甘美なる血の絆 2
額、こめかみ、耳、頬、鼻先…と柔らかい感触が押し付けられ、リーリウムは固まる。突然のキスの嵐に目を白黒させる以外なかった。
(え、え、どうなってるの?なんかあった?いやいや、私のちんけな悩みというか不安を言っちゃったけど面倒なだけだろうし…母上なりの最大の励ましとか?)
おそらくそうだろうと結論付けてみるが、母からの過剰な心配と大げさすぎるくらいの愛情表現には戸惑うばかりだ。
「あの…母上」
「なあに?」
「っん、…なんでキス?」
口元近くにされ、思わず赤面しつつ問いかける。
「んー…ふふ。リリィが可愛くて可愛くて仕方ないからよ」
「娘だから?」
「そうねぇ…それもあるけど、不安を打ち明けてくれて嬉しかったし、はにかみながらお礼を言ってくれた時にキュンときちゃったからかしら」
「…ちょっと、恥ずかしい」
「うふふふーっその照れ顔もたまらないわぁ」
また何度もウィスタリアは顔中にキスを落とす。
先ほどから同じことを繰り返され、リーリウムの羞恥心は刺激されっぱなしである。白い頬がリンゴのように耳まで真っ赤に染まり、不安がっていた時の余韻が抜けておらず潤んだ瞳。
硬直から抜け出したために腕で顔を隠そうとするが、ウィスタリアに阻まれ続け、その可憐な表情を余す所なく見られていた。
(もうもうっ、なんでこんなに可愛いのかしら!ああ写真に収めたいっ、スマホを持ってこなかったのが悔やまれるわ!)
娘のあまりの可愛さにやられている親バカのウィスタリアは、彼女を知る者が見れば顎が外れそうな勢いで驚愕するであろうニヤけた表情である。
つまり、デレデレだ。
後にこのデレ顔を知り合いに晒してしまう機会が頻繁に訪れ、周囲から「氷銀女王」と呼ばれ完璧な淑女だと思われていたウィスタリアの評価が様々な意味で変化するのだが、この時の彼女は知る由もなかった。
「っひう、え、母上?」
襟をはだけさせ、首筋に吐息をかけられたリーリウムはビクリと体を震わせる。
「ん、ねえリリィ」
「ふぅ、なに」
「アタクシと絆結をしましょう?」
「……うん」
首に這うウィスタリアの生温かい舌の感触にゾクゾクし、落ち着かない気分にさせられる。
絆結。絆を意味する「ウィンクルム」と、輪を意味する「アーヌルス」が語源となったヴァンパイアの言葉。
一定以上の好意を持ったヴァンパイア同士で行うスキンシップの一種だ。特に家族間や恋人、友人同士で行う。言うなれば愛情表現のようなもの。
吸血し合ったり、体液を啜り合ったりする行為全般を指す。
これには「貴方を信頼している」という意味や思慕の念、想いの交換、妖力の回復といった様々な意味合いがある。
ヴァンパイア特有の行為であるが、口づけや抱擁などが近い意味と言えるだろう。
リーリウムの了承を得たウィスタリアは艶然と微笑み、紫がかったその碧眼を妖しく煌めかせた。
リーリウムと同じ美しい銀髪をかき上げ、次の瞬間には真紅の輝きを纏った瞳に変貌する。猫のように細くなった瞳孔が印象深い。
薄く開けた艶めかしい唇の隙間から長く尖った二対の牙が覗く。
「―――大好きよ、リリィ」
とびっきりの笑顔を見せて、ウィスタリアは牙を突き立てた。
「んっ」
肌に突き刺さる痛み。
その瞬間だけリーリウムの眉間にしわが寄ったが、すぐに別の意味で悩ましい顔になる。
「はぁあ、あ…あぁっ」
本人の意図によらずピクピク振るえる肩。漏れる熱い吐息。かすれ声に交じるのは、苦しみではなく体の喜びだ。
「ぁ…母上っ…っぁあ」
「はっじゅる…ちゅぱ、んちゅぅ、リリィっ…愛してるわ…ちゅう…」
巡る熱にせり上がってくるせつない疼きに突き動かされ、時折ぎゅっと力が入る手でウィスタリアの服を掴む。
火照った体に汗が滲み、上気した頬と熱っぽい瞳がウィスタリアの高揚を煽っていることにリーリウムは気づかない。
(リリィっ、アタクシの愛しい娘!愛しすぎてどうにかなりそうよ…アタクシとおそろいの銀の髪も、宝石みたいなグリーン・アイも、雪みたいに真っ白な肌も何もかも食べちゃいたいくらい可愛いわ)
血を啜りながらリーリウムの熱に浮かされた顔を見ては身悶えする。
(嘘みたいに透き通って綺麗な妖力や甘くて優しい匂いも、めったに表情を変えないのに素直で擦れてない所も、全部大好きっ)
どさくさに紛れて腰や太腿を撫で、リーリウムの反応を確かめては胸を熱くさせるという少々変態的で妖しい気配を発していることがウィスタリアの親として残念な所か。
キーファが目撃していれば主の醜態にショックを受けるか、ドン引きするか、諌めるかはしていただろう。
だがそれも仕方ないとウィスタリアは開き直る。
「ふぅぁ…母上っぅん、んう…っ…ぁっ」
こんなにも可愛い娘の姿に平然としていられる親はいないはずだ、と。
ちょっとおかしいテンションになって暴走、もとい可愛がってしまっても無理はないだろうと。
親バカの末期とはこのような者を言うのではないだろうか。否、むしろバカ親かもしれない。
ちなみに、一般的に親子間で絆結をする際に身体を撫でまわすといった行為はしない。性的な行為を連想させる愛撫などはもってのほかだ。
愛情過多な家庭であれば頭や頬を撫でたり背中をさすったりはするが、それ以上のことは夫婦間や恋人間でしかしないのである。
合間にしっかり口づけを挟んだり妖しげな手つきで撫でたりしつつ、三分もしないあたりで名残惜しげに行為を止める。
リーリウムからストップがかかったためだ。
「っふ、っふぅ…母上…もっ、もう、ムリ…」
「ぢゅる……リリィ?えっ、ああ、ごめんなさい。初めてなのにやり過ぎたわ」
さすがにマズイと悟ったウィスタリアは息も絶え絶えなリーリウムにばつが悪そうな顔で謝る。
吸血での絆結は血を失うため、やり過ぎてはいけない。
吸血をより効率よくするために体質が特化したヴァンパイアは、吸血している相手に快感を与える。痛みを覚えるのは牙を刺した最初の一瞬のみで、あとは吸われ続ける限り快感の熱が身体を支配する。
そのため吸血した方のヴァンパイアは血液というエネルギーの源を摂取し、妖力を回復させ元気になるが、吸血された側は血と共に体力を著しく消耗するのだ。
「本当にごめんなさいリリィ。親であるアタクシが貴女の体調を考えてやらなければいけないのに…」
「ふぅ…ふぅ…ん、大丈夫」
余韻が抜けず未だ体を断続的に震わせながらも、リーリウムは微苦笑を浮かべる。
(うあ……まだちょっと体が変な感じ。でも、うーん…嫌ではない、かな。絆結の吸血ってこんな感じなんだ)
腹の底に溜まった渦巻く熱を持て余し、先ほどの行為を反芻する。
熱い何かが体を巡った快感と母の愛情を感じる妖力の波動、心が幸福で満たされて、えも言われぬ心地。
ふわふわと意識が彷徨い、ずっとウィスタリアに包まれている感覚だった。
(これを親しくなった同性の友達とかともやるって…ヴァンパイアってすごいなぁ。親子でこれなのに、恋人とか夫婦とか、恋愛関係にある人達ってどうなってるんだろ。もっとすごいとか?体力持つのかな。母上は夫はいないみたいだけど……この先は止めとこ)
なんとはなしに恐ろしい考えに至りそうだったので、リーリウムは慌てて考えを打ち切る。ここでウィスタリアに聞いて、藪をつついて蛇が出るような結果になるのは避けたい。
しかし自分ばかりがしてもらうのは不公平な気もし、今度機会があれば自分も絆結をしてみようという思いを胸に抱いた。
母が喜んでくれるといいなと考えて。
(今はその気力がちょっと湧かないけど)
母という未知の存在にどう愛情表現をすべきか分からないリーリウムの手探りな家族愛の形。
命を救われ、望んだにもかかわらずヴァンパイアになったことへの悩みを持ってしまったどうしようもない自分を気にかけてくれるウィスタリアに、情を抱かないはずがない。
それをこの母は理解しているのだろうか。
(分かってなんだろうなぁ…ヴァンパイアにしたことに罪悪感あるみたいだし)
氷丘由璃が瀕死に陥った原因がヴァンパイアだけに、ウィスタリアが自己嫌悪している節があることには感づいていた。ウィスタリア自身が悪い訳ではないのに。
これだから、接した時間が短いとはいえ、リーリウムはウィスタリアが好きなのだ。誠実で責任感が強くて、どこまでも優しい人だから。
言葉の端々や仕草の端々に、その感情が表面化しているのではない。一目瞭然と言える妖力に、それは表れている。
妖力はヴァンパイアの力を表すとともに、心の状態も伝えてくれる。
「どうしたの、リリィ?」
リーリウムが見つめると、笑顔で見つめ返される。
手を握られているからか、嬉しげで溢れんばかりの愛情が妖力として伝わってきた。
「なんでもない」
いい加減気づいてくれてもいいのにと思う。
自分は貴女を憎んでもいなければ、ヴァンパイアになったことを後悔してもいない。
確かに悩みなんて持ってしまったけれど、だからと言ってヴァンパイア化させることで救ってくれたのを後悔する恩知らずではない、と。
これだけ妖力で思いを伝えても、ウィスタリアは自身を許さない。
本当に、儘ならないものだとリーリウムは嘆息する。
いつかその心の棘を取り去りたいと願い、疲れた体を休めるため、目蓋を閉じた。