第三章 オンライン会議(プランB境界線上の会議)
矢島からの返信は、驚くほど早かった。
《すぐに話したい。オンラインで繋げるか?》
匠は短く返した。
《10分後に》
ストーブに少しだけ薪をくべ、机の上を整える。
A市の朝はようやく雪雲が過ぎ去り陽光がところどころに薄く差し始め、極寒の証として窓の外では細かな氷晶が舞っていた。
静寂の中で、これから向き合う現実だけが異質な重さを放っている。
ノートPCを開き、指定された会議アプリにアクセスする。
画面が切り替わり、矢島の顔が映った。
以前より痩せ、目の下には深いクマが刻まれている。
「匠さん……本当にありがとう。時間がないんだ」
「状況は見た。だが断片だけでは判断できない。全体像を教えてくれ」
矢島は頷き、背後のブラインドを閉めた。
その仕草に、匠はかつての職場の空気を思い出す。
“機密性の高い話をする”ときの、あの独特の緊張感。
矢島は画面共有を開始した。
そこには、匠がかつて作成した“プランB”の骨格が映し出されていた。
「まず、匠さんが作ったプランBの前提だが……覚えていると思う」
「米国が従来の枠組みを超え、力による現状変更を選択した場合のシナリオだ」
「そうだ。
そして今、現実の動きはその想定を上回っている」
矢島は淡々と事実だけを並べた。
匠は政治的な評価を求めているわけではない。
ただ、事実の連なりを知りたいだけだ。
「日本は安全保障上、米国の抑止力を必要としている。
しかし、同時に国内法の枠組みや国際的な立場との整合性も求められる。
政府は複数の矛盾した課題に直面している」
匠は静かに聞いていた。
矢島の言葉は、あくまで“現状の説明”に徹している。
そこに評価はない。
ただ、事実が積み重なっていく。
矢島は新しい資料を開いた。
「衆議院の議席状況は知っていると思うが、与党は単独過半数を持っていない。
ただ、内閣支持率は高い。
そこで――」
画面に日付が表示された。
**2026年1月14日午後。**
「総理は与党幹部と会談し、
“通常国会冒頭での衆院解散”の意向を伝えた」
匠は短く息を吸った。
「……この状況での解散か」
「政府としては、国際情勢がさらに不安定化する前に、
“国民の信任を得た体制”を整えたいという判断だ。
外交・安全保障政策の一貫性を保つためにも、
政治基盤を固める必要があると考えている」
矢島の説明は、あくまで“事実の経過”に留まっていた。
匠もそれを理解している。
矢島は画面を切り替え、匠が作成したシミュレーションの一部を表示した。
「匠さん、あなたのプランBには“第二段階”があった。
覚えているか?」
匠は目を細めた。
「……地域紛争の連鎖的拡大。
そして、同盟国間の政策不一致による“安全保障の空白”だ」
「その兆候が、今、現実に出始めている。
欧州の一部は距離を置き始め、
アジアでも各国が独自の安全保障戦略を模索している」
匠は画面を見つめたまま、静かに言った。
「……つまり、プランBは“現実の地図”になりつつあるわけだ」
矢島は頷いた。
同時に一瞬だけ言葉を止めた。
匠はその沈黙の意味を理解していた。
「……第三段階の再評価が必要だ。
あれは、あなたしか説明できない」
匠は窓の外を見た。
A市の空には、まだ細かな氷晶が舞っている。
ダイヤモンドダストが朝の光を受けて輝いていた。
――静かな生活と、世界の激動。
――その境界線に、再び立たされている。
匠はゆっくりと矢島の方へ向き直った。
「……分かった。
第三段階の再評価をする。
ただし、俺は“内部”には戻らない。
外部の分析者として関わる。それが限界だ」
矢島は深く頷いた。
「それでいい。
今は、あなたの知見が必要なんだ」
通信が切れ、部屋に静寂が戻った。
だが、匠の胸の中には、もう“静けさ”はなかった。
世界は、そして日本は静かに軋み始めている。
その軋みは、匠の人生の“分水嶺”をも揺らし始めていた。




