気高くも高潔でもなく 2
「大変可愛らしいお顔になっていましてよ、メーレ」
「……それは、貴女の目がおかしいだけですわ」
綻ぶ口元を隠し楚々と笑う樹は、隣で険しい顔をする幼馴染、カメーリエの姿を微笑ましげに見つめる。食堂の日差しが届かない席で、食事をつつきながらの会話だ。
「もう、私はメーレに嘘をついたことなんてないでしょう?」
どうして理解してくれないのかしら。と、樹の瞳が悲しげに問うた。
「っ別に樹が嘘をついたと言った訳ではありませんわ。ただ、昔から貴女はそうやってどんな時でもあたくしを褒めそやすものだから、なんだか、その」
「過保護な幼馴染の贔屓目だと言いたかった?」
「そうですわ。やはり樹は、なんでも分かっているのね」
「ふふふ、私が分かるのは、メーレのことだけです」
これだから油断できないのだ。
カメーリエはこの常に優しい笑みを浮かべる幼馴染が、カメーリエの考えることを見透かしてくる度に、敵わないなと気勢がそがれる。
今だって、きっと自分が不機嫌な理由も察していて、それを含めて「可愛い」という言葉を投げたのだろうから。
「そんなに気になるのなら、メーレも姫君の傍に行けばいいでしょう。昼食の時であれば、自然とあの輪の中に入れると思いますけれど」
心穏やかでない理由をずばり言い当てられ、カメーリエはぐっとつまる。
しかし、反応したら負けたような気がして、そのまま押し黙った。
「まだ時期ではないと思っていますの?別に、彼の君がその程度で気分を害する器でもないのに」
「……」
「分かっていて今の時間を姫君と周囲にあげたいのですね。全く、貴女の優しさといったら…」
「…樹。あたくしの考えを先読みして口に出すのは止めて欲しいといつも言ってるでしょうっ」
とうとう羞恥に耐えられず、カメーリエは食事の手を止めて樹の方を向く。
どうあっても樹に勝てたためしはない。
「気を遣い過ぎなのです、メーレは」
ようやく反応を返してくれたカメーリエに満足げな様子で、樹は聖母のごとき表情で諭した。
「もっと自分の欲に素直になってくださいませ。気を遣ってばかりでは、望む結果を得ることなどできませんよ」
「分かっていますわ」
「剣の一族、ひいてはウィスタリア様にご執心の貴女は、自分を押し殺してでも彼の御方に近づこうとされますが、その分自分を疎かにしていてはいずれ必ず綻びが出てきます」
目の前の幼馴染が心配していることを、カメーリエはこの時初めて気づいた。
「ねえ、メーレ。私は友人が、同胞が、そして貴女が幸せになることを願っています。だから、無理をしないで」
「ええ、分かりましたわ。もう少し、自分のことも優先する。これでいいかしら」
「はいっ」
またも自分は彼女に助けられた。悔しい感情と、胸がほっとする温かさが広がる。
カメーリエにとってこの幼馴染は、敵わない友人で、導き支えてくれる半身で、守りたいと願う未来そのものなのだ。
だから。そんな大切な存在が生きる世界だから、カメーリエは剣に拘っている。きっかけは思い出したくもないが、引き攣る痛みと供に忘れてはならないカメーリエの根幹をつくった過去。
(もう二度と、あのような思いはごめんですわ)
脳裏によぎる樹の泣き顔と、悪意に満ちた人間達の顔。そして。
(許したりなんかしません。許してなるものですかっ)
動かない血濡れの友と、嗜虐的に嗤い見下ろす男。倒れ伏すのは人間の幼子で、嘲笑っているのはヴァンパイア。
ああ、なんという世界か。人間はヴァンパイアを畏れ忌み嫌い、見下し利用し壊し尽くす。そこに手を取り合う選択肢を微塵も考慮しない。同等の知的生命体などとは認めない。
ヴァンパイアは人間を忌避し軽蔑しながら求めてしまう。その身に流れる始祖の血が、人間の中にも仲間を探す希望を捨てない。ゆえに自身を嘲笑し、必要以上に距離をとる。
かつて袂を分かった種族は、修復不可能な傷跡を互いに付け合い、現在に至った。
その傷跡が致命的な毒素を吐き出し、未来ある子供達さえ罹患させていく。そう、カメーリエが理不尽に見舞われた、忌々しい過去のように。
「メーレ、ご覧くださいな。結相さん、少し周りが見えていないようです」
「え?」
樹に言われ、思考の海に沈んでいた意識を浮上させせる。
困ったような力ない笑みを浮かべた樹の指し示した方向で、ヴァンパイアとしては信じ難い繋の行動が目に映った。
一瞬何が起こっているのか分からず頭が真っ白になった。
が、脳が理解した途端、目の前が赤くなり、カッと全身に抑えようのない怒りが広がる。
「っ結相 繋、やってくれましたわね…!」
思わず品のない言葉が口から漏れる。
カメーリエが吊り上った眦で睨む先で繰り広げられるのは、近代の人間社会では理解出来ない、身分を感じさせる構図。
立場の低い平民が王侯貴族におもねるが如く、地に膝をつきあからさまに遜った態度。それもよく見れば、いと貴き一族の姫君に頭を撫でられ宥められている。
こんな光景を、カメーリエは許すわけにはいかなかった。
この場にいる生徒、それもヴァンパイア生徒も含めて多くの人間生徒が勘違いしてしまう。カメーリエの貴族としての矜持が、その勘違いを早急に消し去らなければならないと叫ぶ。
「カメーリエ、やりすぎてはいけません。彼女らにも悪気はないはずです。ましてヴァンパイアとなって日が浅いアルゲントゥムの姫君は――」
「分かっていますわ。だからこそ、あたくしがお教えします」
心優しき親友が、愛称で自分を呼ばなかった意味をカメーリエは理解している。
今から自分は、メーレというヴァンパイアの少女としてではなく、カメーリエ・グラウィスという名の、位階における上位者・貴族としてあるべき姿を示す。
王を信奉するヴァンパイアにとって、位階は絶対不可侵のもの。
ゆえに、位階に付随する義務と権利もまた、適切に扱わなければならない。
上から王、貴族、騎士、民と分けられた身分には、それぞれの意味と役割が明確に存在した。
貴族から選出される王の代理にして六つの各地域のまとめ役が六王玉で、彼等は特殊な位置づけにあるのだが、今回は割愛する。
また、特定の条件を満たせば位階に縛られぬ行動が認められる専属騎士も、割愛しよう。
カメーリエが拘った貴族の在り方。これは簡単に言えば下位の位階のヴァンパイアを守り導き、王の定めた法を遵守させる責務のことである。
法を遵守させると言うと小難しく聞こえるが、ようは法を犯さないように監督し、必要なら指導するのだ。急成長する妖力によって精神的に不安定になる――ヴァンパイアでいう思春期――時期を終えていない成人前のヴァンパイアは、特に指導を徹底せざるをえない。
急激な妖力増加でうまく力を循環できないために昂る欲求を制御できず、しばしば法にふれるヴァンパイアの若者は珍しくないのだ。
しかし、いくら思春期とはいってもやっていいことに限度はある。固有能力を持たない民や最悪周囲の者が力づくでも止められる騎士ならば、羽目を外しすぎても厳しく罰せられるだけで済む。
だが貴族の若者が羽目を外せば被害は周囲に留まらない恐れがあった。否、実際に過去痛ましい事件が複数起きていた。
それらを経て、子供が貴族だと判明するもしくはこれからなると判断した親や周囲のヴァンパイアは、感情と妖力のコントロールを執拗に訓練させるようになった。
結果、貴族の子供は感情抑制と妖力制御を日常的に身に着け、伴って強い義務感を育む事となる。
すなわち、例え自身が多くを許される未成年であっても、位階に相応しい役目を全うするべきだ、と。
そしてこの特性を遺憾なく発揮するのが、
「みっともない格好をお止めなさい、結相 繋」
貴族の名門たるグラウィス家の娘、カメーリエ・グラウィスなのである。
カメーリエが怒りを覚えた理由。それは一般の人間生徒が多くいる公の場で、ヴァンパイアの絶対的な身分を周囲に見せつけた事。
もともと従者だと公言している専属騎士達ならば、何も問題はなかった。生温い現代社会に生きる日本の学生でも、金持ちや古くから続く名家に雇われる家政婦や使用人の存在を知っているだろうから。
問題は、リーリウムとはこの学園で出会ったばかりで、まがりなりにも繋が主を持たない“月華の会”のメンバーであったという点。
ジーヴル学園における“月華の会”の名は、とても重く重要だ。飛び抜けて優秀、文武両道にして容姿・財政状況も考慮されるエリート。そう人間の一般生徒には思われている。
ヴァンパイア達には王が定めた法がある。その法に反しないため、人間にはヴァンパイアに関する情報を知られてはいけないこと。人間達の前ではヴァンパイアの身分を持ちださないことが求められる。
だから、予防策として“月華”とプレミアをつけて、優秀だから他の生徒とは一線を画するのだとあらかじめ知らしめておく。人間達がヴァンパイア生徒に違和感や疑問を抱かないように。
それを、繋は台無しにしようとしていたのだ。
もしも放置すれば、勘の鋭い人間に繋やリーリウムには特殊な事情や背景があると辿り着かれてしまう。カメーリエや樹がリーリウムに対して恭しく接したのは、一応“月華の会”に歓迎する名目と、普段から令嬢然とした振る舞いを見せて良い家柄の娘だと予防線を張っていたからできたことだ。
庶民的な振る舞いと人間に溶け込んでしまえる壁のなさをさんざん見せてきた繋が、突然畏まった態度を取るのとはわけが違った。
(厄介な真似をしてくれたものだわ)
内心特大の溜息を吐きながら、この事態をどう対処し収拾するか頭を悩ませるカメーリエ。
加えて問題は人間だけではない。
繋の所業を優しく宥めてしまったリーリウムの様子に、ヴァンパイア生徒が影響されることは必至だろう。
いい意味でも、悪い意味でも。
長らくお待たせしましたこと、申し訳ございません。
しかし今しばらくリアルの忙しさは続きそうなので、また次の投稿は1カ月か2ヶ月ほど開いてしまうと思います。
感想などで応援してくださる読者の方々には本当に励まされています。
私も期待に応えたくはあるのですが、忙しさが落ち着くかどうかはリアルの職場に入った新人さん次第なのでなんとも言えません。
※この先は愚痴と近況報告です
前回投稿した日から1カ月ほど経ってからやっと新人さんが入ったのですが、新人さんがすぐ独り立ちできるはずもなく、やはり忙しさはほぼ変わりません。
すぐ辞められても困るので、長い目で見守りながら自分の仕事をこなしつつ地道に仕事を教える日々です。
しかし例の上司が「もう仕事に慣れた?」と一週間ほどで聞いてきたときには殺意が湧きました。
上司は新人さんにすでにいる社員や辞めた社員と同じレベルの仕事を求めているので、そこは口酸っぱく「入って半年も経たない新人がバリバリ仕事をこなせる訳ないから急かすな」という話をしています。
ちなみにその上司、つい最近も無断で2日も職場に来ませんでした。
むしろお前も新人どころかバイトからやり直せと言いたい、切実に。
取引先から電話に出てくれと言われるレベルの無責任さがうちの上司です。
電話に出ないのは私達社員からの電話だけではないので、本当にとても凄く困るしキレたいです。
そして電話に出ろと注意されたのにも関わらず出ないのが上司クオリティ。
責任感なんてクラスの係や委員会や部活動で学生でも学んでいる筈なのに…何故だ。
しかも、先月末の給料日2日前。
「給料計算が終わってない、もう2日しかない」「ちょっとくらい遅れても良いよね」とか言い出した。
何を言っているのかな、ふざけてんのかな、仕事は遊びでもお前一人の都合で成り立ってるわけでもないんだけどなぁ……。
もはやバイトどころかバイトもしない学生でもそんな無責任なこと言わないと思うんだけどなぁ…。
なんて口が悪くなってしまう今日この頃。
小説投稿に関しましてはリアルに負けずめげずに続けて行きますので、今後ともよろしくお願い致します。
では、「気高くも高潔でもなく 2」を読んでくださりありがとうございました。
また次の話でお会いできることを祈っております。




