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 果たしてミシェルの心配は杞憂だったのか。あれから五年が経とうしていた。アルストは住民の増減を繰り返しながらも、変わらず平和を保っていた。

 彼女が指摘した異端審問官達の動きも、あれから特に目立つようなことは何もない。このまま何事もなければと思う反面、ミシェルにはまるで彼等が、時が満ちるのを息を潜めて待っているように思えて仕方なかった。そんな老婆の心配を余所に、ガーベラはすっかり背が伸びていた。

 十二という歳頃ながら、他の子よりもその顔立ちは整っており、最近では男の子からよく声を掛けられるという。魔法も上達し、様々な呪文も扱えるようになった。その正確さや実力はミシェルをも凌ぐまでに成長していたことを、ガーベラは知らないままである。


「本当、何でワタシに声を掛けてくるのかな? 他にも可愛い子はいっぱいいるのに。ねえ、ミシェルはどう思う?」


 ガーベラはミシェルからの返事がないことに不満の表情を浮かべて、彼女を振り返った。彼女は椅子に座ったまま目を瞑り深く考え込んでいるようで、少女の声に耳を傾けている様子はない。


「ミシェル……?」


 少女は言葉を飲み込んだ。こんなに険しい顔をしたミシェルを見るのは、初めてだったからだ。彼女はガーベラの視線にも気付かず、何事か呟いている。あまりに小さな声なので分からないが、恐らく占いの呪文だろう。


「……!」


 突然、ミシェルが椅子から転げ落ちた。ガーベラは驚いて、彼女の元に駆けつける。


「ミシェル!! 大丈夫!?」


 慌てて彼女を抱き起こしつつ、少女はやっとその異常さに目がいった。ミシェルは荒い呼吸を繰り返しながら、顔から大量の汗を流していたのだ。普段未来を占う呪文を扱う時ですら、彼女はこんな状態になることはない。だから、きっとこれは大変なものを占ってしまったのかもしれない。

 ミシェルの様子を見て、口の中が緊張で乾いていくのが分かる。


「はい、お水」


 水を入れた容器を手渡すと、ミシェルは一気に飲み干してしまった。これだけ汗をかけば、それは喉も乾くだろう。彼女は水を飲んで多少は落ち着いたのか、ガーベラを見て凄い剣幕で言い放った。


「すぐにお帰り!」

「え? どうして!」


 訳を聞く暇もなく、彼女は強い力で少女の背中を押し、一刻も早く帰らせようとする。一方、ガーベラは唐突の出来事に何が何だか分からず困惑するばかりだ。


「ちょっと、ミシェルっ! 何がーー」


 何の前触れもなく凄い剣幕で怒鳴るミシェルは一度大きく呼吸をすると、異端審問官が動き始めた! お母さんを連れて早くこの町からお逃げ! と言った。


 異端審問という言葉に、ガーベラは表情を硬くした。王城がないアルストに佇む大聖堂は、町の行政だけでなく、立法も行っている。ここまでは住民にとっては普通だ。しかしその中にある異端審問の名を聞けば、当然先のガーベラのような反応をする者が多い。

 彼らは異端、つまり幻想の住民を対象に裁判や拷問、死刑を執行する役割を担っている。その彼らが動き始めたことが、何を意味しているのか。


「分かった。ミシェルはどうするの?」

「あたしも身支度を軽く済ましてから、すぐに町を出るから安心おし」


 アルストから少し南に位置する小高い丘で落ち合おうと約束してから、二人は別れた。



  ◆



 ガーベラはミシェルの家から飛び出すと、広場の方に向かった。魔女としての師である彼女が言うのだから、きっと取り返しのつかない事が起こる前触れなのだ。息を荒げながら足を動かしていると、少女の耳に騒めきが、視界の端には何かが映った。

 思わず足を止めて、広場の中央を見る。


「嘘……」


 捉えた映像に少女は膝から力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。広場に聳え立つは、どこから持ってきたのかと言いたい程の大きな十字架を模した杭。その周りに集まる人達。

 そして、問題の杭には見紛うはずもない、ガーベラの母親が縛られていたのだ。


「皆の者、よく聞け!」


 何事かと大勢の人が集まったのを見計らって、高々とよく通る声が響き渡った。少女は人混みの向こうから垣間見えた赤色の帽子とマントを見て、母親を呼ぶ為に出しかけた言葉を呑み込む。赤の礼服に身を包む者は、この町には彼等しかいない。赤は悪を焼き払い、厄を追い払う正義の色と見做し讃える異端審問官だ。


「よし、静まったようだな。さて、最初に問おう。何故、お前が捕まり、こうして民衆の前で縛られているか、理由が分かるか?」


 必要以上に言葉を区切りながら、審問官は母親に問う。


「いいえ。分かりませんわ」


 ガーベラの母ーーティアは、身に覚えがないとかぶりを振った。その反応を見て落胆した様子もなく、異端審問官は静観している民衆へと視線を向けた。


「皆の者は覚えているだろうか。二日程前に起こった火事のことを」


 審問官から発せられた言葉に、僅かに騒めき立つ。二日程前の深夜、この町の東にある雑貨屋で火事が起こった。炎は勢いが強く、店は全焼してしまったが、幸い店の主人と家族は事態にいち早く気付き、避難していて助かったのだ。

 当初火元は不明だったが、その後我々が調査した結果、ある事実が判明した。その店の床に、魔法陣が描かれていたのだ。

 声色からして女性だろうか。へたり込んだガーベラの位置からは今話している者の姿は見えないが、母親が縛られているということ、異端審問官がいるということ。この二点だけで何故か少女には今の状況が手に取るように分かり、そして戦慄した。

 これは、魔女裁判なのだと。


「さらにもう一つ。その時、店から出てくるお前の姿が目撃されている」

「人違いです! その時間、私は家にいました!」


 困惑するティアにも目をくれず、審問官はさらに追及の手を緩めない。その唇の端が俄かに上がっていることに、誰が気付けただろうか。


「残念だが、証人がいるのだ」

「証人?」

「そう。雑貨屋の向かいにあるパン屋の店主だ」


 人混みが二つに割れ、証人であるパン屋の主人が現れた。彼は顔面を蒼白にして小刻みに震えながら、前に出てきた。ゆっくりと目の前に縛られているティアを見た彼は、ひぃぃっと小さく悲鳴を上げる。明らかに怯え、恐れている証拠だ。


「さあ、店主よ。あの夜、貴様が見たことを今ここではっきりと証言するがいい。この女の罪を!」


 審問官の声色は嬉々としていた。なんで、人が裁かれているというのに、楽しそうなのだろう。彼は審問官から促され、今にも消え入りそうな声で話し出した。

 あ、あの夜、私は翌日のパンの生地を仕込んでいました。小麦粉を捏ねている時、向かいの雑貨屋から物音が聞こえたんです。私はおかしいなと思いました。お向かいはいつもあの時間帯には、既に床に就いておりましたから……。気になって、こっそり窓から覗いて見たのです。辺りは暗くて顔はよく見えませんでしたが、誰かが雑貨屋から出てくるのが見えました。そして次の瞬間、どこからともなく火の手が上がって、その人の顔を赤く照らし出したのです。そ、その魔女を、女の顔を!

 周囲が大きく騒ついた。あちらこちらから、嘘だろ、信じられない、化け物めがという声が聞こえてくる。民衆は今の証言ですっかりティアが放火したと信じ込んだみたいであった。


「嘘よっ……。みんな知っているはずよ。わたしの足が悪いことを。杖なしじゃ歩けないこと、知っているでしょう……?」


 声を震わせながら、ティアは違うと民衆に訴えかける。だが、誰もが彼女を犯人と信じ込んでしまい、冷たい無数の視線だけが傷ついた彼女の心を刺した。

 ねぇ、マルシェ。貴方だって、知ってるでしょ?

 ティアは最後の望みをかけて、夫であるマルシェに問い詰める。マルシェは気まずそうに彼女から視線を逸らして、君がそんな人間だったなんて、知らなかったよと呟いた。長年寄り添ってきた夫にまで見放され、ティアは絶望し、違う、違うと呟きを繰り返した後、力なく俯いてしまった。


「これ以上の審議は必要ないな。判決を言い渡そう。魔女ティアよ、お前を有罪とし、火刑を執り行う!」


 火刑という言葉の響きが、ガーベラをどん底まで突き落とした。目の前で父親にも民衆からも見放された母親が魔女として、身に覚えのない罪を贖うために火炙りにされようとしている。母親を助けたい、けれども炎が怖い。相反する気持ちと闘いながら少女は恐怖から鳴る奥歯を噛み締め、ゆっくりと立ち上がった。


「お母さん!!」

「ガーベラっ……!」


 絶望に染まったティアの瞳に、最愛の一人娘の姿が映る。少女は人混みを必死に掻き分けながら、母親の元へ走り出した。民衆が魔女の娘だ! 母親の元に行かせるな、捕らえろ! と動き出し、大人達は易々とガーベラの腕を掴んで地面に伏した。


「離して!! 離してったら!!」


 なんとか逃れようとするものの、非力な子供では大人の力には敵わず、足を激しくバタつかせる。その抵抗も虚しく、炎はあっという間に母親の足を呑み込んだ。ティアはあまりの熱さと想像を絶する苦痛に悲鳴を上げる。


「嫌っ、嫌! お母さん!」


 大きな炎が母親をどんどんその内に取り込んでいく様に、次第にガーベラは言葉を無くし呻くことしかできなかった。やがて、炎はティアを丸ごとその熱気と脅威で包み込む。人が燃える異臭に鼻を覆えず、断末魔に耳を塞ぐこともできず、少女はただ涙を流しながら灰になっていく母親を見続けた。


 ようやく解放された時、日は暮れ、辺りには焼け焦げた杭に原型を留めたまま灰と化した母親と少女だけが残され、誰一人としておらず、時が止まったような感覚だけがガーベラを打ちのめした。


「おかあさん……」


 ゆっくりと近づき、そっと手を伸ばす。肌は冷たく、熱を感じない。触れた側から枯れ木のようにボロボロと崩れていく。確かに昨日まであった温もりも、柔らかさも、過ごした時間すら。何もかもが灰と化したのを実感し、少女は泣き喚いたのだった。







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