次代をつくりし者は 1
ヴァンパイアが活動するに相応しい深夜二時ごろ、とあるヴァンパイアが主君の下を訪れていた。
持ち主の趣味の良さを知らしめるアンティークが多々見られる宮殿の一室。多少の財と地位があっても持ち得ないであろう煌びやかな建物の中で、たった一人椅子に座るヴァンパイアと、その前で跪くヴァンパイア。椅子の背後に立ち並ぶ三人のヴァンパイアと、右に侍る一人のヴァンパイアは静止している。
「全く、何時になったら学習という機能を発揮するのか」
嘆かわしい。
盛大な溜息とともに吐き出される声は、聞き惚れそうなほどの美声で、目に見えぬ力が秘められている気さえする。
繊細にして優美な装飾が施された玉座に腰かける彼女は、位階の頂点に君臨する唯一無二の存在。
濡れたように光る長い髪は、黒であって黒ではない、不思議な色を帯びている。さほど強くない照明の光で照らされ、妖しくも高貴な色香が醸し出され、もとより強い存在感と美しさに花を添えていた。
「王よ、人間どもにそんな機能はありません。我等と違って寿命が短いうえに、妖力が矮小すぎて力もないときて、瞬きのような時間を生きるだけで精一杯なのです」
淡々と述べるのは玉座の前で片膝をつく大柄な男だ。二メートルはあろうかという身長に逆立った金髪が迫力を与え、鋭い飴色の瞳がギラリと光る。にもかかわらずニヒルな笑みを浮かべるものだから、下手な犯罪者よりも極悪人面である。
この顔で子供好きというのは、知り合った者が必ず驚愕する事実であった。
「ああ、人間にも記憶があればなぁ…“知識”を継承できないとは、難儀な」
「心から同意申し上げます」
生物に本来ある学習と進化。この二つとは異なる意味で、王と臣下は「学習機能」と言っている。
すなわち、“継承した知識”。ヴァンパイア達が持ち、人間達が持たない決定的な差。
「こうも何度も同じことを繰り返されると、面倒で滅ぼしたくなる」
「今まで幾人もの同胞が思ったことでしょうな」
「お前もか?」
「数えきれないほどに」
男の答えは王の関心を引いた。
「ほう…曲がりなりにも六王玉たるお前がか」
「私も地位がなければただのヴァンパイアですから」
「ふむ。だがそれでもお前は人間と盟友足らんと努力し続けねばならない。何故、六王玉となった」
金と見まごう王の目が、男を射抜く。その心を見極めようとしてか。
「妻が望んだのです」
対し、男は動じることなく告げる。
「『人間は数多の可能性を秘めている。種を分かつ我等がそれを一番分かっている。だから共に生きたい』と」
「ふっ。はっは、そうか。確かにあの人の言いそうなことだ……その後子供たちのためにとでも続けたか?」
「よくお分かりで。『我が子達に多くの未来を与えたい。ヴァンパイアだけでは足りない』。…同胞には理解されにくい思想です」
「だからお前が人間と手を取り合うための先陣を切ると」
「はい」
「そこまで夫に尽くされるのは女冥利に尽きるだろうが…まあ、あの人はお前にはもったいないくらい素晴らしい人だしな。我も欲しいぞ」
「当然です。いくら王でも妻は譲りませんよ?」
「そうだなぁ、お前が夫でなければあらゆる手を使って我の物にしたが…我はお前も存外気に入っている。気に入った者同士がくっついているならば言う事はない」
無邪気に話す姿は、成人して間もない王の未だ残る幼さが前面に出ている。人間がいればあまりの清純無垢な美貌に魂が抜かれたかもしれない。
「おや。御身が私をお気に召していたとは……参りましたね」
「お?なんだ?照れているのか?」
興味津々に顔を覗き込もうとする王から男は顔を背ける。
「顔で恐れられやすく考えすぎるきらいのあるお前が、ストレートな不意打ちの好意に弱いという娘の言葉は真実だったのか。愉快なことを知った」
イタズラが成功した子供が自慢げに種明かしをする様子。
王の楽しげな言葉の中に聞き捨てならないものがあり、男は血相を変えて問う。
「私の娘に個人的に会ったのですか!?」
ヴァンパイアの間でそれなりに名の知られた、黄金の仔狸に。
「会ったぞ。前に城から抜けだ…お忍び旅行をした時に」
「王という御方がなんてことをしてるんですか!?近衛は連れて行ったのでしょうな!」
臣下として到底許容できない事実が発覚した。
王を守るために守護特化の能力者で構成されている近衛騎士。今も王の後ろに待機している彼等のいずれかをを伴っていればあるいは。
「サリーサだけだ」
「確かにサリーサ・アルブータスは優秀でしょうが、万が一のことがあればどうするのです!御立場を考え自重してください!」
王の右に控える女の専属騎士を一瞥し、男は懇願する。失ってはならない至高の存在を尊ぶからこそ。
「あー…ええと、すまない」
流石に忠臣から心底より心配されては王もバツが悪い。素直に謝罪し、反省する。
「ただでさえ今はハンターがヴァンパイアに過剰反応しているのです。違法浮浪者の奇妙な動きといい、御身が表に出ると人間どもが厄介な事態を運んでくるやもしれません…」
「お前とあの人はハンターとの小競り合いがあったらしいな」
「《盟約》に反しないギリギリのラインをハンターどもが利用しております。元々いけ好かない存在ではありましたが、近頃はとみに妖しい動きが…」
「不穏だな」
「情勢が動きます。確実に」
顔を顰める男に、王ははっと目を見張り、信じたくない可能性を思い浮かべた。
「――まさか、彼の【天鬼】が動き出した…?」
「っ!それはっ………それが事実なら、再び、“月戦”と同規模の乱が起きるでしょう」
ヴァンパイア達の重要な歴史、その転換期の中心におり、人の形をした古き災禍。
当時の全ヴァンパイアが影響を受け、違法浮浪者が現れるきっかけにして、世界全土を巻き込んだ大戦の原因となった異端のヴァンパイア。
【天鬼】。天候のように気紛れで、ふらりと現れては災いを振り撒いていく。
「となれば、教団も」
「【聖女】が選定されたこのタイミングで、か」
「教団が【天鬼】の気配を先に嗅ぎつけたのやもしれません」
「対抗するために選定を急いだ可能性もある訳か」
「ええ。ここ数年各地を嗅ぎまわっていたようですから」
「己の無知を知らぬ狂信者どもめ」
忌々しい。
唇を噛みしめ、王は吐き捨てた。
「近い内に六王玉を集める。何時でもいいように準備しておけ」
「御意」
主君の命に粛々と頭を垂れ、己の担当領域の報告を終えていた男は立ち上がり、御前から下がろうとする。
そこで、一人のヴァンパイアが謁見の間に静かに入ってきた。
真っ直ぐ玉座の前まで進み、男のやや後方で跪く。
「お話し中、申し訳ありません、王」
「いい。たった今終わったところだ」
王の専属騎士の一人で、許可なくとも王へ会うことを許されているヴァンパイアだった。
「ご報告申し上げます。六王玉のお一人であらせられるアルゲントゥム様から、簡易謁見のお申込みです」
「タリアか!許す。早速始めろ」
「…本当にウィスタリアがお好きですね、王」
先程までの物憂げな空気を吹き飛ばし、鼻歌を歌いそうな様子に豹変した王に下がろうとした男は呆れる。
「当然だっ。アレの美しさは類を見ない。愛でなければ損だろう!」
「さようで。では私も同席してよろしいですか。少し話したい事があるもので」
「はあ?…っち、仕方ない。許してやる」
「あからさまに嫌そうにしないでください。私を気に入っているとおっしゃってくださったでしょうに」
「お気に入りにも順位がある」
「…参考までに。私は上から何番目くらいなのですか?」
「三十番目くらいだ」
「……そうですか」
微妙だ。
「用意が出来ました」
「繋げ」
「はい」
玉座から少し離れた場所に小さな四角錐の機械が置かれており、用意した専属騎士が機動する。
フォンッという音がして、上に映像が投影された。
『簡易の謁見で失礼いたします、王』
映像の中でフォーマルドレスに身を包んだウィスタリアが、両膝をつき、恭しく首を垂れる。
自身の屋敷の一室なのか、ウィスタリアの背後にはアルゲントゥム家を示す家紋が壁に描かれていた。




