第10話 逆転と反転
20X8年8月11日
PM10時10分
秋葉原学園高校・生徒会役員室
30畳の広さを持つその部屋は、光沢のある黒曜石が全面に敷き詰められ、壁や天井にはバロック様式の絢爛豪華な装飾がされている。部屋の中央には、クリムゾン・レッドの絨毯が敷き詰められる。
隼人、千冬、花音の3人が円卓を囲み、ティータイムを楽しむ。
「このアイスティー、美味しいわね」
花音が絶賛する。
「これは先輩から伝わる伝統のレシピによるものなんだ。最初の考案者は、田所史哉という先輩らしい」
「田所? 聞いたことないわね」
花音は、そう言いながら、不思議そうな顔をする。
「今日は、お兄様、大手柄でしたね! 素晴らしい最高のロジックでしたわ」
千冬が両手を上げて絶賛する。
「そうよね。まさか、副部長の新井さんが犯人だなんて思わなかったわよね」
「ですよね~」
花音と千冬が、楽しそうに話す。
「そうだな、楽しかったよな。新井先輩は冤罪だけどな」
ガチャン ガチャン
パリン パリン
驚きの余り花音も、千冬も、ティーカップを円卓に落とし、ティーカップは割れ、円卓はアイスティーだらけになる。
「お、お、お兄様? ……い、今、何と仰いました?」
「あ、あ、新井先輩が……犯人じゃないって言うの」
千冬も花音も、声を震わせる。
「そうだよ。キーパーソンは、間もなくやってくるだろう。悲痛な面持ちでな。その者に語ってもらおう、『本当の真実』というものをな」
コンコン
生徒会室の扉が2回ノックされる。
「入って、どうぞ」
隼人が低音美声で入室を促す。
ガチャ
そこに入ってきたのは。
秋葉原学園高校3年女子水泳部副部長・新井いろは、その人だった。
「隼人くん……今日は君に……迷惑をかけてしまったね」
力なく新井が挨拶をする。新井の顔色は悪く、極度の疲労を感じさせる。
「迷惑なんて思ってませんよ。今、ちょうど新井先輩のお話をしようとしていたところです。今回の完全密室事件の責任を一身に背負うことで女子水泳部を廃部から救った英雄、新井いろは先輩のことをね」
「ですが、この生徒会室へ来られたということは、今になって自分のやった事の重大さに気づいたということですね」
「……隼人くん、君は何から何まで、お見通しなんだね」
新井は少しニコリと笑顔を見せる。
「そうでなければ、史上最強の名探偵にして完全なるロジック遣いなどと名乗ることはしませんよ」
隼人も笑顔で応じる。
「え? え? 話が見えない。だったら誰が犯人なの?」
「助手様ちゃんも、全然意味が分からないのです」
花音と千冬は、おろおろと戸惑う。
「新井先輩。あなたは雪乃先輩がサイコパスであると、いつからご存知でしたか?」
「?! そ、そこまで……分かっているのかい……君には、ほとほと参ったよ……1年の夏ころには薄々(うすうす)と気づいていたよ。不思議な言動が続いてね」
「大竹先輩や金本先輩が、転校されたのも、そんな関係からですか」
「違う! アイツらは私利私欲で水泳だけできる金持ち学校に行ったんだ! 雪乃っちは、関係ないっ!」
新井は気色ばむ。
「それは失礼しました」
「いや、知らなければ無理は無い」
「そんなサイコパスと知りつつも、あなたは雪乃先輩を愛してしまった」
「そうだ。アイツはズルいんだ。サイコパスとしての狡猾な面を持ちながら、他方で誰よりも真摯に僕たち水泳部のことを考え仲間を愛してくれた……」
「それは女子更衣室でも聞きました。何度も廃部の危機に見舞われた女子水泳部を、黒田雪乃先輩と新井いろは先輩のお二人で頑張って存続させて来られたんですよね。俺も前の生徒会長から、雪乃先輩が熱心な予算要求をされていたことなど聞いておりますので」
「え? え? じゃあ、今回の完全密室事件の犯人は、被害者だった雪乃先輩ってことなの……そんなの……自作自演じゃない……」
「助手様ちゃんも、ビックリなのです」
花音と千冬は、大きな驚きを隠せない。
「隼人くん、君はいつから気づいていたんだい?」
「彼女が最初にこの生徒会室へ入ってきた直後からですよ。雪乃先輩は極端に短いスカートを履きながら、わざわざ俺の目の前に、しかも椅子では無く机の上に、脚を組んで座られたんです。そんなの見せたいに決まってます。しかも、スカートでパンツを履いてない時は、やたらスースーして違和感を感じるであろうことは、男の俺でも極めて容易に想像できます。なので、彼女からは局部を俺に見せたいとの強い意図しか感じませんでした。ですから、俺は雪乃先輩を痴女であると疑いました。また、痴女は心理学上では広義の精神病質に分類されます。ですから、俺は同時に、雪乃先輩がサイコパスである危険性を考え常時警戒することに決めていたんです」
「アンタ、あの時から、そこまで先を読んでいたというの……すごい」
「さすがお兄様です!」
花音と千冬が賞賛する。
「その瞬間から、俺は雪乃先輩が何を狙いとしているかを探知する為に高速度演算し続けました。その直後、雪乃先輩は、こう言いました。紐パンのことを、『半年前にもらった大切にせんとアカンもんやのに立つ瀬があらへんねん』とね。高速度演算中の俺の脳は、その情報を、こんなの餌に決まってるだろと判断しました。つまり、このサイコパスは、心理誘導により俺を一定の誤った結論へ辿り着かせようとしていると推認することができたわけです。そうすると、半年前に紐パンを贈った者こそが、今回、サイコパスが傷つけるターゲットなんだと分かりました。
つまり、俺は雪乃先輩と初めて会った直後から、雪乃先輩は紐パンの贈り主を傷つけようとしていると気づいたわけです」
「そんなに先を読めるなんて……」
「お兄様は偉大すぎます! データベースの助手様ちゃんとのレベルの差を感じさせまくります!」
花音と千冬は驚愕する。
「その後、俺たちは女子更衣室へ行った。尋問の結果、紐パンを贈った持ち主が、新井先輩であることを突き止めました。つまり、サイコパスのターゲットは新井先輩だと分かったわけです」
「それだけじゃない。完全密室に残されたあらゆる証拠が、見事なまでに新井先輩が犯人だと示されるように細工してあったことに気づきました。例えば、俺は生理前の新井先輩がビニール袋を持っていたという事実を、新井先輩が犯人であることの根拠としましたよね。俺は生理前ではビニール袋を持っていても疑われないとの状況を新井先輩が利用したというロジックを組み上げることにより、あの立証を成功させたわけです。
だが、あれはウソです。なぜなら、雪乃先輩が、新井先輩の生理前というタイミングを利用して、今回の完全密室の自作自演を行ったわけですから」
「じゃあアンタは、新井先輩が犯人じゃないと分かっていながら、新井先輩が犯人と証明したわけなのっ!」
花音が気色ばむ。
「そうだ。あの時、女子更衣室に向かった時点で、俺たちは雪乃先輩の罠にかかっていたんだ。更衣室に辿り着いてからは、全ては一本道だった。遅かったんだよ。
花音、考えて見ろ。雪乃先輩は、イリュージョン・アーツ株式会社に電話で照会することで外部犯の可能性が排除された後に、生徒会室を訪れて来たんだぞ。女子水泳部員を吊し上げる気持ち満々じゃないか。水泳部員を仲間と思ってたら、外部の人間を呼ばないだろ?」
「あっ!!」
花音は思わず声を上げる。
「そういうことだ、花音」
「新井先輩、どうやら俺も花音も、心が優しすぎたというより、お人好しすぎたようです。痛恨の極みです」
「いや、君は十分にやってくれたよ。感謝する」
新井は頭を下げる。
「お兄様、横から失礼します。助手様ちゃんには、1つだけ分からないことがあるんです」
「なんだい、ちーちゃん」
隼人は優しく微笑む。
「お兄様は、犯人が雪乃先輩と分かっていらっしゃったんですよね。だったら、更衣室での推理ショーの時、雪乃先輩が犯人だと論証すれば良かったんじゃないでしょうか?」
「良い質問だよ、ちーちゃん。でも、それは1番やってはいけない事だったんだ」
「え? え? そうなんですか?」
「雪乃先輩は水泳部部長だ。もし自作自演の窃盗騒動なんてバカなことを起こしたことが発覚したら、女子水泳部は廃部処分を免れない。だが、副部長であれば廃部とはならないんだよ。この学校の生徒会規則を熟知していたんだな、アイツは」
「だから、俺は、新井先輩に証明終了を告げた後、『副部長として潔く罪を認めて下さいますね?』と強調したんだ。だからこそ、新井先輩も、安心して自らが犯人だと認めたわけなんだ」
新井はウンウンと大きく首を縦に振る。
「そ、そんな裏があったなんて助手様ちゃんは、全然気づきませんでした」
千冬は驚く。
「すごいわね~」
花音も驚きを隠せない。
「それだけじゃないですよね、新井先輩。雪乃先輩は、周到にも新井先輩が恋心を抱いていることも利用して、この壮大な計画を立てたんだ。雪乃先輩を愛している新井先輩は、俺が犯人は新井先輩であると立証したとしても、雪乃先輩を庇う為にそれを否定しないことを知っていた……」
その瞬間、新井の顔色が変わる。
そして、両目に涙が溢れる。
「そうなんだ。惚れた人間の負けだね。いかに雪乃っちが悪くても、僕は雪乃っちを傷つけることを決して出来ない……」
新井の瞳から大粒の涙が両頬へと流れる。
隼人は新井に近づくと、優しくその頭を撫でる。
「そんな優しい女を僕は魅力的だと思います。いつまでも、そんな真っ直ぐな心を大切にして下さい」
「隼人くん……」
新井は隼人の胸に顔を埋め号泣する。
「花音! 今回の事件の被害物件は、雪乃先輩が自分で所有し且つ自分で占有する紐パンだ。これに対しては、所有者であり且つ占有者である雪乃先輩は窃盗罪の主体となり得ない。故に、今回の事件は何ら生徒会規則に抵触しない。懲罰委員会への訴追権限を持つお前たち風紀委員会は、一切動かないということでいいな?」
「勿論よ。風紀委員会副委員長・双葉花音の名において誓うわ。私たち風紀委員会は、今回の事件を一切関知しないと」
「これでいいですね? 新井先輩」
隼人は自分の胸で泣く新井に聞く。
「何から何まで済まない。衝動的に雪乃を庇ってみたはいいけれど、処分されてしまうと推薦入学を狙えなくなることに気づいたんだ。だから、青ざめながらこの部屋に来た。どうやら、全てを分かっていてくれていたようだな」
「そうでなければ、この秋葉原学園で生徒会を執行などできませんから」
「君は本当に優しいんだな。アイツから乗り変えたいくらいだ」
新井はそう言うと、ヒックヒックと嗚咽を上げながら、いつまでもいつまでも隼人の胸で泣いていた。