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第八章 境界線の会議

午後の光が弱まり始めた頃、厳冬の空は再び雪を降らせていた。

 細かな粒が静かに舞い、街全体を薄い膜のように覆っていく。

 匠はストーブの前で手を温めながら、ノートPCの前に座った。


 矢島からのメッセージは短かった。


 《匠さん、状況が動き始めた。今日中に話したい。》


 その言葉の裏にある緊張を、匠はすぐに理解した。

 第三段階の“兆し”が、現実の動きと重なり始めている。


 匠は深く息を吸い、オンライン会議のボタンを押した。


 画面が切り替わると、矢島の顔が映った。

 昨日よりもさらに疲労が濃い。

 背後のブラインドは閉じられ、室内の照明だけが彼の表情を照らしている。


 「匠さん……ありがとう。急で悪い」


 「構わない。状況を教えてくれ」


 矢島は一度だけ深呼吸し、資料を共有した。


 「まず国内だ。

  中道改革連合の綱領原案が固まりつつある。

  ただし、参院と地方議員は現行政党に残る。

  つまり、完全な統合ではなく“二重構造”の状態だ」


 匠は頷いた。


 「過去にも同じような構造の政界再編があったと理解してます」

 「しかし今回は与党と野党による新党結成です。

  政治力学上まれに見る複雑な変化に対し、有権者が短期間の選挙期間で

  果たして納得できる投票が可能なのか」

 「加えて、新党では政策決定の一貫性が揺らぐ可能性もあります」


 矢島は匠のコメントをメモにしたため、プレゼンを続けた。


 「それに加えて、全国の選管が混乱している。

  総務省からの報告では、期日前投票の準備が間に合わない地域が出ている。

  札幌市などの大雪地域では物理的にポスターの掲示板が設置できない箇所があり、

  特例的な措置で設置箇所を半数以下に抑えるなど制度的な負荷が高まっている」


 匠は発言を受け静かに言った。


 「……政治判断のタイムラインが乱れると、外交判断にも影響が出ますね」


 矢島は小さく頷き、画面を切り替えた。


 「次に国際情勢だ。

  外務省がイラン全土に退避勧告を出した。

  これは在留邦人にも高確率で危険が及ぶ可能性が高まっていることを意味する。

  イラン国内はインターネットを遮断され情報封鎖の状況だが、

  さきほど米国から安全保障に関する有力な情報があった」


 匠は眉をひそめた。


 「イランと日本は元来歴史的にも友好関係にある。

  米国との緊張関係が逼迫するほど、

  両者の間に立つ日本の高度な外交的判断が問われることになる」


 矢島はさらに資料をめくった。


 「ロシアはグリーンランド占領説を一蹴し、西側の二重基準を批判している。

  情報空間での応酬が激化している」


 匠はそれに続けた。


 「……情報空間の混乱は、意思決定の遅れを招く。

  国家同士真偽判定が難しいコメントの応酬は第三段階の“情報リスク”に該当する」


 矢島は匠の顔を見つめた。


 「匠さん……第三段階の条件が、次々と埋まり始めている。

  あなたのモデルでは、どう判断する?」


 匠は少しだけ目を閉じ、言葉を選んだ。


 「……まだ臨界点ではない。

  だが、複数の条件が同時に動き始めている。

  これは“複合危機”の前段階だ」


 矢島は息を呑んだ。


 「つまり……?」


 「第三段階の核心は、単一の危機ではなく“危機の重なり”だ。

  国内政治の再編、国際情勢の緊張、情報空間の混乱……

  これらが同時に進むとき、国家は“優先順位の再設定”を迫られる」


 矢島は深く頷いた。


 矢島が資料を切り替えた瞬間、匠の胸に微かな痛みが走った。

 それは、かつて外務省で味わった“古傷”だった。


 ――あの時も、複数の危機が重なっていた。

 ――俺は警鐘を鳴らした。

 ――だが、判断は遅れた。


 その結果、現場は混乱し、匠の分析は誤解され、

 責任の所在を巡る議論の中で、彼の名前だけが残った。


 矢島は匠の表情の変化に気づいた。


 「……匠さん、大丈夫か?」


 匠は小さく頷いた。


 「問題ない。

  ただ、第三段階は“判断の遅れ”が最も危険だということを思い出しただけだ」


 会議が終わると、匠はしばらく画面を見つめたまま動けなかった。

 外では雪が静かに降り続いている。

 街は、世界の激動とは無縁のように見える。


 しかし、匠の胸の中には、静かな緊張が広がっていた。


 ――世界の変化は、必ず地方にも影響を及ぼす。

 ――そして今、その“境界線”が静かに揺れ始めている。


 匠は窓の外を見つめながら、静かに呟いた。


 「……第三段階の輪郭が、見え始めたな」


 その言葉は、雪の風景にゆっくりと溶けていった。


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