王妃様の絨毯
とても暗いお話です。
胸糞悪くなる方もいらっしゃるかもしれません。ご注意ください。
昔々、北に大きな国がありました。
魔物や山賊など、細々とした問題はありましたが、近隣の国との諍いは無く、寒い気候など物ともせず、およそ大半の民は幸せを享受する国でした。
この国を治める王様は賢王と崇められており、三人の幼い息子がおりました。
これはそんな平和な国の王妃様のお話です。
王妃様は三人の子供の実母ですが、その用紙はまだ成人前の少女と区別がつかない程若々しいものでした。大きなアーモンド型の瞳は生命を育む青。長く豊かな神は太陽神の加護を得たのだろう黄金。肌は真珠の白。王妃様は国――否、おそらくこの世界一美しい女性でした。故に王妃様は殊の外寵愛を受け、衣装や部屋の調度品も王様が白い物を一流の職人に誂えさせました。この国では、白は神聖さと尊さと純愛を表す至高の色とされているからです。
ですが王妃様は、絨毯だけは白以外が良いと望みました。
白い衣装。白い王冠。白い扉。白いテーブル。白い長椅子。白い化粧台。白い天蓋のベッド。白い壁。白い床。
白白白白白づくし。
そんな中、ポツンと黒い水溜り――では無く、黒い絨毯。その絨毯は、王妃様がお茶や編み物をするための長椅子とテーブルの下に敷かれました。
ある日、長男のヒースコートが首を傾げて王妃様の服のヒラヒラした袖を引っ張りました。
「母上、どうして母上のお部屋のジュウタンは黒いのですか?」
王妃様は、自分と同じ色の頭を撫でながら優しい小鳥のような声で一言。
「大きくなったら分かりますよ」
ヒースコートは「そうですか」と、頭の上を行き来する母の手の温もりに猫のように目を細めました。
一年後、次男のフィリップも王妃様とのお茶会の際に同じ疑問を抱きました。
「母上、どうしてコレだけ他の色とちがうのですか?」
王妃様は、ミルクティーのカップから口を話し、ニコリと微笑みます。
「大きくなったら教える日が来るかもしれません」
フィリップは「では、大きくなったらまた聞きます」と、たっぷりクリームの詰め込まれたワッフルをおねだりしました。
三男のハンフリーが尋ねたのは、四年後の事です。
「母上、どうして母上のお部屋はジュウタンだけ真っ黒なのですか?」
王妃様は、ハンカチに我が子の名を刺繍する手を一旦止めました。
「そうね、貴方もお兄様達のように大きくなったら知るでしょう」
王妃様は、愛しげにほとんど縫えている息子の名を指先で撫ぜました。
十数年後、王様が肺の病を患いました。症状はまだ軽いですが、五年ともたない事を主治医に診せるまでも無く王様は悟りました。
大きなベッドの上で、王様はため息を吐きます。というのも、自分が死んだら次の王は三人の息子達のうちの誰かのものになるからです。二年前に娘も生まれましたが、三人の王子に何か無い限り、たった一人の姫君は同盟国へお嫁に行くと決まっていました。
王様は娘が生まれて約一年が経った頃から、ある事に気付いたのです。
三人の王子には、王となるべき者の資質が欠落していると。
そんな王様の寝室に臣下が一人入って来ました。臣下は「王妃様がお見えになりました」と、落ち着いた口調で知らせます。王様は王妃様を通すよう命じました。
上二人の息子が既に成人し、三男も次の夏には成人しますが、王妃様は若さと美しさを保ったままでした。王妃様の周囲だけ時間が止まっているのでは無いかと思う者が、今や城のあちこちに居ます。しかし、王様はそのような事を全く気にしない数少ない人間でした。
「王様、今日はお願いがあって参りました」
王妃様は人払いをし、絶対に会話を聞かれたく無いのか王様にだけ分かるように魔法で音を遮断する結界まで張りました。その厳重さに、王様は「申してみよ」と声に出しつつ内心で首を傾げました。
王妃様が王様にお願いをした事は、夫婦の契りを交わした日から片手で数えられる程度です。一つは絨毯の事。もう一つは可愛い女の子が欲しいという事。
「あの三人を、王様が生きている間に候補から外す事をお許しくださいませ」
王様は言葉を失いました。美しく慈悲深い王妃様の口から、三人の息子を切り捨てる事を勧められるとは思っていなかったのです。
「其方から見ても、あの三人は駄目か……?」
「はい」
「しかし其方がする事では無かろう?」
王様は瞳に暗い色を落とします。王妃様はそれでも首を横に振りました。
「あの子等をお腹から出したのはこの私でございますわ。責任は私が取ります」
王様は重々しい声で「そうか」と、王妃様から目を背けました。
その半年後の事です。ヒースコートが王妃様の部屋に呼ばれました。
「母上殿お茶会は久しぶりですね」
ヒースコートは、昔好きだと言った紅茶を王妃様が用意してくれていた事を嬉しく思っていました。しばらくして、絨毯の上にうつ伏せになって転るまでは。
「母……うえ?」
ヒースコートは思い通りに動かない体と、止まる事なく流れる汗と、上手くいかない呼吸に恐怖を覚えます。
「私の可愛い子。貴方は本当に武芸に秀でておりました。ですが、慢心から何をしても良いと勘違いをするようになった。血の見たさに村々を焼き払う貴方には、戦争はできても政治はできません」
ヒースコートからの返しはもうありませんでした。
一年後、フィリップが王妃様の部屋を訪れました。
「母上、隣国の商人から珍しいお菓子を頂きました!」
フィリップの持ってきたお菓子は、この国ではなかなか手に入らない果物をとろとろになるまで煮込んだものを、新鮮なチーズとフォークの通りやすいタルト生地に挟んだものでした。甘さと爽やかさを含んだ香りが鼻腔をくすぐれば、口に入れるまでも無く美味しい事が分かります。
早速使用人達にお茶の準備をさせた王妃様は、フィリップがお菓子を食べていく様子を微笑ましく眺めていました。
「母上もどうぞ。本当に美味しいですよ」
「ふふ、貴方が美味しそうにお菓子を頬張る姿を見るのは久しぶりですから。もう少し目に焼き付けておこうかと」
「では、母上が早くお菓子を食べられるように頻繁に来るように――」
フィリップは、急にガシャンと皿の上にフォークを叩きつけるように倒れ、そして黒い絨毯の上に体ごと崩れました。
「私の可愛い子。貴方は本当に昔から美味しい物に目がありませんでした。それ故か他国と貿易交渉する手腕は一見見事でした。何回も、大事な書類を読み飛ばす失敗が無ければね。目先の欲ばかりに気が行き、長い目で見た時我が国に不利益を持たらした馬鹿者には、退場する道しか無いのです」
フィリップは、ピクリとも動きませんでした。
そして三男のハンフリーが、その二年後に王妃様の部屋へと招かれたのです。
「僕の事も、兄上達のように毒で殺すのですか?」
ハンフリーの口調と表情は、口にした内容に似合わぬ飄々としたものでした。
「貴方は、お兄様達が私に殺されたと思っているのですか?」
王妃様は頬に手を当てて「あらあら」と意外そうに目を丸くしています。
ヒースコートとフィリップの死因は、他国か長男と次男の互いの派閥に属する暗殺者によるものとされていました。
「母上は上手く隠していらっしゃいますが、二人は死んだ日に母上の部屋を訪れていますから」
「ハンフリーの部下には優秀な諜報員さんがいるのですね」
クスクスと笑いながら、王妃様は「ところで――」と話を変えます。
「私の所にも優秀な子がいるのですけれど……貴方、一ヶ月前に骨董品を大量に売ったそうですね? どこに、国家予算の半分以上にもなる骨董品があったのですか?」
「あはは、母上は全て分かっておいででしょう? 本物の骨董品ではありません」
王妃様はジッとハンフリーを見つめ、至極残念そうに瞳を伏せました。
「奴隷売買ですか……」
「金は無い。魔法は使えない。平民って奴等はただその辺に生えてる雑草と同じですよ。貴族だって、金があるから王族のお情けで生かされているだけの木偶の坊でしょう? どう扱おうと痛くも痒くもありません。むしろ今までこの国に居させてやった恩返しだと思って僕を楽しませろ、とね」
「楽しませる?」
「奴隷として生きる事への絶望しきった顔、あれはとても見ていて愉快ですよ!」
ハンフリーの表情は無邪気な子どもそのものです。悪意はありません。
「そうですか……」
次の瞬間、王妃様の部屋の外から断末魔の叫びが無数上がりました。それ等の声に、ハンフリーが顔を顰めます。
「今のは、僕の護衛の声に聞こえましたが……?」
「ええ、そうでしょうとも」
王妃様はトントンと、ドレスに隠れたつま先で絨毯の敷かれた床を叩きます。すると、同じ絨毯の上にいたハンフリーは足を動かす事が出来なくなりました。足が床と一体化してしまったような状況に、初めてハンフリーの顔に困惑の色が浮かびます。
そして、王妃様が自分に何をしたのか問おうとした時です。勢いよくドアが開かれ、そこには王宮にふさわしくない風態の者達がいました。
「え……どうして……?」
ハンフリーは動揺を隠せませんでした。何故なら、そこに居た者達は皆、ハンフリーが骨董品と偽り売ったはずの無辜の民達だったからです。
「このイカレ野郎!! 何が王子だ!!」
「絶対に殺してやる……!」
「よくも俺達をあんな目に遭わせたなッ」
「お前のせいで私の夫は……ッ、絶対に殺す!」
「俺の妻は自殺したんだぞ!」
「生き地獄を味わえ!!」
鍬や鋤、包丁、フライパン、ただの木の棒や兵士から強奪したレイピアがハンフリーに襲いかかります。しかし、ハンフリーは逃げられません。防御する事も出来ません。無様に、その場で血祭りにあげられるしか術がありませんでした。それは王妃様が体を丈夫にする魔法をハンフリーにかけた事もありますが、彼を血で染め上げる民達があらかじめ相談し合っていた事の方が大きいです。確実に、一人一回は王子を殴れるように。復讐を遂げられるように、彼らは決めた順序を守ってハンフリーに暴行を加えているのです。
醜い悲鳴をあげるハンフリーの姿は、群がる民達によって王妃様からは見えません。けれども、王妃様は目の前にハンフリーがいるかのように口を開きました。
「私の可愛い子――兄弟達の中で一番哀れで愚かな子。貴方は、あまりにも狂って体だけ大人になってしまったのですね。貴方に『奴隷王』と呼ばれる未来しか与えられなかった母を……その未来を回避するため最も苦しい死を用意した母を、恨みなさい」
王妃様は、ただの肉の塊となっていくハンフリーの冥福を、一人静かに祈りました。
こうして、王様が生きている間に三人の王子達は消えました。
その更に数年後。
末の姫君――ミリセントは美しく、強く、優しく、賢い娘に育ちました。
ミリセントは週に一度、王妃様の部屋で開かれる小さなお茶会に出向きます。
その日もいつも通り、王妃様の部屋へ足を踏み入れましたが、今日は様子が違いました。王妃様が、黒い絨毯の上で口から血を流して倒れていたからです。
「お母様!」
ミリセントは慌てて駆け寄ります。しかし、王妃様にはもう息がありませんでした。そしてテーブルの上に、綺麗な手紙が一枚置いてあったのです。
私の可愛い可愛いミリセント……。
貴女も幼い頃に尋ねましたね。私の部屋の絨毯が黒い理由を。
ミリセント。黒はね、血を目立たなくする色なのです。
私は、自分の子を私の手で殺すために絨毯を黒くしたのです。最低の母親でしょう?
貴方のお兄様達は、皆この上で死にました。もし貴方が愚かに育ったならば、貴方の事も……。ですが、貴方は立派に育ってくれる事でしょう。
私は償いのため、貴方のお兄様達と同じ地獄へ落ちます。
だから、さようなら。
王妃様の血が、黒い絨毯にポタリと一滴落ちました。
このようなドロドロしいお話を書いてしまい申し訳ありませんでした(土下座)。
ですが手が止められなかったのです。ある小説を読んでいましたら非常に王子様という存在を血祭りにあげたくなってしまったのです。連載小説の方を書こうと思っていたのに己の殺伐とした思考のせいで予定が狂ってしまいました。
ですが、ここまでお付き合いくださった方がもしいらっしゃいましたら、お付き合いくださりありがとうございました。そして気分を害された方には、本当の本当に心よりお詫び申し上げます。