アルゲントゥムの娘 1
目覚めたら一年後だった。
何とも言えない微妙な心境で、リーリウムは母となった人物と今後について話していた。
“継承した知識”があるとは言っても、決まった運命が記されている訳ではない。その知識という名の記憶を必要なだけ引き出しながら、己の道を歩むのである。
「まず身分証を作らなければね。でもおそらくアタクシと同じ位階でしょうから、早く力の使い方を学ぶ機会を作りましょうね」
「母上と同じ力、だよね」
「ええ。アタクシの因子がぴったり合う貴女ですもの」
由璃を救った際に行使した氷の能力のことだ。
「たくさん練習して、早く自分のものにしなさい。あ、もちろん一人立ちしろって意味じゃないわよ?むしろ時間が許す限りずっと傍にいたいくらいなんだから」
なんて言ったってアタクシの娘なのよ。
そう言ったウィスタリアは、嬉しくてたまらないといった様子で愛しいファミリアを見つめる。
彼女を知る者が見れば目を疑いたくなるほどに緩んだ顔をしていることを、リーリウムもウィスタリアも気づいていなかった。
「急いで大人になる必要なんかないわ。大人になっても誰かのものになってほしくないし」
「……恋人や夫を作らないでほしいってこと?」
「広い意味ではそうね」
(それは母親というより父親の思考では…?)
人間であった時に父に言われた気がすると、リーリウムは思った。
曰はく。父親という生き物は、娘を自分以外の男にとられたくないのだそうだ。いつぞや会話の流れでクラスメイトの男子について話題にした時、珍しく慌てた様子で恋人なのかと言及されたのを懐かしむ。
「だって…こんなにも可愛いリリィを一人占めできなくなるなんて、納得できないわっ」
理解不能とでも言いたげなリーリウムをウィスタリアは思いっきり抱きしめて悶える。
人間の時のリーリウムも魅力的だったが、自分と同じヴァンパイアとなった今のリーリウムはとんでもない破壊力を持ってしまった。
夜行性であるヴァンパイアの持つ夜目がなくとも、薄暗い室内において映える銀髪。厳選した宝石のように澄んだ色濃い緑の瞳は、水面で濡れ光るエメラルドのごとく。
その翠玉の瞳と花の蕾を思わせる薄紅色の唇は、白人よりもなお白い肌の中にあって見事なコントラストを生んでいる。
トドメとばかりにこれ以上ないほど絶妙な配置で小ぶりな鼻や口、瞳、秀麗な眉が置かれていて。
十人中十人が、否、百人中百人が振り返る美貌の少女であった。
いくら人間がヴァンパイアに変異するとそれに合わせて身体が変化するといっても、まさかここまで奇跡的な美貌を作り出すとはウィスタリアも驚きである。
(ヴァンパイアは人間と比べてとても魅力的と言える容姿を持つけれど、この子はその中でも際立っているわね)
効率よく吸血するために、ヴァンパイアは人間を惑わせやすい容貌をしている。
リーリウムも例にもれずそうなった形であるが、すなわちヴァンパイアとしての格が高いことも示していた。
(ちゃんと力を自在に制御できるようにさせないと色々な意味で危険だわ)
母からの抱擁にどうすれば良いのか対応に困っているリーリウムをさらに抱きしめて頬ずりしながら、ウィスタリアは娘を守り導く決意を強くさせるのだった。
「そろそろ回復できたかしら。上に貴女の部屋を用意してあるから、行きましょうか。みんなにファミリアを紹介したいしわ」
フリルレースがあしらわれた上質な純白のナイトウェアの上に淡いブルーのガウンを着せられ、リーリウムはウィスタリアと共に薄暗い室内を後にする。
(そういえば、この服って母上の趣味なのかな。今さらだけどすごく恥ずかしい…)
まさか今後ずっと寝巻はこれを着るのかとリーリウムが戦慄しているとは知る由もないウィスタリアに手を引かれ、地下にある部屋を退出して上の階へ向かう。
(ずいぶん大人しい子。今どきの人間の子はこれが普通なのかしら。表情もあまり変わらないし…もしかして、こういうタイプの子を俗にクール系というのかしらね!)
日本の「萌え」と呼ばれる文化を一つ覚えた、とウィスタリアはリーリウムの様子を見ながら勝手に納得する。
子が子なら母も母、といったところか。上の部屋に移動し終わるまで二人は気が抜けるような内容ばかりを考えていた。
二つ上の階に上がると、荘厳で広い廊下が広がっている。磨き上げられた一点の曇りもない床が周囲の壁や調度品を映し、神秘的な空間を作り出す。
地下の部屋ほどではないが、窓があるにもかかわらず雨の日の建物のごとき暗さだ。
廊下を進んで少しして、ウィスタリアが一つの部屋の前で止まった。
「ここがリリィの部屋よ」
言い、扉を開ける。
すると年頃の乙女が一度は夢見るような可愛らしく上品な内装の部屋が現れた。
一般家庭のリビングよりも広い室内。白い壁に淡いグリーンのカーテンが取り付けられた大きな窓。青を基調としたインテリアには所々に花がモチーフの優美なレリーフが施されている。それらがカーテンと同色の柔らかい絨毯の上にセンス良く並べられていた。
そして、一際目を引く天蓋つきのキングサイズのベッド。天井から吊るされた小さなシャンデリア。
(………。え、ここに住むの!?)
呆然と立ちすくむリーリウム。
歓喜ではない。困惑と羞恥心からである。
「家具は全部特注したのよー。やっぱり長く使うなら質のいい物をあげたいもの」
母からの厚意を無碍にも出来ず、リーリウムはこの高級感あふれるお姫様部屋を自室にすることを受け入れた。
コンコンコン。
二人がリーリウムの部屋に来てから数分経過した頃、一定のリズムで扉をノックする音が響いた。
来訪者の存在を感じ取っていたウィスタリアは特に動じず返事をして入室を促す。
「キーファとリンデでございます。失礼いたします、タリア様」
はきはきと喋るスーツ姿の美女が入室してきた。
黄色がかった茶髪をアップにまとめた、秘書然とした雰囲気の女である。キリッと真面目そうな外見のこの美女はいかにも出来る女という空気を醸し出していた。
その美女の斜め後方に、リーリウムと同年代くらいの少女も立っている。ライトブラウンのサイドテールに、髪と同色のツリ目がちの大きな目。
美女に似た顔立ちから、おそらくは親子だろう。
「初めてお目にかかります。わたくしは、こちらにおわすウィスタリア・アルゲントゥム様に仕える専属騎士、キーファ・フルウムと申します」
キーファと名乗った美女はリーリウムの前で恭しく礼をとった。
「我が主に誕生した御子である貴女様がお目覚めになるのを、心待ちにしておりました」
「キーファはアタクシが生まれたときから共に育った最も信頼できる騎士よ。何かあったらどんどん頼りなさい、リリィ」
「この身に余る光栄にございます。非才の身なれど、必要になったその時はわたくしの持てる全力でことにあたりましょう」
ウィスタリアの言葉に微笑を浮かべながら、キーファは凛とリーリウムに告げた。
その姿からは主であるウィスタリアへの絶対的な忠誠心と、主の子となったリーリウムに対する明確な敬意を感じられる。
「リーリウムです。これからよろしくお願いします、キーファさん」
「はい、お嬢様。しかし、騎士であるわたくしは呼び捨てで結構ですよ。どうかキーファとお呼びください。敬語も不要です」
年上に対して敬語で話さないなど日本人からすれば有り得ないことだ。
キーファの意見に驚くも、ヴァンパイアとしてはそれが正しいあり方なのだとリーリウムの中の知識は訴える。
ヴァンパイアには「位階」という格付けがあり、正式なヴァンパイアの身分として身分証に記される。
上から順に王・貴族・騎士・民となっており、強き者に従う習性を持つヴァンパイアは、王の下に支配・管理されるのだ。
位階が高いほどヴァンパイアとしての力が強いことを示し、多くのヴァンパイアは自分よりも上の位階の者に敬意をもって接する。
「専属騎士」と呼ばれる存在は、主を定めて仕える騎士の身分を持つ者のこと。
だが、中には騎士の身分ではなくとも誰かに仕える者もいる。
身分があるとは言っても、必ずしも身分に沿った生き方を求められるわけではないのである。
「…キーファ。よろしく」
相変わらず無表情ながら、窺うような、不安げな色の瞳がリーリウムの感情を相手に伝えた。
「はい。よろしくお願いいたしますね、お嬢様」
ニコリとやわらかい笑みを向けられて、リーリウムは安堵する。お嬢様呼びや年上へのタメ口に慣れないが、なんとなく仲良くできそうなことを直感で感じ取った。
(で、後ろの子は紹介しないのかな…?)
ウィスタリアも何も言わないので自分から声をかけるべきかと思案。
実はキーファと話している最中、身体に穴が開くのではないかというほどじっと少女はリーリウムを見つめ続けていた。現在進行形で。
物言いたげなリーリウムの視線に気づいたのか、後方にいた少女が口を開こうとした。
が、キーファが鋭い視線をその少女に向け、圧力で黙らせる。どういうことなのかとリーリウムは目を白黒させた。
「…後ろにいるのはわたくしの娘のリンデ・フルウムと申します。お嬢様と歳が近いため長い付き合いとなるでしょうが、未熟者であり至らない点も多々あるかと思われます」
キーファの不承不承といった話し方は、リンデという少女をリーリウムに近づけさせたくないように聞こえる。しかし、本当に近づかせたくないのなら、この場に連れてこなければよかった話だ。
ウィスタリアは楽しげにそのやり取りを見守っており、リーリウムの困惑を助けるつもりはない。
「ご紹介にあずかりましたリンデです。よろしくお願いしますね、リーリウム様」
リンデは満面の笑みで、キーファに倣うように恭しく礼をとった。
「よろしく、リンデ…」
「ええ。…必ずや専属騎士として支えて見せますからっ」
「…専属騎士?」
「まだなってもいないでしょう。申し訳ありません、お嬢様。不詳の娘はお嬢様の専属騎士になりたがっているのです。…わたくしは未熟な娘の言い分を認めたくないのですが」
キーファの話を聞いて納得するリーリウム。
専属騎士はそう簡単になるようなものではない。基本的に主を持つのは生涯でただ一人とするのが普通だ。
決まった人数制限は存在しないが何度も主を変えるのは節操なし、忠誠心が薄いと嫌悪の対象になる。
それゆえ主を決める時は強い意志と大きな決断が必要なのだ。初対面のリンデがリーリウムの専属騎士になるのは軽率と言わざるを得ない。
(私が母上の娘だからキーファみたいに仕えたい、とか?)
会ったばかりの相手の心情を察することなどできないが、リーリウムはそう予想してみた。
なんにせよ、キラキラと輝く気の強そうなリンデの目を見る限り、自分と仲良くしようという意思はあるはずだとリーリウムは結論付ける。
ウィスタリアに仕えるキーファの娘だからなどの理由とは関係なく、何故かとても永い付き合いになることを確信した。
百年後だろうと千年後だろうと、リンデという少女と自分はきっと共にいるだろう、と。