第6話 不可能犯罪現場とロジック遣い
雪乃がノックをする。
コンコン
「入ってください、どうぞズラ」
静岡訛りの少女が女子更衣室のドアを開ける。
「雪乃先輩、お帰りなさいズラー。このカッコイイ人が探偵さんズラか?」
小柄であるが豊かな胸をした可愛らしい美少女が、クリクリとした瞳を輝かせて隼人を見つめながら、雪乃に尋ねる。
白髪をポニテにして黒いリボンで結んだこの少女の名は、丸ミヨ。秋葉原学園高校一年の女子水泳部員。
丸は中学までは静岡県沼津市に住んでいて、今年の春に秋葉原学園高校に入学することに伴い上京してきたばかりであることから、まだ静岡訛りが抜けない。水泳部内では、ズラと呼ばれる。
「そうよ、ズラちゃん、ありがとね」
雪乃がドアを開けてくれた丸の頭を撫でる。
「内側からは、自由に開けられるんだな。まぁそうでなければ消防法違反だがな」
無愛想にそう言うと、隼人は興味深げにドアを観察する。
「せやねん。でも、ウチらがココからプールに出たのは同時やし、プールからココへ帰ってきたんも同時や。ウチらの誰かがココへ第三者を招き入れた可能性はゼロやで」
「それは俺が判断することだ」
隼人のニベもない言葉に、雪乃は沈黙する。
隼人は、もう1度、外へ出てドアの左横にあるボックスを開ける。
「これが世界最高のセキュリティー技術を持つイリュージョン・アーツ株式会社のバイオメトリック認証システムか。ここに手を置くと指紋、掌の静脈による本人確認が、ここに顔を翳する網膜による本人確認がされるという3点方式の生体認証システムだな」
「せやねん。パーフェクトやで」
隼人は、再び更衣室内へ入り、部屋の全貌を見渡す。
20畳ほどのその部屋は、まさに殺風景。
南の壁ぎわにボストンバックを入れられるほどの大きさのロッカーが、縦に5列、横に10列ほど並ぶのみ。
部屋の中央の床には細長い机が1つだけあり、その上に部員のものであろう4つのスクール・バッグが無造作に置いてある。
そんな机の周りにいる女子水泳部員たちを隼人は見る。
その時。
「! お、お前は、今朝、曲がり角で俺にぶつかっておいて謝りもしなかった食パン女! お前のマーガリンがズボンについて、大変だったんだからな!」
「あ! あの時の隻眼! お前がボケッと歩いてるから悪いんだにゃー。私がダンプカーだったら死んでるとこだったにゃー。お前が悪いにゃー」
隼人は、その水泳部員の少女を見るなり、今朝の出来事を思い出して詰問する。
少女も負けじと応戦する。丸い顔に、パッチリとしたキレイな瞳。髪は茶色のショート。いかにも活発そうな可愛い少女。
その少女の名は、梵ルリィ。丸と同じく1年の女子水泳部員。
「お前は、今、俺に対して『私がダンプカーだったら死んでるとこだ』と反論したな。だが、あの時、俺はガードレールにより車道と隔離された歩道を歩いていたわけだ。そんな歩道を歩いている俺がダンプカーにぶつかったとしたら、ガードレールを壊して突入して来たダンプカーが悪いに決まっているだろ。どうして俺が悪いということになるんだ? この再反論に対し、再々反論してみろ」
「ぐぬぬ……」
隼人は、さらに畳みかける。
「そもそも車道と歩道では、歩く時に注意を要する程度が全く異なる。ゆえに、お前の批判には、所与の前提としている基礎自体に瑕疵があって何らの説得力も持たないものなんだよ」
「さ、さすが完全なるロジック遣いにゃー……ルリィが悪かったにゃー」
論破されたことを認め、ルリィは和解を申し出る。
「ヨーソロー! 高校生探偵さん、僕たちの為に来てくれたんだね!」
パッチリとした目をしたオレンジの髪の僕っ娘が、張ったかんじの元気な声で、隼人に声をかける。
いかにも活発そうなこの少女は、女子水泳部副部長を務める新井いろは。学年は雪乃と同じ3年。
「紹介しよう。このヨーソローが3年の新井。にゃーにゃーが1年のルリィ。ズラが1年のズラ。全員、女子水泳部だ」
雪乃が順番に指さしながら、隼人に説明する。
「その紹介、テキトーすぎズラ」
丸が不満を言う。
隼人は、興味なさそうに3人の女子部員を眺め、スグに更衣室を見回す。
コンコン
隼人が握った手の甲で更衣室の壁を叩くと硬質な音がする。
「まさに閉鎖された完全な鉄の箱だな、この部屋は。窓も無ければ、屋根裏への経路も無い。完全に外界と隔離されている。全体が鉄の壁で被われ、この鉄の壁を破損しようとすれば、防犯センサーが作動して、イリュージョン・アーツ株式会社本社へ通報が行くというシステムが24時間体制で敷かれている。あの天才物理学者の水鏡恭一郎がCEOを務める会社によるこのシステムを疑うことは、愚かということだな」
「そして、この各ロッカーの扉ごとに接合されているボックスも、先ほどの入口にあったバイオメトリック認証システムと同じですね」
隼人は、ボックスをパカっと開きながら自ら認識した事実を確認する。
「せやねん。各ロッカーは、それぞれの持ち主だけしか開くことがでけへん仕組みになってる。部長のウチでも、開けられるロッカーは自分の分だけや」
「話は戻りますが、入口のドアは雪乃さん、あなただけが開けられるのでしたね。ならば、あなたがいないと部員たちは、この更衣室に入れない。だから、今日の部活の開始前は全員一緒に入ったということですか?」
「せやねん。入口に夕方4時に集合して、一緒に入ったんやで。そんでスクールアイドルの話とかでワイワイ騒ぎながら着替えして、4時20分くらいに皆一緒に外に出たんやで」
丸も、ルリィも、新井も、全員が雪乃の言葉に頷く。
「雪乃さん。あなたたちが外に出られる午後4時20分より少し前に、あなたが紐パンをロッカーに入れたことを、自分でしっかり記憶されていますか?」
「それはルリィが確認したにゃー」
「僕も確認したよ。ズラも確認したよね」
「ズラ」
「どういうことでしょう?」
隼人が訝しむ。
「丸が言ったからズラ。雪乃先輩が持ってた紐パンがスケスケの紫でセクシーすぎるから、『先輩エロすぎズラ』って言ったから、大注目になったズラ。それで皆で先輩をからかったら、雪乃先輩は照れながら紐パンをロッカーに入れたから、その瞬間は全員が見ていたズラ」
丸の説明に、残りの3人の女子部員がその通りと言わんばかりに大きく頷く。
「分かりました。それでは午後4時20分より後を、雪乃さん、再びお願いします」
「う~ん、それから1時間半くらい練習してたけど、誰も途中でプールから出ていかへんかったんは間違いないで。そんで午後6時前くらいに、もうやめようかてなって、皆で更衣室に戻ってん。もちろんウチがドアを開けた。そんでウチのロッカー開けたら、紐パンが無かって大騒ぎになってん」
「だったら犯行時刻は午後4時20分から午後6時前の約1時間30分の間ってことね」
花音が自信ありげに言ってニンマリする。
「お前は、ちょっと黙っていてくれないか」
隼人は少しイラついた口調で花音を注意する。
「な、なによ! 私だって考えてあげてるんじゃない」
言葉とは裏腹に元気なげな表情になる花音。
隼人は全く気にする素振りを見せず、雪乃に質問する。
「それで次にしたことは何ですか?」
「イリュージョン・アーツ株式会社に電話して、この1時間30分間に更衣室の防犯センサーが作動しなかったか聞いたんや」
「外部からの侵入を疑っていたわけですね」
「当たり前やん。大切な仲間なんやで」
「分かります。それで、イリュージョン・アーツ株式会社からの回答は?」
「防犯センサーは……作動してへんかったって……」
「せやから、皆で持ち物検査をやりあおうって決めたんや」
「内部の犯行を疑ったということですね」
「せやかて、それしか可能性ないやんか……ウチかて皆のこと裏切りたくなかったんや。せやけど……せやけど……」
雪乃は興奮の余り泣き声になって声を震わせる。
「雪乃さん、落ち着いて下さい。冷静にお願いします」
「ヨーソロー。雪乃っちは、ちょっと休んでおきな。僕が説明するよ」
隼人は、沈黙することで新井に話を促す。
「この水泳部は、何度も廃部の危機に見舞われてきたけど、黒田雪乃と新井いろはのコンビで頑張って存続させてきたんだよ。昔いた金本や大竹は、僕たちを裏切って水泳だけできる金持ち高校に転校していったよ。だから雪乃っちは、それだけに水泳部の今の仲間に思い入れがあるんだよ」
隼人は黙って、続きを促す。
「それで、1人ずつの私物を全員でチェックすることにしたんだ。1人に対し3人の目でチェックすると見落としが避けられるからね。それで、僕、ルリィ、ズラの順に私物をチェックしたんだよ。公平を図るため雪乃っちの私物もチェックしたよ。でも、誰の荷物からも紐パンは出てこなかったんだよ」
女子更衣室に、絶対的な静寂が訪れる。
「お兄様、助手様ちゃんは犯人を分かりました!」
千冬が明るい声で、両手をあげてアピールする。
「ホンマに!」
「すごいズラー!」
「やるにゃー!」
「ヨーソロー!」
女子水泳部員の全員に、明るい声が戻る。
「でかしたよ、ちーちゃん。誰なんだい?」
「助手様ちゃんが今まで読んできた推理小説のデータベースに照合すれば、答えは1つしかありません」
女子更衣室の全員の熱い視線が千冬に注がれる。
「犯人は、この4人が共謀していたという全員犯人でしたパターンなのですわ。全員で口裏あわせてるから、容疑者すら出てこないのは当然なのですわ」
「違うズラーーーー」
「何を言ってるにゃーーーー」
丸とルリィが叫び声をあげる。
雪乃と新井は深い溜め息をつく。
「ちーちゃん、ちょっと黙っていようか」
隼人は苦笑しながら、千冬の頭を優しく撫でる。
「え? お兄様は助手様ちゃんのデータベースを信じられないのですか? 助手様ちゃんの完全記憶能力によりますと、このパターンの作品が1番初めに世に出たのは1934年イギリスで」
「ちーちゃん、ストップ、ストップ!」
隼人は思わず声を張り上げる。
「え?」
「う~ん。ちーちゃん、考えてごらん? 今回の4人が共謀することで共通して得られる積極的な動機ってあるかな?」
「あ! ありません! やはり助手様ちゃんは、考える力の無いデータベースにすぎないのですか……」
「そんなこと無いよ。あらゆる可能性を考えるのは基本だからね」
隼人は優しくフォローする。
「気分を変えて今度はルリィさんにお伺いしましょう」
「ルリィが疑われているにゃーか?」
ルリィは驚く。
「ご安心下さい。いろいろな人に聞くことで、一人ずつの負担を軽減するのが狙いです。誰にとっても仲間を疑われるのは辛いでしょうから」
「にゃー」
ルリィはそう言って頷く。
「では、ルリィさん。新井さんが、先ほど、1人ずつの私物を全員でチェックしたと言われましたが、私物とは何を指されますか?」
「スクールバックの中にゃー。あとは、ロッカーの中も見たにゃー。水泳部員のロッカーは、南壁面の最上段の右端から4つが割り当てられているにゃー。右から順に、ズラ、ルリィ、新井先輩、雪乃先輩にゃー。それから、スカートのポケットの中も一人ずつ探したにゃー」
「スカートのポケットにチューイング・ガムの包み紙を入れている者はいましたか」
「いなかったにゃー」
ルリィは即答する。
その瞬間。
「くっ、目が、目が……」
隼人は右膝を地面に突き、悶え苦しむ。
「どうしたんや、隼人くん」
雪乃が叫ぶ。
「大変よ。救急車を呼ばなきゃ」
花音が半泣きになりながら、スマホを取り出す。
「お黙りなさい」
千冬は怒りに震えながら叫ぶ。
「あなた達は、何も分かっていません。お兄様は、今、スパコンを越える超高速度による物理演算により、犯人を特定されようとしているのです。でも、お兄様は、かつて地球外生命体ビグースにより右目を奪われました。この後遺症により、頭脳をスパコンを越えるレベルまで回転させた瞬間、その代償として尋常ならざる苦痛がお兄様を襲うことになるのです。その痛みの量は、妊婦が出産する時の痛みの11万4514倍と言われています」
「妊婦が出産する時の痛みの11万4514倍って……そんなんショック死するやん……」
雪乃は絶句する。
「そうです。そんな死ぬほどの思いをしながら、お兄様は、あなたたちの為に計算処理をされているのです。軽々しく、お兄様に助けを求めた自らを責めなさい」
兄を思う気持ち故に、涙声になりながら、千冬は雪乃たちに叫ぶ。
「そこまでして、みんなの為に……」
そう言ったきり花音は言葉を失う。
そして隼人は、ゆっくりと立ち上がる。
確信に溢れた表情で。
「条件は充足された。これより史上最強の名探偵にして完全なるロジック遣いである俺による絶対的に効率的で最上級に本質的な最後の質問を行います。
すなわち最終尋問です。これにより必ず真実が明らかとなります」