銀を冠するモノ 5
「お前らの能力は優秀だ。その点だけは魅力的なんだ」
力は欲しいから取り込みたいという意見で落ち着いた。
俺ら自身は無理にしても、子に引き継がせればいい。
厭らしい笑みと狂気じみた熱のこもった眼差しで男は言った。
「お花畑みたいに緩んだ頭で平和な使い方しかできないお前らより、ずっと俺らは有効活用してやれると思うぜ?」
野心。密かに抱く大きな望み。
人間が心に宿したものは、地球上初の感情というわけではない。むしろ多くの生物が持って然るべき生存本能が根底にある分、鬼人の長が持つ博愛の心とは比べられないほど一般的と言える。
承認欲求、支配欲などと後世で名づけられるそれらは、数多の生物が育んできた歴史や社会の中で珍しくもない。下剋上や成り上がりと言われれば、誰もが納得するのではないだろうか。
人間という生物だって同様だ。
ひとたび歴史を振り返ればありふれた史実としてそこかしこに転がっている。加えてそんな出来事があったからこそ何度も世界は革新がなされ、発展した。
「………」
「安心しろよ。女どもは子を産む道具として大事にしてやる」
しかし忘れてはいないか。
「そろそろ俺らの里への移送も終わっているだろう。空になったこの場所に帰って来る奴らの顔が見ものだな」
史実に残るのは成功し周囲に多大な影響を及ぼしたもののみで、志半ばで途絶えたものは記録されないと。
「にしてもお前らが長生きで助かったわ。若いままの女を長く楽しめるし、長期的な実験も可能だし…奴隷としてこの上ない」
「……―――な―—い」
「ああ、女は女でもお前みたいな無駄に力ある奴は目も耳も使えないようにするから。無論手足も拘束する。でもまあ、快楽は感じられるから嬉しいだろ」
「――黙りなさいっ外道!!」
野心にはいくつかの意味がある。
密かに抱く大きな望み。
また。
身分不相応のよくない望み。
「よく分かったわ。―――わたし達は仲間に盲目的すぎて、傷つけ傷を負う覚悟もなかったのだと!」
(兄様…みんな、ごめんなさい。わたしは貴方達の心に寄り添えないかもしれない)
心が痛い。
涙が一滴流れ、氷の結晶となって落ちる。
『そなたが望んだならそれでいい。私の心も望みも、そなたと共に』
ふと、この場にいない兄の声が聞こえた気がした。
重い目蓋を震わせ、億劫に思いながらも懸命に視界を映す。軋み悲鳴を上げる四肢をどうにか動かし、僅かに体を起こした。
「……そう、か…我らは人間と分かり合えなかったか」
フッと微笑み、皆には申し訳ないことをしたなと呟く。
「私の我儘で迷惑をかけたな…同胞にも人間にも」
鬼人を統べる自分が望まなければ出逢わず、一時とはいえ心を通わせることもなかった。この事態は誰でもない己自身が招いたのだ。
昼だというのに夕刻のごとき暗い木造家屋の中央で、視線を虚空に彷徨わせる。
身を寄せ合い、不安げに瞳を揺らす鬼人でも力の弱い女達に囲まれ、一つ溜息を零した。ただの溜息であるのに、槍で負わされた多くの傷からジグジグとした痛みが走る。
「長……」
「心配するな。我らの戦士達は勇敢で逞しい。今頃は人間達を退けているだろう」
鍛えてほしいという要請により少々遠くの地へ連れ出された鬼人達についてだ。
例え何重にも罠が仕掛けられていようと命は無事だと確信している。
「誇り高き戦士達の叫びがここまで轟いている」
雨に混じり大気をかすかに震わせる妖力の波動。
猛き意志が人間達に対する哀しみや怒りを滲ませ荒れ狂っている。少なく見積もっても山一つ分近く離れているこの場所まで届くほど、彼ら鬼人の実力者達は激高し、戦っているということだ。
今すぐ駆けつけてやりたい。
そう思うが家屋の周辺に人間の見張りが幾人もおり、身動きが取れない。ここに集められているのは鬼人の中でも力の弱い者で、ある程度人間よりは身体能力が高いが、誰かが人質にとられれば抵抗できなくなるだろう。
仲間を殊更大切にする鬼人の習性が仇になった。
(さて、どうしたものか…)
考えを巡らせる。今何ができるかと。
(――私にもっと力があれば)
全てを丸く収められたのだろうか。
思っても詮無きこと。仕方がない。だが、せめて活用範囲の広い、応用できるものだったらと願わずにはいられなかった。
鬼人の長たる自分は確かに最も妖力が強く、強力な力を有している。しかし強力であるのと攻撃力があるのとは別の問題なのだ。
鬼人の集落の創始者にして始まりの主は、同胞を守護する方面に特化していたのである。
(ルーナ……我が月の光よ…そなたは今どうしている?)
脳裏に過る豊かな銀髪と、柔らかな光を称えた金の瞳。愛した男が敵として立ちはだかった最愛の妹は、どこで何を思っているのだろうか。
思いを馳せ、小さく微弱な妖力の波動を感じられる方に意識を向ける。
『――ごめんなさい。ごめんなさい、兄様。ごめんなさいみんな。』
妹のすすり泣くような悲哀。徐々に肥大化していく妖力が、深い悲しみと重大な決意の意志を乗せて波及してくる。
『もう少しだけ耐えて。わたしが全てを止めてみせる!』
嗚呼、なんということだ。妹はこの戦いの責を一人で背負ってしまう気だ。
(ルーナすまないっ。不甲斐ない私がそなただけに決意させてしまった…っ―――だが決して、そなたを独りにする気はないっ!)
満ちる強大な妖力とその波動に鬼人の女達が何事かと慌てふためく中、鬼人を統べる長として、一人の兄として奮起する。
想いよ届けと、奥底から湧き上がる力を引き上げていく。
「泣くなルーナ…!我が同胞のためにっ、そなたのためにっ、私が何もしないなどと思うな…!」
同胞はもとより大切。妹の幸せは己の幸福であり、妹の願いは己の望みも同じ。
(同胞が、そしてそなたが望むなら、得難き隣人にも非常になれる…見縊ってくれるなっ!私は全てを愛したいとは思うが、全てを許したいとは思っておらん!)
だから。
望んだとおりにするがいい。
「我が心はいつまでもそなたと共にあろう」
刹那。
世界は白く染まっていった。
―――想いが成した力によって救い、救われ、亡ぶ輩。
―――されど、莫大な力は早過ぎる氷結の使者を招いた。
―――世界は廻り、溝は残る。
ある鬼人は決意し、願った。
全てを止める力が欲しいと。身も心も、世界も。あらゆるものを止め、閉ざす力を。
仲間のためと理由づけて、本当は自分自身が許せなくて。
『世界よ、どうかわたしを許さないで。
力に頼ったわたしを、兄の力がなければ同胞すらも屠ったであろうわたしを。
私が望んだのは守る力ではなく、殺める力であることを』
手にした力は盾ではなく矛。憎き人間を、排除するために。
ある鬼人は決意し、願った。
全てを退ける力が欲しいと。病も敵も、同胞も。あらゆるものを退け、癒す力を。
仲間のためであり、何よりも最愛の妹が悲しむ姿を見たくなくて。
『人間よ、許せなどとは言わない。
盟友だと言いながら心情を考えてやれなかった私は、盟友失格なのだろう。
そして突き詰めると結局、私はそなた等より我が同胞を守りたいらしい』
手にした力は矛ではなく盾。愛する妹を、守護するために。
二人の鬼人が齎した力は、本来いくらか先に起こるはずであった事象を早めてしまった。