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 食卓にはインスタントのうどんが四つ並んだ。


 お定まりの多い年末年始において、平岡家で食べる一年最後の食事はこれと決まっていた。お湯を注いで五分待つ。その間に一年を振り返るのだそうだ。五分のうちに思い出せないことなど、翌年に持ち越す必要がないという。


 誠司はその五分を堪えきれずに、三分を過ぎたところで蓋をとった。


 子供のころから誠司にとって、食卓を囲むということは苦痛だった。記憶にある食卓というものは、家族が喧嘩をする場所でしかない。そもそも食事が嫌いだからそんな記憶しかないのか、そうだったから食事自体を嫌いになったのかは定かではないが、ともかく義理でも果たすような気持ちで椅子に座り、体をちょいと外側へ向けて食事する。普段は仕事や将来のことをチクチク責め立てる祖母も母親も、今日ばかりは知らん顔をしていた。するといっそう居心地は悪くなって、誠司は体を余計に外に向けた。


「テレビはお母さん、紅白見るからね」


 と、母が宣言する。


「ええっ、じゃあお婆ちゃんのほうでお笑い見させて」


「うちも紅白」


「同じの見るなら、母さんがお婆ちゃんのところで見てよ」


 毎年同じやりとりしているだろう、と心だけで毒づいた。見たいテレビなどやってはいない。少年時代であったなら、ゲテモノのような心霊特集があったように思うけれど、ここ数年は本当にない。歌かバラエティかを見るともなく見て時間をつぶして――と、うどんをすすりながら予定をたてた。


 食事を終えて、なんとはなしに姉とテレビを見ているとCMの暇つぶしのように彼女が言った。


「あんた、これからどうするの?」


 テレビから目を離しもしない。その態度が気に食わなかった。


「そりゃまあ、働くしかないけど」


「で、今なにしてるわけ」


「なにも」


「なにもってね、あんた……とりあえずバイトでもしてみれば? コンビニとか」


 と、コンビニのCMを見て言う。


「とりあえずって言われもな。雲を掴むようって感じでさ」


「ふうん。ま、どっちでもいいけど」


 CMが明けると、まるで面倒臭くなったように話を打ち切った。誠司の中には出しどころを失った感情が、靄のようにわだかまった。不貞寝をして飲み込むしかなかった。


 目をつぶっているだけのつもりだったのに、次に気がついたときテレビでは年越しまでのカウントダウンが表示されていた。あと六分少々で今年が終わるらしい。


「それじゃ行ってくる」


 家族にそれだけ言って、誠司は身支度をして家を出た。


 玄関扉を開けた途端、冷たい風が襲ってきた。ためしに息を吐くと白く凍る。ジーンズのポケットに手を突っこんで、自然と背中を丸めながら夜道を歩く。


 道々通る家々は、どこも風巻かれて寂しく音がなる。いつもであればまだ車が間をおかずに通っているはずの市道も、さすがの今日はがらんとしている。帰省や初詣などで家を空けているらしく、窓明りさえ普段よりはずっと少なかった。


 寂しさを紛らわすために、聞きかじった曲などを口笛で吹けば孤独感はいや増した。


 表通りには街灯が等間隔に並んでいるばかりで、行く先も来し方もずっと夜の闇が重たくのしかかっている。ぽつぽつと橙色の光を放つナトリウム灯は、無感情に路面だけを照らし続けている。


 まるきり自分の人生だ。誠司は苦々しくなった。この真っ暗闇を一人きりで歩き通し、いったい何があるのだろう。老いた自分が息絶えるだけであるならば、今感じている死の予感が的中し、今日明日にでも果ててしまいたかった。


 そうまで思いながら、誠司ははてと首をかしげた。壮絶ないじめに遭ったわけでも、天涯孤独というわけでもない。そうだというのにこれほど悲観的なのはどうしてだろう。考えるほどに記憶の底から悪感がわきだしてきた。


 ぐるぐる渦巻く心の霧を、ごぉんと響く鐘の音がかき消した。除夜の鐘である。寺が近いと感じると、自然と一歩が大きくなった。


 雑居ビルやささくれ立った木造アパート、打ちっぱなしのコンクリートビルなどの実に雑多な一角に、その寺は突然現れる。立派な山門の向こうに、近代的なビルがそびえているのがなんともおかしい。世間の騒々しさとは無縁に、ただあり続けたのだという風格があった。


 山門前にたむろする人を避けていく。

 そこからまっすぐに延びる石畳の先に本堂がある。左手奥の暗がりは墓地で、その手前の、入口から見て真左には鐘楼が建っている。年越しに浮かれて出てきた幽霊の行列にも見える鐘撞きの列ができていた。


 誠司はその列に加わった。十人十色の音色を聞きながら賽銭を用意する。誠司はしばし迷ったが、無職の身の上であるし、知り合いの寺にご縁もなにもないだろうと、一円玉をとりだした。焼香を済ませ撞木を振るう。新年最初の習慣を済ませて、参拝者に配られている甘酒をもらいに行った。


 石畳を挟んで反対側には砂利を敷き詰めた広場がある。ぱちぱちと音を立てる焚火に、暖を求める人が集まった。


 順番を待ちながら横目に眺めていると、炎のゆらめきで人々の影が妖しく踊っている。火に飛び込む蛾の気持ちがわかるようだった。あれしきの炎では、きっと死にきれまい。


「平岡君、順番だよ」


 聞きなれたやさしい声に、誠司ははっと我に返った。甘酒の入った紙コップを振って誠司を呼ぶ女は、ダッフルコートにマフラーを巻いて、寒さと戦う準備は万端だった。


「母さん、平岡君が来たからちょっと休憩」


 と、言うやいなや、さっさと自分用の甘酒も掴んで先に行ってしまった。良いとも悪いとも答えていない彼女の母親に、誠司は会釈をしてから後を追った。


 本堂の階段に腰をかけ、甘酒を差し出してくる。


「あけましておめでとう」


「あけましておめでとう」


 紙コップを受け取って隣に腰かけた。指先がじんと温まるのを感じた。


 示し合わせたように、同時に甘酒を一口飲んで、温泉につかったような息を、まったく一緒に吐き出した。どろりとした甘さのあとに生姜の風味。体だけでなく心までほっと温まる味だった。誠司がもう一口飲むと、それを涼しげな流し目に見ていた女が口を開いた。


「で、どうして死にたいの」


 あまりに突然で、誠司は噎せてしまった。


 咳き込む背中をさすってくれる。


「やっぱり。図星だったか」


「なにが?」


「さっきそういう顔をしていたからね。なにか嫌なことでもあった?」


 ぐいぐいと距離を詰めてくる。


「べつになんにもないよ。ただ懐かしい顔ばっかり見てたから、寿命かなって思ってるだけで」


「懐かしい顔?」


「保育園の先生とか、昔の友達とかさ。あ、ほら、中学のときの英語の……」


「横溝先生?」


「そう、横溝! あの人に会ったり」


「それだけで死にたくなるなんて、君も追い詰められているなあ」


「だから死にたいんじゃなくって、死ぬかもなってだけ」


「ま、そう言うなら、それでいいけどね」


 と、女は呆れた顔で笑った。そのお見通しだとでも言わんばかりの態度に、誠司は懐かしさを覚えた。彼女――藤林那緒との付き合いは人生と同じだけの長さだった。


 きりっとした眉と、すっきり通る鼻筋が理知的な女性という印象を与え、実際に彼女は成績優秀であった。苦手といえば人付き合いくらいしか誠司は知らない。


 付き合いが長いせいもあって彼女に対しては卑屈な思いにならずに済んだ。一緒にいて落ち着ける、安息所のような相手だった。

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