アルゲントゥムの娘 3
リーリウムはビクリと硬直する。
全身を撫でられているような、地肌に微風を受けているような奇妙な感覚。
無性に気恥ずかしく、むず痒い感じがした。体の違和感をなくそうと身じろぎするも、全く違和感は消えず無駄に終わる。
(うわっなに、これ。妖力ってやつ…?)
ぞわぞわとリーリウムの背筋が震える。
(必要な事だから仕方ないけど、あんまりいい気分ではないね)
当たり前だが、人間だった時にもこんな感覚は味わったことはない。
どうにかマシにならないかと足をすり合わせたり、体を丸めてみたり。
(うー…ヤダなぁこれ)
誤魔化すために腕をさするリーリウムは気づいていない。
未知の感覚にさらされた己の身体が過剰に反応し、眼前の相手を敵と認識しつつあることを。生まれたばかりゆえに、過剰に防衛本能が働いていることを。
「―――ふう」
口から小さな白い吐息が漏れた。
暖房により適温に保たれている筈の室内で。
「っな!これ、はっ…」
「…っ。お嬢様!」
異変を悟った正視とキーファ。
二人は即座に事態を収拾させようと動きだし―――
「大丈夫ですよ、リリィ様。大丈夫です」
―――瞬く間に傍へ侍っていたリンデを見て、静止した。
その時、リンデは明確に事態を認識しているわけではなかった。
何が何でも仕えたい存在である少女が、初めてダイレクトに妖力を感じて戸惑っている。そんな姿を微笑ましく見守っていただけ。
幼き日の自分が体験したことをぎこちなくこなすリーリウムを、悶えたい衝動を押し込めてうっとりと見つめた。
(かっわいいなぁ、もうっ!ああ、プルプル震えてる、ちょっと縮こまってるっ)
内心テンション上がりまくりだ。薄く微笑んだ見た目からは想像できないが。
(あ~これからずっと毎日この子の成長を見られるんだよね。母さんは反対してるけど、春までに絶対リリィ様の専属騎士になるんだから!)
一年間。
疲労を色濃く見せるウィスタリアに抱えられ、リーリウムが屋敷の一室に迎えられた日から。黒から銀に変化してゆく、自分とそう変わらない年齢の少女を見守り続けてきた。
母の主の子、という近いのか遠いのかよく分からない相手だった。キーファにきつく注意を促され、思春期特有の反発心を抱いたこともあった。
しかし。
いつからか、未だ未熟な自分よりも幼くあどけない少女に、言いようのない特別な想いを持った。
それは小動物を観察する慈しみのようで。
友に対する友愛のようで。
妹に対する親愛のように思えるもの。
ただ、傍にいたい。なんとなく、見ていたい。
そう思うようになって、徐々にのめり込んでいった。
目覚めた時の感動はひとしおだ。
眠りについていた一年間をリンデがしみじみと振り返っていると、不意に緊張を伴った波動を受けた。
一点の曇りもない澄んだ清水のごときリーリウムの妖力である。
ヴァンパイアの妖力は人により受けるイメージが違うが、これほど見事な妖力をリンデは他に知らない。リンデにとって、リーリウムの妖力はこれまで出会った誰よりも魅了されるものであった。
その貴い妖力が揺らぎ震え、不安を覚える嵐の日の海のように波打っているのだ。
正視もキーファも、リーリウムが初めての経験に感情が乱されているだけだろうと放置している。
しかしリンデは言葉にし難い意志に突き動かされ、このままではいけないと漠然と思った。
(リリィ様、怖がってる…?)
直感的に、感じ取る。
ボクが守らなきゃ。
考えるより先に、体は動いていた。
「大丈夫ですよ、リリィ様。大丈夫です」
とにかく安心させたい一心で、リーリウムを背後から抱きしめ、胸の前にあった両手を己の手で包む。
ずっと傍にいる、ボクは貴女を守りたい。そう妖力に想いを乗せて伝える。
リンデの純粋な想いは、リーリウムに確かな安らぎを与えた。
ひどく過敏になっているリーリウムのささくれ立った心は、リンデにより鎮められる。室内に満ちていた冷気があっさり霧散した。
(…ぽかぽかする。あったかくて、気持ちいい)
正視から感じたものとは全く違う妖力。爽やかで温かみのあるそれは、リーリウムの身体を守るように包み込んでいっているように思えた。
同時に流れ込んでくる心配と好意、励ましの感情。目を瞬かせてリーリウムはそれらを受け取った。
「…リンデ?」
「はい、リンデですよ。…もしかして初めて妖力で探られてビックリしちゃいました?もっと詳しくどういう感じなのか伝えるべきでしたね。すみません」
「リンデが悪いわけじゃない。でも、ありがとう」
リンデが伝えてくれたように、リーリウムも妖力に想いをこめてみた。
落ち着いた。ありがとう、嬉しかった。
込めたのは安堵。そしてほんのわずかに照れが混じった感謝だ。
実際、抱擁を解かせて後方に振り向いたリーリウムの目元は薄紅に染まり、気恥ずかしさから時折リンデの目から自分の目を逸らす。
「~~~っ!も、もったいないお言葉です」
あまりの破壊力にリンデは腰が抜けそうになった。
(ヤバい萌え死にそうっ)
強く精神を押さえつけねば鼻血という醜態をさらしていたかもしれない。せっかく優秀そうな雰囲気を醸し出しているのに、残念な思考である。
一方、リーリウムは別の意味で脳内が大荒れだった。
(うぅ、ちょっと気持ち悪く感じたからって情けない…リンデに心配かけちゃった。そんなに見ていられない顔してたのかな私。どうしよう、幻滅されたかな)
さらに言うと、抱きしめられて安心したのがとてつもなく羞恥心を呼んでいる。もしこの場が自室で自分一人だったら、枕に顔をうずめてしばらく起き上がれなかっただろう。
そうやって悶々としつつ羞恥心と戦い、ふと小さな違和感をリーリウムは覚えた。
「名前、リリィって言った…?」
「あ」
しまった。
失敗したと顔に書いてあるリンデ。
(くっ、いずれここぞって時にとっとこうと思ってたのに!)
リンデは心の中では「リリィ様」と呼び、声に出すときは「リーリウム様」と呼んでいる。
リーリウムの体感では会ったばかりなのだ。いきなり愛称呼びは馴れ馴れしすぎると配慮した結果、もう少し一緒に過ごしてからなんとなくいい雰囲気になった時に格好よく愛称で呼び、距離を縮める腹積もりだった。
不覚とはこのことを言うのかと、リンデは歯噛みする。
「…馴れ馴れしく読んでしまい申し訳ありま――」
「いい。リリィって呼ばれるのけっこう好きだから」
「――せん………って、え?いいんですか?」
「うん。…リンデと仲良くなりたいし」
「…っ。ありがとうございます」
この言葉にはリンデも不意を突かれたらしい。こらえきれずに口元がだらしなく緩んだため、慌てて手で隠す。
リンデにつられてリーリウムもはにかみ、それを見てさらにリンデが笑顔になり、と奇妙なスパイラルに陥った。
実に和やかな時間が流れていく。
「ん、コホン。リンデ、下がりなさい。…ウェーレ殿、判定は終えられたでしょうか」
頃合いと判断し、キーファがわざとらしく声をかける。
自分達以外がいたことをはっと思い出し、二人は元の表情に戻り始めの場所と姿勢に。
「え、ええ。判定は終わりました。…なんと言うか若いっていいですねぇ。いやー、あと三百歳若ければその輪に入ったんですがねぇ」
サングラスをかけ直しながら正視は微苦笑する。
「さて、判定した位階ですが…」
身分を決める大事な判定。居住まいを正してリーリウムは聞く。
(ショボくないといいなぁ…「こんなのがアルゲントゥムだなんて有り得ない」、とか思われたくないし)
ドキドキと高鳴る鼓動を押さえつけ、緊張をにじませた。
「妖力純度Sオーバー、妖力量Aプラス。妖力平均S。まごうことなき貴族です」
位階は妖力平均で決まる。貴族なら最低でAマイナス。Aマイナスから上は全て貴族だ。
「貴族…」
どうやらアルゲントゥムとして笑われない数値のようだ。
リーリウムは胸をなでおろした。