甘美なる血の絆 1
しんと静まり返った屋敷でリーリウムは暇を持て余す。
身分証の手続きが終わり当面の予定を聞いた後、一旦部屋で休めとウィスタリアに促されたのだ。
人の気配がしないほど静かなのは、夜行性のヴァンパイアにとって昼間が就寝時間であるというのも理由の一つである。警備の者や仕事が残っている者以外はベッドの中だろう。
一年も眠っていたせいか、リーリウムの眠気は一切ない。
(暇。どうしよう……ネットでここ最近の世間の様子でも調べてみよっかな)
ウィスタリアに持たされたスマートフォンを片手に、違和感を感じずにはいられない天蓋付きお姫様ベッドでごろごろ転がる。
(んー、特に大きな変化もないね。一年じゃそんなにでっかい変革も起きないか…あ、この女優さん結婚したんだ。…ああ、この会社また新しいお菓子出してる、食べたいな。…むー…あそこのお店閉まっちゃったのかぁ、また行きたかったなぁ)
思いついた順に検索しては一喜一憂する。顔は無表情に固定されたままだが足をばたばたし、ご機嫌な雰囲気だ。
画面をちょいちょいと操作しているうち、気になる記事に目を留めた。
ニュースを紹介するもので、今世間を騒がせているの殺人鬼に注目したものらしい。
被害者はすでに五〇人を越え、いずれも大量出血により死亡している。日本各地で起こっており、複数犯であることが判明した。警察は対応に追われている。
その記事の内容に、なんとなくヴァンパイアが関わっているのではないかとリーリウムは思った。
違法浮浪者と呼ばれる者の仕業ではないか、と。
(私を襲ったあの怖い人も、そうだったし)
ウィスタリアが無力化したヴァンパイア。氷丘由璃を危機に陥れたあの存在は、もしかするとこの事件の犯人の一人ではないかと予想する。
(他にもいるのかー…私みたいな運のいい事例はめったにないんだろうな)
ウィスタリアに救われた自分はとんでもなく幸運だったのだ。
(へー、襲われてるのは全員未成年、か。若い方が血がおいしいらしいから、それでかな。―――え、これってっ!)
ある欄で、激しく目を引くものを見つけてしまった。
『二〇XX年一一月二五日、警視庁のとある警視監の一人娘が六人目の被害者となった。警察関係者に激震が走り、犯人達による警告か力の誇示かと様々な憶測を呼んでいる』
この日付は間違いない。
(―――私が、死んだ日だ)
腹の底に石を詰められたかのような、心臓を鷲掴みにされたかのような、圧迫感。
ドクリ、と。心臓を通して体が震える。上手く息が出来ない。
(分かってた……分かってたんだよ…。…死んじゃった…死んだことに、なってるって…っ)
氷丘由璃が亡くなったとされている日。
(完全に死んだ訳じゃないっ、だって“私”は今、生きてるんだから!)
気を抜けば頭がおかしくなりそうになる。意味もなく叫んで、喚きたくなる。
戦慄く四肢を押さえつけ、ぎゅっと目を閉じて耐える。
(…生きてるんだよ、“私”は)
氷丘由璃がいなくなっても、リーリウム・アルゲントゥムとして存在している。
しかし、本当にそうなのか?疑念が湧いては不安になるのだ。
ヴァンパイアになった影響で変化したのは何も外見だけではない。内面も、少なからず変わった部分がある。
それは血を求める本能や吸血への理解であり、知らないはずの“知識”。人間だった頃なら有り得ない行動を、当然と受け入れてしまう無意識。
無意識レベルまで変質してしまった思考や本能を持つ者は、果たして同一人物と言えるのだろうか。
まして、肉体は完全に作り変わっているのだ。
(想定外…こんなに堪えるなんて思ってなかった)
氷丘由璃が死んだという記録が、何か大切なものを喪失したような感覚にさせられる。どこかから遠ざかって、切り離された。
「…っはぁ」
リーリウムは滲みそうな涙をこらえ、真っ白な柔らかい枕に顔をうずめて忘れていた呼吸を思い出す。吐き出した吐息は熱く冷たく、奇妙な重みを持っていて。
言い表せない感情が詰まった喘ぎ。
静かな慟哭とも似たそれを気づかう者はここにいない、かに思われた。
「―――我慢しないで、リリィ」
ふわりと香る甘やかな気配。
音もなく現れたウィスタリアが、ベッドにうつ伏せているリーリウムに寄り添う。
「…っ?」
「アタクシはっ、アタクシは……貴女が必要よ。貴女が欲しくて、ファミリアにしたの。リリィ、アタクシの愛しい子…貴女が望むならどんなことも成し遂げてみせるわ」
「母上…」
「泣いてもいいし、怒ってもいい。傲慢に振る舞っても、怠惰に過ごしてもいい…そんなことではアタクシの心は離れないから。沢山いろんなことをしましょう。そしてリリィのことを教えて?時間がかかっても知っていって、理解できるよう努力するわ。そうしたらきっと貴女のことが、もっともっと大好きになるの、困っちゃうわね」
リーリウムよりも泣きそうな顔でウィスタリアは声をかけ続ける。表情が嘘ではないかというくらい明るい穏やかな声音で語る。
「リリィ、リリィ。貴女はたった一人、アタクシの唯一無二なの。ふふ、誇ってもいいのよ。このウィスタリア・アルゲントゥムにここまで言わせたのなんか、世界中で貴女だけなんだから」
枕から顔を上げたリーリウムの額や頬に口づけを落とし、ウィスタリアは雪のごとき白い頬に左手を添える。リーリウムの瞳に寂寥を見つけ、切ない痛みに胸を焦がしながら。
「なんでも言って、力になりたいの。どうしたら貴女の心を癒せるか、アタクシには分からない」
引っ掛かりがないサラリとしたリーリウムの銀髪を右手で撫で、額を擦り合わせた。
ウィスタリアは必死だ。リーリウムの揺らぎを伝える妖力が今にも消えてしまいそうな気配を伝え、ウィスタリアを動揺させている。
だから懸命にリーリウムを繋ぎとめようと行動していた。自分でも何を言っているのか把握しないまま、思いつく端から言葉を紡いでいく。
腕を回してリーリウムをかき抱く。
(アタクシはリリィがどんな思いを抱いているかなんて、真の意味で理解することはできない……おそらく一生理解できないこと。けれど、だからって放っておくのは絶対に違うわっ)
生まれた瞬間からヴァンパイアで、それ以外の生き方なんて知らないウィスタリア。
リーリウムをヴァンパイアにした己が何を言っているのだと思われるだろう。だが放っておいて腫れ物に触るような距離の置き方をしたくなかった。
これはエゴだと、ウィスタリアは思う。
それでもいい。誰にどう評されようとリーリウムが大事で、彼女のために何かしたいのだから。
「…分からない」
リーリウムがようやくぽつりと言葉を返した。
「自分が自分じゃないような気がして、怖い。私はリーリウムだけど、由璃でもあったのに…」
「ヴァンパイアになって、いろんな変化に戸惑ってる?」
「そうじゃなくて…なんて、言えばいいんだろ」
クシャリと顔を歪めて言葉を選ぶリーリウム。
「人間だった自分が、どこにもいないような……上手く…言えない…」
目を伏せ、今にも零れそうな涙をきつく我慢する。リーリウムが何にそこまで不安がっているのか、ウィスタリアは予想することもできない。
できるのは、今のリーリウムを肯定してやることくらいだ。
「リリィはリリィよ。他の誰でもない、リーリウム。アタクシの可愛い娘。人間だったことも、ヴァンパイアになったことも、全部リリィの一部。だから全部が貴女の一面」
「私は私…?全部、私?」
「ええ。人間だった時に身につけたことも、ヴァンパイアになって身につけたことも一緒になって、いろんなことができる、色々な側面を持つリリィっていう存在なのよ」
「…いろんなことができる、色々な側面を持っている……」
びっくりした、とでも言うようにリーリウムはウィスタリアを見つめる。
ストンと言葉がはまった。感じていた正体不明の違和感は消え去り、リーリウムの中にあった得体のしれない恐怖が綺麗になくなったのだ。
(変化してなくなった訳じゃない。元々あったものが別物に作り変えられたのでもない。変化して要素が増えた、っていうこと?)
ウィスタリアに言われてそんな気もしてきた。自分の考え過ぎだったのかもしれない。
「そっか…。母上、ありがと」
気づかせてくれた母に、喜びを合わせて緩んだ態度を見せる。
一筋の涙を零れさせた照れ笑いの感謝に、ウィスタリアは感極まって口づけの雨を降らせた。