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 不純物のない柔肌に、意志の強そうな黒い瞳がはめ込まれている。寒さに潤んだそこに焚火がうつりこんで、ある種の幻想的な魅力を放つ。


 迫力に負けて、誠司はふいと目をそらした。


「あんなもん、ちょっと考えれば誰にだってわかることだろ」


「そのちょっとが案外と誰にもできないんだよ」


 そんなものだろうかと考えながら、誠司は甘酒を飲み干した。


 彼女もこの十年で大人に、本人の言を借りれば丸くはなった。他人を有象無象だと見下すことはもうなくなっているけれど、ならばあんな単純な問題ひとつで執着される心当たりは誠司にはなかった。


「ま、君がどう思おうといいけれど、私の代わりに考えてみてよ」


「なにをさ」


「宝田さんの彼氏がどうして刺されたことを訴えないのか」


「そんなもん、考えたってしょうがないだろう」


「死ぬことを考えるよりかは、よっぽど良いと思うよ」


 責めるような口調。くっと上がった眉尻に、誠司は射すくめられた。那緒は空になった紙コップを誠司の手から取ると、諭すように続けた。


「父さんに君の葬儀をやらせないでよ」


「……わかってるよ」


 立ち上がりながら答え、硬い石畳を踏んだ。軽い身のこなしで藤林がついてくる。おばさんに改めて頭を下げてから寺を後にする。


 門を出たところで振り返ってみれば、寺院を背負った藤林は洋服であるにも関らず不思議と似合って見えた。激動の時代をじっと眺め続けた寺と、周囲など歯牙にもかけない藤林とである。なるほど、超然としたもの同士なのだ。


 一人納得し、誠司は白い声を出す。


「じゃあな、藤林。良いお年を」


「それ、年末の挨拶だよ」


「もう会わないかもしれないだろ」


 わかってないじゃないか、と言いたげな藤林の鋭い視線が突き刺さる。寒気を感じた誠司はとってつけた。


「今年はさ」


 逃げるように寺から離れた。ふたつも角を曲がると、暖かい安心感は抜け落ちてしまって、胸には闇夜に似た虚無感だけがぽかんと居座った。


 藤林に褒められて悪い気などしない。ただ喜んだあとは決まって虚しくなる。自分には何もないということは、誰よりも自分が知っていた。笹部には嘘をついちゃったな、と誠司は苦笑した。湧かないのは気力ばかりではない。大学をやめたとき、あるいはその前、受験勉強をしていたころに、がらんどうの自分に気がついた。生きていく意味だとか人生の意義だとか、そういうことに悩んだわけではない。そういうものを考えるべき、自分というものがすこんと抜けていた。


 誠司は自分の頬を打つ。考えてもしょうがない。藤林に言われるまでもなくわかっている。寛大な被害者のことを想像せよと言うならば、そうしてやろうじゃないか。もしもこの不明瞭な事件に解決をみれば、ほんのすこしは自分のことを信じられるかもしれない。藤林の言う「得意」とやらが、自分というものが見つかるかもしれない。


「とは言ってもなあ……」


 そもそも情報が少なすぎるのである。宝田の彼氏がどういう人間かもわからないし、そもそも宝田がどういう相談を持ちかけたのかもはっきりとはしていない。浮気の証拠を掴みたかったのかもしれないし、彼氏に警察へ届ける説得をしたかったのかもしれない。もしかすると犯人を見つけて仕返しをしたいとか。この場合考えるべきことは何であろう。誠司はふらふらと歩きながら頭を整理する。


 宝田の彼氏は被害者である。程度は不明だが、腕を縫う怪我を負った。犯人は通り魔であるらしい。彼氏によれば犯人は女。警察に訴える気はないときた。知り合いの犯行でかばっているのか、あるいは宝田の想像するとおり浮気相手で自己保身なのか。まったく知らない人間に刺されてまで黙っていることなど、あるのだろうか?


「すくなくとも俺は許さない」


 熱のこもった声を出すと、その分だけ心が冷えた。


「あ、そいつが極悪人なら問題ないな」


 詐欺、強盗、殺人、放火。なんでもいい。誰かに恨まれる罪を犯していて、警察に訴えたくとも訴えられない人間であれば、この件は因果応報だの一言で済む。宝田が悪い男にひっかかる女だったか思い返そうとするが、誠司ははたと困ってしまう。まったく印象に残っていない。顔と名前はかろうじて一致するが、何度か話したことがあることくらいしか覚えていない。普通の子だ。


 他の可能性はないだろうか。本当に通り魔だったとして、連続犯ではないかとか。誠司の記憶にある中では、そういう報道は目にしていない。しかしだからと言って、これが一件目だっただけということも考えられる。


 わき道にそれていると気がつきながらも、誠司は考えることをやめられなかった。


 ともかく、情報が少ないことは確かである。本気で考えるのなら世間が正月休みの間に宝田を訪ねなければいけない。


 とりとめのない思考をめぐらせるうちに、近所の神社へとたどり着いていた。寺で鐘を撞いて、神社に賽銭を投げる。節操のないお決まりの行事であった。


 普段は日が暮れれば境内を囲む鎮守の森が、境外とを隔てる結界のごとき雰囲気をかもし出す。しかし今日ばかりは提燈がめぐり、境内も灯りがともされて幽玄な気配に満ちていて、鎮守の杜は現世と異界の橋渡しになっていた。


 鳥居をくぐり手水舎に寄る。奥に鎮座した黒い龍が、滝のように水を吐き出していた。柄杓ですくった水を手にかけると、あまりの冷たさに肌が悲鳴をあげた。しかし不思議と過ぎてみれば、身も心も引き締まった気がするのである。禊というやつは、きっとこれのものすごいものなのだろうと想像しながら、作法どおりに進めていく。


 背後から人が近付いてきた。誠司は心持ち端へ移動する。あいたスペースに来たのはどうやらカップルらしい。女のほうが喋り、男のほうが相槌を打つという具合だ。


 邪魔をするのも悪いかと思って水気を払って拝殿へ行こうとすると、


「あれ?」


 と、男のほうが声をあげた。なんだろうと気になって足を止めると、彼は誠司のことを見ていた。


「誠司じゃん」


 気安く名前を呼ばれても、それが誰だか見当もつかない。


「えっ?」


「やっぱり誠司だ。ほら、芳村の」


「あっ! 妹か!」


 つい声が大きくなってしまう。男だと思ったそれは女だった。


「びっくりした」


 そうだとわかって見れば、なるほど女である。男と見紛う短い髪、ジャージにスカジャンを羽織っただけの格好、それから低く掠れた声のせいで男に思えただけだった。声も男というよりは、やはり低い女の声だ。


「なに? あんた一人で初詣?」


「うるせェな、悪いかよ」


「悪いなんて言ってないじゃん」


 誠司はちらっと隣の女の子を見る。こちらはダッフルコートを着て、マフラーを巻き、くしゃりと広がった髪が実に女の子らしい。


「あ、こっちは友里。高校の同級生」


「高梨です」


 と、丁寧におじぎをする。誠司も頭を下げながら、


「平岡です」


「ああ、この人が」


 口をちょこっと開けて、しきりに肯く。


「うん?」


「まっ、話はあとにして、お参りしない?」


 芳村聡美がそう言って、二人を置き去りに行ってしまう。なんとなく顔を見合わせてあとを追った。

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