別れ
アルゼル共和国の港は、復興作業が大急ぎで進められている。
レスピナス家の領地にある港周辺には、周辺国の大使館が集まっているためどうしても整備を優先する必要があった。
理由?
外交交渉がこれまで以上に必要になるからだ。
ただし、これまでとは立場が変わり――共和国が頭を下げることになるけどね。
アンジェが俺の顔を両手で挟むように掴む。
「リオン、私たちがいない間に他に女が出来たということはないな?」
俺も信用がないな。
「ないです。一ヶ月間、本当に忙しかったです」
リビアが俺に抱きつきつつ上目遣いで、
「本当ですか? ルク君に確認しますよ」
「止めてよ。あいつ、絶対に含みを持たせて誤解させようとするよ。あいつ、俺には刺激が必要だから、って理由で修羅場を作る最低な奴なんだよ」
そんな俺の言葉に親父が側で「両親を修羅場にしたお前が言っても説得力の欠片もないんだが?」とか言っていた。
ごめん。意味が分からないや。
アンジェが頬から手を離すと、俺を見て微笑む。
「この際だ。浮気するなとは言わん。だが、女を作ったら必ず報告しろよ。跡目争いで大変なことになるからな」
跡目争い?
「いや、名ばかりの伯爵家なんて継ぎたい奴がいるの? 俺、領地も財産もないんだけど?」
公式には、だけどね。
持っていた財は共和国の復興作業でばらまいた。王国にも謝罪代わりに色々と納めている。王宮は大忙しらしく、あのローランドも苦労していると聞いたので清々しい気分で納めてやった。
おかげで、今は懐がもの凄く寂しい。――表向きはね!
リビアがハッと気付いたような顔になり、
「アンジェ、まだあのことを伝えていませんよ」
「そうだったな。どこから話せばいいものか――」
え? 何かあるの?
俺が嫌そうな顔をしていると、親父が声をかけてくる。
「おい、あの子はお前に用事があるんじゃないのか?」
そこにいたのはジャンだった。
手には紙袋を持って、困ったように俺を見ている。
「え、えっと、あの――」
アンジェとリビアから離れ、俺はジャンと話をするのだった。
◇
リコルヌの船内。
通されたレリアは、護衛にクレマンを伴い応接間でその人物に面会した。
相手はニコニコしている私服姿の女性だ。
「はじめまして、レリアちゃん。直接話をするのははじめてね」
公式の場ではないが、レリアをちゃん付けで呼ぶなど不敬だった。
だが、それが今の共和国の扱いだ。
レリアはお辞儀をする。
「はじめまして、ミレーヌ王妃様」
「ミレーヌでいいわよ。それにしても、少し外を歩いてみたけれど、共和国も大変ね。全土で復興作業なんて同情するわ。私個人からも支援をさせてもらうわね」
クレマンが後ろで手を握りしめている。
レリアは思う。
(――共和国の内情を知り尽くしているって意味よね)
復興作業をリオンたちに頼ってしまった。
それはつまり、共和国の詳しい内情を王国に握られてしまったのと同意だ。
ミレーヌが目を細める。
「――さっさと座りなさい。話が出来ないでしょう? 私も暇じゃないのよ。私の決定が、王国の決定だと思いなさい」
レリアが席に着くと、ミレーヌは王国の決定を伝える。
「非公式だけれども、この場で王国の決定を伝えるわ。貴方たちからの救援依頼だけどこのままだと認められないの。理由は対価よ。あまりにも少ないのではなくて?」
「で、でも、これ以上は何も出せません。今の私たちは――」
「支援物資も食糧だけでとんでもない量なのよ。バルトファルト伯爵が、どれだけ支援していると思っているの? 伯爵に対しては何も報酬を与えていないそうね?」
「ほ、本人が辞退していますから」
「なら何もしません、という話にはならないわよね? 名誉だけでも称えるために、勲章の一つでも用意できるでしょうに。本当に共和国は冷たい国ね」
言われたい放題だった。
レリアにも言い分がある。
リオンが一切の報酬や勲章をいらないと言い切ったのだ。
渡そうにも絶対に受け取らず、無理に渡そうとすれば支援を打ち切ると言い出した。
そんなことよりも国民に尽くせと言われたが――今にして思えば、これもリオンの復讐なのかと思えてくる。
ミレーヌが微笑む。
「ただ、現状を見過ごすのはあまりにも非道よね。支援は条件付きで認めましょう」
「本当ですか!」
「えぇ、本当よ。ただ――共和国で自由に使える港が欲しいわね。ついでに、港周辺を王国領にしてくれない? ほら、荷の積み卸しも王国領なら色々と便利なのよ。臨検とか、税とか面倒よね? 手続きも簡略化できていいわ。共和国の乱暴な臨検を受けないだけでも、とてもスムーズに話が進むのよ」
以前から問題になっていた共和国の臨検に対しての嫌み。
レリアが言い返せずにいると、クレマンが慌てて会話に割り込む。
「王妃様、それでしたら、支援目的の飛行船は特別処置を執らせていただきます。その対応でご納得していただきたく――」
ミレーヌは目を細める。
「――誰が口を挟めと言ったのかしら? 私は港が欲しいと言ったのよ。そもそも、契約を守れない国は信用できないの。これくらいしてもらわないと、安心して支援できないわ」
クレマンが黙り込んでしまう。
共和国の信用はこれまでの経緯もあってゼロではない。
マイナスなのだ。
「港を取られたら――」
共和国内に王国領が出来てしまう。
しかも港を押さえられてしまえば――共和国の喉元に、王国が剣を突き立てているのと同義だ。
「フェーヴェル家だったかしら? 領主不在の大地があるのよね? そこに王国の港が欲しいの。どうかしら?」
レリアが俯き考えている。
(支援物資は喉から手が出るほどに欲しい。けど、こんなことを許したら、また弱腰だってユーグに言われちゃう。民も私を批判する。私――どうしたらいいのよ)
いっそどこかの傘下に入りたいが、それでは民の不満が募る。貴族たちも不満の矛先をレリアに向けてくる。
――アルベルクの最期の姿が脳裏をよぎると、レリアは血の気が引くのだった。
そんなレリアを見て、ミレーヌは溜息を吐いた。
「本来であれば、フェーヴェル家の領地を王国が管理してもよかったのよ。七大貴族だったかしら? その椅子一つを渡してもらってもいいくらいよね?」
お前らの議会に王国の席を一つ用意しろ。
つまり、今後共和国は王国に対してかなり立場が弱くなる。
リオンは席を一つ渡してでも欲しいが、王国がその席に座ると意味合いが違ってくる。
王国が正式に共和国を傘下に組み込むのとも違う。
最低限の支援――手に入れた領地は復興させるが、他がどうなるか分からない。おまけに、王国を真似て次々に他国が同じような手口で交渉を仕掛けてくる。
共和国が完全に他国の集合体になってしまう。
最悪――代理戦争を行う場所にされてしまう未来もある。
いっそ属国になれるならまだマシだ。だが、王国は属国にするつもりはないとミレーヌは言っているのだ。――面倒は見ない、と。
それなのに港を奪われれば、不満が自分に向けられる。それだけならいいが、その先は――。
「み、港は渡せません。そんなことをしたら――」
「あれも駄目。これも駄目。貴女たちは、自分たちの立場が分かっているのかしら?」
ミレーヌが目を閉じると、しばらく静かな時間が過ぎる。
レリアにはそれがとても長く感じた。
そんな苦痛な時間から解放してくれたのは、ミレーヌだった。
「――ならば、関税やら貿易に関する条約を見直してもらいましょう。ただし、信用もない貴方たちと条約を結ぶのですから、相応の条件を覚悟しなさい」
「あ、ありがとうございます」
レリアには頷くしかなかった。
クレマンが悔しそうな顔をしている。
ミレーヌが用意した書類には、王国が有利な条約となっていた。
サインをするレリアは――サインをしなければならない自分が情けなかった。
もっとうまくやっていれば――自分たちは搾取されなかったはずなのに、と。
条件の確認が終わり、ミレーヌは立ち上がると――。
「さて、仕事も終わったから私はいくわね。あ、それから――貴女たちに面会を求めている子がいるの。会ってあげてね」
レリアはまだ交渉が続くのかと思っていると、ミレーヌと入れ違いに部屋に入ってきたのはノエルだった。
車椅子に乗っており、押しているのはユメリアだ。
「姉貴!」
「ノエル様!」
驚く二人に、ノエルは手を振っている。
「どうよ。ここまで回復したわよ」
死の淵をさまよい、そして復活したノエルは笑顔だった。
そんなノエルに、レリアが涙を流す。
「姉貴、私――私、もう無理だよ。巫女なんて出来ないよ」
上に立つ重圧と、共和国の現状に泣き出すレリアにノエルが優しく声をかける。
「泣くんじゃない。あんたの責任だって言ったよね? まったく――支援を引き出せただけでもいいと思いなよ」
クレマンが鼻をすすっている。
「ですが、不平等な条約を結ばれてしまいました。ノエル様から、リオン君――いえ、伯爵にとりなしてもらえないでしょうか?」
ノエルは首を横に振った。
「自分たちで何とかしなさい。今まで周りに迷惑をかけてきたから、大事なときに頼れないのよ。――あたしもあたしの出来ることをするから、あんたたちは自分たちで頑張りな」
レリアが泣きながら歯を食いしばっていた。
◇
リコルヌの別室。
ミレーヌは両手を上げて大喜びをしていた。
「やったわよ、アンジェ! 王国有利で条約を結べたわ!」
アンジェはミレーヌを見て呆れるのだった。
「共和国の土地など、今の王国には管理できませんからね。人を出すのも難しいですし、それを思えば最上の結果かと」
王国の厳しい内情もあり、そもそも港などもらっても管理できなかった。
おまけに共和国は全土で復興作業中。
もらってもうまみが全くないどころかマイナスだ。
将来的に利益が得られるとしても、今の王国にはそれだけの余力がない。
領地云々はハッタリだった。
「交渉も楽に終わって助かったわ。もう、帰りは船旅を楽しむだけで良いのね! 久しぶりの休暇を楽しむわよ!」
ハイテンションのミレーヌを前に、アンジェは「この人もよくやるな」と思っていた。
「戻ったら魔石の購入先を考えないと駄目ね。リオン君が手に入れた宝玉だったかしら? あれの数がもう少し多ければよかったのにね。どういうわけか報告より少ないのよね~」
アンジェがミレーヌの視線から目をそらした。
「か、数え間違いかと」
「アンジェ――私は怒っていないのよ。でもね、リオン君が女一人のために大事な財産を放り出すなんて、酷いと思わない? 宝玉一つがどれだけの価値があるのか分かっているわよね?」
アンジェが溜息を吐く。
「共和国の電力を確保するため、最低限必要な数を返還しただけです。あまり追い詰めては暴発するかもしれませんからね」
ミレーヌが微笑む。
「よろしい。でも、次はちゃんと教えてね。それにしてもリオン君は甘すぎるわね。女の子一人のために、そこまでするなんてね」
ノエルが頼み込んだ結果、リオンは宝玉の一部を共和国に返還した。
エリクを間に挟んでおり、事実を知っているのは共和国側でエリクだけだ。
リオンがいかに他を信用していないかが分かる。
「その甘さに王国も救われてきましたけどね」
「言うようになったわね。本当に惜しいわ。貴女が私の後継なら安心できるのに」
「私は今が幸せですから」
ミレーヌがアンジェに対して距離を詰めた。
先程までの雰囲気とは違う。
「――ルクシオンの件、私の方でも調べたわ。調べるほどに怖くなったけどね。今まで本気を出していなかったのね。公国との戦いからずっと気になっていたのよ。どの程度か探れて、本当によかったわ」
隠していたルクシオンの実力が、ミレーヌにも知られてしまった。
条約よりも、現地でリオンの実力を調べることが本命だったのだろう。
アンジェも顔付きが変わった。
「私はリオンの味方です。ただ――王国を進んで滅ぼすつもりはありませんよ。そんなことをさせるつもりもありません」
「信じたいのだけれど、世の中はそんなに優しくないわ。だから――」
ミレーヌの出した条件に、アンジェは目を見開くのだった。
◇
アインホルンの甲板。
港から出港した王国の一団。
今は共和国が遠くに見えている。半年を過ごした国を去るのに、これだけ複雑な気分になるとは思ってもみなかった。
俺はジャンにもらったお土産を見る。
「あいつの故郷にあるお守りか」
ルクシオンも覗き込む。
『これもステータス強化アイテムですか? 特別な力を感じませんね』
腕に結ぶ紐のようなものだ。
アルゼル共和国の言葉で、祝福の意味が書かれている。
「マリエに聞いても覚えてなかったんだよな。見覚えはあるらしいんだけどさ」
『レリアに確認すればよかったのでは?』
「嫌だよ。あいつすぐに土下座してくるもん」
泣きながら土下座をしてくるのが――憐れでもある。
良い思い出は、異国で友達が一人出来たことだろうか?
そう思えば悪くもない。
ジャンが学園を卒業したら、エリクに推薦状でも出しておこうか?
『でしょうね。それにしても、ノエルに言われて宝玉を返還するなんてお優しいですね。どんな裏があるのですか?』
「俺が常に色々と考えているように見えるのか?」
病院とか、その他にもどうしても電力を削れない部分がある。
そういったところにエネルギーを回すため、宝玉を返還した。
エリクには使い方を見張るように言って、だ。
俺が直接渡せば、もっと欲しいとたかってくるに決まっている。
あいつらは二度と信用しないと決めた。
『今回も随分と散財してしまいました。表向きはまた貧乏貴族に逆戻りですよ』
「本当に嫌になるよな。戻ったらローランドがニヤニヤしているに決まっているんだ」
『今回はどんな結果になるでしょうね』
ルクシオンが気にしているのは俺の処遇だろう。
共和国で暴れ回ったが――その結果、王国は魔石の購入場所を一つ失ってしまった。
対価に宝玉を渡したが、あれだって電力供給が一生続くものではない。
「降格して田舎でノンビリしたいな~」
『婚約者二人がいるのに情けない。おっと、三人でしたね』
「――帰りに浮島でも見つけて帰るか。新しい領地も欲しいし」
『王妃様を乗せているのですが?』
「ちょっとくらい寄り道をしてもいいだろうが」
『少し前のシリアスなマスターはどこにいったのでしょうか?』
「シリアスなんていつまでも続くかよ。あいつらを見ろ。シリアスな雰囲気なんか吹っ飛ぶぞ」
共和国から離れていくアインホルンの甲板の上では、皆をねぎらってささやかなお祝いをしている。
マリエなんか、豪快にジョッキでお酒を飲んでいた。
「っかぁぁぁ! しみるわぁぁぁ!」
「マリエ様、いい飲みっぷりです!」
カーラがマリエを見て拍手をしているが、そいつおっさん臭いぞ! それでいいのか!
カイルなど、皿にこれでもかとお菓子を載せて持って来ている。
「ご主人様、フライドポテトをお持ちしました!」
「お酒が進むわぁ~。ほら、あんたたちもしっかり食べなさい。今日は騒ぐわよ!」
「はい!」
「共和国では騒げませんでしたからね」
幸せそうな顔をしているマリエたちを見て、もう言葉が出てこない。
少し離れた場所では、ユリウスが落ち込んでいた。
「串焼きが食べたい。いっそ野菜オンリーでいくか?」
ジルクが呆れている。
「まぁ、さすがにお肉は駄目でしょうね」
ブラッドはお菓子を食べている。
「あ、これおいしいよ」
グレッグは少しやつれた顔をしていた。ただ、ふんどし姿だ。
「この一ヶ月は考えさせられたぜ」
クリスも同様だ。こいつもふんどし姿で真剣な顔をしている。
「あぁ、そうだな」
復興作業中、みんな頑張ってくれた。グレッグやクリスは外で風呂を用意してくれたし、ブラッドは子供たちを笑わせていた。
ジルクはみんなのフォローを行い、ユリウスは指示を出す――こいつらも働けるのだと驚いたよ。
――こいつら、何で普段から頑張らないの?
そんなことを考えていると、ルクシオンが俺に一つ目を向けて『また自分にも返ってくる文句を言おうとしましたね』などと言ってきた。
こいつ、俺の考えを読み取る機能でもついているのだろうか?
プライバシーの侵害である。
「リオンさん!」
リビアが飲み物を二つ持って俺に近付いてくる。
「アンジェはリコルヌだっけ?」
飲み物を受け取りつつ、話しをした。
「はい。王妃様とお話中です。難しい話なので、私はアインホルンに乗るように言われました」
少し落ち込むリビアだが「でも、リオンさんと一緒で嬉しいです」と言っている。
「そ、そっか」
聖樹がなくなった共和国が、段々と薄らとしか見えなくなってきた。
ボンヤリしていると、リビアが俺に耳打ちしてくる。
「リオンさん、今は納得しますけど――いつか本当のことを教えてくださいね」
ドキリとして振り返ると、リビアは飲み物を飲んでいた。
ルクシオンが俺に耳打ちしてくる。
『オリヴィアはマスターたちの秘密に気が付いているのでは? レリアが何か漏らした可能性があります』
兄貴呼びの一件――もしかして、リビアは納得したふりをしてくれたのだろうか?
俺は飲み物を飲みつつ、
「――いつか話した方がいいのかな?」




