押しつけられた感じがする、と。
ユリウスが俺を見ていた。
「何だよ?」
「俺も世話になっていい?」
「何でだよ!」
「いや、だって楽しそうだから。というか、一人だけというのは寂しいだろうが」
「知るか! どこの世界に、養って欲しいなんて言う王子がいるんだよ!」
お前はもう少し王子としての自覚を持て!
気が付くと、俺の脚にマリエと――カーラにカイルもすがりついていた。
「お、お前ら、いったいどういうつもりだ」
「もう絶対に放さない! 兄貴、一生面倒を見て!」
「伯爵。いえ、侯爵様! 一生マリエ様と共についていきます!」
「侯爵を逃がしたら、僕たち大変なことになるじゃないですか。一緒に頑張りましょうよ!」
お、お前ら、俺までそっち側に引きずり込むつもりか?
「は、放せ! 俺はお前らの面倒を見るなんて嫌だからな! 絶対に嫌だからな!」
マリエが俺の脚から離れない。
力を振り絞り、俺の脚にしがみついている。そこには執念を感じた。
「兄貴――ずっと一緒だよ」
しがみつくマリエが、笑顔で俺を見上げる姿は――ホラー映画を見ているような気分にさせられた。
――マリエの笑顔が逆に怖い。
一瞬で体温が下がり、冷や汗で背中が濡れてしまう。
まるで地の底に引きずり込むようなマリエたちの声に、俺は叫ぶのだった。
「イィィヤァァァァァァ!! 誰か助けてぇぇぇ!」
俺が一体何をした。
何をしたらこんな酷い罰ゲームみたいな状況になる!?
誰か説明してくれ!
◇
一方、バルトファルト男爵家の屋敷では、アンジェとノエルの姿があった。
車椅子に乗ったノエルは、両手で大事そうにあるケースを持っていた。
アンジェはノエルの車椅子を押して、屋敷の中庭を散策していた。
気まずい雰囲気を出しているノエルは、後ろにいるアンジェに声をかけた。
「あたしに何か言いたいの?」
アンジェは車椅子を押しながら答える。
「怪我が治ったら王国の学園に入学しろ。王妃様との間で話もついた」
「いいの?」
ノエルが王国に連れてこられた理由は、その膝の上に置かれているケース――その中にある青々とした苗木だった。
王国に持ち帰ると、ユメリアが聖樹の苗木を見てまだ生きていると言った。
そこからユメリアが苗木を元に戻し、ノエルに巫女としての価値が戻ったのだ。
今のノエルは重要人物である。
「リオンがお前のことを気にするからな。巫女として閉じ込めたいのが本音だが、それではあいつが苦しむ」
アンジェが気にしていたのは、その一点であった。
「――もっと嫌みを言われると思ったわ。私の男に手を出すな、って」
アンジェは微笑む。
「言ってやりたいさ。だが、それをすればリオンが気に病む。それは私の望む結果ではないよ」
ノエルは聖樹の苗木が入ったケースを抱きしめた。
青々とした葉を取り戻し、心なしか嬉しそうにしている。
「あんた、優しいよね。あたしだったら蹴飛ばしていたかもしれないよ」
「最初に共和国で見た時は燃やしてやりたかったけどな」
そう言って二人とも笑うのだった。




