銀を冠するモノ 4
降り注ぐ大粒の雨。
色のない空。
盟友だと笑いあって二年。
鬼人と人間の絆は綻び脆く崩れ始め。
かろうじて結びついていた芯の細い一本さえ、耐えきれずに千切れる。
―――運命の歯車は廻った。
―――全ては原初から変わっていない。
―――種が分岐した其の日より、何一つ。
血に塗れ倒れ伏す同胞達。無惨に引き裂かれた服の隙間からは、傷を修復しようと蠢く皮膚が覗いている。
ほとんどが成人もしていない子供で、幾人かいる大人は力の弱い男か老人だった。
槍やナイフが刺さっている者もおり、全員共通しているのは鬼人であること。今にも死にそうな重傷を負っているという点の二つである。
「あぁぁ…ぁあぁぁああぁあああ゛あ゛ぁぁああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」
目に映る光景を信じたくはない。
(ぁあ、なぜ…何故なの…ナゼこんなことをしたの!?わたし達が何をしたって言うの!!)
バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が、元より冷たい肌をさらに冷やす。体温の低下が避けられないこの天候は、身を焦がす感情の熱を鎮めるためにあるのかもしれない。
びしゃびしゃと濡れそぼった自慢である銀の髪の間から、そこかしこにできた水溜りが視界に入った。混じりあう滲んだ紅の強すぎる臭いが雨の中でも鼻につく。
認めたくはないが、眼前に広がる惨劇は夢でもなんでもなく現実だった。
悲哀、絶望、疑問、憤怒。荒れ狂う感情が妖力を膨らませ、凍結が地に広がってゆく。
冷気で銀髪がたなびき、零れ落ちる涙さえ一瞬のうちに凍りついた。危険な光を帯びる相貌が色づき、元は金だった瞳が深紅へと変貌する。
「本当に化物だな。こんだけ刺しても死なないとか…同じ生物とは思えん」
嘲笑と共に聞こえてくる男の声。
かつては愛した、よく通る勇ましい声音だ。今となっては不愉快極まりなく、誰よりも憎く殺してやりたい人間の男。
「わた、わたし達はっ、同じ人という生き物よ!刺されば傷つき、血を流す!嬉しければ笑い、悲しければ涙も出るっ…感情を持っているからこそっ、仲間を慈しむことができるの!!共に過ごしたあなただって知っているでしょう!?」
「ああ知っているさ。感情を持ってはいても理解不能な思考回路で、全て悟っているとでも言わんばかりにご高説を垂れる嫌味な奴ら!おまけに馬鹿みたいに強い危険な力。慈しむだなんて生易しい言葉で語れない行為を平然とする、気持ちの悪いおぞましい存在だっ」
「なっ……そんな風に思っていたのね。その危険な力に助けられ、気持ちが悪いという行為だって愛されている特別感があるって喜んでいたくせに…っ」
「っは、あの頃の俺はどうかしていた。よほど他者を惑わすのが上手いらしいな、お前らは」
鼻を鳴らした嘲笑が鼓膜を揺らす。
脳が理解すると同時、カッと怒りが迸った。
「惑わしたのはどっちよ!!」
雨のおかげで水には困らない。
凍てついた妖力の波動で濡れた地は瞬く間に凍結し、水溜りに氷が張る。空気中の水分も凍りつき、雹となって落ちた。
「力の弱い自分達だから工夫できるって里の防衛に携わって、便利な道具を作ったって子供達に分配して、子供の面倒は見るから少しは自由時間を取れって親を誘導して、強くなるために指南してほしいと力ある者を外に連れ出して!」
思い起こせばおかしかった。
何もかもが強い鬼人達を住居のある里から遠くへ引き離す行為に他ならなかったのだ。
「昼間、それも雨が降ってる今日にっ、あなた達がやって来るだなんて!」
婚姻を結んでから鬼人と人間は交流と称し、定期的に互いの集落を訪れるようになっていた。
およそ月に一度、月がはっきりと見える晴れの日の夜に。
鬼人の活動時間は夜であったから、日が沈みきる前の夕暮れに訪れるのが常であった。
「いつもわたし達の活動時間に合わせてもらって悪いと思っていた…罪悪感を上手く使ったものねっ」
「そうさ、感謝しろよ。お前らに合わせてやってた俺たちの優しさに」
「…っ誰が」
感謝なんてするものか。
出かけた言葉を飲み込む。
確かに今の今まではありがたいと思っていたのだ。兄の顔がちらつく。
『彼らはよく頑張ってくれている…本来であれば我等も彼らに寄り添い、合わせるべきなのだ。けれど彼ら自身が私を気遣って、是非夜にと笑顔で言う姿がひどく嬉しい……本当に、眩しく愛おしい隣人だよ』
嬉しげに、しかし困ったように微睡みの縁で零した言葉。すぐに寝入ってしまった兄に毛布をかぶせ、静かに同意した。
あの時は太陽光にも弱い肌を持つ兄を気遣ってくれる人間達に感謝しかなかった。
(それがっ、こんな形で裏切られるだなんて!)
ぎりりと歯を噛みしめる。
「答えて……答えなさいっ…何故こんなことをしたのかっ!」
少しも分からない。
自分達はお互いに心を預け合い、上手くやってきたではないか。
「…理解できねーだろうな!俺も、お前らが理解できねーし」
「言葉で惑わそうとしても無駄よ!」
「では聞くが、何故お前らは仲間を想える?仲間を自分の命より上に置けるんだっ」
「…当たり前でしょう。仲間だからよ」
何を言っているのか分からない。そんな顔で訝しげに見つめた。
「お前らはそうだ!簡単に命を懸けられるっ、簡単に命を預けてしまえる!!」
(それが何でった言うのよ!だって仲間なら、命を賭して助け合うのが普通でしょう!?)
目の前の男だってそうやって同胞のために生きてきたはずだ。
「…ああ、なんでそんな目をする!?おかしいのはお前らだろうっ!」
耐えられないとばかりに男は頭を掻きむしり、怯えの浮かんだ瞳を向ける。
「知り合ってたった数日の、大して知りもしない奴に全幅の信頼を向けられる意味が分からない!まるで常識のように命を懸けることを要求される恐怖っ。知っているか?重荷に耐えられなくて頭がおかしくなった奴もいるんだぜ?」
「嘘よ…そんな訳ないでしょう!第一心の底から信頼し合えないと仲間だなんて言えないじゃないっ」
「はっ本気で言ってるのか?それなら一生仲間だと言えない方がマシだ!無条件の信頼?頭が湧いてるとしか思えない!!」
「仲間とは信頼の上に成り立つものでしょうっ、それの何がおかしいというの!?」
「お前らのそれはっ、常軌を逸している!!」
慟哭のごとき叫び声は煩く振り続けている雨の中にあってもよく響いた。
「ほら見ろよ、仲間に対する思いすらこれほど見解の相違がある。まだまだあるぜ。例えば食料が少なくて皆が紐じい思いをしていた時、お前らだけ原因を作った奴を罰せずへらへらしていやがった。子供をつくる行為は大切なのに、する度お前らは変な目を向けてくる…無理だろ?これだけ俺らとお前らは違う」
「それは、何度も話し合って」
「お互いの考えや文化の違いだって結論を出した、か?だがそれを俺らは受け入れられなかったんだよっ!」
身体の構造、思想、文化が異なる。だから鬼人と人間は違う。
話して分かりあおうともした。時が経てば馴染むかもしれないと思った。
だが努力すればするほど、浮き彫りになるのはどこまでも違うという現実。
「違う」なら共感できない。共感できないと分からない。分からないことは、未知。
未知は何も理解できないこと。故に、対策ができない。どう対応すればよいのか判断できない。
どんな生物も持ち合わせた感情にして本能。すなわち、恐怖。
「未知」とは、「分からない」とは何もできないということなのだ。それは弱肉強食の世界において生命を脅かされることの代名詞。自然の法則に従って、恐怖することだ。
恐怖を感じた生き物が取る行動など限られているだろう。
逃亡か、攻撃。あるいは、元凶が過ぎ去るのを待つ。
人間達が選んだ手段は、攻撃だった。
ただし、攻撃とは言ってもその辺にいる有象無象の動物とは一味違う。人間は知性ある生物。
考え続け、より良き種の繁栄を、未来を齎すために模索できる生物である。
結果――
「だから、薄気味悪いお前らを消すことにした―――孕ませられる女だけ残してな」
―—人間は最も最悪な手に出ることにした。
「なっ……あなた達はっ、なんて…!」
卑劣で醜悪な考えにゾッとし、言葉が続かない。それが人のすることかと信じられない思いに身体が戦慄いた。
ようやくリアルの方が一段落しました。
少なくとも今月と来月は週一ペースで投稿できそうです。