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「ええっ? じゃあ誠司の彼女って、逸見エリなわけ?」


 聡美がいきなり大声を出すので、誠司は驚いて身を竦めた。睨んでやるがこちらなど見てもいない。


「それは普通に同級生」


「なんだあ、残念」


 商店街を横切ると、まっすぐ延びる路地の先に公園の入口が見えてきた。


「ほら、もう俺の話はどうでもいいだろ。まっすぐ行きゃ着く」


「お、あれか。サンキュー助かったぜ」


「それでさ、ちょっと気になってたんだけど」


 解決せずにいるのはどうにも気持ちが悪いと思い、駆け出しそうな新垣に声をかけた。彼は心なしか表情をかたくさせた。


「なに?」


「どうして待ち合わせしてる奴に電話しないんだ?」


「……待ち合わせなんて言ったか、オレ」


「あれ、違った? こんな時間に公園って言うからてっきり」


「いや違わないけどよ……ま、公園で遊ぶって年でもねえわな」


 新垣はまいったというふうに頭をかいた。


「遊ぶにしたって一人なわけないだろ。で、どうして?」


「そんなもん、決まってんだろ。彼女相手にそんな情けないとこ見せられっかよ」


 にかっと楽しそうに言うと、左手をひらりと振って公園のほうへと歩いていく。路地には街灯が十分なく、すぐに姿は見えなくなった。


 背後の商店街だけが眩く電灯をともしていた。漏れ出る光にできた自分の影を見下ろしていると、聡美がわき腹をつついてくる。


「なに」


 長く伸びた影の、闇に飲まれた頭を眺めながら返事をする。


「あんたにそんな行動力があるなんて思わなかった」


「逸見さんって、私も知ってますよ」


 女子高校生二人に尊敬の眼差しをむけられ、誠司は居心地が悪くなった。白々しいため息を吐きながらアスファルトを軽く蹴る。


 それにしたってなんというめぐり合わせだ。


 冗談や感傷ではなく、本当に思い出地獄めぐりの果てに死んでしまうのではないかと思い始めた。墓まで持って行くにはあまりにも情けない秘密を、偶然居合わせた二人に聞いてもらうのも悪くはなかろう。


 誠司はそうと決めて言葉をさがした。


「そのことなんだけどさ」


「うん? 言いふらすなって?」


「いや……俺なあ、本当はナンパなんてしてないんだ」


 二人がきょとんと顔を見合わせて首をかしげた。


「新垣さんが嘘ついてたってこと?」


「嘘は言ってない。あっちからすればな。それでちょっと聞いて欲しい……まあ、懺悔っていうか、誰にも言わないのは気持ちが悪いから言いたいことがあるんだけど、聞いてくれる?」


「……どう?」


 と、聡美が高梨に確認をとる。


「なんだかおもしろそうだし、私は聞いてみたい」


「おっけー。言ってみ」


「じゃあ、まあ、歩きながらにしようか」


 そう言って、来た道を引き返し、商店街を進んでいく。数メートルの道幅で、両側に連なる店舗はどこもシャッターをおろして、年始いついつまで休業と張り紙をしてあった。まっすぐに通り抜ける風に、端をぱたぱたと揺らしている。シャッターの上には、それぞれの看板がずらっと果てまで続いている。


「あの日、俺は声をかけられて『ああ、まずったなあ』って思ったんだ。だって全員嫌みったらしく笑ってるんだから。そうしたらナンパしろ、だ。俺はもう困りに困ったよ」


「で、やるって言ったんでしょ」


「まあな。嫌だって言えば、ビビりだなんだって、言われちゃいそうでさ。それが嫌だったからな。あいつらの笑い者になるだけならまだ良いけど、学校で尾ひれつけられちゃ困るから、とりあえず肯いたわけだ」


「男子ってそんなことするの? なんか、女子みたい」


「男だってするよ、人間だもの。ただまあ、女子よりも単純かもな。わかりやすいっていうかストレートだな、バカだから。強いの弱いの度胸があるだのないだの、サルから進化してないな」


「それで?」


「で、とりあえず考えながら歩いていた。断られるのはべつにいいよ、興味ないし。でもなんか、悔しいだろ、そういうの」


「わかんないでもないかなあ」


「だろ。だから俺は、道を訊こうって思ったわけ」


「道?」


「そう、道に迷ってる演技しながらな。で、近場で目立つ建物の場所を聞いて『あ、生徒手帳に地図書いてもらえます? 簡単でいいんで』って頼んだ。ページまで開いてペンを添えて渡されてみろ。断りづらいだろ。さあやれって。後はお礼言ってあいつらのところに戻って、勝ち誇った顔をしてりゃあ、思ったよりも上手くいってしまった、って感じ」


「……はあ、あんたすごいのかすごくないのかわからない話ねえ」


 聡美は唖然としている。高梨は誠司の話になのか、聡美の反応になのかは判断できないが、くすくすとおかしそうに笑っている。


 商店の谷を見上げる。照明の白さが、誠司には不快だった。


「すごくはないよ。なのにさ、あいつらが、っていうか主に新垣がそのことを誰彼かまわず言って回ったらしくて、高校の中で有名人になっちゃったんだよ、俺」


「なに、自慢?」


「違う違う。そのおかげ……なのか、そのせいなのかわからないけど、ちょっとはモテるようになってな。告白されて、彼女ができたわけだ」


「やっぱり自慢じゃん!」


「違うって、聞けって。あっちの期待してる俺とさ、現実の俺は全然違うわけだよ。その期待にこたえようって頑張ったこともあるんだけど、やっぱりなんか違ってさ。高三になって受験勉強が始まったら、会う時間が減っちゃって。ようやく受験が終わって、大学生活が始まって、これからはもうちょっと会えるかなって思ってたときに……ま、なんだ、別れ話をされたって次第で」


 同情されていることが、言葉を出しあぐねる息遣いから感じられ、誠司はいたたまれない気持ちになった。気道が狭まり、胃が縮む。矮小な自尊心が自分を絞めつけてくる。


 笑い飛ばしてくれるくらいでちょうど良いのにと思いながら、長い十数秒を歩く。


「……ん? あんたそれがあったのって、いつの話?」


「ゴールデンウィークだったかな、一回生の」


「大学辞めたのは?」


「行かなくなったのは、五月の半ば……だったはずだけど」


「あんたさあ……もしかして、それが原因でやめたの?」


「……かも」


 誠司が答えると、間髪いれずに聡美の蹴りが尻を襲った。衝撃と痛みに崩れ落る。路面の舗装タイルに入った溝が、誠司の手に食い込む。


 尻をさすりながら聡美を睨み上げた。涙がにじんで、やけにくっきりと見えた。


「あんた、バカじゃないの」


「うるさい、自覚はあるわ」


「もうっ、聡美ちゃんったら……。大丈夫ですか?」


 と、高梨は心配をしてくれた。


「大丈夫、大丈夫」


 やっとこさ立ち上がりながら答える。痛いことはもちろん痛かったが、オーバーに反応したこともまた事実である。


「痛ェ……そういや、兄貴はどうなんだ?」


 蹴られた衝撃で息苦しさを忘れていた。冬の冷たい空気がすんなり滑り込んできて、誠司を落ち着かせてくれた。


「なにが?」


「彼女と別れただなんだって、さっき言ってたろ」


「ああ、あんたとお揃いだ」


「やかましい」


 聡美は両手を頭の後ろに組んで、進める足を投げるように出す。


「ま、大丈夫じゃない? 振られたって言ってたの秋ぐらいからだし。ああ、でも最近は部屋に引きこもって外出てないけど、冬休みって言ってたから大丈夫じゃない?」


「年末年始はカップル増えるからな」


 あんぐりと開いた夜への出口に着いた。道路を挟んで向こうは天神橋筋商店街だ。


 この辺りも、やはり死んだように静かであった。


「それじゃあ、俺はそろそろ帰るわ」


「そう? これからどうする?」


「ついでだから、天神さんに行かない?」


「元気だなあ、高校生は」


 誠司が白い苦笑を漏らすと、同じように白い、それでも元気な息を吐いて言う。


「老け込むなよ、あんたまだ二十歳でしょ」


「バカ言うなよ。まだ十九だ」


「あ、早生まれか」


「この前の選挙の日さ、『選挙行った?』って三人に聞かれた。あれ絶対嫌味だ」


 早生まれをどうこうと思ったことは一度としてなかったが、はじめて三月生まれを呪った。なぜだか負けた気がしたのである。


「それじゃ、そういうことで」


「あ、ねえ誠司」


 ぎこちなく手を振って、家路につこうとするのを呼び止められた。


「なに」


「あんたが振られたのはさ、期待はずれとか、そういうんじゃないと思う」


「……慰めてくれてるの?」


「まあ、ね。あんたが落ち込んでるの、似合わないし。あのね、やっぱり誠司はお人好し過ぎだよ」


「そうか?」


「優しいのはいいことだけどさ、そればっかりじゃダメなんだよ。もっと自分勝手になるっていうか、あんたの高校時代なんて知らないけど、どうせいろいろ我慢してたんでしょ」


「我慢、ねえ」


 誠司には自覚がない。理由がないから断らず、面倒を背負い込んだことはしばしばあったが、それを我慢というのだろうか。


「優しすぎると飽きられるの。女なんてのは、男をバカだって言うのと同じくらいバカなんだから、自分勝手な奴見て男らしいって勘違いしたりするんだってこと。ねえ?」


 と、高梨に同意を求める。


 彼女はちょっと困ったように首をかしげた。


「私は平岡さん、良いと思うけどな。あ、でも髪はもうちょっと短いほうがいいかも」


「機会がありゃ、活かしてみるよ」


 空々しい決意を述べ、愛想笑いを浮かべた。


 今度こそ家に帰った。


 特に何をしていたということもないのに疲れを感じた。重力が倍にもなったような錯覚があって、真っ暗な自宅に帰りつくと、まっさきに風呂に入った。温めなおした湯に浸かっても、疲れは抜けていかない。


 風呂を出て、髪もろくに乾かさずに布団にもぐりこんだ。十九だとか二十だとか、それは些細なことである。実年齢ではなく、精神が老衰したようで、このまま眠れば、そのまま死ねるのではないかと、一瞬、本気で思いもした。


 まさかそれはあるまいと薄く笑みを浮かべ、そのまま眠りに落ちた。

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