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 中学に進学した途端、男女は別の生物になった。


 それまで何気なく遊んでいたくせに急によそよそしくなった。どいつもこいつも「男同士でつるむほうが楽しい」とか言い始めたのである。小学校にあがると一人称を「ぼく」や名前から「俺」に改めるような連中なので、どうせしょうもない見栄とか青い羞恥心のせいだ。


 鈴木聡美はクラスにいると、どうしてかひとりぼっちのような気がしていた。女子達が集まってドラマがどうとか俳優の誰それがという話をしている。まったく興味が持てなかった。それよりもトランプに白熱している男子に混ざりたい気持ちでいっぱいだったが、彼らは彼らで聡美を除け者にするようになっていた。よしんば入れてもらえても、女子のちくちくした噂話が背中に刺さって素直に楽しめなくなってしまった。


 ほんの数ヶ月前までは一緒になって野球をやっていたくせに、ファッション誌をこっそり持ち込んで得意気になっている女子を見ていると、なんだかすごく嫌な気分になった。


 あんなものと一緒であってたまるか。


 三年生の教室のほうが気安いくらいだった。「敬語を使え」と、冗談めかして言われるくらいで、兄貴の友達とは小さなころから仲が良かったし、男女の差は学年の差の前にはたいしたことはないらしく、これまでとそう変わらずに接してくれた。


 肝心の兄貴は、三年になって突然勉強に目覚めたようで、毎日必死に遅れを取り戻そうとしていた。誠司に口をきいてもらって、学年一の秀才と名高い藤林那緒に教えを請うくらいであるから、そうとう熱が入っている。それも聡美を寂しくさせたが、邪魔をするのは悪いなと思うし、誠司達と遊んでいれば、おおむね以前と変わらない日常だった。


 聡美が二年になるとき、彼らはごっそりいなくなった。


 皆揃って高校に行ってしまった。オアシスを失った学校は、おそろしく退屈で、一年生のころより他人の目が白くなっていた。どうやら「チョーシに乗っている」らしかった。


 三年生と仲良くしていたことを言われている。ちっとも心当たりがない。それで同級生に偉ぶったことなど決してない。


 けれども小学校の付き合いとは違い、部活で先輩後輩がはっきりする中学では、上級生とばかり仲良くしていた自分は、どうやら目の上のこぶだった。

 知ったことかと思う。思えば思うほど、風当たりは強くなった。体がだるくて遅刻す

るようになった。寝坊すれば休むようになった。学校に行こうと思う日が減った。


 そこそこの進学校に行ってしまった兄貴を家でよく見かけるようになって、夏休みに入ったのだと気がついた。両親は「学校に行け」と義理のように言っていたけれど、兄貴は何も言わない。それが辛くて、顔を合わせるのが嫌になって、昼夜が逆転し始めた。


 夜中のテレビがつまらなくて外をぶらつくようになるまでに、三日もかからなかった。


 外が楽しかったわけではない。それでも家の中よりかは、いくらか呼吸が楽になる気がした。夏だというのに、ほとんど汗を流していない。こんなの生まれてはじめてだった。夜の空気はじめっとぬるいが、汗は肌ににじむ程度で、それも夜風を浴びるとたちまち消えるようであった。


 まるで世界から取り残されたような気がした。生きているという実感が、いつの間にか消えていた。


「ほんと……たいくつ」


 星のない夜空に呟いても、胸の穴は広がる一方だ。それでも口にせずにはいられなかった。退屈だと言っていなければ、感覚までバカになる気がした。


 最初の最初から唾を吐いていたはずはない。馴染もうと努力もしたはずだ。けれども女らしさというものを、求めていこうとは思えなかった。そうだといって、彼女らを否定したわけではなかったのに、自分を異物のように扱うから、聡美は辛かったのだ。髪は動きやすい長さがあるし、服装だって基準はそれだ。体を動かすのは嫌いではなかった。なのに部活に入らなかったからこうなったのだろうか。どうして部活に入らなかったのだろうか。ああそうだ、嫌いな女が部長だったからだ。


 あいつはもう卒業しているのにな。


 自分の人生をどこで間違えたのかを考えながら、聡美は羽を休められる場所を求めた。


 そのうちに仲間ができた。みんな人生に退屈していた。居場所を求めていた。ネオンの元に集まって傷を舐めあっていた。


 聡美はまるで野良猫の集会だったと思った。まさしく自分は野良猫だとも。


 心の底から楽しいと思っていたはずはなない。それでも自分の落ち着ける場所は、世界中でここだけなのだ。


 コンビニの前で駄弁っていたら警察に追われて、彼らをバカにしながら次にどこ行こうかと歩いていると、しばらく電話をしていたエリちゃんが「この辺飽きたし、このままどっか行っちゃおっか」と言い出した。


「もう電車もないじゃん」


「カレシが車回してくれるって言ってんの」


 エリちゃんの彼氏は一度しか見たことがなかったけれど、ごつい体の男だった。顎鬚をたくわえているせいで、おっさんのようにも見えた。野良猫の群れに一匹、野犬が混じっている感じがして、聡美はあまり好きではなかった。


 だからだろうか。嫌な予感がした。


 真っ黒な海面を見下ろしているような、不安に足が竦む感じがした。けれども断ることはできなかった。


 どっぷり浸かったぬるま湯を抜け出す理由も、帰る場所もないのだ。この先にあるのが断崖であろうと底なし沼であろうと、ひとりぼっちよりはずっとマシだ


 脅すかのようにクラクションが響いた。


 ハッとして前を見ると白いミニバンがとまっていた。一歩先に出たエリちゃんが振り返って妖しく笑う。


「ほら」


 聡美は戸惑いながら、それでも転がるように足を――


「あれ? 聡美か」


 間の抜けたお日様のような声がした。そちらを向くと、なんとなく情けない顔をした誠司が、自転車に跨りながらぎこちなく片手をあげていた。


「よう。久しぶり」


「あんた、なんで」


 情けない顔つきのくせに、どこか人を安心させる雰囲気があった。


「そうだ、良いとこで会った。井口の野郎がやばいってさ、今から行かなくちゃいけないんだけど、手ェ貸してくれよ」


「誰、こいつ」


 エリちゃんが戸惑いがちに言った。輪をかけて混乱している聡美は、うわごとのように呟く。


「……兄貴のダチだけど」


「ほら」


 と、手を差し出した誠司が、いまごろになって気がついたように、「あっ、もしかして何か予定とかあった?」


 エリちゃんと誠司を交互に見て、自然と口が開いた。


「ううん、大丈夫」


 エリちゃんのほうへ向き直って、きっぱりと言った。


「そういうことだから、ごめん」


 差し出された手を無視して、自転車の荷台にまたがる。誠司は何か言いたげに睨んでいたが、聡美は知らん顔をした。


「すまんな」


 律儀にエリちゃんに謝って、自転車は走りだした。


 どこへ向かうのかもわからない自転車だが、力なく丸まった背中に頼りがいを感じて、きっと大丈夫なのだと思えた。


 そっと額を当てると、思いがけない硬さに驚いた。もう子供ではない。


「ねえ」


 と、その背中に投げかけた。


「おう?」


「井口がどうしたって」


「あー……それは嘘だよ」


 誠司が申し訳なさそうに言う。


「あっそう。浮気か借金かやっちゃったのかと思った」


「最近会ってないけど、そんな生活してんの? あいつ」


「そりゃあの年で子持ちだからねえ」


「えっ、なにそれ初耳なんだけど」


 相当驚いたらしく、声が一気に大きくなった。


「っていうか、それならどうしてあんなとこいたのよ」

「いや、そんなことより大切なこと聞いた気がするけど……なんて言うんだろ……引いたりしない?」


「なに? エロ本でも買いに来てたの?」


「俺ァもう中坊じゃないんだぞ、中学生。エロ本は堂々と買うわ」


「で、どうしてよ」


「あー」とか「なんだ」とか、さんざん勿体つけてから、咳払いをして、誠司は言った。


「尾行してたんだ」


「……は?」


「その話は後だ」


 言いながら、誠司はサドルから腰を浮かせた。速度があがった。


 自転車が土手の坂道をのぼりはじめる。車体を軋ませ、ふらふらと進む。立ち漕ぎになった誠司は、なぜか意地になったようにペダルを踏み続けた。やっとの思いで土手にあがると、スタンドを立てて自転車をとめ、斜面に体を投げ出した。息を荒げてそうしている姿は、子供のころと何も変わらない。


 聡美も自転車から降りて彼の横に腰をおろした。


「ずっとつけてたってこと?」


 上体を風船みたいに膨らませ、しぼませを繰り返す誠司は息を整える。何度か声にならない声を唇につくってから、ようやく喋った。


「芳村と一緒……っていうか、日替わりでな」


 芳村。自分の苗字が兄貴のことを指していることはわかった。けれども聡美には、彼の気持ちがわからなかった。


「どうして兄貴が」


「どうしてって、そりゃかわいい妹が夜遊びして、煙草臭かったり、酒のにおいさせてりゃ心配もするだろ」


「だったら……直接言えばいいじゃん」


 ほとんど八つ当たり気味に言った。心配をしているなら、気にかけてくれているなら、何か言って欲しかった。廊下ですれ違うたびに、腫れ物に触れるみたいな態度で、笑顔をつくろってばかりいないで、きちんと叱ってくれれば良かったのに。


 呆れたようなため息を吐いて、誠司は首を振った。

「俺も言ったよ、話す相手違うだろうよって。そしたらあいつ、受験勉強でほったらかしにしてたから話しにくいってな。まあ、なんだ、あいつなりに心配してたんだよ。で、刺激するのも怖い、好きにさせても不安っていうんで、なにかあったら助けようということになってな。もし、俺の勘違いだったら今日のことは謝るけど」


「……ううん、たぶん、助かった」


「そうか、ならよかった」


 体を起こすと、まるきり家猫の純粋な瞳でまっすぐ私を見つめる。


「で? なにが不満なんだ」


「……べつに不満なんて」


「なんにも無いのに学校休んだりしないだろ。俺は反抗期やってないからアドバイスはできないけど、これでも相談されることは多いんだぞ。ほら、言ってみろよ」


「反抗期とかじゃないし」


「何期でもいいけど、言うだけですっきりすることもあるんだから」


「だからべつに、なんでもないって。学校がつまんないだけだっての」


「なんで? 勉強嫌いだったか?」


「そういうんじゃないけどさ――」


 愚痴を言うつもりはなかったのに上手く乗せられてしまい、あれもこれもと不満が口をついた。誠司は相槌を打ちながら、時に話をうながしながら聞いてくれた。本当にアドバイスなんてひとつもなかったけれど、話しているうちに気持ちがわっと溢れ出して涙まで出てきてしまった。いつもなら絶対にからかうくせに、誠司は気付かないふりをしてくれた。


 次第に言葉は途切れてゆき、聡美がすすり泣くばかりになった。それも落ち着いたころには、東の空が白んでいた。深く澄んだ青色が天の窮みに広がっている。じっとりした夜の空気を、明け方の川風がさらっていく。ずっと忘れていたような、穏やかな夜明けだった。


「それじゃ、朝飯食ってから行くか」


「どこへ?」


「アドバイスくれそうな人のところ」

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