学園の案内人 1
途中、一気に時間が飛びます。
ある日の食卓。
「…学校?」
「ええ。と言っても春からだけれど」
「つまり来年から?」
「そうなるわ」
寝起き故にあまり働かない頭で夕食――昼間に睡眠をとるヴァンパイア的には人間でいうところの朝食――をとっていると、会話の流れでウィスタリアが衝撃の発表をした。
四月からリーリウムには人間もいる学校へ通ってもらうと。
ちなみに、寝ぼけた状態でもリーリウムの手つきに乱れはなく、しっかりテーブルマナーが守られている。それもどう言い繕ったとしても一般家庭の食事風景に似つかない、高級感のある皿に盛りつけられた料理の数々とナイフやフォークを前にして、であった。
酒が入った時や寝起きは人の本性が出やすいが、リーリウムの所作は洗練されており、一朝一夕で身に着けたものではないことがうかがえた。
「難しく考えなくていいのよ。リリィがヴァンパイアの感覚に慣れるための、練習の場みたいなものだから」
娘との食事を楽しみながら告げるウィスタリアに、リーリウムは不思議そうに首を傾げる。
「人間相手の力の制御ってこと?」
「それもあるけれど、一番は同年代のヴァンパイアとの交流と社会勉強ね」
「社会勉強…」
「人間社会でのヴァンパイアの立ち位置やヴァンパイアの振る舞い方、影響力。そういうことを学ぶの」
なるほど、必要な措置だ。
ヴァンパイアを知ると決めたからには是が非でも得るべき機会である。
「眠りについていた一年間を抜きにしても、本来人間の貴女が学ぶはずだった高校一年生の冬の学習分はこれから勉強して、二年生として通ってもらいたいと思っているわ」
ファミリアは身体が作り変わる間の休眠期間を年齢に加算しない。つまり、傷を負った時点で氷丘 由璃は十六歳であったから、リーリウムも変わらず十六歳ということだ。
「……勉強」
思わず漏れる溜息。
「ふふふ、心配いらないわ。きっとリリィならすぐに覚えられるもの」
「わたしは前の学校で復習を欠かさない努力をしてやっと、上の下から中くらいの学力だよ。」
「あら、忘れたの?リリィはヴァンパイアになったのよ。記憶力も人間の比じゃないわ」
「それはそれで複雑」
嬉しいような悔しいような、微妙な心境だ。単純に記憶力が上がるのは便利であるし、人間だった頃の努力が意味がないようで空しくもある。
「編入という形になるから、三月くらいに編入試験を受けて頂戴ね」
「分かった」
話していて、自分の経歴はどういう風になっているのだろうとリーリウムは疑問に思う。
(ヴァンパイア化したあの日のことは母上が都合のいいように処理したらしいけど、わたしの経歴もそんな感じかな)
適当な高校を見繕って過去在籍していたように細工しているのだろうか。仮にそうならば四月から通うという学校に、経歴に書かれた学校の関係者がいたらまずいだろう。
「母上」
「なにかしら」
「編入前の経歴はどんな感じにしたのか教えて」
いざ通ってボロが出ないように聞いておこう。
「限られた少数の生徒しかいなくて、知名度の低い学校に通っていたことにしたわ。ちなみにフランスの学校よ」
「…大丈夫なの?」
「その学校はアタクシの知り合いが運営に携わっているし、そういったことを専門にしているヴァンパイアが動くから…今頃は完璧な情報操作と経歴作りがされているでしょうね」
にこやかに言っているが、内容はとんでもない。ヴァンパイアの凄まじさを改めて理解させられた。
(……え、っていうかフランス?日本ですらないの?)
いかに“知識”があろうと無理があるのではないか。リーリウムは生粋の日本育ちである。海外経験は父に連れられて行った旅行で数える程度。
「せめて日本の学校じゃダメだったの?」
「えぇっと…リリィ、忘れていないかしら。ヴァンパイアになった貴女は、綺麗な銀髪とグリーン・アイなのよ?」
「あっ」
「顔立ちもアジア系の人間とは言えないでしょう」
「…で、でも。日本在住の外国人もいるし」
「とても目立つ存在よね、そうなると。ただでさえリリィもアタクシも人間の目を引きやすい容姿だから。誰かが調べた時に情報が少なすぎると不自然になってしまうわ」
「確かに」
苦笑するウィスタリアにリーリウムは何も言えなくなる。とても理に適った理由だった。
「フランスはアタクシの生まれ育った地でもあるし、調度よかったの」
ウィスタリアから受け継いだだけあって“知識”にフランス関連が多いので、なんとかなりそうではある。
おかげで少し練習すればフランス語をネイティブに話せるであろうレベル。
余談だが、リーリウムがウィスタリアと対面してから今までずっと会話は日本語でされている。多くの言語が“知識”にあるので、どこに行っても言葉に困らないのだ。無論、程度の差はあれど練習は必須だ。
「この冬の間に一度リリィを連れて行くつもりだし」
「フランスに?」
「ええ。妹と母、リリィにとっての叔母と祖母に顔見せに行く予定よ。お父様…祖父はちょっと忙しいから、またの機会になるけれど」
「そっか……」
実感が湧かない。
“知識”のうえでは把握していた情報。しかしこうして言葉にして言われてもやはり不思議な気分だった。
父と二人で暮らしていたリーリウムにすれば、ウィスタリアが母になっただけでも家族の枠が増えて驚き戸惑ったものだ。そのうえ叔母と祖母、祖父まで加わるというのだから、違う世界の話に聞こえてしまう。
受験への小さな不安とまだ見ぬ血族への興味を持って、美味な夕食を終えた。
そんな会話をしたのがおよそ四か月前。
リーリウムは感慨深く思いながら遠方にそびえる立派な校舎を見つめる。
暦にすると冬も終わり、麗らかな日差しが草花に嬉しい春を迎えた。三月下旬ともなると雪は完全になくなり、春の温かな風が感じられる今日この頃。
つい昨日まで一年生の分にプラスして高校生に必要な分の勉強――予習も兼ねて二年生どころか最終学年の分まで――をし、力の訓練を行い、ヴァンパイアの高い身体能力を自在に使えるよう格闘も交えた戦闘術を学んでいた。加えてウィスタリアに仕える騎士達と親睦を深める日々。
一か月ほど前にはフランスを訪れ、アルゲントゥムの血に連なる者達と顔合わせもした。非常に濃い期間だったとしみじみ思い返す。
他のアルゲントゥムに会ってどうだったかと聞かれると、対応に困るかもしれない。考えた末に、リーリウムはオブラートに包んで「とても家族思いで優しかった」と答えるだろう。
ウィスタリアの親族である点を考えれば、世間一般の枠に当てはまらない存在であることは推して知るべし。
「美しい学び舎ですよね。タリア様が手を入れられただけあって」
遠目に校舎を眺めながら歩くリーリウムに話し掛けるのは、半歩後方の左隣に並んだ騎士の位を持つリンデ。
肩まであるライトブラウンのサイドテールがぴょこぴょこと揺れる。リーリウムと二人だけの時間が嬉しくてたまらないといった様子だ。
何を隠そう、リーリウムの第一の専属騎士となった努力家の少女である。
「うん。漫画の世界みたい」
言葉通り、リーリウム達の前には日本らしくない華やかな光景が広がっていた。
三メートルはあろうかという高い塀にぐるりと囲まれた広大な敷地。その中に佇む美麗な学校の施設群。フランス様式のそれらは、美術館や聖堂、宮殿のごとく。
一流の庭師により整えられた樹木や花々と建物が調和し、幻想的で神秘的な得も言われぬ風情を醸し出している。
ここが、あと二週間もしない内にリーリウムとリンデが通う『私立ジーヴル学園』。神奈川県の出月市にあり、幼稚舎含む小中高一貫の知る人ぞ知る名門校であった。
「案内してくれる人って、同い年のヴァンパイアなんだよね?」
「はい、リリィ様と同年です」
本日の目的は学校見学。
編入試験は学園から試験官を招いて自宅で終えている。
何故この学園をウィスタリアが選んだかと言えば、
『アタクシが創立した学園だもの。理事長は代々アタクシの従僕で、学園長も息がかかった人間だから安心よ』
という訳である。
従僕はファミリアの下位互換で、ヴァンパイアになりきっていない人間のことだ。取り込んだヴァンパイアの因子が中途半端な量であり、完全なヴァンパイア化までいっていない状態を保っている。
ヴァンパイア因子が持つ特性により因子の主に該当するヴァンパイアに逆らうことができない。
ヴァンパイアに優しい制度も多いらしく、ウィスタリアのお墨付き。ジーヴル学園に通うことに否はない。
学園生活の参考になるからと見学を推奨され、ちょうど人の少ない春休み期間である今日に訪れた次第だ。
制服はつくっている途中で、完成するのが一学期が始まる数日前だとか。残念だが現在の服装は私服である。
はい、かなり時間が飛びました。
ここからが本当に物語始動って感じです。
前回までの分はとてつもなく長いプロローグというか、前もって知るべき情報の詰め込み的なものです。
説明文が多く読みづらかったかと思います。駄文で申し訳ありませんm(._.)m
これからやっと物語が動き出します。
主人公の父や親友、ハンター協会、陰陽師…と、他にも今まで話にしか出なかった存在がようやく本格的に描写されていく予定です。
もちろん様々なヴァンパイア達の出番も目白押しです。
至らない点だらけで粗末なものですが、今後ともお読みくださると嬉しいです。