レリアとセルジュ
レリアが巫女となったあの日。
エミールと融合したことで、レリアは夢を見ていた。
それは前世の夢だ。
荒れた部屋で、レリアは――前世のレリアが泣き崩れている。
婚約を機に相手の男性と一緒に暮らしていた部屋だ。
だが、その婚約者は二度と帰ってくることがない。
座り込み泣いている前世のレリアを、今のレリアが見下ろしていた。
「――私の何が悪かったのよ。姉さんに負けているのがそんなにいけなかったの」
容姿も学力も――全てに負けていたのは事実だった。
部屋の中にある鏡を見ると、そこに映っていたのは自分ではなかった。
憎くて仕方がない姉が映っていた。
レリアを見て笑っている。
レリアが動くとその動きに合わせて動いており、まるで自分が嫌いな姉の姿になっているようだった。
「何よ。死んでからも私を馬鹿にするの!」
鏡の中に映る姉が喋りだした。
『だって馬鹿じゃない。生き返ってやることが、憎くて仕方がない私と同じなんて笑うしかないわよね』
レリアの瞳が揺れ、一歩鏡から離れる。
「ち、違う。私は!」
『同じよ。もう気付いているのよね? いえ――今のあんたは私より酷い。だって分かるもの。貴方は私だから』
鏡の姿がレリアに戻るも、その顔は醜く笑っていた。
『私がしたことを、あんたは姉にやり返していただけ。いえ、もっと酷いわね。人の恋人奪って、現実的に問題ある男は押しつけたわよね? あんた――姉さんと何が違うの? 悔しかったから、やり返したのよね? その結果がこれ――あんた、本当に無様よね』
自分に言われて、その場に崩れ落ちるように座り込む。
「こんなはずじゃなかったのよ」
『分かっているくせに。――みんなあんたのせいよ。でも、このまま死ねた方が楽で良いかもね。嫌な現実から逃げられるもの』
鏡の中の自分は、レリアを嘲笑っていた。
悔しくて涙を流していると、いつの間にかエミールが側にいた。
聖樹に取り込まれる前のエミールが、レリアの前世を見ている。
「これが昔のレリアなんだね」
隣に立つエミールに、涙を流しながらレリアは頷いた。
「軽蔑した? そうよ。私には前世があるのよ。中身はおばさんよ。今の会話も聞いていたでしょ。あんた、私に騙されていたのよ!」
そんなレリアにエミールは首を横に振る。
「僕にとって、君は大事な女性だよ。そんなの気にしないさ。ただ――もっと早くに言って欲しかったかな」
返ってきたのは予想外の言葉だった。
反応に困り、レリアは俯くとボソボソと話し始める。
「――誰も信じないわよ」
「そうかもね。君とセルジュが親しかった理由も何となく分かったよ」
部屋の中に転がっているゲームソフトをエミールが見ていた。
「これが僕たち? 何て言うか――恥ずかしいね」
あの乙女ゲーの二作目の表紙を見て、エミールは照れくさそうにしていた。
「嫌じゃないの? 私は酷い女よ」
「僕にとっては最高の女性だよ。僕はね――昔から比べられてきたんだ。ここにいるみんなと比べられてきてね」
苦笑いをするエミールは、エリクたちの顔を見ていた。
「人の顔色ばかりうかがっていたんだ。けど、そんな僕を君は見てくれたから、嬉しかったんだ」
エミールの気持ちを聞いて、罪悪感がレリアの胸を締め付ける。
「私は! 私はエミールが思うような女じゃない。エミールを選んだ理由だって酷かったし、それに!」
エミールはレリアに抱きつく。
「――ごめんね。こんなに傷ついているなんて知らなかったんだ。今まで辛かったよね? 僕がもっと早く気が付いていれば、レリアはこんなにも苦しまなかったのに」
婚約者に裏切られ、家族とも縁を切った前世の自分を――エミールは気にかけていた。
こんな自分を心配してくれていた。
「エミール――私!」
「――君は生きなきゃ駄目だ」
そう言ってエミールは、輝きはじめる。
周囲が白く染まると、一本の苗木が誕生する。
「エミール?」
レリアがエミールの顔を見ると、悲しそうに微笑んでいた。
「ごめんね。僕はもう君の側にいてあげられない。だから、最後に聖樹の苗木を用意する。これが今の僕に出来る精一杯だ。この子が最後の苗木だから大事に育ててね」
エミールから手渡された苗木を、両手で優しく受け取るとレリアの右手の甲に紋章が浮かび上がった。
苗木の声が聞こえてくる。
(――お腹空いた)
可愛らしい子供のような声に、レリアは何故だかとても温かい気持ちになった。
エミールが優しく話してくれる。
「君は全ての事情を知っているよね? 聖樹が狂った原因は、巫女がいなくなったために聖樹は人間を理解できなくなってしまったんだ」
「だから、暴走したのよね?」
「うん。でもね、聖樹にしてみれば暴走じゃないんだ。この子たちには役目がある。願いと言ってもいい」
「願い?」
聖樹の願い。
「それはね――」
◇
レリアが目を覚ますと、そこにエミールの姿はなかった。
代わりに、エミールがいた場所には聖樹の苗木があるだけだ。
レリアの手を取って泣いているのはクレマンだ。
酷い顔をしていた。
「レリア様! よくぞ。よくぞ目を覚ましてくださいました!」
「――クレマン?」
クレマンの握っている右手を見ると、そこには巫女の紋章が見えていた。
お腹を見れば、貫かれた場所は綺麗に塞がっている。
「急にエミール君が崩れて、そこから聖樹の苗木が姿を見せたのです。レリア様の右手に巫女の紋章が現れ、傷が塞がって――このクレマン、本当に心配いたしました!」
紋章を見たレリアは涙を流す。
「エミールが死んじゃった」
自分のことを理解してくれた男性が――自分を受け入れてくれたエミールがいなくなったことに、レリアは心から泣き叫ぶのだった。
ボロボロと涙がこぼれ、止まることがなかった。
右手に宿る紋章は、まるでエミールがレリアのために用意した最後のプレゼントだ。
「レリア様、どうしたのですか?」
「何でよ。なんで死んじゃったのよ、エミール!」
自分が欲しかったものは既に手に入れていたのに、レリアは自分のせいで失ったのだと気付かされる。
そして、それは二度と手に入らないのだ。
◇
アインホルンの船内。
手錠をかけられたセルジュがいる部屋に来たのは、仮面を外したユリウスだった。
セルジュはユリウスに懇願していた。
「リオンを呼んでくれ。謝罪がしたい」
ユリウスはセルジュの前で椅子に座っており、床に座っているセルジュを見下ろしている格好だった。
「その必要はない。お前の相手はこの俺だ」
「お前じゃなくてあいつを呼んでくれ。頼む! ――親父を殺すわけにはいかないんだ。俺が悪かった。だから、あいつと話をさせてくれ!」
床に膝をついて頭を下げ――土下座をするセルジュに、ユリウスは淡々と相手をする。
「――バルトファルトが怒っているんだよ」
「だから、ちゃんと謝るって!」
「そうじゃない。もう、謝罪の問題じゃない。あいつには俺たちも迷惑をかけてきたが、ここまで怒ったのははじめて見たよ。ここまでするとは、正直思っていなかった。だが、お前たちを見ていれば、正しかったんだろうな」
「俺はどうなってもいいんだ。だけど、この国の人たちは無関係だろうが」
その言葉に、ユリウスは呆れつつも――。
(俺も人のことは言えないな)
「この国の現状も、そしてこれからもお前たちが背負うべき責任だ。バルトファルトに押しつけるな。あいつはギリギリまで耐えた。あいつを追い込んだのはお前たちだ」
セルジュが絶望した顔をしていると、ユリウスは今後について話をする。
「混乱しているお前たちでは、聖樹が放ったモンスターや復興は難しいだろう。代わりに俺たちが対応してやる」
「助けてくれるのか?」
「共和国の民は、な。それも最低限だ。自国民でもないのに、最後まで面倒など見られないからな」
それはつまり、そこまでしか助けないという意味だ。
国家の危機は自分たちで何とかしろと言っていた。
セルジュはもう一度だけユリウスに頼む。
「一度でいい。あいつと話しをさせてくれ」
ユリウスは目をつむる。
「俺の言葉では納得できないか? ――バルトファルトに話をしてくるが、期待するなよ」
その言葉に、セルジュがユリウスにお礼を言うのだった。
◇
ユリウスがリオンのところを訪れると――そこにはアンジェとリビア、そしてマリエの姿があった。
アルベルクは治療を受けつつ、何か話をしていた。
「バルトファルト、すまないがセルジュと一度だけ面会を――」
それを聞いて、アンジェが明らかに不快感を示している。
リビアは目を伏せており、マリエは――。
「ユリウスのお馬鹿ぁぁぁ! 今の兄貴にそんなことを言わないでよ!」
そして、マリエは「あ!」と言って、アンジェたちに振り返った。
大声で「兄貴」と呼んでしまい、リオンの方は片手で顔を隠している。
「――お前、そこまで馬鹿だったのか」
「ご、ごごご、ごめんなさい! ち、違うのよ。これには色々と深いわけがあるのよ。兄貴って呼んだのはあれよ。ほら、何て言うのか? 杯を交わした仲というか、これはつまり義兄妹のような」
混乱しているマリエが口に出す言い訳は、どれも勘違いを誘発しそうなものばかりだ。
リオンが立ち上がってマリエを指さす。
「お前は俺に恨みでもあるのか! 二人が勘違いをしたらどうするつもりだ!」
「ごべんなざぁい!」
泣き出してしまったマリエを見ていたアンジェが――。
「――知らない異国の地で仲良くするのはいいが、兄貴と呼んであまりリオンに世話になるな。リオンも同じだ。マリエたちを甘やかしすぎだ」
リオンが驚いている。
「え? あ、いや――はい」
「しかし、理由がエリクのような姉御呼びと一緒とは思わなかったよ」
エリクのおかげでアンジェは勘違いしてくれたらしい。
リビアの方も少し呆れている。
「リオンさんは甘やかしすぎです。渡した金額を聞いて驚いちゃいましたよ。それをすぐに使う皆さんもどうかと思いますけどね」
リビアの視線はユリウスを向いていた。
ユリウスはわざとらしく咳払いをする。
「あ~、それでセルジュの件だが」
すると、アルベルクが必要ないと言ってくるのだった。
「バルトファルト伯爵、息子のことは無視してもらって構わない」
リオンは疲れたように座りながら、アルベルクと会話を再開する。
「あんたも心配だろうし、後で一回くらい面会してやるさ。正直、セルジュのためにそこまでするあんたが理解できないよ。セルジュよりも、あんたが残った方が共和国のためだろうに」
ユリウスは話の途中ながら、会話を聞くことにした。
アルベルクは天井を見ている。
「――いくら愚かでも息子だからね。この期に及んで期待してしまう。それが親の押しつけだとしてもね。後は単純に――生きていて欲しいという親のわがままさ」
「為政者としては間違っているんじゃないの?」
「伯爵、ここまで追い込まれた私は、既に為政者として失格だよ」
アンジェが同意する。
「他の六大貴族やセルジュたちを止められなかったのは、確かに失敗だったな。ただ、親としてそこまで出来るのだ。素直に尊敬するよ」
リビアがアルベルクの話を記録していた。
「リオンさん、さっきの続きを」
「あぁ、そうだな。さて、レスピナス家を滅ぼして資料を手に入れたあんたは、聖樹と融合する方法を見つけたわけだ」
リオンたちが聖樹について詳しい話を聞いていた。
「随分と聖樹を利用するための研究をしていたようだ。知った時は驚いたが、聖樹が暴走していると聞いて、止める手立ての一つと考えていた。だが、調べればほとんど制御は不可能と分かってね。エミールが融合したときは驚いたよ」
「今日みたいな姿を見たら、滅ぼそうと考えたレスピナス家は正しかったのかもな。もう、聖樹なんてこの国の人間は信じないだろうに」
「――聖樹が暴走したのも私のせいだ。そう、処理するつもりだ。聖樹という心の支えがなくなっては、共和国の民は全ての希望を失ってしまうからね」
「希望ね」
リオンは溜息を吐いている。
「悪い知らせがある。プレヴァン家の本家は全滅だ。分家筋もほとんど残っていないらしい。他の六大貴族も随分と数が減ったそうだよ」
「そうか。いったいどれだけの人間が残っているのか――いや、もう六大貴族などにこだわらなくてもいいのかもしれないな。共和国は形を変えるべきなのかもしれない」
アルベルクが自分の右手を見ている。
そこに紋章はなかった。
◇
夜。
セルジュがいる部屋に来ると、あいつは土下座をしてきた。
その姿を見て鼻で笑う。
「お前の土下座には何の価値もない。やるだけ無駄だから顔を上げろ」
「これは俺の気持ちだ」
「自己満足の間違えか? なら帰るわ」
「ま、待ってくれ!」
セルジュが顔を上げたので話を始める。
あいつの言いたいことをまとめると――。
アルベルクさんの助命。
そして、共和国の国民を助けて欲しい、だ。
「俺が悪かった。あいつに騙されていいように操られていたんだ」
「そうだね」
「親父は悪くない。それに、共和国の人たちを助けて欲しい。お前になら――いや、あんたになら出来るはずだ」
「出来るね」
ルクシオンは修理中だが、それくらいは出来るだろう。
イデアルが残したデータから、基地の跡地を探してそこでパーツをかき集めている。
クレアーレなど、イデアルの部品を嬉々として集めていた。
ルクシオンも同じだ。『これで私は更に強くなる』とか、そんなことを言っていた。
基地から根こそぎパーツなどを奪っていくらしい。
あいつらたくましいよね。
たくましすぎてドン引きしたよ。
「助けてくれるのか?」
「は? しらねーよ。俺は最低限のことをしたら国に帰るから無理。そもそも、呼び出されているから、本当ならすぐにでも帰りたいんだが?」
ホルファート王国から説明するように求められ、戻ってくるように言われている。
船が壊れたとか、色々と理由を付けて残っているだけだ。
ルクシオンが整備をしているので、その間は手伝いくらいしてもいい。
「――っ!」
セルジュの表情が、一瞬だけ赤くなり怒りに染まるが――随分とこらえていた。
少しは自分が悪いと理解したのだろうか?
「お前の国の問題だろうが。そもそも、お前が暴れなかったらこんなことにならなかったんだよ。お前は本当に糞ガキだな。俺はお前の親でも何でもない。自分でどうにかしろ」
「――今の俺じゃ何も出来ない」
「お前が気持ちよく暴れた結果だろうが。お前の望んだ結果だ。よかったな」
悔しそうにセルジュが俯いていた。
歯を食いしばっているが――。
「ルクシオンとイデアルが本気でぶつかったらどうなるか考えなかったのか?」
「想像がつかなかった。まさかあそこまでとは思わなかったんだ」
俺は呆れると部屋を出るためにセルジュに背中を向けた。
「正直、生きている方が辛いだろうけどな。お前が選んだ結果だ。それから、親父さんが繋いでくれた命だ。無駄にしないことだな。全てを背負って死ぬあの人に免じて、お前の命くらい助けてやる」
逆に言えば、それだけの価値しかない。
何が何でも命を奪う必要が俺にはない。
「頼む。助けてくれ。もう二度と逆らわない。約束するから。俺が憎いなら、俺を殺してくれてもいい!」
「――お前の親父さんが憐れだよ。こんな転生者を息子だから、って最後まで信じているんだ。大事な息子だから生きて欲しい、ってね。中身は人生二度目の糞ガキなのにさ」
セルジュがアルベルクさんの気持ちを知り、額を床につけていた。
「親父――」
大きな体が震えている。
部屋を出てドアを閉めると、セルジュの嗚咽が聞こえてくる。
「馬鹿野郎が――遅いんだよ」
このまま俺が共和国を救えば、共和国は次に頼る相手に俺を選ぶだろう。
聖樹の代わりになるなどごめんだ。
髪をかき、どうしてこうなったのかを考える。
「――もっと大人の対応を取っていれば違ったのかな?」
初対面の時、馬鹿にされて腹が立ってしまった。
あれがいけなかったのかと反省するが、結局イデアルはセルジュを言いくるめて戦ったのだろう。
――本当に転生者というのはろくでもない奴ばかりだ。
俺も含めてね。
時々、俺たちがいるからこの世界は狂ってしまったのではないだろうか?
――そう思えてくる。




