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「そういえば成人式には行くの?」


 甘酒のついた唇をぺろりと舐めて藤林が訊ねた。そういう仕草には艶かしさと愛嬌が不自然なく同居している。


「さあ。決めてないけど」


「行こうよ」


「なんで?」


「私がつまらないじゃない」


「あー、おまえ友達少ないもんな」


 藤林は表情も変えずに誠司の肩を小突いた。叩かれた場所をさすりながら、誠司は思いなおすことがあった。付き合いの長さというよりも、人を選ぶ藤林の友人であるということ自体、わずかな自慢なのだった。彼女が見捨てぬうちは、それなりの人間でいられる気がするのである。


「そうじゃないよ。君といるのは楽しいし」


「……ま、俺はまだわからないな」


「あ、そうだ。友達といえば――」


 藤林が話を変えようとしたところへ、ぬっと影がかぶさった。そろって振り返ると、本堂の明かりを背負った、作務衣姿の男が立っていた。細いながらにしっかりとした印象があって、どこか冬枯れた巨木を思わせる。


「やあ誠司君。あけましておめでとう」


 読経で鍛えられた声は、絞っていても重厚でよく通った。人を安心させる響きがある。


「あ、おめでとうございます、おじさん」


 話の腰を折られた藤林は露骨に父親を睨んでいた。


「その格好、寒くないんですか」


「中にも着ているし、厚手だからね。小学校のころの君ほどじゃないよ」


「いやもう、そのことは……」


「サッちゃん……お母さんはお元気かい?」


「まあ、それなりに元気です」


「そうか」


 と、彼は一度肯いた。そしてやさしく微笑みを浮かべる。


「なにかあったらうちにおいで。那緒、休憩もほどほどにな」


「わかってるから」


 藤林は手振りで父親を追い払う。娘に邪険に扱われて、どこか哀愁の漂う背中を見送った。


 十分に離れるのを待ってから、藤林は刃物のような鋭さで言った。


「おばさん、本当に元気なの?」


「今はな。秋にまた寝込んでたけど」


「やっぱり」


 藤林はため息をついて、甘酒をちびりと飲んだ。紙コップに触れる唇は形良く薄い。


「君が弱気に流れるのは、たいがいおばさんの影響だからね」


「そうかなあ……そうかも」


「それで、いったい何をそんなに気にしているの?」


「なんだろう、俺がこんなだから母親がああなるのかなってさ」


「じゃあ働けばいいじゃない……って簡単な話じゃあないよね」


「情けないことにな」


「でもね、前にも言ったかもしれないけれど、君は悪くないと思うよ」


「そうか? 俺のこと言い合って、その直後に寝込んだぞ」


「君をそうしたのはおばさんだと思うし、だとすれば自業自得でしょう? そのことに悩むのはもったいないよ。それでなくとも平岡君、考え込みやすいんだから」


「藤林は俺のこと、よく知ってるな」


「そりゃあね。付き合いは長いもの。老婆心から言わせてもらうけれど」


「老婆心って」


 誠司は笑いだしてしまう。


「ガキのころから年寄りみたいな奴だっ……ごめんなさい」


 眉を寄せ、じろりと睨まれた。藤林は顔の作りが良いせいで、ほんのすこし眉間に皺をつくるだけで十分な迫力が出る。


「平岡君とおばさん、相性悪いでしょう」


「悪いかな」


「同じ家にいて、落ち着かないことのほうが多いんじゃない」


「ああ、言われてみれば」


「私はね、人間というのは綺麗な珠を目指して生きるのだと思うことがあるんだ」


「綺麗な珠、ねえ」


「角が取れるって言い方、あるでしょう。それが良いことなのか悪いことなのかはともかくとしてね。だけど人は一人では完結できない。半球でしかないから」


 誠司はなんとなく、彼女の言いたいことを察した。


「性別があるからか?」


 下品な言い方になりそうなのを、ぐっと堪えた。男同士で話すのと同じくらい、もしかするともっと気を抜いてしまう。

 

「そういうこと。そして、その断面はひどくでこぼこしていて不揃いなんだ。ぴたりとはまる相手もいれば、どうしたって合わない相手もいる」


「それで、俺と母親が合わないってか」


「と、私は思う。ともかく君は親元を飛び出してみるべきだね。それがお互いのためだ」


「簡単に言うなあ」


「簡単なことだもの」


 藤林はやわらかく微笑んだ。ほんのすこし頬をゆるめただけなのに、暗がりをまとった彼女はとても魅力的だった。知らない間にすっかり大人びた幼馴染に誠司は息を呑む。


「どうかした?」


 小首をかしげる仕草も、どことなく色っぽい。


「べつにどうもしないけどさ。それよりさっき何か言いかけてなかったか?」


 見惚れていたことが恥ずかしくて、誠司は誤魔化すように言った。


「さっき?」


「おじさんが来る前に」


「ああ、そうだ。友達が私のところに来てね」


「なんて野郎?」


「野郎じゃないよ、女だよ。ほら、小学校のころ、宝田さんっていたでしょ」


「ああー……宝田な。あいつが友達ねえ……」


「まあ私も丸くなったということで。それで宝田さんの彼氏が通り魔に遭ったって」


「マジで? そいつ、大丈夫なのかよ」


「腕を縫ったけど特に問題はないらしいよ」


「そりゃ何よりだけど、犯人は?」


 まだ逃げているのなら、のんきに初詣などしているのはどうだろうと不安になる。一方で、どうせ自分が狙われることはないだろうから杞憂でしかないという安心もあった。


「顔は見てないけど、体の大きさから女だと思うって」


「そうじゃなくて、捕まったの?」


「それがね、これが宝田さんの相談なんだけれど、その彼が警察には訴えないって言っているんだってさ」


 不可思議な話に、誠司は顔をしかめた。


「刺されたんだろ、そいつ」


「うん」


「縫うほどだろ」


「らしいよ」


「なんで?」


「知らないよ。犯人がどんなだったかも、何度も問いただしてようやく白状したって宝田さんが。それで彼女『浮気相手に刺されたんだ!』ってね。どう思う?」


「どうと言われましても、どうとも言えない」


 投げやりに答えると、藤林はむっと唇を尖らせる。


「考えるのは得意でしょ」


「なに、突然」


「小学校のときにあったじゃない、平岡君だけが正解したこと」


「藤林……まだ言ってるのか。根に持つなあ」


「根に持っているわけじゃないよ。そりゃ当時は悔しかったけどね、あのとき君のこと見直したんだから」


 ずいと顔を近づけて、まっすぐに目を見つめてくる。瞳の中で炎がちらちらと燃えていた。十年近くも藤林の中で盛って絶えぬ燎火をみるようで、誠司は彼女の執念深さに驚かされた。

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