銀に輝く月と華 4
大勢の生徒がひしめき合う講堂。久方ぶりに見る懐かしい光景に、リーリウムは目を細める。
学年クラスごとに纏まって椅子に腰かけ、式の準備が整うまで待機している生徒達。
ジーヴル学園高等部の始業式が執り行われようとしているここは、一クラス三〇人、一学年六クラスの、二年と三年の生徒が集っていた。単純計算で三六〇人である。これに教員まで加えると、四〇〇人近い人数となる。
蛇足であるが、入学したばかりの一年生は始業式に参加しない。
(凄いなぁ…人間とヴァンパイアがいっぱいいる)
ただ座っているだけで感じられるヴァンパイアの気配が複数あった。目だけを動かして周囲を探っても、一クラスに二人か三人はいるだろうか。
ヴァンパイア生徒のうち、リーリウムの視線に気づいた者は目礼か慌てたように会釈する。それなりに距離があれど気づくのは、位階や本人の実力が高い証拠だ。
逆に気づかないのは、一部の騎士かほとんどの民である。未熟であったり、アルゲントゥムの存在に緊張しているためと思われる。
そう、正に隣の騎士のように。
「無理ムリ…無理だって…わたしはごく平凡なヴァンパイアなんだって…騎士だなんて名ばかりの、ほぼ民みたいなものなのに……」
頭を抱え独り言を漏らすクラスメイトのヴァンパイア。遅刻ギリギリで教室に飛び込んできた繋である。
「アルゲントゥム家のお姫様の隣とか恐れ多過ぎでしょぉ…!ああ、絶対後でみんな何か言う。下手したらわたし経由でお姫様に紹介しろって言われるっ。凡庸極まる私に多くを期待しないでぇぇぇ」
リーリウムの耳は正確に内容を聞き取っていた。随分大きな独り言だ。
リーリウムは聞きながら思う。そもそも、人間臭すぎるヴァンパイアは普通とは言い難いのでは。と。
他のヴァンパイア生徒は明らかに人間生徒に特別な扱いをされている。だが繋だけは壁を作られることも敬遠されることもなく、自然に溶け込んでいるのだ。
「繋さん、自覚ないんですのよ。自分はヴァンパイアとして普通だと本気で思い込んでいますの」
リーリウムが繋に向ける微妙な視線に、くすくすと笑いを零しながら、プリムローザが逆隣りから小声で解説。
席の並びは右から順に友、絢草、プリムローザ、リーリウム、繋、そして他のクラスメイトである。リーリウムが両脇をヴァンパイアに挟まれたのは、安全を確保するためとプリムローザに言われたから。
学園で何か危険があるのか。リーリウムは懸念したが、プリムローザはあることが予想され面倒を減らしたいのだと優しく語った。別に危ないことはないらしい。
「リリィ、ワタクシと繋さんの間にいれば大抵の事ならどうにかなりますわ」
だから何があっても安心して構えていればいい。プリムローザに手を握られ、リーリウムは相手の目を真っ直ぐ見つめる。
手から伝わる妖力が親愛に溢れていることを伝え、リーリウムは心が温かくなった。
「……ローズは昔からわりと身内にスキンシップ多かったけど、こうして傍から見てみると、恥ずかしい光景ね」
アタシもこんな風に見えたのかしら。羞恥に悶える絢草。
「んー?手を繋ぐだけならアヤもよく友としてるじゃんか」
何気なく言う友。事実しか述べていないので、友に他意はない。
「…!~~~っアンタが大人しい性格なら高校生にもなってそんなことしないんだけどね!」
一瞬その事実に羞恥を浮かべたが、すぐ別の感情に支配され、絢草は幼馴染に怒鳴る。
「ちょっと目を離すと走り出すわ鞄ごと忘れ物するわ、無駄に物を買っていらなくなればこっちに押し付けてくるわ、挙げ句この前は知らない人にも平気でついて行きそうになるなんて、今どき小学生でもそんな不用心じゃないわよ!」
「知らない人じゃないし。前に学校からの帰り道で会ってお菓子くれたいい人なんだぞ」
「はあ!?あんた初対面の見知らぬおじさんからお菓子受け取ったの!?馬鹿!おバカ!完全に不審者じゃないっ!」
「不審者だなんてしつれーだろ。ちょっと手が汗ばんでて顔赤かったけど」
「アウトよ!女子高生に興奮してる変質者まんまじゃないのっ」
「おじさんは風邪ひいてるだけだって言ってた」
「誤魔化すための言い訳だって気づきなさいおバカぁっ!!」
プリムローザを挟んだ向こう側で交わされる会話に、リーリウムは内心冷や汗だ。犯罪に巻き込まれる一歩手前の状態だった友人達。心配でならない。
「友には困ったものですわ」
苦笑するプリムローザに、リーリウムは大丈夫なのかと尋ねる。
「ええ。絢草が手を回すのがいつものことです。これだけ危機管理のなっていない友が無事に生きてきたのですわよ?口では文句を言いつつ、絢草が世話を焼いてきた証拠」
「…絢草、素直じゃないね」
「本当に」
今の会話だけで絢草の苦労が相当なものだと窺い知れる。犯罪すれすれの出来事に遭遇したのは、これが初めてではないようだ。
(自分も危ないと分かってて、影で助けてるんだろうな…それだけ友が好きってことだよね)
幼馴染みの絆。
「いいな…」
無意識に紡がれる言葉。リーリウムは知らず羨望の目を絢草と友へ向けていた。
「リリィ…?」
「…なに?」
「いえ、なんでもないですわ」
きょとんと、邪気のない色で聞き返すリーリウムに、プリムローザは尋ねることをやめた。
目を伏せ、今しがた心に仕舞った問いかけを反芻する。
(リリィには、幼馴染みかそれに近い友人がいたのでしょうね)
情を交わし気心知れた相手に会いたいか。人間の友人が恋しいか。
(それは、ワタクシが聞いてはなりません)
リーリウムを困らせたくはない。気を遣わせたいわけではないのだ。
人間とヴァンパイアの間で揺れ動く少女に、自分が訪ねるのは卑怯だと、プリムローザは判断する。
ここまで考えて、ふと。
(卑怯?…今更、どの口で言うのでしょう)
滑稽だ。自嘲的な笑い。
(ワタクシはプリムローザ・スファレイト。ワタクシはワタクシの信ずる道を行きますわ)
自分のしたいようにする。望む結果を手に入れるためなら、己の流儀に沿った手でどんなこともする。
それがプリムローザ・スファレイトだったではないか。
だから今は。
(ワタクシは好ましいと思うリリィとの友好を深めたい)
それでいい。
『間もなく始業式を始めます。生徒の皆さんは私語を慎み、席に―――』
マイクを通して講堂に響くアナウンス。ざわめいていた声が一気に萎んでいき、静まり返る。
『―――開式の言葉』
いくらか間を空けた後、沈黙に包まれた講堂で始業式が始まった。
『始業式を終わります―――』
厳かな声で閉式の言葉が告げられ、生徒達の気が抜ける。
「終わった~。はあー校長の話ってなんであんなになげーんだよっ」
ざわめきが戻る講堂で、まだ退場する順番が来ないリーリウム達二年A組。
大きく体を伸ばしながら、眠そうに友が大あくびを零す。
「上に立つ人は地位や身分に適した弁舌が求められるのよ。友に分かりやすく言うと、偉い人は周りの人に凄いって認められるような話ができなきゃいけないってこと」
あくび姿を晒す共に呆れた顔で絢草が教える。
「認められるような話?校長の話ってつまんないだけでソンケーとか全然ないけど」
ばっさり。
リーリウムは悪意なき心からの感想を聞き、思わず校長に同情してしまう。
かく言うリーリウムも校長の話は退屈だと聞き流していたため、人のことを言えない。話にあきるだけで、校長という責任ある立場に就くことのできる人間自体は敬っているが。
「それが我が学園、高等部校長の実力だってことじゃないかしら。本当に素晴らしい人物なら、例外を除いて九割以上の生徒が興味を持って聞ける話し方ができるはずよ」
こちらもばっさり断じる。絢草の評価にリーリウムは肯定も否定もできない。
「そんな風におっしゃっては校長先生がお可哀想ですわ。校長先生なりに、ワタクシたちの役に立つと考えてお話してくださっているのですから」
「否定しないってことは、ローズも素晴らしい話が聞けたとは思っていないでしょ?」
「生徒思いの先生だとは思っていますわ」
やはり校長の話は微妙らしい。
遠回しに評価するプリムローザに、絢草はほら見たことかと嘆息。
「………すー」
余程話に興味がなかったのか睡眠時間が足りなかったのか、繋は居眠りしていた。
そんな繋を見て「うんうん。やっぱり繋ちゃんってある意味凄い」とクラスメイト達が囁いていたりする。
「よく寝てる」
リーリウムがそう呟くほど、穏やかな寝顔だ。
起こした方が良いのだろう。しかし、知り合ったばかりでどうやって起こせばよいのか迷う。
プリムローザに意見を聞こうと目をやり、彼女の意識が別の方向に向いているのを気付いた。
つられてリーリウムも視線を辿り顔をあげた所で、
「ごきげんよう、ローズさん。銀の姫君に拝謁する許可を頂けますでしょうか」
「ごきげんよう、スファレイトさん。同じく拝謁の許可を頂けますかしら?」
一般人なら眩暈を起こしそうな人物が二人、友が接している通路に立っていた。
片や慎ましく楚々とした立ち振る舞いの大和撫子。片や華美で気位の高そうな美姫。
静と動、清楚と絢爛、和と洋、対照的と言える二人の女生徒は、同じ制服に身を包んでいるというのに、全く異なる印象を受ける。
そして共通しているのは制服だけではない。
「“月華の会”代表、八重崎 樹。新たなる会員にして銀を冠する我らが姫君を迎えるため、罷り越しました」
長い黒髪を緩やかに三つ編みにした大和撫子、樹が滔々と語る。喋り終えたところで丁寧に、品よく腰を折る様は淀みない。
樹の隣で光り輝く黄金の縦ロールを揺らしながら、同意を示すように礼をとる美姫。
強烈な妖力を発する彼女らの胸には、銀のバッジが煌めいていた。




