生活の始まり
風の音が通り抜ける寂れた公園内。“静寂の公園”と呼ばれるその場所には、異彩を放つ二人の子供の姿があった。
一人は少女であり、茶色のツインテールが微かな風に揺れ、その漆黒の瞳は今、見開かれている。
もう一人は・・・・・・少女に見えるのだが、れっきとした少年(実際には青年)であり、紫の類に入る髪の毛を簪のようなものでハーフアップにしている。暫くふたりの間には沈黙が流れており、それを破ったのは、ジャングルジムの上に座る見た目少女の様な少年の方。
「驚いたかい?僕が保護者になるって分かって」
クスクスと困った様に笑う彼は、本当に少女の様に見える。
「あ、当たり前ですっ!・・・・・・じゃあ!バス停にいた時から・・・・・・?」
尻すぼみになっていく彼女の言葉に、彼は肯定の意を示し、ジャングルジムから飛び降りた。
「まぁ何はともあれ、『頼まれたから』って言うのは聞こえが悪いけど、これからよろしくね」
そう言って握手を求める彼に、彼女はどうしても足を動かすことが出来なかった。
「・・・・・・ほ、本当に、楼院さんは『理解者』なんですか・・・・・・?初めて会ったばっかりだし、信じきれないというかなんと言うか・・・・・・」
下を向いて話す彼女に、楼院は少し考えるが、すぐに微笑んで彼女に近づく。
足音に気が付いた彼女は身を強ばらせ、表情も硬くする。
「まぁ、それもそうだよね。僕だって君に、『大丈夫』なんて無責任な事言えないし。・・・・・・でもそこも含めて、君の事をお願いされてる」
楼院はもう一度、彼女に握手を求める。
「少しずつでいいから。無理に強制するもんじゃないし、ね?今はまだ、その距離でいてくれていいからさ。せめて僕を認めてくれないかな?境ちゃん」
その言葉を聞きながら、境・・・・・・マラディは、何てこの人はあざといのだろうかと思った。
少女の様な外見を利用しているのか、はたまた自然な動作なのか、首を少しだけ傾げながらマラディの顔を覗き込み、切なげに微笑んでいる。
「あ・・・・・・うゎ・・・・・・うぅぅ・・・・・・」
途端に罪悪感が湧いたマラディは、渋々楼院の指先に触れた。
少しだけ踏み出せたマラディに満足した楼院は、マラディから離れてトランクを担ぐ。
「よし、じゃあ行こうか」
突然の切り出しに、マラディは頭に疑問符を浮かべる。
「行くって、何処に・・・・・・」
すると、楼院はある方向を指差す。その先には、巨大な樹木。
「ま、さか・・・・・・頂上に行くんですか・・・・・・!?」
それに楼院が頷けば、マラディはめまいを覚えた。
「因みに、ここから先は獣道を歩くよ。上に着けば、急遽建てられた寮みたいな家があるから」
「家・・・・・・ですか?」
「そう。まぁ、これから先の事は上に着いてからにしよう」
足場の悪い獣道。先程と同じように木々のトンネルを通っているのだが、先程と違って光は射していない。
時折動物の鋭い気配が飛んでくるが、逆に威嚇すれば大人しくなる。
楼院は気付いているのかいないのか、何事も気にせずズンズンと進んで行ってしまう。
マラディは周りの気配を気にしながら、ほぼ走るような形で着いていく。すると、楼院がいきなり立ち止まり、その背中に追突しそうになる。
「速い?」
振り向かずにそう聞く楼院に、マラディは呆然とするも答える。
「・・・・・・え、まぁ、はい・・・・・・」
正直にたどたどしく答えたマラディに、楼院はゆっくりと振り返り苦笑する。
「・・・・・・ごめんね」
謝る楼院を見て、マラディは正直に答えてしまった自分にため息をつく。
どのくらいの時間を歩いたのか?そう聞きたくなるくらい歩き、楼院の声に顔を上げれば、赤い鳥居が見えてきた。
情報には無かったが、どうやらだいぶ年季の入った建物らしい。
「アレ、あの鳥居ね。樹の半分はある巨大な鳥居なんだ。今から五百余年前に建てられたそうだよ」
そう語る楼院にマラディは軽く頷く。
「さあ、もう少しだ」
爽やかな空気が集まる広い遺跡跡地。
それがこの小山―――“神明寺山”の頂上である。
「こんな所に・・・・・・」
マラディは辺りを見渡しながら呟いた。
楼院の言っていた、自分たちが生活する家的な建物は鳥居の奥、巨大な樹の根元にあり、馴染めなくていたたまれなそうにしている。
「樹の名前は“神楽樹”。立派な御神木だよ」
「へぇ〜、やっぱりそうだったんですね。でも大丈夫なんですか?こんな所に建てて」
「うん。本人がいいって言ってたらしいから」
「・・・・・・。・・・・・・うん?」
そんなマラディの疑問符を無視して楼院はさっさと進んで行ってしまう。マラディは焦って追う。
「さて、ここが玄関。今カギを開けるから」
楼院は担いでいたトランクを開け、その中から六つのカギがついた、手首周り程度のリングを出す。
六つのカギのうちの一つ、持ち手部分が透明なカギを見つけて玄関の扉の鍵穴に差し、右に捻った。
「うん、と。えーと・・・・・・ここに入居、かな?するに当たっていくつか覚えておいて欲しいことがあるんだ」
カギのついたリングを指で弄びながら、楼院は真剣な眼差しでマラディを見つめる。マラディもそれに倣って顔を引き締めた。
「まず、今日から僕が君の保護者です。一人で勝手にどこかに行かないこと。次に、君がちゃんと自立できるようにして欲しいっていう事を聞いています。家事をはじめ、勉学や体術も僕が教えます。何か分からないことがあったら何でも聞いて下さい」
マラディは聞きながら、「何故に敬語?」とどうでもいい事を考えていた。
何となく頷いてこれから先を想像してみていると、楼院は既にガラス製の扉を開けており、マラディを促す。
「今から、この中を案内していくけど・・・・・・生活してればそのうち慣れるよね。ここ、正面玄関右側、ここは事務所兼僕の部屋」
「事務所?」
「そう。生活するための資金を自分たちで得るため。勿論、無償で活動することもある・・・・・・まぁ、慈善活動ってところかな」
それを聞いて、マラディはため息を吐いた。
続いて楼院に案内されたのは、玄関ロビーの奥の扉。そこは1LDKの空間が広がっている。
そこを出て玄関ロビーに戻って二階へ。
どうやら二階がマラディの生活スペースがあるらしく、四つの木製の扉が左右に二つずつある。
「一番奥、君の部屋ね」
楼院はそう言いながら、手に持っていた六つの鍵がついたリングから内一つを取ってマラディに渡した。
その鍵はアクセントに土星が装飾されている。
「きれい・・・・・・」
マラディが目を輝かせていると、楼院はその様子を見て気づかれないように微笑む。
「まだ地下があるんだけど、そこは後ででいいね。それじゃ、買い物に行こうか」
「買い・・・・・・物・・・・・・?」
「そう。君の部屋と事務所、ダイニングのインテリアを含め、食材もね」
微笑む楼院に、マラディは不安そうに顔を顰めた。
クラクラとする視界。目が回る感覚。
それを何とかバレないように、マラディは目の前を歩く楼院の袖を握る。
「境ちゃん、もう少し離れられる?歩きにくい・・・・・・」
楼院がそう言うのもうなずける。何故ならば、死神として今まで生きてきたマラディにとって、人間達に見られることは恐怖の事象でしかない。
そのせいで、あるいは元々の性格ゆえか極端なコミュ障と化している。
先程は「袖を握る」と表現したが、実際は袖どころか楼院を抱き締めているかのような体勢に近い。
そりゃ歩きにくいに決まっている。
山から下りて来る時は何ともなかったマラディだが、街中に入った途端くっつき始めた。
周りのヒト達は何だか生暖かい目で見ており、どうやら流石の楼院も困り果ててしまった様だ。
そうこうしている内に目的地の一つ、インテリアショップに到着する。
「・・・・・・」
マラディにとって初めての光景だったのか、店の外観から興味を惹かれたらしく、楼院への拘束が緩まった。
店内の様々なところから「いらっしゃいませ〜!」と声が掛かる。
興味津々な様子であるマラディに目配せしてあげると、おずおずと楼院を解放して一人で店内を散策し始める。
「すごい・・・・・・。初めて見るものばっかだ・・・・・・」
何とか楼院から離れたマラディは飽きる事無く一点一点をじっくりと観察し、特に気になったものには手を伸ばして取る。
「いらっしゃいませ!何かお気に召しましたか?」
「!?」
突然話し掛けられたマラディは声にならない悲鳴を上げ、慌てたその拍子に商品棚や商品その物にぶつかる。
「お、お客様!?大丈夫ですか!」
マラディに話し掛けた店員は心配して近づくがそれが仇となり、マラディは顔を真っ青にして店内を走り回る。
「ろ、ろういんひゃうん!!」
舌っ足らずな大声を上げながら保護者を探し回るが、騒ぎを聞きつけた他の店員に捕まりそうになったり、出てきた拍子にぶつかりそうになったり、それを避けたり。とにかく必死になって走り回る。
「境ちゃん!」
やっと見つけた保護者に、マラディは飛び込む。
「はぁ〜、大丈夫だと思ったんだけどなぁ・・・・・・」
「ははっ。子守は大変か、土岡」
保護者が見つからなかったのは、どうやら彼が知り合いと会話していたかららしい。
「あ〜あ〜。随分荒らしてくれちゃったな」
見れば、店員の殆どは体のどこかを打ち付けて悶絶していたり、商品が散らかっていたり。
「あ・・・・・・あぁぁぁぁ・・・・・・。ご、ごめんなさい・・・・・・」
青ざめるマラディを横目に見た楼院は知り合いに目を向けて微笑む。
「ね・・・・・・」
「わかったわかった!ほんと怖いなお前!」
「僕はまだ何も言ってないよ」
そう言って腕を組む楼院は、やはり何処か大人びている。
「んじゃ、取り敢えずさっき言ったモノをお願いするよ。日が暮れる前に運んでおいてくれると助かるかな」
「あぁ、このオリオン様に任せろ」
「そういうの要らないから」
それからも、楼院とのお買い物は続いた。
先程のインテリアショップを出たその後は呉服店を訪れ、そこに居た、いかにも少女趣味なふんわりとした色のケープとワンピースを着た、マラディより年下だと言う女の子に着せ替え人形の如く振り回された。
その後はバスに乗り市内へ。少し大きめのスーパーで食糧の調達をして、やっとの事でこれからの帰路になる道に着いた。
「お疲れ様、境ちゃん」
そう声をかけられてゆっくりと顔を上げると、今日初めましての保護者が覗き込んできていた。
現在の時刻は午後八時。帰路途中にあるバスストップに着いたのが、今から一時間半前。それから十五分後に現れた、あの運転手のおじさんが運転しているバスに乗降し、歩いて公園を通ったのが三十分前。二人とも両手一杯に食料その他をぶら下げての長時間の移動。疲れないはずがない。
「ごめんね。本当は明日、色々揃える予定だったんだけど、君と会う前、ちょっと呼び出しが掛かって」
そんな事を言いながら、楼院はキッチンを動き回っており、こぎみの良い音を響かせている。
一方のマラディはと言うと、帰ってきてから通されたリビングで、設置されていたソファにだらしなく腰掛けていた。今にも上下の瞼がくっつきそうで、今日の疲労が見て取れる。
リビングとキッチンは繋がっているので、時々チラつく茶髪のツインテールに、楼院は苦笑する。
未だにグラグラと揺れる脳内。疲れのせいもあるのだろうが、視界が霞んで見えずらい。さっき楼院が何かを喋った様だが、よく分からなかった。
目を閉じたいのだが、キッチンから漂ってくる美味しそうな匂いに、瞼は閉じてはくれなかった。
そんな自分に苦笑しながら、マラディは何かと闘うかのように、背後から聞こえる音に耳を傾ける。
・・・・・・い、く・・・・・・い・・・・・・。あつ・・・・・・。あつ、い。くるしい。
暑い・・・・・・!息が詰まる!!
ばっと目を覚ますと、見慣れない木製の天井が目に飛び込んできた。
小さく深呼吸をしてから身体を起こしてみようとすると、全身が痺れるように痛い。その痛さに悶える事も、呻くことも出来ない。
何より、とてつもなく暑い。こんな事は初めてで、頭は鈍器で叩かれたかのように揺れている。息も荒く、全身がびっしょり汗ばんでいた。
(・・・・・・こんなの、初めて・・・・・・)
頭を抱えながら、マラディは困惑する。ただ、自分に身体現れたこれらの症状から想像出来ることはある。
・・・・・・確実に、熱が出た・・・・・・。
死神のままだったなら、自身は本来熱を出したりしない。むしろ、その原因になるのが自身だ。
(死神じゃなくなった途端、これか・・・・・・。私、そんなにヤワな体質なのかな?)
ともかく、このまま動かないワケには行かないだろう。マラディはそう思い、階下にいるであろう保護者の元に行こうとベッドからのっそりと抜け出した。
ゆっくりと階下に降りて来たマラディだが、その静けさに、何だか違和感を覚える。
まずはリビングに入って見渡してみるが、いない。
続いて保護者もとい、楼院の事務所兼自室の扉をノックしてみるが、居る気配も感じられない。
(・・・・・・っ、もしかしなくても、出掛けてるんだ・・・・・・。どうしよう)
そういえば昨日、帰ってきてからの記憶が曖昧である。確か、楼院は料理をしていた筈だ。これは覚えている。その後、自分は彼の料理を食べたっけ?シャワーは?そもそもいつベッドに行ったの?
「・・・・・・どうしよう。何も覚えてない・・・・・・。楼院さぁ〜ん・・・・・・どこいったんですか」
ガンガンと鳴り響く頭を抑えながら、何とか自室、土星の部屋に向かおうとする。
・・・・・・が、一歩踏み出した途端に視界が暗転。マラディの身体は、木製の床に打ち付けられた。
「免疫が無い?」
『えぇ。マラディは“病”を司る死神だから、普通はこう・・・・・・熱とかで倒れるって事は無いんだけど』
そのセリフに頷くのは楼院で、顎に手を当てて深刻そうな表情でベッドに横たわる少女を見た。
楼院が急用から帰ってきたのはほんの数分前で、酷い熱で階段に倒れていたマラディを見た時は、頭を抱えた。
急用というのはマラディの事に関してで、彼女が持ってこられなかった私物を持って行ってあげて欲しいとの事で、まだ暗い時間から山を降り、あの世とこの世の境へ行ったのだ。
「確か、境ちゃん・・・・・・というか、君たち兄弟は暑さにも弱いんだったっけ?」
楼院の目の前には、古びた姿見が一つ。
『―――えぇ、先祖に雪女一族が居まして。親戚に当たる者達が、私たちより強く、その血を引き継いでいます』
その中に映るのは楼院ではなく、マラディの姉、ファミーヌ。
「うぅーん、じゃあ無理させちゃったんだなぁ。しょっぱな失敗した・・・・・・」
それに対し、ファミーヌはフッと笑う。
『いえ、こちらとしては感謝しています。適任者はアナタしかいないと、樹姫様から聞いていたので』
楼院は目を伏せ、マラディの首元に自身の手のひらを当てる。
『・・・・・・では、これから私たちの妹を頼みます。本音をいうと、この鏡を割ってでも一緒に居たいのですが、それではマラ・・・・・・境の為になりませんし、この世の安寧の為になりませんし』
その言葉に楼院は立ち上がり、胸に手を当て、深く頭を下げた。
「この命を捨ててでも、彼女を守りますよ。彼女にとって、僕が不必要となるまで―――、必ず」
―――・・・・・・。
お腹が空いた・・・・・・。いい匂いがする。
何の匂いかな?でもまだ寝ていたいというか・・・・・・。
あぁでも、変に空腹感が・・・・・・。
「・・・・・・おなかへった・・・・・・」
「あっははっ。起きて開口一言がそれかい?丸一日は食べてなかったもんね。お粥あるよ〜」
「・・・・・・?んと、あ、楼院さん」
掠れたその声と返しに、楼院は苦笑する。
「一瞬忘れてたね・・・・・・。起き上がれるかい?この山の綺麗な湧き水があるから、よく口をゆすいで飲むといいよ」
渡されたグラスを受け取り、その冷たさに破顔する。中身の水を勢いよく飲み干す。
「食欲はあるんだよね」
そう言いながら、楼院は茶碗を取って、小さな土鍋の蓋を開けてお粥をよそう。
それを見ながら、窓から溢れる橙色の光に手のひらをかざす。
「夕方、綺麗・・・・・・」
「うん、でもちょっと寂しいかな。はい、どうぞ」
渡された茶碗の中には、ワカメと、ほうれん草と、一口サイズの鶏肉が入ったお粥。
それを、レンゲで掬って咀嚼する。
「んん・・・・・・あつっ、おいし・・・・・・」
「味に飽きたら言ってね。卵で綴じてきてあげる」
「ありがとうございます。・・・・・・あの、おかわりっ」
「はいはい。・・・・・・良かった、どうやら元気みたいで」
静かに二人の間に流れる時間。その時間の中で、二人はポツリポツリと、「おかわり」と「どうぞ」という他愛のない遣り取りをする。
一方その頃。とある場所。
季節に似合わぬ、吹雪く館。
生命の消えた、氷点下の世界。
『吹雪の館』、その内部
「・・・・・・うぅうー・・・・・・。寂しいよ・・・・・・。誰かぁ・・・・・・。霙、小雪、粉雪・・・・・・。助けに来てよぉ・・・・・・」
「・・・・・・マラディ・・・・・・」