第七章 兆しの輪郭
1月17日土曜日、午前5時45分。
A市の冬は、夜明け前がいちばん静かだ。
雪を吸い込んだ空気は音を消し、世界が一瞬だけ止まったように感じられる。
匠はストーブに薪をくべ、湯を沸かしながら、窓の外の薄闇を眺めていた。
週末は仕事が無い。
国内外の情勢分析に、より時間をかけることができる。
――今日も、世界は動くのだろうか。
その予感は、ここ数日のニュースの流れから自然と生まれたものだった。
匠はスマホを手に取り、ニュースアプリを開いた。
画面には、国内外の急展開が次々と並んでいた。
国内情勢:政治の再編と制度の揺らぎ
**「高市首相、伊メローニ首相と初の女性首相会談」**
**「新党『中道改革連合』綱領原案が判明」**
**「参院・地方議員は現行政党に所属のまま」**
**「全国選管、極寒の中で準備難航 期日前投票用のはがきが間に合わず」**
匠は画面をスクロールしながら、淡々と事実を受け止めていく。
高市首相とメローニ首相の会談は、象徴的な意味を持っていた。
女性首相同士という点が注目されているが、匠が気にしたのはそこではない。
――欧州との連携をどう位置づけるか。
――国内政治の再編と外交の象徴的動きが同時に進むとき、政策の一貫性はどう保たれるのか。
そういった考察で、匠は構造としての“揺らぎ”を読み取った。
次に目に入ったのは、中道改革連合の綱領原案。
参院や地方議員が現行政党に残るという事実は、
政治が“過渡期”にあることを示していた。
――完全な統合ではない。
――複雑な調整段階にある。
さらに、全国選管の混乱。
極寒の二月、期日前投票開始にはがきが間に合わないという報道は、
制度的負荷が高まっていることを示していた。
匠は静かに呟いた。
「……政治判断のタイムラインが乱れる可能性がある」
次に、国際ニュースが目に入った。
**「外務省、イラン全土に退避勧告」**
**「ロシア、グリーンランド占領説を一蹴 西側の『二重基準』を批判」**
イラン全土の退避勧告は、
日本政府が慎重に判断する領域であり、裏付けとして米国側からの情報提供があったはず。
これは、中東情勢の緊張がより高まっていることを示す。
――海外邦人保護の観点からも、外交リソースが逼迫する。
ロシアの声明は、情報空間での応酬が激化していることを象徴していた。
――真偽不明の情報が国際世論を揺らす。
――情報空間の混乱は、意思決定の遅れを招く。
これもまた、第三段階モデルの“情報リスク”に合致する。
匠はスマホを置き、深く息を吐いた。
窓の外では、薄い朝日が雪を照らし始めていた。
――今日は久しぶりに晴れ間が少し見られそうだ。
激動する国内外の情勢下、我が街はそれとは無縁のように見える。
今日は除雪車も出動していなかった。
おそらく、市民は睡りを妨げられることなく熟睡できたのではなかろうか。
匠はコートを羽織り、外に出た。
雪を踏む音が静かに響く。
冷たい空気が肺に入り、頭が冴えていく。
――この静けさが、いつまで続くのか。
匠は空を見上げた。
薄い雲の向こうで、朝日が淡く輝いている。
- 家に戻ると、匠はノートを開き、第三段階の条件を一つずつ書き出した。
1. 大国の行動による地域秩序の変動
2. 国内政治の再編
3. 情報空間の混乱
4. 同盟国間の政策調整の難航
5. 複数地域での緊張の高まり
そして、その横に現在の状況を淡々と書き込んでいく。
――条件の多くが、現実の動きと重なり始めている。
匠は深く息を吐いた。
「……兆しは、すでに現れている」
しかし、まだ臨界点ではない。
第三段階は“複合危機”が重なったときに初めて発動する。
今はまだ、その前段階にすぎない。
だが、匠の直感は告げていた。
――このまま条件が揃えば、第三段階に入る可能性がある。
そのとき、スマホが震えた。
矢島からのメッセージだった。
《匠さん、状況が動き始めた。
今日中にもう一度話したい。》
匠は画面を見つめ、ゆっくりと返信した。
《分かった。準備しておく。》
ストーブの火が小さく揺れた。
匠は机に戻り、第三段階の資料を再び開いた。
――臨界点は、まだ先だ。
――だが、兆しは確かに近づいている。
その感覚は、かつて外務省で味わった“古傷”を刺激していた。




