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王子のその後

作者: 黒桐

11月5日「双子の学園生活」連載始まりました。

 玉座の間。ザッハート王国の王家を現すドラゴンの紋章の下に一組の少年少女が並んでいた。

 幼さの残る二人は手をつないで銀糸の紋章を見上げている。


「私は高潔であり民を守り慈しむ。誰もが憧れ誇りを感じてくれるような王。そんな『清廉なる王』になるのが夢なのだ。アイリス、婚約者となった君にその道を共に歩んでほしい」


 緊張した様子で少年は隣の少女へ問いかける。


「はい、ルーベンス殿下。わたくしもその道を共に歩ませてください。ずっと殿下のそばにいさせてください」


 少女は頬を赤らめながら、小さな声と笑みで了承を返す。

 その笑みに見惚れた少年はありがとうと返すのが恥ずかしくなり、つないだ手を強く握り返すことで感謝を伝えた。


 銀のドラゴンが見下ろす元で、二人の心の中にはまぶしいほどの理想の未来が描かれていた。



 ザッハート王国独自の教育機関、ルガール学園。

 貴族の令息令嬢が通うこの学園のテラスの席で、周りに隠しながら静かにため息を吐く。


「ルーベンス、疲れているね」


 しかし同じテーブルに座るエドワード・ヴァーチェ。エドは目ざとく気づき苦笑している。それでも放置できる問題ではないことを理解している彼は、それ以上言葉を口にはしない。

 現教皇の孫という立場から不用意な言葉は要らぬ波紋を生むと理解しているのだ。

 ことを荒立てぬよう気をつけはしたが、それでも私、ルーベンス・ザッハート・リブラとアイリス・ヴァルゴ公爵令嬢の婚約破棄は瞬く間に王都の貴族たちの間に広まった。

 あれから数ヶ月。私に待っていたのは新たな婚約者、つまり次期王妃選びだった。

 そのせいでこうして生徒自治会の役員たちと息抜きにテラスでお茶をしていても、あまり心は休まらない。

 同じようにテラスでお茶を飲む者は多いが、今私の周りに集まっているのは高位貴族の令嬢たちばかりだ。

 皆、次期王妃の座を狙って集まっている。

 一見和やかに同じテーブルの令嬢たちを会話していながら、けん制しあっている姿に辟易する。

 色目を使ったり、気をひこうとわずかに制服を着崩す者たちを怒鳴りつけたい気分になる。私の伴侶となりたいならば、私の目指す王の隣に立ちたいならば、こうして取り囲むのではなくもっと他に見せるべきことがあるだろうに。

 家柄だけで言えば王妃となるに相応しい令嬢たちだが、それだけだ。


「肩の力を抜けルーベンス。急いてはことを仕損じると言うぞ。大体難しく考えすぎだ。婚約者は王妃として教育を受けることになるのだから、相応しいかは選ばれてからのそのご令嬢の努力しだいだろうに」


 同じくテーブルでお茶を飲むクロムウェル・エアリーズ公爵子息。クロムは宰相の息子という立場上、第一王子の婚約者がいないという事態を良くは言えない。

 それでも彼の言葉が純粋に心配からきていることは理解している。


「そうですねじっくり考えればよいと思います。国王様からそれだけの時間は与えられているではないですか」


 近衛騎士団長の息子であるブリット・トーレス子爵子息は、横に控えながらクロムの言葉に賛同を示す。

 じっくり、か。

 たしかにそれだけの時間は父から与えられているが、だからといって後回しにしていい問題ではない。私の婚姻が纏らなければ、弟である第二王子の臣籍降下先を探すのも遅れてしまう。

 そこであることに気づき周囲の令嬢を見渡してみる。しかし目的の姿を見つけることは出来なかった

 いまもっとも候補として有力視されているカプリコ伯爵家令嬢、カサンドラ・カプリコ。

 かつての婚約者であるアイリス嬢をライバル視し、ことあるごとに競う中であったと聞く。


「ああ、カサンドラ嬢かい、彼女は他のご令嬢がたのまとめ役になったらしくてね。最近は忙しそうだ」

 

 行方を訊ねるとエドが答えてくれた。

 これまでその役目はアイリス嬢が担っていたそうだが、婚約破棄後、学園を休んでいるらしく自ずとその役割はカサンドラに引き継がれているそうだ。

 なるほど、それも次期王妃として資質があると目されている理由の一つなのだろうが、どうにも彼女はそりが合わない。

 かつて彼女を側室にという声があり顔を合わせたのだが、その時に私の夢について語ると、彼女は呆れたかような瞳を向けてきた。

 カサンドラは私の目指す道についてくることは出来ない。

 その時に感じたことだ。

 だから周囲がどれだけ騒ごうとも、彼女を選ぶことは無いだろう。


「ルーベンス殿下、お茶のおかわりはいかかですか?」


 思考に埋没しそうになっていたところで、紅茶を配っていたリリエッタ嬢が声をかけてくる。

 アイリスの被害者であるリリエッタ・パイシス男爵令嬢は婚約破棄の一件以来、すこしでも恩返しにとテラスに来る私たちに給仕の真似事をしてくる。

 学園のない他国では下位貴族の令嬢が高位貴族の令嬢に侍女として一時仕えることもあるらしく、彼女の行いはとくに問題視されることなく受け入れられている。

 立ち振る舞いにまだ硬さの残るリリエッタ嬢ではあるが、懸命に私たちに役立とうとする姿は好意的に受け入れられている。

 思えば、この頃から少しずつ彼女に引かれ始めていたのだろう。



 学園の卒業が間近に迫るころには、私はリリエッタ嬢に対する好意を自覚するようになっていた。

 ただ彼女がほしいと感じる心に戸惑い息苦しさすら覚える日々。

 他に候補となり資質も十分な貴族令嬢がいる以上、男爵令嬢である彼女を正妻として迎えるのは難しいと理解はしている。本来なら側室として迎え入れ、寵愛を向ければいいだけの話だ。

 しかし、それでも私はリリエッタ嬢を王妃として迎え入れたいと考えている。

 わがままなのは判っている。

 それでも抑えることの出来ない思いがあり、私はエドたち三人に相談することにした。

 そして彼らもまたリリエッタ嬢の甲斐甲斐しい姿に好意を持っていたことを知る。

 しかし私の思いを知った彼らは、自らの思いを断ち切りリリエッタ嬢が婚約者となれるよう協力してくれると言ってくれた。

 ありがたく、申しわけもなく、ただ私はその友情に感謝を口にすることしか出来なかった。

 数日後、ブリットの手助けのもとにリリエッタ嬢と二人だけ出会う機会を得る。

 玉座の間に忍び込むかたちとなったためだろう、彼女が緊張しているのがわかる。


「私は幼いころより『清廉なる王』を目指してきた。リリエッタ嬢、私とともにその道を歩いてくれないか?」


 王家の紋章を見上げながら問いかける。 


「ルーベンス殿下……? え、それは?」


 突然の言葉に戸惑うリリエッタ嬢に努めて穏やかな笑みを向ける。


「リリエッタ嬢に私の婚約者となってもらいたい。王妃として支えてほしいのだ」


「……ですが、ただの男爵令嬢でしかないわたしが王妃になど周りの者に許されるはずがありません」


 そんな悲しげに顔を伏せないでほしい。困らせるつもりはないのだ、いつものような笑みを見せてくれ。


「そんな瑣末ごとはどうでもいい、なんとでも出来る。重要なのはリリエッタ嬢の気持ちだけだ。私とともにあるのは嫌か?」


「……そんなこと、ありません。ルーベンス殿下のとなりに寄り添いたいです」


「リリエッタ嬢……」


「どうかリリとお呼びください。家族はそう呼びます」


 その言葉に手を取るだけでは足りないと感じた私は思わず抱き寄せる。突然の行為に驚きながらも、リリはそっと腰に手を回してくれた。

 彼女のぬくもりを感じながら顔を上げる。

 見上げた先にある王家の紋章。神の使いとも最強の魔獣とも呼ばれる古の存在、ドラゴンを模した紋章に誓う。

 清廉なる王となり、リリを、そして民を幸せにしてみせると。

 それからの私は卒業式に合わせてリリとの婚約を発表するべく行動を起こす。

 以前からよく教会の奉仕活動に参加していたリリは神官として洗礼を受けるだけの資格を持っていた。神官や司祭はある種の特権階級であり、貴族が平民を側室として向かえる場合には神官としての資格を得させる。それを利用することにした。

 貴族たちの横槍を防ぐためエドの協力のもと目立たぬようリリに洗礼を受けさせることで、男爵令嬢とは別に神官という地位を与える。

 神官という地位を得たリリをクロムはエアリーズ公爵家に養女として迎え入れさせるために行動を起こす。そして宰相である父を説得したクロムに迎え入れられ、リリはリリエッタ・エアリーズ公爵令嬢となった。

 王妃となるに相応しいだけの地位を得たリリ。

 彼女とならば、私はザッハート王国に更なる発展と栄華を与えられると、確信にも似た思いを抱いていた。



 学園を卒業した私は王城で父の政務を手伝う日々が始まった。

 私より二つ年下のリリはいまだ学園に通いながら王妃となるべく教育を受けている。彼女の卒業と同時に妻として迎え入れることが決まっている。

 ブリットは私の護衛騎士になり、クロムは父親の部下なることで次期宰相として学んでいる最中。エドにいたっては卒業後すぐに司祭として洗礼を受け、各地の教会を回っている。

 皆忙しい毎日だが、それでも私は週に一度はリリとの逢瀬の時間を作るようにしていた。


「王妃教育は大変だろうリリ。疲れには甘いものが良いと聞いたから、隣国から砂糖菓子を取り寄せてもらった。一緒に食べよう」


「はい、ありがとうございます。ルーベンス殿下」


 王都を一望できる王城のテラス。その壮観な風景を背に笑みを浮かべるリリの顔には、疲労の色が濃い。

 リリの義兄となり、王城でもよく顔を合わせるクロムから彼女のことは逐一報告を受けている。だからこうして顔を合わせるときは、すこしでも肩の力を抜いてもらおうと様々に手を回していた。

 政務の傍ら、リリを喜ばせるには何を与えればよいか、休ませるにはどう行動すればよいかと頭を悩ませる日々は、必死に王妃教育をうけるリリには申しわけないと思いながらもどこか満ち足りたものを感じていた。

 だからこそ、その報告を受けたときは全身が冷えた。

 彼女の卒業が一年を切ったことで同盟国へ結婚式の招待状を送った私のところへ、ブリットが慌ててやって来る。


「ルーベンス殿下大変です! リリエッタ様が倒れました! 正門に馬を用意するよう指示しておきましたのですぐにエアリーズ公爵の屋敷へ!」


 慌ててエアリーズ公爵の屋敷へ向かい、リリの寝室に駆け込もうとした私はしかし、クロムに阻まれる。


「リリエッタは誰とも会いたくないそうだ。特に殿下には絶対に会いたくないと言われた」


 な……、

 クロムから告げられた拒絶の言葉に絶句する。


「なあ、おいルーベンス。リリエッタに何かしたのか? それとも、何もしなかったのか?」


 感情の抜け落ちた顔で続けられる言葉は、まるで罪状を読み上げるかのようで、私に原因があるのではないかと詰問してくる。

 思い当たることはなく、それこそが理由ではないかと睨みつけてくるクロムの視線に何も言い返すことが出来ず、ただリリのことを頼むとだけ呟いて帰路についた。



 体調を崩し、王妃教育が滞り始めたことでリリの王妃としての資質は疑われるようになっていった。

 ようやく顔を見ることができた彼女は不安そうに、そして怯えるように私を見る。

 その視線の理由が理解できない私はろくな言葉もかけることが出来ないままに時間だけが過ぎていった。

 そして学園の授業すら欠席するようになったリリを婚約者の座から廃そうという動きが生まれていく。

 その動きの中心となっているのはクロムで、エドも協力しているらしい。


「俺はリリエッタの幸せを一番に考える、殿下との婚姻が彼女を不幸にするというのならどんなことをしても阻止してやる」


 王城の廊下ですれ違い様にかけられた言葉。

 以前とは違う『殿下』という呼び方が彼との明確な隔絶を自覚させる。

 何も出来ないまま、ただ自分の無力さに歯を食いしばるばかりの日々。そんな私に更なる追い討ちがかかる。


「ルーベンス。リリエッタ・エアリーズ公爵令嬢との婚姻後、間をおかずカサンドラ・カプリコ伯爵令嬢を側室として娶れ。これは王命だ」


 父に告げられた言葉に息を呑む。


「すでに国内外にリリエッタとの婚姻は連絡済である以上いまさら無かったことには出来ん。それに二度の婚約破棄はお前の資質に不審をもたせるには十分な傷だ。後の国政に影響も大きかろう。

 あと宰相の小僧らはリリエッタの変わりにカサンドラを王妃として押し込もうとしているようだから、その策には乗ってやるさ。こちらが妥協した姿勢を見せれば自ずと声も小さくなる。まぁあの小僧ら以外はだがな」


 寝室を訪ねてきた父は言い終わるとこちらの返事も待たぬままに出て行く。その後姿を見送るしかなかった私はただうなだれることしか出来なかった。

 どれくらいそうしていただろう、ノックの後ブリットがカサンドラ嬢の訪問を告げてくる。


「ご機嫌は、悪そうですわね。ルーベンス殿下」


 こうして顔を合わせるのはいつ振りだろう。考えてみれば在学時代もあまり彼女は私と接触しようとはしてこなかった。

 テラスでのお茶会に招かれたときも、王族としてもてなしはされていたが、それだけだ。

 婚約者の、王妃の座を求めていたようには思えない。


「カサンドラ嬢、……話は聞いているのだろう、君はそれで良いのか?」


 カサンドラ個人の感情が気になり訊ねると、彼女はため息のあと口を開く。


「個人の良し悪しで答えられることではありませんわ。王族の婚姻は国の行く末そのもの。殿下も国史で学んだことでしょう。王や王妃に問題があった場合、その補佐として側室が選ばれることもあると」


 「80年ほど前のあの話か。たしか、病弱な王に対する補佐としての側室でありながら王妃よりも早くに王子を産み、王の急死後はその王子が王座を求めたのが原因であわや内乱となりかけたのだったな」


 ザッハート王国が二分するところだった事件を、ここで挙げるとは皮肉だろうな。


「ええ、ですからさきほどの質問に答えるとすれば、わたしはあくまで王妃となるリリエッタ・エアリーズ公爵令嬢の補佐をするためだけに王家に嫁ぐという形を取るのです。ですので、わたしの寝室には来ないでくださいね」


「つっ、カサンドラ嬢はそれでよいのか」


「良し悪しの問題ではないと言ったはずですわ。国にとって必要か否かの話でしょう」


 言って、再びため息をつくカサンドラ嬢は、なるほど今の私などよりよほど貴族らしいありようだ。


「それに、親の失敗を雪ぐのも子の役目でしょうから」


「なに……?」


 カプリコ伯爵の失敗? 何の話だ。


「今回の件で父も数日のうちに登城しますので、その時にお伺いくださいませ殿下。リリエッタ様の苦しむ理由も判りますわ」


 聞き捨てならいない言葉をすぐに問いただしたかったが、カサンドラ嬢の顔を見ると言葉に詰まる。

 まるで人形のように感情の抜け落ちた顔のまま、一礼の後彼女は退室していった。

  


 王との謁見でカサンドラ嬢の婚姻を了承したカプリコ伯爵を、人払いをした客間に招く。

 ひどく憔悴した顔の伯爵は、問うまでもなく口を開いた。


「ルーベンス殿下は、ヴァルゴ公爵が軍縮に反対しているのはご存知ですな」


 もちろん知っている。

 ヴァルゴ公爵は国軍だけでなく諸侯軍にまで影響力を持つ貴族だ。とくにこの数年は国軍と各貴族家のもつ軍との連携を重視した演習を繰り返し進言していた。


「国境線の防備はたしかに重要です。ですが交易にて友好関係を築いている隣国に対して入らぬ緊張を与えているのも事実。今はその友好をもっと深めるために動くべきなのです」


 それも知っている。

 そのための軍備縮小であり、浮いた予算をそちらに回そうとしているのが、カプリコ伯爵を中心とした軍縮派だ。


 「ヴァルゴ公爵が軍備拡張を言うようになったのは、殿下とおのれの娘との婚約が決まってからでした」


 それは……、知らない。

 私が政務を学ぶようになっていた頃には、すでに公爵は軍部を纏める立場にあったと記憶している。

 だがそれが王妃を配する家に選ばれたからだとは、知らなかった。


「ですから、私たちはヴァルゴ公爵の力を削ぐ必要があったのです」


 そうしてカプリコ伯爵の口から語られるものに、全身が冷えていくのを感じた。

 病弱であったため学園に送れて入学することになったリリエッタ嬢は、家での教育も不十分でありその立ち振る舞いに眉根を寄せる令嬢も多かった。

 そんな彼女を教育しようと行動を起こしたのは、当時令嬢たちのまとめ役であったアイリスだった。

 しかしその教育は厳しく一部の令嬢たちからは地位を利用していじめているように写ったようで、リリエッタは同情を受けていた。

 それを利用することにしたのがカプリコ伯爵たち軍縮派だ。

 自分たちの息のかかった令息令嬢たちに誇張させた噂話を広めさせ、その真偽をたしかめようと行動した私の姿を、アイリスに見せる。

 しかも二人は何度も密会しているという嘘までそえてだ。

 ショックを受ける彼女との会話を誘導し、あたかも彼女自身がリリエッタを害するよう命じたかのように言質を口にさせた。

 その結果リリエッタは数々の害をうけ、私はアイリスとの婚約破棄を決めた。

 全てはヴァルゴ公爵の力を削ぐための行動。

 予定外だったのは、その後私がリリエッタを秘密裏に婚約者とするために行動を起こしたこと。

 カサンドラ嬢を王妃として嫁がせることでヴァルゴ公爵への抑えを完璧にしようと行動を起こしていた軍縮派は慌てた。

 そのため足並みが乱れた結果、この事実が令嬢らを通してリリエッタに伝わってしまった。

 リリが倒れたのは、それが理由。


「ふざけるな!!」


 全てを聞き終えた私は怒鳴り声を上げた。

 目の前の伯爵を切り捨てたくなる気持ちを必死に抑え、部屋を出て行こうとする。


「どちらへ!?」


「ヴァルゴ公爵の屋敷へだ。アイリスに会いにいく」


 その言葉にカプリコ伯爵は首を横に振る。


「アイリス嬢はすでに王都にはおりません。ずいぶん前に辺境伯のところへ嫁いでおります」


 辺境伯。好色爺と呼ばれている東の果ての貴族。

 そんな老人の妻とされたということに、今日までアイリスの行く末のことを知ろうともしなかった自身に、私は膝を突いた。



 第一王子の結婚式に王都は湧いている。

 同盟国や、諸侯領からの観光客や、それらに特産品をすすめく商店や露天商。正門の外にまで広がる人の賑わいとは逆に私のこころは冷めていた。

 あれからクロムたちを説得してなんとかリリで会う機会を得た。あの婚約破棄の裏を明かせば、同席したブリット、クロム、エドの三人も言葉を失っていた。

 だから五人で話し合った。彼女をあの地より取り戻そうと、そして会って謝罪しようと、許されることではないだろう、彼女から奪ったものは大きく、とても取り戻せるようなものではない。

 残念ながら、今回の婚姻にアイリスは来ていない。

 一度でも王都に訪れれば皆の協力のもとに引き止める算段をつけていたが、辺境伯は従者もつけずひとりで来たらしい。

 こっそりと辺境伯の姿を確認したが、いつ天に召されてもおかしくないほどの老人だった。

 だが、カプリコ伯爵に命じた調査でアイリスがすでに辺境伯の子を三人も産んでいるのを聞いていた私は、その顔を恥辱に染めてやりたいと暗い感情を抱く。


「こちらは我が領地で採れた鉱石を使い、鍛冶師たちが作り上げた大盾にございます」


 式が始まり同盟国からの祝辞の後、招かれた貴族家たちの祝辞に移る。

 一部の貴族たちは祝い金の変わりに自領の特産品を献上する者もいた。

 複数の金属を重ねて生み出されたという煌びやかな盾を献上するにサジタリス伯爵に、謝辞を告げる。

 さあ、いよいよだ。


「お初にお目にかかりますルーベンス殿下、リリエッタ様。わたしは東の果て、『世界の果て』と呼ばれる絶壁に接する地を領地としております、ルーカス・ミソロジィと申します」


 続けて祝辞を述べる老人の言葉を聞き流していく。


「遠路はるばるご苦労だったな、ミソロジィ辺境伯。聞けばその老体で妻が子に恵まれたというのは本当なのか?」


 挑発とも取れる言葉に参列者たちがざわめく。

 横にいるリリも驚きでこちらを見ているが判る。

 国内の貴族たちならば、アイリスの話を知っているものは多いだろうし、国外のものでもあの老体をみればおのずと妻の不義について疑いを持つはずだ。 

 さあ、どう返してくる。


「くっ、ふふ、あっはっはっは、」


 怒りか、不快を示すと思っていた辺境伯はしかし、笑っていた。


「……なにが、おかしい」


「いえ、このような場で失礼いたしました。いやいや殿下の疑問はごもっともですな。この老いた身を見れば、いくら若妻を娶ろうともお疑いを持つのは当然でありましょう。

 ですがな、あの子達は間違いなくわし、ルーカス・ミソロジィとアイリス・ミソロジィの血を引く子らですとも、家宝たるこの剣に誓えます」


 言って腰に佩いていたサーベルをこちらに示してくる。鞘に納まっているのは細く反りのある刀身の剣だ。聞けば鉄をも斬ると豪語したという辺境伯の剣。


「ほお、面白い。では話に聞くその『斬鉄』の切れ味見せてもらえるかな。先ほどの大盾をもってこい」


「いいですな、鉄を斬るといわれるその剣、見事防いで見せましょうとも」


 横合いから、サジタリス伯爵が合いの手を入れてくる。献上した大盾によほどの自信があるのだろう、笑みを浮かべていた。

 そうして、辺境伯は衛兵が構える大盾から少し離れた距離で構えると目を閉じる。

 突然始まった余興に周囲の者たちも興味深げに、いまだ鞘から剣を抜かぬその姿を眺めていた。

 そして辺境伯が、小さく息を吸い、


「きえぇぇぇぇぇい」


 絶叫ともいえる大声をもって盾に詰め寄る。

 一閃。

 私にはいつ抜いたのかさえわからぬ速さで、剣は振りぬかれた。

 無音が広がる。

 ずるりと、大盾が斜めにずれる。

 床に滑り落ちた大盾の上半分が立てた音は、沈黙の中でひときわ大きく響いた。

 誰もが、言葉を発することができない。

 同盟国からの者たちも、貴族たちもこの余興は大盾の強度を魅せるためのものに見えていたことだろう。

 しかし、結果は間逆だった。

 かつて社交界で広まっていた『斬鉄』の話が、法螺ではなく真実であったことに誰もが恐怖を感じている。

 あの剣の前ではどんな鎧も無意味だとここにいる誰もが理解したのだ。


「おお、忘れるところでしたな」


 剣を鞘に収めた辺境伯がこちらに向き直る。

 先ほどまでと変わらぬ顔のはずなのに背筋に冷たいものを覚える。周りの者も同じだったのだろう小さく悲鳴を上げるものもいた。


「アイリスからの伝言でございます。世界の果てよりお二方に幸あれと祈らせていただくと」


「……アイリス様が、そうおっしゃったのですか?」


 言葉を返せずにいた私の代わりに、リリが口を開く。


「ええ、お二方には過去ではなく、これからの幸いを考えていただきたいを申しておりましたよ」


 過去?

 まさか、アイリスは婚約破棄の裏を知っているのか? 知っていて王都に戻ってこなかったのか?

 渦巻く疑問に言葉を失っている間にも、リリと辺境伯の会話は続いていく。


「そう、ですか。……ひとつお聞かせください、アイリス様は今笑っておられますか?」


「もちろん、子供たちに囲まれ四苦八苦しながらも、あの子は笑みを浮かべておりますよ。それにあの子にはこれからもわしが幸いを与えていくと決めておりますからな。

 さて、長々と時間をとってしまいましたな。これにて下がらせていただきましょう」


 その後姿に最後まで私は言葉をかけることは出来なかった。



 式の後の舞踏会も終わり、私はテラスでぼんやりと星空を見上げていた。

 辺境伯は、舞踏会にも参加はしていたものの誰も近寄ろうとはせず、彼自身も最低限の挨拶のみで特に誰かと縁をつくろうとはせずに、閉会後すぐに辺境へ立ったと報告があった。


「ルーベンス様」


 かたわらにいるリリがそっと私の手を握る。


「どうするのが最善なのかわらないのだ。無理矢理にでもアイリスを取り戻すべきなのか、だが辺境伯の言葉が真実ならば、それは彼女の今の幸いを壊すことになる。

 それでもあの男のそばよりも私たちの手の中のほうが幸せに出来るのはないかと考えてしまう。何の根拠も無い傲慢な考えだとわかっているのに。

 ……なにが『清廉なる王』だ。私はどうしようない愚か者だ」


 自身の愚かさに唇を噛む。


「今は、せめてあの夜空の先にいるアイリス様が幸せであることを祈りましょう」


 伝わる温もりに、わずかな安堵を得ながら、視線を東の空へ向ける。


 愚かな私を見て、そのなさけなさにアイリスは笑うだろうか。

 笑わないだろうな、悲しげに目を伏せそうだ。 

 いや、ただ私は愚かさを笑ってほしいのかもしれない。

 それが罰になると考えてしまっている。

 弱いな、私は。

 かつてアイリスとともに理想を求めていたときのほうが良かったのだろうか。

 だめだ。

 あの頃の私はあまりにも盲目だった。

 だからこそ、いいように道化を演じてしまった。

 ああ、だがせめて祈らせてくれ。

 アイリスの、幸いがいつまでも続くことを。


侍女のその後は後日の投稿となります。


10月15日 侍女のその後と投稿しました。

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