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 前、後ろと一定のリズムを刻み、それは揺りかごのように振り子のように。傾く度に、重く木の軋む音が静かに響く。その者は安楽椅子の揺れに身を任せたまま、ただ微睡んでいた。

 暖炉の火以外にランプの明かりもない部屋は暗いはずだが、外からの青白い光に照らされていて明るい。窓の外には湖が広がり、月明かりに反射した水面が部屋の中に映っている。まるでこの空間そのものが水の中にあるようだ。

 静寂の中、暖炉の薪が炎に包まれて燃え弾ける音が、その者をどこかへ誘っているようだった。


 


  ◆



 急いで駆けつけたら、そこは地獄だった。いや、真の地獄ではないにしろ、女にとっては本物であろうがなかろうが大して変わらなかった。

 目の前に多数の杭が天に向かって高々と立っている。だが、そのどれもが忌々しい炎に包まれていて、とても近づくことなどできない。耳を劈くのは断末魔。生きながらに燃やされている者の、最後の叫び。

 ああ、遅かったーー

 彼女等は既にあの燃え盛る炎の中だ。風に乗り、人の髪が、皮膚が、肉が燃える酷い臭いが鼻につく。煙に巻かれ、高温の熱気に包まれて。何もできないままに、仲間が殺されていく。

 ある者は生きたまま全身の皮膚を裂かれ、ある者は生きたまま焼かれ、ある者は縛り上げられ、ある者は水攻めにされ、苦痛と憎しみと恐怖に苛まれながら、一人また一人と命を落としていった。

 彼女等の断末魔と助けを乞う声が、耳について離れない。


「おい、まだいるぞ!」


 へたり込む女を見つけた人間が、暴れないようにとロープで縛り上げた。荒縄が手首を擦り、痛みを伴う。


「これで最後か?」

「ああ、間違いない。こいつで最後だ」

「まさか村の女のほとんどが、悪魔に身を売っていたとはな」


 来い! と乱暴に髪を掴まれ、引き摺られる。あまりの痛みに声を上げそうになったが、女は歯を食いしばり堪えた。

 数十メートル程引き摺られて、ようやく手を離されたかと思うと、今度は見せしめにでもするつもりか杭に固定される。


「魔女が聞いて笑わせる。この悪魔め!」

「お前がここにさえ来なければ、平和だったんだ!」

「あんたのせいで、うちの娘は殺されたのよ! 返せ、娘を返せっ!」


 男三人掛りで立たされた杭の上からは村人達の表情がよく見えた。怒り、哀しみの表情を浮かべている者が多い。目を血走らせ、唾を吐き散らしながら唸り、怒声と罵声が飛び交う。その村人達の後ろ、村全体を彼女は見渡した。大して広くはないが、のどかで小川が綺麗な村だった。だが今は村の建物から火の手が上がっていて、小川も赤く染まっている。


 見下ろせば、藁が引き詰められていた。これから村人が小さな種火をつける。その種火は藁を飲み込み、酸素を取り込みながら勢いよく燃えることだろう。巨大で暴力的な炎はやがてこの身を覆い、耐え難い熱さと燃える痛みに絶叫しながら彼女は灰になって死ぬのだろう。

 女の背中を言い知れない恐怖がはしる。この感情は女として人間としてのものだけではない。魔女としての本能か性質なのかは分からないが、炎がとてもつなく恐ろしく感じるのだ。

 苦しい? 熱い? 痛い? 誰に聞かなくても分かる。きっと、すごく痛くて苦しくて熱いだろう。


「火をつけろ!」


 小さな種火は勢いを増して上に上がってきている。もうローブに火が付いた。逃げられない。諦観の眼差しで、空を見上げた。こんなにも星が綺麗な夜の下で行われているのは、残酷で残虐な殺戮である。もし、神様がいるというのなら、一つだけ。

 ーー次に生まれる時は、どうか魔女が非難されない世界になっていますようにーー

 ふと。ここまで願って、死を受け入れていた女は気付いた。何も神に願わずともいいのではないか。今まで真摯に祈ってきたが、果たして神が何をしてくれたというのだ。日照り、飢餓に疫病。これらが流行った時、真っ先に解決へ導いたのは、自分達だったじゃないか。

 神は、何一つ……してはくれなかった。村人達だってそうだ。自分達で解決しようとはせず、いつも頼りにしてきた。その恩が、この仕打ちというのか!!


「くっ……くくっ……」


 女は可笑しくなって高らかに笑った。壊れたように笑い続ける彼女を見て、村人達が怯えた表情で火の手が上がっている杭から距離を取る。

 ああっ、ああっ! そうだとも! いつもいつも、問題は私達が解決してきた! 神も村人達も、ただそれを見ていただけだ! 今まで散々助けてやったのに!!

 沸々と怒りが込み上げてくる。殺されてたまるものか。こんな無力で都合が悪くなれば、平気で他人を淘汰する奴らの為に、わざわざ死んでやる必要などない。後ろ手に縛られている指を小さく鳴らす。

 空から大量の水が滝のように注がれ、獣のように燃えていた炎は鎮火する。相当な水圧だったのか、白く焦げた匂いのする煙が辺りを一気に呑み込んだ。手足と腹のロープは惨劇を陰から見ていた妖精に解いてもらい、やっと自由になれた。ゆっくり地面に降りると村人達は悲鳴を上げて、蜘蛛の子を散らすように逃げていく。


 夜風が吹きつける度、焦げた臭いを運んだ。両腕を見れば肌は赤く爛れていた。皮膚は捲れ、肉が見えていて見るからに痛々しい様だが、感覚が麻痺しているのか、悶えるような痛みはなかった。

 自分で見ても、ひどい状態だということが分かる。指先についた水滴でも払うように腕を振れば、赤い滴が地面に模様をつけた。女は止まらぬ血を一舐めして、ニタリと笑う。


 滴り落ちた血が狼の形となり、逃げ惑う村人に飛びかかった。首の骨を噛み砕けば血飛沫が舞い、奪い合うように引っ張り合えば余りの力で体が二つに裂かれ臓腑が飛び散る。それを見た村人達は涙を流しながら嘔吐し、その隙をつくように狼が次々と襲っていく。

 気付けば、辺りは静かになっていた。悲鳴も、罵声も、怒声も救いを乞う声も何も聞こえない。誰一人生きている者はいない。ただ身体を返り血で染めた彼女以外は。


 ーー魔女が聞いて笑わせる。この悪魔め!


「ふふっ……あははっ……あっははははは!」


 壊してやる、何もかも。

 狂気を含んだ笑い声だけが、夜空へ吸い込まれていった。



  ◆



「ねえ、お母さん! いつものお話して!」


 宵闇が深くなる時間、この村では暖炉の前に座っている母親の側に幼子が駆け寄り、いつも同じ話を強請る。まだ何も知らない無垢な瞳を輝かせる姿に母親は優しく微笑み、唄うように話し出した。


「昔々、長年魔女(マガ)がいた世界<ミルス>がありました。そこは清き魔力が溢れていた綺麗な所で、土地や水には精霊や妖精の加護が与えられ、深き森にはエルフや幻獣達が存在し、魔女は神の使いとして人間と共に生きていたと云われていました。ミルスに住む人達は仲が良くてとても平和で、争いのない豊かな世界だったのですーー。

 でも、今から三百年前。魔女は神ではなく悪魔の使いであるということから、ミルスで大きな魔女狩りが行われました。

 狩りのせいか、魔女だけではなく、それまで人間にも見ることが出来ていた妖精や幻獣といった彼等もいつの間にか姿を消してしまい、世界には魔法と人間だけが残されました」

「これが、ワタシ達が住んでいる今のミルスだよね。じゃあ、妖精さん達はどこに行ったの?」

「さあ、どこに行ったのかは誰にも分からないわ。もしかしたら、彼等はもうこの世界からいなくなっているのかもしれない。それからというもの、人々は平和に暮らしているのよ」


 子供の頃、誰もが母親に聞かせてもらったことがある何気ない昔話があるだろう。それらのほとんどは事実を模したものが多い。これは童話も然り。


「許さないーー絶対に」


 穏やかに流れる時間の裏で、あの凄惨な狩りから生き残った者がいることを、誰も知らない……。





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