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 自慢じゃないが頭は悪い。


 必死に勉強をしても中堅手前の高校に受かるのがせいぜいで、そこでは当然のように下から数える成績だった。勉強が好きなはずはなく、名前を漢字で書ければ入れる不良校には通いたくなかったから一時頑張っただけのことで、入ってしまえば目標もなにもなくなった。教師の恩情でどうにか進級した二年生、新垣忠志の日常は灰色だった。


 不良だの劣等生だのと言われても学校に通うのは、ひとえに友達がいるからだ。下らないことをしてゲラゲラ笑っていれば日々の退屈は忘れられる。授業などというものは、笑うまでのタメの時間に過ぎないのである。


 きわめて平凡で、ありふれた不出来な高校生であると、忠志は自認していた。


 四月末のある日、学校帰りにボーリングに行くことになった。たいてい誰が言い出したかはわからない。話の流れ、ことのついで、売り言葉に買い言葉。行動に意味などない。自分がおもしろい人間でないことぐらい知っているし、付き合う友人達が同じ穴の狢であることもよくわかっていた。それでもムジナの中でも気の合う奴とつるんで、流れに身を任せていれば、ときどき思わぬ物にめぐり合えたりするものだ。


 駅前は平日でもごった返しだった。休日に比べるとスーツ姿が多くて、学生服でいるとすこしばかり目立ってしまう。電車で先に着いてしまった忠志らは、自転車通学の連中が到着するのを家電量販店の前で待っていた。例によって下らない会話をし、ゲラゲラと大声で笑う。大きいほど楽しい気になれた。


「なあ、あれってエリじゃねえ?」


 と、一人が言った。


「あれってどれよ」


「っていうかどのエリよ」


「新しい女なの?」


 口々に言いながら指差すほうを見る。少し離れたところにある、家電量販店の自動ドアのそばで、壁にもたれる女がいた。大きなサングラスが似合うくらいには鼻がつんと高い。マスクを顎まで下げて電話で話している。肌がバカみたいに白い。


 輪郭と両目を想像しながら、エリという名前を思い浮かべると、見覚えのある顔がぼんやりと浮かんできた。


「あっ! あの、あれだ……逸見」


「そうだ、逸見エリだ」


 近頃、テレビで見るようになったモデルだかアイドルだか。元々劇団に入っていたとかでドラマにも出ているのを見たことがあった。忠志は遠巻きに眺めながら感心する。顔の半分が隠れるようなサングラスをしていても、やっぱり輝いて見える。光る物があるというのは、ああいうことを言うのだろう。存在感が違っている。ただ人を待っているだけであろうに、通る人は皆、一度ならずそちらを見ていた。そしてその存在感が人の目をひく一方、うかつに人を近付けさせない警戒色となっていた。


 平凡な自分達とは対極に位置する人間だ。


 生で見るとは思わなかった、テレビより可愛いな、などと言い合っていると、ふいに一人が提案した。


「ナンパしようぜ」


「誰を?」


「決まってんだろ」


「……あれをか?」


「誰が行くんだよ」


「そりゃおまえ、じゃんけんだろ」


「悪ィな、医者に止められてっから」


「んなドクターストップあるわけねェだろ」


 べつに本当にナンパがしたかったわけではない。珍しい女がいたから、声をかけようというだけの話で、それさえも話の種でしかなかった。そうして誰かが冗談のひとつでも飛ばせば、やめておこうで終わること。


 そのはずだったのに、


「平岡じゃねえか」


 と、声をあげた。忠志が振り返ると、クラスメイトの平岡が、歩いている途中の姿のままぴたりと止まっていた。思わぬ遭遇に、複雑そうな表情だった。


 平岡誠司に対する率直な感想は、とらえどころがない、ということだった。見た目は地味である。ボタンをふたつ開けるとか、シャツをズボンから出すとか、およそ一般的な着崩しをしていて、髪にも頓着していないらしく伸びるに任せていたかと思うと、ある日ばっさり切ってくる。どこにでもいる地味な奴そのものであるが、顔立ちはさほど悪くはない。見た目はもっさりとイモいのだが、それはそういうものだと見ることもできる。地味連中とつるんでいるわけでもなく、どこかの部活に所属しているわけでもない。誰とも一定の距離をおいて、無難に付き合っているという感じで、おそらくクラス中の誰に訊ねても「あの大人しい奴」という答えが返ってくるだろう。学校という小さな世界に存在するさまざまなグループの、ちょうどすべてが重なる一点に、ぼけっと突っ立っている。


 そういう、正体不明の男である。


「おまえ、こんなとこでなにしてんの?」


「なにって」


 平岡は、忠志達の顔を確認するように、それぞれに視線を動かし、「本屋に寄るとこ」


「へえ」


 返事に興味の色はない。誰も平岡の予定など気にしていなかった。つまりは挨拶のようなものだ。


「そうだ」


 と、今度はあきらかに前のめりの声。


「平岡さ、あれ、ナンパしてみろよ」


「おお、そうだ。おまえ彼女いないだろ」


「逸見エリ。可愛いだろ?」


 全員が視線で逸見エリを示した。誰の口にも意地悪な笑みが浮かんでいた。それは忠志も同じだった。ほんの座興が一瞬にして度胸試しに転じた。しかも仲間内の誰も人柱にならない好都合の見世物だった。


 全員が平岡の反応を待っていると、二度三度、逸見エリとこちらを見て逡巡する。


 それから、あっさりと言った。


「いいよ、やろう」


 これには意表をつかれた。


 誰もが断ると思っていた。そこをからかうなり、しょうがないと言うなり、話を愉快にまとめる算段だった。まさか二つ返事で引き受けるとは。


 なんでもないように、忠志たちをちらりとも見ずに間をすり抜けていく。その背中を戸惑いながら見ていると、すこし行ったところで足を止めて振り返った。ビビったかと期待したが、また裏切るように言う。


「むこうも一人だし、おまえらはそこで他人のフリしてろよ」


 それだけ告げると、また歩いていく。学校の廊下を歩くのとさして変わらない気楽さだった。


「なに、あいつナンパ慣れしてんの?」


「んなわけねえだろ、平岡だぞ」


「てめェ平岡マニアかよ」


「んなわけねえだろ、わかんだろぞれくらい」


「あ、やっぱビビってる」


 逸見エリとの距離が近付くと、さすがに緊張したと見え、きょろきょろと周囲を確認する。蛇行するように彼女に近付いていった。


 忠志は手汗に気が付いてズボンで拭いた。なにを緊張しているのだ。


 いよいよ両者が接触すると、平岡は体を捻ってこちらを見た。


「自分で他人のフリしろっつって、こっち見てやがる」


「バカかあいつ」


「こりゃ失敗だな」


 身振りで会話が続いていることはわかった。それがいつまで続くのかと思っていると、平岡が手帳のようなものを渡して、逸見エリになにかを書かせている。


 忠志たちに動揺が走った。


「嘘だろ、あいつ」


「ありえねえ」


「サインじゃねえの」


「サインだとしてもすげえだろ」


 平岡はそれを受け取ると内容を確認して、何度か肯いてからお辞儀をした。逸見エリはなんでもないよ、というふうに手を振っている。


 まっすぐにこちらに戻ってくる平岡の手には生徒手帳があった。それをアピールするように胸ポケットにしまうと、平岡はお返しだと言わんばかりに、意地悪く口角をあげた。


「これでいい?」


「アドレスか? サインか?」


「ちょっと見せろよ」


「やだよ、個人情報だし」


「じゃ、どうやったか教えてくれよ」


 平岡は顎を撫でて考えるふうをして、やがて気を取り直したように、いつものとらえどころのない無表情に戻った。


「俺の顔が良かったからじゃないかな」


 じゃあ本屋に行くから、と平岡は去って行くその背中にぼそりと呟いた。


「それはねえよ……」


 忠志はその背中を見送りながら、なんだか胸が熱くなるのを感じていた。


 おもしろい奴がいたじゃないか。こんなに近くに。


 人ごみに消えていく背中を見ていると、だんだんと世界がまぶしく、鮮やかになっていくような気がした。


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