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魔の森の管理者と迷い込んだ少女 〜過去を捨てた男と、失った少女の再誕の旅〜  作者: 未白ひつじ


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第十四話 水の練習

 トバスが加わってから夜の焚き火はいくらか賑やかになった。


 アーシュとヒマリの二人きりだった頃は、火のぱちぱちと爆ぜる音と、鍋の煮える音くらいしか聞こえなかった。今はそれにトバスの声がずっと、混ざっている。


 今日の話題は、昔、街道で大嵐に巻き込まれた時の話だった。凄まじい風に荷車が倒され、荷物が全部吹き飛ばされて行ってしまったらしい。

 全部失ったと崩れ落ちたが、荷獣のケラの毛の中から金貨袋が出てきて助かったのだという。


「あれ以来、大事なものはちゃんと《《しまうように》》してるんですよ」


 ヒマリは椀を両手で持ったままじっと聞き、時々目を丸くして驚いていた。そして、少しだけ笑顔を見せる。


 その横顔をアーシュは黙って眺め、こんな焚き火も、悪くないなと少し思った。


  *


 その夜、アーシュは新しい訓練を始めようとしていた。新しい魔法をヒマリに教えようと思ったのだ。


 ただ、何を教えるべきかで少し悩んだ。


 魔法剣士として長く戦ってきたアーシュは、光と雷の扱いには慣れている。だが、自分が使えることと、誰かに教えられることは違う。


 ヒマリは、身を守るために攻撃魔法を覚えたがっている。ならば師である自分の得意な属性を教えるのが筋なのかもしれない。


だが、難度の高い雷は今のヒマリにはまだ早い。光も照明や浄化なら扱いやすいが、治療や解毒には適性が要るし、光矢や光剣のような攻撃魔法となれば、さらに難しい。

……ヒマリなら、いずれ覚えられるかもしれない。 だが今は、先に基礎を固めるべきだ。


(最初に教えるなら、やはり基本四属性からだな)


火属性は、ヒマリが自力で使い方を覚えてしまった。制御も、今日までの訓練でかなり安定してきている。


――次は、何を教えるべきか。


アーシュは少し考えてからヒマリに声をかけた。


「ヒマリ」

「なに?」

「光と火の変換はもう合格点をやってもいい」

「ほんとう?」

「ああ、次は何を覚えたい」


 ヒマリが少し目を瞬かせた。


「お水の出し方……かな」

「水か」

「うん。お水を出せればね、アーシュも助かるかなって」

「そうか。じゃあ、やってみろ」


 ヒマリは水を出したい、出そうと考えた。すると、頭の奥に、道筋のようなものが薄く灯った。けれど、それが手のひらまで降りてこない。


「むー……むずかしい、かも」

「水の玉を手のひらに浮かべる想像をしてみろ」

「みず、たま……」


 ヒマリが手のひらを前に出した。目を閉じてしばらく息を整える。その様子をトバスが焚き火の向こうから身を乗り出すようにして見守っている。


 それから三十秒ほど経った時だ。


 ヒマリの手のひらがかすかに震えた。


「……あ」


 小さな声が漏れ、手のひらの上に何かがほんの一瞬ちらりと光った。水の滴のような何かが一瞬だけ浮かび、すぐにぱちんと弾けて消えた。


「……できたと思ったのに」


 ヒマリが手のひらをじっと見た。眉が少し寄っていた。

 

「やり方はね、わかるの」


 ぽつりと言った。


「あたまにはね、うかんでるの。マナをあつめて、火の集まりじゃなくて……お水の集まりにするんだよね。小さなお水たちを集めて、たまになれって」


(……それは)


 アーシュは少し驚いた。完璧に正しい手順だったからだ。


 ヒマリは教えなくとも火を出してみせた。もしかすると、賢者スキルの恩恵なのかもしれない、そうアーシュは考えた。


 ならば、水も出せるのではないか、そう判断したアーシュは、あえて具体的な方法を教えず、手のひらに玉を集めろとだけ言った。


 結果として、ヒマリは正解を引き当てた……が、完璧ではなかった。


「なのに……できない」


 ヒマリが少し俯いた。アーシュは少しの間黙ってヒマリを見ていた。


「……頭で分かっていても、体がそれに追いつかない時がある」


 静かに言った。


 理屈だけでは届かないこともある、ただ経験が足りないだけだ。そう伝えたくて、アーシュは言葉を選んだ。


「……やりかたが、悪いわけじゃない。頭と体の距離が、まだ、遠いだけだ」

「とおい?」

「ああ。近づければ、いずれ、追いつく」


 ヒマリが顔を上げた。


「どう、すれば、ちかくなるの?」

「繰り返すだけだ。失敗しても、繰り返す。それしかない」


 ヒマリはもう一度目を閉じた。手のひらにマナを集め、うんうんと念じた。今度はさっきより、ほんの少しだけ長く水玉が生まれた。けれどやはりすぐに消えてしまう。


 まるで小さなシャボン玉のようにふわりと浮かんで消える。


 もう一度。


 ふわり。消える。


 もう一度。


 ふわり。消える。


 ヒマリの額に小さな汗が浮かんでいた。


 アーシュはそれを少し離れた場所から口を挟まずじっと見守っている。


(……焦らせても、仕方がない)


 この子は待てば必ずやり遂げる。それはもう知っている。


  *


 七回目を終えたところで、ヒマリがふうと息を吐いて手のひらを下げた。


「……きょうは、むりかも」

「無理はするな」

「……うん」


 ヒマリが、少し、肩を落とした。


 トバスが焚き火の向こうで何か言いたそうな顔をしていたが、アーシュがちらりと視線を向けると両手を上げて顔を横に振った。


 本当に余計なことは言わない男だ。アーシュはそれをありがたく思った。


「ヒマリ」

「……なに?」

「思い浮かべている水玉はどんなものだ」


 ヒマリが少し考えた。


「……まるい、お水だよ」

「どんな」

「えっと……」


 ヒマリが両手で小さな丸を作った。


「これくらいの、すきとおった、玉」

「そうか」


 アーシュが手のひらを前に出すと、その上にぽつりと小さな水の玉が浮かんだ。それは月明かりを受けて、内側から淡く光っていて、まるでスノードームのようだった。


「きれい……わたしが作りたかったのは、そんな玉だよ」

「そうか。だがな、ヒマリ――」


 水玉は、ふわりと浮かび上がり、丸からイルカに形を変え、月光の下をスイスイと泳ぎ回ってみせた。


「――慣れればこんなこともできる」


 ヒマリが目を丸くした。


「すごい……」

「水は、形を持たない。玉にしているのは、こちらが"玉にしたい"と思って、マナに形を与えているからだ」


 アーシュはイルカを手元に引き寄せ、ゆっくりと楕円にしてみせた。それから細く流し、それからまた玉に戻した。


 ヒマリはじっと息を詰めて見ている。


「水は、最初から玉の形で存在するわけじゃない。お前の意志で丸にしているだけだ」

「……わたしの、いし」

「ああ。小さな水の粒を集めると言ったな。それがお前の意志だ」


 アーシュは、手のひらの水玉を消した。


「もう一度やってみろ。お前が言った考え方でいい。水を作ると考えるな。水に変われと考えるんだ」


 ヒマリがぱちりと瞬きをした。


(そっか……わたし、頭ではマナをお水に変えればいいとわかっていたのに、お水を作らなきゃって考えちゃってたんだ)


 何かがストンと胸の中に落ちた感じがして、頭の中がスッキリした。それから、手のひらを前に出し目を閉じた。


 今度は先ほどより長く息を吐いた。


(マナを……あつめて……お水の、せいしつ、を、あたえて……)

(……お水に変わって)


 ふわりと、水玉が浮かび上がった。


 パチリと割れず、しっかりと残って浮かんでいる。


 親指の先ほどの小さな水玉。けれど、確かにそこに浮かび上がっていた。


「……!」


 ヒマリが息を呑んだ。動かすのを怖がるように、じっと手のひらを見ている。


「できた……できたよ、アーシュ!」

「ああ。できた」

「ほんとにできた!」

「よくやった」


 ヒマリの目が輝いていた。


 トバスが焚き火の向こうで呆然と口を開けていた。


「……師匠」

「何だ」

「こんなにぽんぽん覚えられるもんなんです?」

「無理だ」

「ですよねえ……」


 ヒマリはしばらくの間手のひらの水玉をじっと見つめていた。消さないように、落とさないように。そっと、そっと、手のひらの上に置いたまま。


 やがて水玉がふっと、弾けて消えた。


「……あ」

「長く保つのはまた別の訓練だ。今は出せただけで十分だ」

「……うん」


 ヒマリが頷いた。


 それから少し黙ってからぽつりと言った。


「……アーシュ、さっきね」

「何だ」

「……魔法は自分の意志で、形にできるっていったよね」

「ああ」


 ヒマリが自分の手のひらを見た。


「……意志で変化するのはマナだけじゃ、ない、気がする」


 アーシュが少し目を細めた。


「……どういう意味だ」

「わかんない」


 ヒマリが手のひらを閉じた。


「でも、なんとなく……そう思った」


 アーシュはそれ以上は聞かなかった。ただ、少しだけ黙って焚き火を見た。


(……賢者、か)


  *


 訓練を終え、焚き火のそばに腰を下ろすと、トバスがあらためて声をかけてきた。


「いやぁヒマリちゃん、本当にたいしたものですね」

「ああ」

「私もね、若い頃魔法を少し齧ったんですがね。手のひらに水を出すまでに半年かかりましたよ」

「普通はそうだな」

「それが初日で……」

「ああ」

「しかも、師匠がコツをぽつりと言っただけで」

「ああ」


 トバスがため息をついた。


「……師匠って、腕っぷしもなかなかですが教え方もうまいんですねえ」


 アーシュは少し黙った。


 ――教え方が、うまい。


 そんなことを言われたのは初めてだった。


 昔、仲間と冒険をしていた頃、誰かに何かを教えた覚えはあまりない。むしろ習うことが多かったくらいだ。


 今、ヒマリに教えているのは、ただじっちゃんが自分にしてくれたことをそのままなぞっているだけ。そう思っていたのだが。


焚き火の向こうで、ヒマリがまだ自分の手のひらをじっと見ている。消えた水玉の余韻を確かめるように。


(……じっちゃんも、こうして俺のことを見ていた気がする)


 なぜ、じっちゃんが自分にあれこれ教えてくれていたのか、その理由が少しわかったような気がした。


  *


 その夜、テントに戻る前にヒマリが小さく言った。


「ねえ、アーシュ」

「何だ」

「……いつか、雨を降らせることもできるかな」


 アーシュは少し考えてから答えた。


「そうだな。ヒマリならできるようになるだろう」

「……たのしみ」


 ヒマリが微笑んだ。前の訓練の時とは少し違う笑顔だった。


 できると確信し、その未来を想像したからこそ生まれた笑みだった。


 アーシュはその違いに気づいたが、何も言わなかった。ただ、ヒマリがテントに入っていく後ろ姿を少しだけ長く見ていた。

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